E3-6:vs木鬼Ⅱ
――木鬼は人に憑くのを好む。
それが大前提だったにも関わらず、この場に来て2人は失念していたのだ。
久城標に鬼がとり憑く可能性を。
「ッ」
瑞葉茨乃はあからさまに舌打ちする。
対して木村手鞠も舌打ちこそしないが不愉快げに目を細めた。
「ははっ、すごいなこの身体。底が知れない。分からない。無知ゆえの無限、無垢ゆえの夢幻か?」
久城標の形をしたそれは機嫌よく、滑らかに言葉を発する。
「ここまで居心地が良いと手放すのは勿体無い」
まるで自己愛者のように、彼はうっとりと自らの手をその頬に寄せた。
「…………」
「…………」
「…………なあ保健医」
「なに、瑞葉さん」
「キモイからあれごとぶっ飛ばしていいか」
「や、まずいんじゃない。一応久城君だし」
木鬼は今だ恍惚とその手を眺め、そしてその身体に触れていく。
「はは、身体つきも丁度いい。人間の女の身体は脂肪が多くて動きにくいからな」
「……だってよ、保健医」
「……ぶっ飛ばしましょうか、やっぱり」
すると鬼はにたりと嗤った。
「――やれるものならやってみろ」
その挑発に乗ったのは手鞠だった。
「金斬! 一発ぶちかましなさい!」
「ええ!?」
当の金斬が困惑している間に、鬼は一直線に2人のもとへと駆ける。
その速さは獣並みだった。
「ぶちかますってどうすんだよ!? あれじゃ斬れねえだろ!?」
「ぶつかって止めなさい!」
「は!?」
手鞠はむんずと金斬の身体を掴むと、高校球児顔負けの見事なフォームで彼を投げた。
「なああああーーーー!?」
獣のように疾走していた木鬼と、まさに剛速球な金の妖が、正面から激突する。
否、激突したのは互いの『気』だ。
物質的に触れる寸でのところで木と金の気がぶつかり合っている。
――が。
「ぬわぁっ」
勢いの点で自主的に走っていた木鬼のほうに分があったのか、金斬はあえなく吹っ飛ばされた。
その際、一種の均衡状態が弾ける。
自然と鬼の体勢も少し崩れていた。
その隙に
「これでどうよ!!」
手鞠は腰から名刺サイズのカードを取り出し、それを数枚鬼のほうへと投げつけた。
(……あれは)
茨乃は目を細めその白いカードを凝視する。
それらはまるで意思があるかのように宙に浮いたまま鬼を取り囲み、光の線で円陣を生成した。
「ッ!?」
途端、明らかに不自然に鬼の動きが止まる。
「符、ダと……!?」
手鞠が投げたのは『最新型』の属性護符だ。
属性護符は通常オーソドックスな札の形をとっており、1枚につき1属性というのが基本だ。
しかしこのカードタイプは札のそれよりもコンパクトで目立たず、しかも1枚で全ての属性に対応している。
つまるところ携帯しやすいマルチな結界というわけだ。
「……ッ」
久城標の身体がブレる。
「苦しみたくないのならさっさとその身体を手放しなさい」
現在鬼を取り囲んでいる符の属は木と相克する金となっている。
木鬼と同じく木の属を持つ久城標の身体にも多少負担はかかるかもしれないが、普通の人間が鬼ほど純粋な属を持つわけでもなし、鬼だけをあぶりだす方法としてはこれが正攻法だった。
が。
「……! 保健医、離れろ!」
「え?」
茨乃の忠告に、手鞠は一瞬出遅れた。
直後、青白い光が爆発する。
「きゃあッ!?」
爆風に煽られた手鞠はそのまま植え込みにまで吹き飛ばされた。
「……子供騙しだな、こんなもの」
木鬼は息を吐きながら足元に落ちていたカードを踏み潰す。
「――っつー……」
植え込みが逆にクッションになったのか、手鞠はそれに埋もれながらも苦々しく鬼を睨む。
「……いけると思ったのに」
ぼそりとそうこぼしたのは紛れもない本心だった。
最新型であるカードタイプにも難があるのは彼女も知っていた。
1枚で全属性に対応しているというのはかなり重宝だが、その小細工が入っている分出力は札タイプに劣るのだ。
しかし通常の鬼――まして木鬼となればカードタイプで十分止められると踏んでいたのだが。
「どうやら相当そいつの身体がしっくり来てるみたいだな」
茨乃が前へと踏み出した。
鬼は肩をすくめて笑う。
「本当に良い依り代だよ、こいつは。もう数年熟せばつけ入ることすら難しかったかもしれないが、手に入ればこちらのもの。弱卒と云われ続けた我らに未来を――」
「ひとつ言っておくぞ、鬼」
鬼の言葉を遮るように、彼女は殺気を放った。
「――そいつは死ぬまで私のだ。貴様なんぞにくれてやるつもりはない」
その言葉に、鬼と、植え込みから抜け出そうとしていた手鞠は目を丸くした。
ただ唖然と。
しかしすぐに鬼は嗤った。
「触れられもしないくせに威勢のいいことを言うのだな、娘」
「…………」
顔をしかめた彼女に、畳み掛けるように鬼は言う。
「見えているぞ、その混沌が。今はどうにか均衡を保っているようだが、それも微妙なものなのだろう?」
手鞠はちらりと茨乃の顔色を伺う。
その表情は、とても苦い――いや、苦いと括ってしまえるほど単純なものではなかった。
苦悩、絶望、羨望、切望。
その湧き出るような感情を押さえ込むように、彼女はきゅっと瞼を閉じる。
それを嗤うように、鬼は続けた。
「お前が迎える最期はどれほどの苦痛に満ちているのだろうな?」
「――――黙れ」
