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天狗の足音  作者: 逸取 生
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第八話 『天狗の心』

 高校の前のきつい坂を上っている間にも、雨はますます強くなった。映子と別れ、プールサイド奥の男子部室に着いた頃には雷が鳴り始めていた。

 この天候では無理だ。

 一年生に本日自主練の連絡を回してから、貫二は自分のロッカーに貼られたメモを確認していった。

 どの紙にもほぼ、二年A組の女ボスこと古左和(ふるさわ)弥生(やよい)に関連する苦情が書かれている。春海(はるうみ)鉄吾(てつご)からのメールで彼女が昨日プールサイドにやってきたことは知っていたが、貫二が家の門をくぐったときには鉄吾は帰ったあとだった。結局何があったのか知らないままだったが、メモのおかげでおおよその把握はできた。


〈フォームのアドバイス(?)をしてきて困りました〉

〈何だか妙に男子部室に入りたがってて……怖いんですけど〉

〈男子部室に入ろうとして、春海先輩が阻止してました〉

〈何を言っても話が全く通じないんです〉

〈部長の彼女って言ってますがほんとですか? どっちでもいいんですけど、また来るって言ってたのでマジで震えてます〉

〈公然わいせつ罪だから水着で歩くなって言われました、ここ学校の中だし、しかもプールなのに……〉

 

 等々。

 


 ──今日中に話をつけるか。


 古左和は日野森(ひのもり)(まもる)が三か月付き合って別れた女子だった。貫二にとっては外で会えば挨拶をするぐらいのクラスメイトの一人ではある。

 人当たりはややきついと思っていたが、ここまで強引だっただろうか。何か急に変わってしまったように思える。

 ベンチに座り、黙々と後輩たちのメモをめくっている貫二に背中から声がかかった。


「僕泳ぎっぱなしだったからさあ。昨日のそれ(・・)、鉄吾に任せっきりだったんだ」

「何かあいつ、大分頑張ってくれたみたいだな」

「鉄吾とあとは加南(かな)ちゃんかなあ、古左和さんの対応してたのは」


 何もできなくてごめん、と謝る舞に、貫二は顔の前で手を振った。


「お前は練習に集中してもらった方がいいよ。あとは俺が対処するからさ」


 頭一つ抜けたタイムを持っているエースに練習に集中してもらうべく、鉄吾と加南が弾よけになったのだろう。貫二は心の中で二人の仲間に手を合わせた。


「鉄吾と古左和さんの大きな声が僕んとこにも聞こえてきたよ。あれは本当に相性が悪いんだろうね」

 続いて「賞味期限……先週かあ」とつぶやく声。その手に持つ菓子パンは、袋の内側に水滴と白い綿のようなものが見える。

 

「やめとけって、部室(ここ)に放置したやつだろ? さすがにカビてるよ」


 冷蔵庫はなかった。男子部室にある電化製品といえば──いつから置かれているのかもわからない、古そうな据え置きのパソコンに、部室を出てすぐ横にある洗濯機。あとはドライヤーに各自の端末用充電器。

 腹減ったあ、という悲しげな声に腹の虫の音が重なる。


「カロリーメ○トなら一箱あるぞ」


 貫二は自分のロッカーを(のぞ)いて後ろ手に渡した。

 

「やった! ありがと貫二。実は僕寝坊してさあ、朝飯食いそびれるし財布は忘れるし」

「昼飯代貸そうか?」

「助かった、じゃ今日の昼一緒に食おう。明日返すから」 


 笑顔で固形食を受け取る舞を見て、貫二は去年の学年キャンプを思い出した。

 映子もこれを有り難がって食べていた。彼女の場合は飢え死にしかねない状況だったというのもある。あらかじめ持参していた食料を手違いで全て灰にしてしまったらしい。

 夕飯の時間なのになぜ離れた川原にいるのかと聞いても、最初はすましたままだった。


『ただの散歩よ、月も星も綺麗でしょ』


 その強がりもギュルギュルという音が台無しにしていたが。


「どうしたの貫二、いきなり吹きだしてさ」

「あ、いやさ、一年のキャンプんとき映子もうまそうに食ってたから」


 舞はモゴモゴと口を動かし、水筒に口をつけてから言った。


「ああ、かわいそうだよね映ちゃん。アレルギーでもないのにカレーの匂い嗅ぐだけで立ちくらむってさ」

「事情があるんだろ」

「貫二は知ってるの?」

「いや、去年聞いたけど、はぐらかされてそれっきりだよ」

「今なら答えてくれると思うけどなあ、友好度ぶっちぎりでしょ」


 ゲームになぞらえる友人に貫二は苦笑した。


「失敗したら積み上げた友好度もマイナス方向にぶっちぎるだろ。逆にお前ならどう思う? 聞かれたくないことをしつこく聞かれたら」

 

