E9-6:零
白い世界は破れ、こちらの世界に戻って来た。
ひびの入った土鬼の身体は、乾いた粘土のように崩れ落ちる。
俺は彼女の手を引いて、鬼の残骸を避けるようにそのまま後ろに尻餅をついた。
「――――はぁ」
彼女を抱えたまま、深く息を吐く。
すると自然に、身体の感覚が戻って来た。
身体のツギハギ感はまだ残っている。
けれど一番重傷なはずの左肩の傷は、いつの間にか癒えていた。
不思議な話だ。
「器のほうは……大丈夫、そうだな」
瑞葉が安堵の声をこぼす。
「また記憶消されたら俺今度こそ怒るぞ」
苦笑して見せると、彼女も少し笑った。
「……姫様!」
闇里がずるずると這い寄ってくる。
「よかった、よかったです……!」
闇里はそのまま大泣きを始めた。
「……男が大泣きとかやめてよね、みっともない」
その傍では小夜が悪態をつきながら立ち上がる。
そのままふらりとどこかに消えてしまいそうな彼女の背中を瑞葉が呼び止めた。
「――小夜。……ありがとな」
「あんたに礼を言われるようなことなんてこれっぽっちもしてないわ」
つっけんどんな返事に瑞葉は苦笑していた。
「ずるい! 茨乃姫様! 僕はっ!? 僕はーー!?」
闇里がいよいよもっておいおいと泣き出す。
「わかったからその鼻水を拭け!」
そうこうしていると。
「……!」
前方に、ふたつの人影が現れた。
土耶と、あの付き人の女だ。
俺が立つより先に、瑞葉が立ち上がった。
彼女は相当な気迫で土耶を睨みつけているが、一方の土耶は崩れきった土鬼の亡骸を見て呆然としているように見えた。
「……やはり、駄目だったのか」
ともすれば泣きそうな声で、土耶は小さく呟いた。
あれだけ大人びた態度をとっていた彼が、今はただの少年に見える。
どうして奴がそこまで土鬼に拘るのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「――綴様」
すると、傍らの女が一歩前へ出た。
「諦めるのはまだ早い」
そう言うと、彼女はこちらに駆け出した。
「瑞葉、危ない!」
瑞葉は冷静だった。
彼女は女の蹴りを間一髪でかわしたかと思うと、右手に透明な鎖のようなものを発現させた。
その鎖は女の左腕に巻き付き、捕らえる。
しかし女はそれを右手でいとも容易く引きちぎり、そのまま俺の懐へと入り込んだ。
「!」
「久城!」
女の強靭な拳が目の前で振り下ろされる。
――死んだ。
本当にそう思った。
しかし、彼女の拳が貫いたのは
「……?」
俺の足元にあった、鬼の残骸だった。
「……私の手はどんな力の残滓も取り込みます。それがつい先刻倒れた鬼だというならば、ほぼ完全にその力を取り込める……!」
途端、膨大な力の流れが女を中心に回りだす。
「ッ」
あまりの瘴気の暴風に、身体が弾き飛ばされた。
闇里がとっさに俺を受け止めてくれたおかげで大した怪我をせずに済んだのだが
「あ、いつ……!」
女は右手に土鬼の力を吸い込んでいく。
しかし、あまりに強大な力だったのか、女の腕は徐々に異形と化し、その浸食は見る見る広がっていく。
「馬鹿なことはやめろ!!」
制止しても、女は力の吸収をやめない。
このままでは、女は鬼の力に呑まれてしまう。
そうなれば今度は彼女が鬼に成る。
「零!!」
土耶が声を張り上げた。
彼の声に、女はようやく反応する。
そのときには既に、女の身体は半分以上鬼の外皮に覆われていた。
「零、やめろ! どうしてお前がそこまで……!」
「――綴様。私ガ貴方の居場所をつクります。……ダカラ」
ワタシヲ飼ッテクダサイネ。
女はそう言ったかと思うと、完全に、土鬼と同化した。
「……!!」
いつか見た、悲しみの塊のような異形。
今まで彼女が取り込んでいたものすべてが複雑に融合している。
言葉ももう失っているのか、鬼は空を裂くような咆哮を上げてこちらを睨んだ。
「下がってろ」
瑞葉が俺をかばうように立つ。
「でも!」
「これ以上動けないだろお前。……闇里!」
瑞葉が傍らの闇里を呼ぶ。
「お前、持ってきてるな?」
瑞葉の言葉に闇里はうなずく。
彼がそっと自らの胸に手をやると、そこから一振りの刀が現れた。
「小夜。不本意だろうがもう少し付き合ってもらうぞ」
「……ち」
小夜の舌打ちを同意ととらえたのか、瑞葉がその刀を手にすると、その瞬間から小夜と闇里、2人の精霊が瑞葉に憑依する。
瑞葉が鞘を抜く。
一点の曇りもなく磨かれた白刃が月の光を受けて輝いた。
俺は刀のことなんてこれっぽっちも分からないが、その刀は俺が人生で見てきた刃物の中で、一番綺麗なものだった。
瑞葉が地を蹴る。
彼女は瞬く間に鬼の懐に入り込んだ。
憑依の影響か、その速度は尋常ではない。
鬼の足に一太刀浴びせると、鬼の身体から明らかに浴びるとまずそうな黒い瘴気が噴出した。
瑞葉はそれを間一髪のところで避けると、例の鎖を鬼の足に向かって投げつける。
脚に巻き付いた鎖を瑞葉が引くと、鬼は見事に地に倒れた。
倒れた鬼の上に乗り、瑞葉は冷酷に見えるほど容赦なく、その刀を鬼の首元に向ける。
俺は思わず止めに入ろうと脚に力を入れた。
が、
「やめ、ろ!」
上ずった声とともに、突然現れた粘土のような子鬼が瑞葉の腕にまとわりついた。
瑞葉は鬱陶しげにそれを刀で薙ぐ。
子鬼は簡単にガラガラと崩れたが、すぐに再生し再び瑞葉の邪魔をした。
瑞葉は鬼の身体から飛び降りる。
そして、邪魔をした当人である土耶に言った。
「――土耶。もとはといえばお前がまいた種だぞ」
叫んでこそいないが、瑞葉は怒っていた。
それは、当然だろう。
彼女は、鬼に成るという恐怖と苦痛を知っている。
それを目の前でまた、見せられたのだ。
「……ッそれでも零は、殺させない……! 零は、俺の……家族なんだ……!」
土耶が叫ぶと、鬼はそれに応えるように立ち上がった。
「……弟想いなことだな」
瑞葉は鬼の拳を跳んで避けると、そのまま俺の傍らに戻ってきて刀を鞘に納めた。
「……瑞葉?」
「なあ久城。私はあの馬鹿男をぶん殴ってくるからお前にあの鬼任せていいか」
彼女の言葉に、思わず微笑んでしまった。
「何笑ってんだよこんなときに」
「……いや。任されたよ」
瑞葉は最初から、あの鬼を斬るつもりはなかったらしい。
そして。
「遅くなりました」
空から一羽、小鳥が降りてくる。
小さくても頼もしい、俺の相棒だ。
「少し見ない間にまた随分ボロボロになっていますが……まだ戦えますか少年」
「お前となら」
俺が頷くと、セキは姿を人型に変えた。
大人の姿をとったセキは、いつになく戦いに意欲的だった。
「僕はあの鬼から妹の亡骸を取り戻します。必ず」
そして自分も成仏するのだと、彼女の眼が言っていた。
「……それがお前の望みだったな」
少し寂しい気もする。
けれど
「よし、行こう」
セキが俺に憑依する。
身体に再び、力が宿った。