棘のような、碇のような、鋭利で重い声。
奈落よりも深い闇色の眼が、鬼を射抜いた。
が、鬼はそれを見て一層嗤う。
とても、可笑しげに。
「その怒りは恐れの裏面か? それとも憧憬の片鱗か? ……良い、実に良い!」
そう言い放ったかと思うと、鬼は俊敏な動きで茨乃との間合いを詰めた。
「――お前の顔が歪み歪むのを拝みたくなったよ」
鬼はそうこぼして茨乃の首へと手を伸ばした。
「瑞葉さんっ!」
手鞠の悲鳴に近い声が響く。
が、鬼の手は宙を掴むだけだった。
「!?」
「その言葉、お前にそっくり返してやるよ」
鬼の背後から、声が聞こえる。
「な」
鬼が振り向く前に、その肩を異形の手がガシリと押さえ込んだ。
そのまま彼の身体はうつ伏せに倒される。
「ッ!?」
馬乗りのような形になった茨乃は左手に息を吹く。
するとその掌に、極めて純度の高い『水』の気が宿った。
「こいつならともかく、貴様ごときは耐えられないだろうな」
そうこぼしたかと思うと、彼女はその掌を彼の背中に押し当てた。
「――――ッ!?」
鬼の身体が跳ねる。
「あアアアアあああああ!?」
嬌声に似た、しかし絶叫。
身体に流し込まれる純度の高い『水』の気に、鬼は悶絶する。
本来、木と水は相生の関係にあり、木にとって水は不可欠のものであるが、それを享受しすぎれば腐ってしまうのが道理だ。
それと同じで、例え本来糧となるべき属の気でも、格が違いすぎるものを一気に流し込まれてはその身がもたないということになる。
「――――――ッ」
久城標の身体から、蒸発するように何かが飛び出し、霧散した。
一瞬で、形すら既になかったが、その何かがあの木鬼だということは明らかだった。
それが抜け出た途端、くたりと久城標の身体から力が抜ける。
と同時に、茨乃もふらりとその横に腰をついた。
夜のグラウンドが一気に静まり返る。
「……終わった……」
手鞠はほうと一息ついてから、2人の元へと歩み寄る。
「お疲れ様、」
手鞠は茨乃にねぎらいの言葉を掛けようとしたが、すぐに彼女の異変に気がついた。
「……っ、……は」
必死に抑えようとしているが、息が荒い。
胸に握りこぶし状態で、顔もどこか青ざめていた。
「瑞葉さん、大丈夫なの?」
ことの重大さに気付いた手鞠は思わずしゃがみこんで彼女の顔を覗き込んだが
「構うな」
彼女はそれを隠すようにふらりと立ち上がった。
「……小夜」
か細い声で彼女がその名を呼ぶと、いつもの通り、傍らに白い女が現れた。
青白い髪、白い肌、そして金色の眼。
明らかに人間離れしたその女が、いわゆる精霊と呼ばれる存在だと、手鞠にはひと目で分かった。
小夜は目の前にいる手鞠の顔と、その傍らでうつ伏せのまま横たわっている標を交互に見て首をかしげる。
「こっちの女はいいのよね?」
手鞠のほうを指差して、彼女は茨乃に尋ねた。
「そいつはいい。同業者だ」
茨乃が短くそう答えると、小夜はやや面倒くさげに脚を伸ばして、倒れている標をごろりと仰向けに直した。
彼はまだ気を失ったままだ。
「……ん?」
その顔を見て、小夜は怪訝に眉をひそめた。
「ねえちょっと、茨乃」
「なんだ」
「これ、いいの?」
「何が」
小夜は苛立ってきたのかむんずと腕を組んだ。
「だからー、何度目よこの男の記憶消すの。偶然じゃないでしょ、これ」
「……え」
手鞠はそこで思わず声を上げた。
「記憶、消してるの? 久城君の?」
手鞠の問いに、茨乃は答えない。
だんまりを決め込む茨乃に代わって、小夜が言った。
「あんたもこっちの人間なら知ってるでしょうけど、この手の件に一般人を巻き込んだ場合その記憶を消すのは当然のルール」
そのルールくらい、手鞠だって知っている。
けれど『記憶を消す』なんていうことは普通の人間には到底無理なわけで。
「事件の痕跡を抹消し『なかったこと』と思い込ませるか、もしくはその一般人をこちらの世界に引き込むか。普通はそのどっちかでしょう?」
手鞠がそう言うと、小夜は頷いた。
「まー凡人がとる手段なんてそれくらいしかないでしょうね。けど私の場合人間の記憶操作が出来るから?」
――関わった人間の記憶は直接消せるの、と。
少々自慢げに、彼女は言った。
「ねえ、でも待って。さっき『何度目』って言ったわよね? それって何度も久城君が瑞葉さんの仕事に関わったってことよね?」
手鞠がそう尋ねると、小夜はそのまま茨乃のほうに視線を流した。
「私が言いたいのもそれ。2回目までは偶然で済まされるとしても、3度も続くと流石にねえ? 私としてもいちいち出てくるの面倒だし、いっそ」
「2度あることは3度あるって言うだろ。お前が楽したいだけなのはバレバレだ」
茨乃がぴしゃりとそう言うと、小夜は不満げに目を細めた。
「言ってくれるじゃない。こっちだって好きであんたのお守りやってんじゃないってこと忘れないでよね」
そう吐き捨てると、小夜は投げやりにその人差し指を標の胸辺りに向けた。
「え、あ、ちょっとま」
手鞠の制止も虚しく、見えない何かが彼の胸を射抜いていた。
なんかこの話すごい難産で茨乃並みに息が切れました。
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