E9-9:神木
暗闇から、眼を覚ます。
目が覚めても、そこは一点の光もない暗闇だった。
すぐに、身体に違和感を覚える。
指先が硬い。
腕が重い。
関節が動かない。
ふと見下ろすと。
「……なん、だこれ」
細胞は根に。
血管は維管束に。
筋肉は幹に。
――俺の右腕は、樹になりかけていた。
それを見た途端、息がとまりそうになった。
夢にしては感覚がリアルすぎる。
「……ッ」
それに、樹はさらに成長し、茨のようなつるを腕のみならず肩の上まで伸ばそうとしていた。
じわりじわりと、内側から細胞が変化していく感覚。
身体の中に、根が張り巡らされていく気持ち悪さ。
「……、セキ……っ」
側にいたはずの精霊の名を思わず呼ぶ。
けれど彼女の返事はない。
気配すら、ない。
吐きそうになる。
泣きそうになる。
そんな俺の気持ちはお構いなしに、腕からはどんどんと瑞々しい芽が生えてくる。
まるで俺の命を養分としているかのように。
「……ッ」
そんな新芽を必死にちぎっても、次から次へと生えてきてきりがない。
むしろ新芽を傷つけるたび、速度を上げてそれらは俺を浸食していく。
「……くそッなんなんだよ、これ……ッ」
鬼の仕業か?
そのわりには鬼の気配を感じない。
じゃあなんだってんだよ。
これは夢なのか?
「それはお前の運命だ」
どこからともなく、声が聞こえた。
聞いたことのない声。
人間の声ではない。
鬼の声でもない。
もっと別のものだ。
「神木の申し子。ようやくお前の役目を果たす時がきた」
そう、精霊。
セキのような、闇里のような、小夜のような。
彼らに通じる透明な声だ。
「……なんだよ、役目って……」
姿を見せない精霊に向かって問う。
「お前は天に選ばれたのだ。朽ちた神木の代わりとなるように」
「結界の、代わり?」
……どういう意味か、なんて問う前に意味がわかってしまう。
言葉の通りだ。
「……俺に樹になれって言ってんのか?」
あまりにふざけた問いに、しかしそれは肯定した。
「しかり。お前はそのために力を与えられた。不可解だと思わなかったか? 器が壊れるほどの――身の丈に合わぬ膨大な力をお前はあるとき突然得たのだ」
確かに、俺は昔から霊が見えてたわけじゃない。
そんな血縁もいない。
頭痛を覚えたのは中学の、本当にある日。
「樹の力は、鬼を屠るためのものではない。お前の力は鬼からこの精霊の地を守る抑止の力なのだ」
なんだ、それ。
そうしている間にも、俺の身体の半分以上が植物となりかけている。
すでに脚が動かないことに恐怖した。
「……ふざけんな! 俺にはやらなきゃならないことがあるんだ!!」
泣いて叫ぶ。
俺は瑞葉との約束を果たしていない。
けれど無慈悲な精霊は淡々と言葉を紡ぐだけ。
「お前が言う『やりたいこと』など、所詮ちっぽけなものだろう。人間――あるいは男としてのお前はいくらでも代わりが効く。そうは思わないか?」
急に心がしぼんでいく。
俺は確かに、特別な男じゃない。
きっと、この樹の力がなかったら、ただの不良のままだった。
月子先生とも関わってないし、瑞葉とは出会ってすらないかもしれない。
「お前はこの地を守り続ける瑞葉の後継者を土鬼の呪縛から救った。これは天の意志で、お前の意志ではなかったのだ」
「違う……」
確かに、俺が望んだのは『彼女を救うこと』。
月子先生に、この力は誰かのためのものだと言われて、俺はすぐに彼女に出会った。
俺は彼女を救うために強くなろうとした。
「よくできた機会、よくできた状況。これを天の仕業と言わずしてなんという?」
「それでも違うっ」
この精霊が言う通り、この力が神木の町を守るための力で、俺と瑞葉が出会ったのも、神様の思惑どおりなんだとしても。
俺が彼女を救いたいと思った気持ちに嘘はない。
「……ならばお前は幸福だろう。お前はこれからも、この地の人々の護り手となるのだ。それに、お前が神木になり以前のものよりも強い、完全な結界となれば、瑞葉の長きにわたる鬼との戦いも終わる」
……終わる?
鬼との戦いが?
「……瑞葉が、もう戦わなくていい、のか?」
「そうだ」
ある夜、彼女が言っていたことを思い出す。
『新しい神木でも出来ない限り、うちの家系はずっと鬼を相手にしていかないといけない。終わりはない。……笑えるだろ?』
腕がこんなになった今なら、瑞葉の苦しみが少しだけ実感できた。
腕が異形と化すのは、こんなにも怖い。
人間でなくなる感じがするのは、とても怖い。
いつの間にか、俺という人間がいなくなって、別のものになっていくのは、こんなにも
「……寂しい、のか」
涙がこぼれる。
こんなに寂しいと思えるのは、俺がたくさんの人に囲まれ、助けられてきたからだ。
「お前の寂しさなど、この世すべてに比べれば些末なこと。――さあ、覚悟を決めろ神木の申し子。お前がその力に――天に感謝をするならば、お前もその身をもって応えるがいい」
身体はほぼ、樹に覆われた。
残るのは顔だけ。
今更どう足掻いても、俺は樹になるしかないらしい。
……瑞葉は、どう思うだろう。
俺がいなくなって、寂しいと思ってくれるだろうか。
もしそうなら、いっそ、小夜の奴が記憶を消してくれればいい。
……多分、あいつならそうしてくれるだろう。
そしたら、瑞葉は喜んでくれるかな。
もう鬼なんてものと戦わなくていい。
普通の高校生みたいに、友達に囲まれて、放課後遊びに行ったりして、笑って。
たとえそこに俺がいなくても、彼女が望んだものが手に入るのなら。
結局俺の力は、全部神様がくれた力で、自分で掴んだものなんてなんにもなかったけど、これで瑞葉が難しい顔とか、つらい思いをしなくなるのなら、それはそれでいいかもしれない。
だから
「……やっぱり俺、この力は瑞葉のためにあったと思ってるよ……」
目すらも、徐々に茨のつるが覆っていく。
残すのは、言葉を紡ぐ唇だけ。
こんなになった今でも、俺の脳裏には彼女のことしか出てこない。
ああ、ほんとに、俺、
瑞葉のこと、
「好き、だったんだ」
ありがとう。
俺にこの感情をくれた女の子。
俺の、運命の人。
そうして、すべてが樹に覆われた。
明日、最終話投稿します。