E9-4:終末ノ場所Ⅳ
だらりと力なく垂れる腕。
完全に、久城標は絶命した。
『――?』
鬼は違和感を覚え、咥えたものを吐き出す。
それは、わら人形だった。
『小細工ヲ』
鬼がそう吐き捨てた次の瞬間、
『ッ!?』
鬼の顔面に巨大なサメが食らいついた。
『――舐メルナ!!』
鬼が怒声を上げ、サメを引きはがす。
引きはがされたサメは途端に爆発して白煙を生じさせた。
『小賢シイ! 目潰シノツモリカ!!』
鬼の目には白煙の中に人影がはっきりと見えた。
しかし鬼は嗤う。
それは囮だと気付いているのだ。
『間抜ケメ!!』
鬼はすぐさま背後を振り返る。
そこには驚愕に目を見開く人間の姿があった。
鬼は豪快に牙を立てる。
今度こそ逃がすまいと、頭からかぶりついた。
が、
『…………!?』
歯ごたえがない。
『……ッ』
鬼はソレを吐き出す間もなく瞬時に前に向き直った。
白煙の先、そこに立っていたのが『本物』だったのだ。
『――――ッ』
人間ごときに化かされた怒りで、鬼は「喰らう」ことを忘れ容赦なくその腕を伸ばした。
伸縮可能なその巨椀は、今度こそ獲物に届く。
『死ネ!』
鋭利な爪が、彼の身体をズブリと貫いた。
衝撃で、標の身体はくんと反る。
刹那、赤い血が地面に飛び散った。
それを見て、そして指先の手ごたえを感じて、鬼はようやくニヤリと笑った。
「く、久城さん……ッ!」
傍で倒れていた闇里が叫ぶ。
それに応えることもなく、標はだらりと、力なくうなだれた。
鬼はニタニタと、それこそ無邪気な子供のように、そうっと伸ばした腕を戻す。
『ヤット、捕マエタ』
鬼は言った。
すると。
「……捕、まえた……!」
その獲物は、血を吐きながら、首を上げてにたりと笑った。
** *
この土鬼が、腕よりも牙を使ってくる癖があるのは見抜いていた。
それでは都合が悪い。
牙を食らえば一瞬で絶命する可能性が高いからだ。
この鬼相手に勝ちをとるには、牙を封じ、爪で裂かれ、なおかつ致命傷を避けなければならない。
そのためには相手の動きをよく見極める必要があった。
だからこそのフェイクとフェイク。
そして今、俺の理想の状況が完成した。
『貴様……何ヲ……!』
鬼は起こっている事実が呑みこめていないらしい。
鬼の爪は、俺の左肩を貫いている。
痛みは酷い。
けれど感情の高揚でその痛みは些末なことになっていた。
俺の血が、鬼の爪を介して鬼の身体へと伝っていく。
それはまるで呪縛のように、鬼の動きを止めるのだ。
記憶が戻って、思い出したこと。
それは
「俺の『血』が、お前の『生命力』を奪う」
両手で鬼の手を掴む。
そこから力が奔流するのを確かに感じた。
『――ナ、ンダト!?』
息吹きの力はその勢いをもってすれば、他のものの生命をも蹂躙する。
特に
「土は、木に、締め上げられるもんだろう?」
『ッキ、貴様ァアアアアアア!?』
鬼の身体が先端から固くなっていくのが分かる。
俺がふれたところから、鬼の腕に樹の根のようなものが走り出した。
生命力の侵食は止まらない。
伝い、奪い、鬼の細胞を崩壊させる。
『ヤメロ! ヨセ! 我ハッ我ハ最後ノ土ノ鬼!! コンナトコロデ……!』
鬼は懇願混じりの悲鳴を上げる。
けれどそんなものを聞き届けるつもりはない。
「お前には最後の役目が残ってる。――瑞葉を、返してもらうぞ」
ここからは、俺の最後の賭け。
彼女の魂を連れ出せるかは、俺と彼女にかかっている。
「さあ、開け――!!」
鬼の身体にはっきりと亀裂が入る。
