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E0:天ノ月

 中学3年に上がったあたりから、俺はよく頭痛を覚えるようになった。

 それまで風邪すら数えるほどしか経験したことがなかったから、その頭痛があまりに鬱陶しくて、つらくて。

 もともと勉強とかするほうじゃなかったけど、余計に身が入らなくなった。

 夜の静けさも、頭痛とノイズに似た耳鳴りを強調させるだけで、ベッドに入ることさえ苦痛になっていった。

 だからある晩、俺はベッドを抜け出した。


 看護師のお袋は夜勤で家を空けることが多かったから、家を抜けることは簡単だった。


 こんなド田舎の神木にも、夜の煌びやかさはある。

 夜の繁華街は喧騒に溢れていて、少し路地裏に入ればはぐれ者が沢山いた。

 同じ学校の奴を何人か見かけて、話かけていたら、俺もいつの間にかそいつらの仲間になっていた。


 もともと運動神経には自信があったし、そいつらとつるんでいたら喧嘩も見る見る強くなった。


 夜、頭痛がひどくても、チンピラや隣町の奴らと殴り合っていたら、痛みを紛らわすことができた。


 警察とか、族の先輩は怖かったけど、同年代の奴らは喧嘩に強い俺を敬ってくれたし、慕ってくれる後輩だっていた。


 この生活の空虚さはよく分かっていた。

 けど、どこにいても俺は孤独だった。

 だから、仮初のものだと分かっていても、夜中に一緒に騒げる仲間が欲しかったのかもしれない。


 でも、夜が賑やかであればあるほど、翌朝の静けさが際立つようになった。

 俺の頭痛は日ごとひどくなって、ただのノイズが『声』みたいに聞こえるようになった。


 呪いみたいな、ひどい声。

 頭を締め付けるような重く暗いその声を、これ以上聞きたくなくて、朝目覚めるのが億劫になるほどだった。

 むしろ、そう。

 このまま目覚めないほうが、楽になるんじゃないかとか、そんなことすら思いかけていた。


 そんなとき、俺は月子先生に出会った。


「――シケた面してるなあ、そこの茶髪」


 朝起きられず、完全に遅刻した真昼間。

 廊下ですれ違った俺に、彼女はそう言った。


 ボブの明るい髪がやたら似合う、クールな顔立ち。

 高いヒールを履きこなして歩く様はまるでどこかの女王みたいだった。


 彼女が隣のクラスの担任だってことくらい俺も知っていたし、美人だけど鬼みたいに怖い先公だってことも聞いていた。


「……いつもこんな顔ッスよ」

 どうせ説教されるんだろうと思って適当に返したら、

「いつからおかしい?」

 彼女はこう聞いてきた。

「……は?」

 なんのことか分からず問い返す。

「その顔じゃ随分うなされてるだろう。いつからだ」

 俺は驚いた。

 返す言葉を思いつかなかったほどに。

「ま、即効の対処法はないんだけどな。けどさ、昼夜逆転はむしろ良くない。身体が弱るからね」

 俺の呆けた顔を見て、彼女はくすりと笑った気がした。

「大丈夫。心配しなくてもその体質はいずれなじむ。とりま、保健室で寝ときな」

 彼女はそれだけ言って、去って行った。


 その日、俺は家にとんぼ返りした。

 布団に潜って泣いた。


 安心したのかもしれない。

 初めてこの『不具合』に気づいて、『大丈夫』だと言ってもらえたことに。

 思い返せばなんら根拠のない言葉なのに、俺はそれだけで少し救われた気になったのだ。



 その日は、不思議と穏やかに眠りについたことを今でもよく覚えている。翌朝の目覚めも良好だった。

 俺はそれが嬉しくて、久しぶりに学校の鐘が鳴る前に登校した。


 その日から、俺は月子先生の姿を探すようになった。

 隣のクラスの担任といっても、関わる機会はそうそうない。

 彼女自身、女子体育担当の臨時講師で、授業の中ですらも会えないのだ。


 期待して、でも会えなくて、しょぼくれて帰ろうとしたら。

「おいそこの子羊。昨日はよく眠れたか?」

 いつの間にか背後にいた彼女が、そんな風に声を掛けてきた。

「羊?」

「迷える子羊みたいな顔してるじゃないか。男だから羊呼ばわりは心外か?」

 からからと笑う彼女。

「俺の通り名、オオカミなんすけど」

「オオカミ? ……ふうん」

 意味ありげな視線で全身を見下ろされて、少しドキリとした。