 貫二は舞の顔を見た。澄んだ水のような瞳が上を向く。


「僕は自分の好みの子だったら、きっとどんな質問でも答えるなあ」

 

 天井を見上げたままの舞が答えた。


「何回聞いてもお前の好みがわからん」

「性別が女」

「それだよ、幅広すぎだろ」

「いやあ……アハハ。じゃあ面白い女の子」


 舞は食べ終わった空箱を離れたゴミ箱に投げ入れて言った。


「そうだ、A組の出し物っておでん屋からカレー屋に変わったんでしょ」

「ああ、古左和がそっちの方が売れるって言って通したらしい」


 坂の途中で、貫二は文化祭の話を出した。模擬店の変更も映子に伝えた。最初驚いていたが、変更を受け入れているようだった。


「C組の方は? 劇って聞いてたけど、変更はないのか?」

「ないよ。体育館に是非来てよ、僕と加南ちゃんも出るから」

「二日とも?」

「ううん、僕らの出番は初日だけ」

「民話だっけ?」


 舞は首を縦に振った。


「ここら辺の、天狗の昔話をアレンジしたやつ。山津市って今年でちょうど節目の年なんだってね」

「市制移行七十周年らしいな」

 

 貫二の自宅がある旧市街でも垂れ幕がかけられていた。丸の中に描かれた正八面体。その自治体のマークの横に、蓑を被った小さな天狗が描かれている。

 ここ数年で見かけるようになった、自治体PRのマスコットだった。


「まあそれで地元にちなんだ話を元にしたみたいだよ。図書の先生にも、地元の企業にも協力してもらって」

「みっちり作ったんだな」

「C組皆で頑張ってる。結構本格的だよ、小道具もバンバン使うし」

「出番の時間教えてくれ。できるだけ行くようにするから」

「うん、お客さんにも舞台に上がってもらうから楽しめると思うよ。あと一週間、水曜の大会が終わったらそっちに全力シフトだね」


 そう、一週間しかない。貫二は壁のカレンダーを見た。二〇二七年、今日は九月三日金曜日。

 文化祭初日は一週間後、九月十日金曜日の十日月──。


「お前何やるんだ?」 

「天狗」


 自分を指でさして舞が言った。


「主人公か」

「違うよ」

「でも天狗の話で、天狗なんだろ?」

「戦闘員Cみたいなもんだよ。長い台詞が一か所あるけど、それだけ。トチらないようにって覚えたけど。『天狗がかけた……』って」


 貫二は手紙の文章を思い出した。

 天狗がかけた黒い呪い。


「お前、天狗の(しん)って知ってるか?」

「もちろん」


 唐突な質問に、舞は力強く頷いた。


「それが僕の唯一の台詞だからね」


 舞が(そら)んじた言葉は手紙の文章と若干違っていた。


    天狗がかけた 黒い呪い

    やにわに眠り 沈む呪い

    クダ憑きの子を 贄にして

    天狗の(しん)を 手に入れろ

    一つは高きに、一つはみなそこ、最後の一つは地の底に

    十日月まで 間に合わなければ

    領主の娘は食い殺される


「三つ……?」

「うん、白い石ころだけど」

「その台詞、どんな場面で言うんだ?」 


 平べったく言うとだね、と舞が口を開いた。


「主人公は領主の息子。彼は領地を荒らす天狗とその手下を退治しに行くんだよね。で途中でいろいろあって、その妹が呪われるわけ」

「その『いろいろ』とか『呪い』の具体的な内容を知りたいんだが」


 それなら、と舞は伸びをして言った。 


「司書の先生だね、鈴木先生。郷土史に詳しくてさ、五教科赤点の僕が話すよりもよっぽど説明が上手いから」


 赤点云々は事実だから洒落にならない。教科書を持って帰らない水泳部のエースは、補習に次ぐ補習と部活動の成績で何とか首の皮一枚繋がっている状態だった。

 そこは聞かなかったことにして、貫二は話を進めた。

 

「図書室、昼に行くか」

「飯ついでに僕も付き合うよ」

「わかった」

「興味が湧いた? 天狗の話」

「ああ、気になってる」

「ネタばれしてもいい?」

「頼む」


 なら簡単に、と舞が続けて言った。


「主人公は頑張って『天狗の心』を三つ集めて、天狗も退治する。けど結局妹は眠ったまま死ぬし、主人公も別の呪いにかかってしまうんだ」

「バッドエンドか」

「いやいや」


 舞は最初の言葉を殊更強調して答えた。


「ハッピーエンドだよ貫二。民にとっちゃ領主の息子も娘も、どっかの知らない誰かにすぎない。確かに一人は死ぬ、でもそれで皆の命が救われるんだからね」

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