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天狗の足音  作者: 逸取 生
 
1/12

プロローグ

 病室の窓から聞こえる蝉の声は、どこか物悲しく響いていた。

 朝の風にも少し冷たさが混じっている。

 

 少年は読み終えた本を一冊、また一冊と棚に積み上げていった。本のそばにある塊が視界に入る。『水泳部一同』とラベルが貼られた鉄亜鈴。そういえば──今日の筋トレのノルマはまだだった。

 一つ息を吐き、腕を動かした。身が入らない形ばかりの動作だった。それでもやらないよりはマシだろう。なにせこの一か月の入院で体力も筋力もすっかりと落ちてしまったのだから。

 今日で夏休みも終わるという。といっても自分には関係がない。明日もそのまた明後日も、まだまだ休みは続く。

 満足に動かせない両足に心ばかりが焦る。誰にも知られたくない焦燥感。


 少年は唇を噛んだ。不様だ、情けない。悔しいという思いが渦巻いていた。まだやれた。あと一歩まできていた。諦めきれない、諦めるわけにはいかない。いろいろな犠牲を払ったのだから──。


 我に返った。

 スマートフォンが振動している。

 唇をひとなめして、画面をスライドさせた。八月三十一日火曜日の文字の下、予定通知を確認する。見舞客が二組──午後と夜、それぞれ一人ずつ。

 平日に母が来ることはなかった。仕事がある。本来ならばもうとっくに退職しているはずだった。再来月に再婚を控えていたからだ。だがその予定も立ち消えた。婚約者の死によって……。


 今日面会にやってくる客、うち一人は親友だ。

 入院中の自分に代わって部活をまとめてくれている、頼りがいのある仲間。

 一方のもう一人は──。今や殺してやりたいと思うほどの憎い相手。大事なものをひとつひとつ、この人物が奪い取っていく。

 

 目的はわかっている。 

 

 少年はピルケースから小さなチップを取り出した。直径四ミリ、豆粒ほどの大きさの記録媒体。中に入っているデータにコピーなど存在しない、唯一無二の切り札。

 これこそ相手が欲するもの。まだこの手にあるうちは下手に手出しをしてこないはず。そう確信していた。

 相手も無理やり探すような真似はしてこなかった。今のところは。

 こちらの出方を待っているのだろう。もしくは少しの間の暇つぶし、単なる玩具(おもちゃ)の人形といったところか。

 でも構わない。少しでも、自分が生き延びることができるなら。

 そのためなら──何だってする。 

 

 暗い(ほのお)を宿した瞳で、少年は虚空を見据えた。  

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