「まあその呼び名はおいといて」

「いや、おかないでくださいよ」

「なんだよ、いじられたいのか? 髪なんか染めて尖がってるわりに被虐体質なんだなお前」

「違います!!」

 俺が顔を赤くして言うと、彼女は一層笑みを深めた。

「私を探してたんだろう? 施術は出来ないが、相談くらいは乗ってやろう。これでも『先生』だからな」



 その日から俺は彼女を『先生』と呼んだ。

 先生の姓は天野で、名前と合わせたらまるで冗談みたいな本名だった。

 名字で呼ぶより月子先生と呼んだほうがしっくりきたので、俺は好んでそっちで呼んだ。彼女も別に怒らなかった。

 彼女はクラスの男子からも恐れられる存在で、『女王様』なんてあだ名で呼ばれていたけど、安易に下の名前で呼ぶ生徒はいなかった。

 当時の俺は、ただそれだけのことで、彼女という理解者を独占したような気分になっていたのかもしれない。



 月子先生はいろんなことを俺に教えてくれた。

 俺は馬鹿だったから、難しいことは右から左に流れていったけど、大事なことはちゃんと噛み砕いて教えてくれた。


 たとえば俺の頭痛と耳鳴りの原因を。

 耳鳴りが具体的な声に聞こえる理由を。

 そしてこれらとの、こらからの付き合い方を。


「あんたの場合は随分遅いね。覚醒型でも遅くて幼児期に目覚めることが多いんだが。……大器晩成ってやつかね」

 この時の先生はいつもより真面目な顔をしていたように思う。

「あんたの器は大きい。私が言うんだから間違いない。けど、目覚めるのが遅かったせいか、まだ器が未熟で中身の力に見合ってない。頭痛がひどいのはそのせいもある」

 俺の頭痛は、目に見えない者たちの『悪意』に反応しているらしい。耳鳴りも、それらの声だ。

 時が経てば、俺の身体はこれらに順応して、声が聞こえても意識的、もしくは無意識に無視することができるようになるらしい。

「昼夜逆転がよくないって言ったのはね、とるべき時に休息をとるって意味ももちろんあるんだが、夜は特に『悪意』が増幅するんだ。幸運にもあんたはまだ出会ってないようだけど、夜の神木にはわりと良くないものがうようよいる。今のあんたがそれに出会ったとき、中身が暴走して器が壊れてしまう可能性がある」

 つまり、危険なものとの遭遇を回避するために、頭痛と耳鳴りが収まるまで――器が安定するまで、夜の外出は避けろということだった。

「先生。その、器が壊れたらどうなるんすか?」

「器っていうのは人としてあるための入れ物だ。一部の損壊ならまだもつが、全部壊れたら人間としては生きていけないだろう。意識のない、生ける屍になるか……衰弱しきって死ぬか」

 それを聞いて、俺はぞっとした。

「怖いか?」

 先生がうっすらと笑って問う。

「……まあ」

「恐れることは良いことだよ。あんたにはそれだけの可能性があって、それだけの恐怖がある。人間、怖いものを失くしたら生きた実感が湧かないもんだからね」

 彼女の言い方があまりに他人ごとのようで、思わず俺は尋ね返した。

「月子先生は? 先生には怖いものとかないの?」

 すると先生は言った。

「あいにく、私は私を一度捨てた身だからねえ。自分に対する執着も恐怖も今はないかな」

 そう呟いた先生の横顔は、少しばかりの苦さを滲ませていた。

 それでいて、先生はこう言うのだ。

「今の私はただのおせっかいだからさ。あんたがちゃんと、マシで健全な学生になることを祈ってるよ。今のあんたならわかるだろう? 普通に、当たり前に学校に通える時間があるってことは、なんて平和で、幸せなことなのかってさ」


 先生は、自分のことを軽んじている人だった。

 その代わり、他人のことを心配する人だった。


 俺は、変わりたいなと、この時思った。


 先生が望む通り、マシな人間になろう。

 それで彼女が喜ぶなら、きっと俺も満足できると。



 ――けど、俺はすぐに、この自己満足のための決意を後悔することになる。


中学の回想がここで挟まるという(汗)

もう1回挟まって、徐々に現在に戻ります。

台風の3連休ですが皆さんご無事にお過ごしください。ワタシヒキコモルヨー

いつもありがとうございます。

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