その歪な身体が真っ二つに割れていく中に、嘘みたいに真っ白な光が見えた。
** *
「心配だから追いかけるつもりだったけど、こうも邪魔が入ると心折れるしイラついてくるわ」
車通りもほとんどなくなった深夜の街。
一台の車が道路のど真ん中で足止めを食らっていた。
百鬼夜行の片鱗か、おぞましい数の鬼がゾンビのごとく道路を横断していくのを見て、運転席の手鞠はいたずらにクラクションを鳴らす。
もちろん、鬼にクラクションは効かない。
「怒ったって仕方ないだろ、これもいずれは片づけにゃならんもんだし」
一方、助手席に座る月子は背もたれにどっかりともたれて構えている。
「何? さっきまであんなに久城君をせかしてたくせに、えらく余裕なのね、月子先生?」
「はっ。私は自分の役目を終えたのさ。ちょっとくらい休ませてくれてもいいだろ?」
そう言いながら、月子は上着の胸ポケットから煙草の箱を取り出そうとした。
「ちょっと! 車内禁煙!! 吸うなら外で吸いなさい!!」
「はあ? ……ったくいちいちうるさい人だねあんた。……わかったよ、降りればいいんだろ、降りれば」
よっこいしょと、月子はドアを開ける。
彼女が車を降りる前、
「頼むわ」
誰に言うでもなくそう言うと、ふわりと何かの気配が彼女の脚にまとわりついた。
それから彼女は地に足をつける。
それを見た手鞠は、あることに勘付いた。
「貴女、脚……」
「ん? 何か言った?」
何でもないふうに運転席を覗き込む月子に、手鞠はやれやれとため息をついた。
「……久城君の無茶するクセ、貴女譲りなんじゃないの」
「なんだ、妬いてんのかい?」
「もう妬かないわよ」
そうして手鞠も車外に降りた。
明らかに自分たちを目視している人間に、鬼たちも気が付き始めたらしい。
わらわらと、2人のほうへと歩み寄ってくる。
「さぁて、手早くこいつらを片づけて、ちょいと一服したいところさね」
コキコキと首を鳴らして月子は言う。
「その時は私もご一緒するわ」
手鞠はそう言って、小さな球体を後ろに放り投げた。
「ちょ、人に禁煙とか言っといて、あんたも吸うのかよ」
月子の手に、いつの間にか細く透明な鎖が現れる。
「随分前にやめたんだけど。貴女の持ってる銘柄が懐かしかっただけ」
それを聞いて月子はくっと笑う。
「気が合わないかと思ったけど、案外そうでもないのかねぇ。手鞠先生?」
「その言葉、そっくりそのまま貴女に返すわ。月子先生」
鬼がいよいよ集まってくる。
しかし2人の背後には、いつの間にか頼もしい騎士が控えていた。
ひとつは先刻投げられた球根から一気に成長した巨大な食虫植物。
もうひとつは雷鼓を背負った人型の精霊。
「今日こそ存分に暴れていいわよお馬鹿さん。どれだけウザくて不細工でも、あなたが私のうちで『最強』だと、ここで示してみせなさい」
清々しいほど高圧的な主の声に、ハエトリグサは興奮を覚えながら応える。
「ブホォウ! 俺のこと罵ってくれる手鞠ちゃんも大好きだおーッ! こいつら全部食らいつくしてやるお!! その暁には俺と結婚してくれお!」
「しないわよクズ」
「アアンッ! そんな手鞠ちゃんに痺れるおッ!」
それを傍目に月子は背後の霊に命じる。
「女王様気取りは私の専売特許だったんだけどね。――まあいいわ。もうひと暴れだ雷王。鬼どもを気持ちよく逝かせてやろう」
月子の持つ鎖に、白い光が走る。
バチリと時折跳ねるのは、迸る稲妻か。
「さあ、誰から逝きたい?」
深夜の街の鬼たちが、一斉にざわめいた。