E8-3:ガールズモーニング
「――先日の話ですが、お断りさせていただこうと思いましてね」
男は、かしこまった言い方をしながらも、尊大な態度で言った。
「うちの理念が伝わらなかったと?」
年若き土耶家当主は、自分より二回り以上も年上の男の尊大な態度にも臆さず問う。しかし男は彼のその態度を愉しんでいるかのように口を歪めた。
「腹を割って話しますとね、土耶家のしたいことはよく分かりましたよ。しかしね、そのやり方ではどこもついていきませんよ。うちがそうであるように」
「……ほう?」
「亡くなったお父上のことを悪く言うのは申し訳ないけどね、君がやろうとしていることは結局はあの人がやろうとしていたことじゃないですか。力の強い土鬼を手元に置いて、この地の鬼を統制する、なんてね」
「不可能ではないですよ。そのことによってこの地の混沌が収まるのなら、我々はもっと別の道を歩めるでしょう。それこそ今の保守的な家業ではなく、もっと発展の見込める事業に我々の力を使うこともできる」
「そういうことじゃないんですよ。これが分からないから、あなた方は……」
男は芝居じみた仕草で首を振った。
「どういう、意味ですか?」
「土耶家が土鬼を飼うということは、私を含め他の同胞をも恐怖で統治するということです。そんな統制は御免こうむりたいということですよ」
「力による統治以外に一体何があるというんですか、あなた方は。鬼が現れれば討ち、内輪だけでこの狭い町を転がすような現状で満足だと?」
綴の口調が少し熱くなる。
「私らはこのままでいいんです。我々はこの土地に縛られ、この土地に生き、死んでいく定めです。神木の地はどう足掻いても神霊の地。鬼から縁が切れることなんて、未来永劫ないんですよ」
「それは諦めなのでは?」
「いいえ、これは私らの理念ですよ。もう言ってしまいますけどね、瑞葉と土耶の勢力の差にここまで差が出たのは、土耶の忍耐力が足りなかったんじゃないですか? 瑞葉は細々としながらも脈々と役目を果たしてきた。それに引き換え貴方の家は妙な研究に熱を出して、挙句……血が途切れてしまったわけじゃないですか」
男は明らかに綴自身を嗤った。
明らかな侮蔑に対し綴は眉をひそめたが、堪えた。
「……まあ、未来がないのは瑞葉も同じですが、要因が要因だけに同業者としてはいたたまれないわけですよ。鬼を討つ筆頭が鬼に喰われるなんてね……それも君ぐらいの年頃のお嬢さんだそうじゃないですか」
男はそう言いながらもまったく他人事のように喋る。
「そういうわけでね、我々は土耶家から離れてそれぞれの家を守っていきますよ。まあ、一部瑞葉と縁の濃い家が君を恨んで何かしでかすやもしれません。そのときは、気をつけなさいな」
「……、忠告ですか。ありがたく受け取りますよ」
「では。長い間お世話になりましたな」
男はそう言って、席を立った。
そのまま部屋を出るのかと思いきや、男はもう一言付け加えた。
「君ももう自由なんだから、拘らなくていいんじゃないかな? この家に」
そうして、男は去って行った。
部屋に残された綴は、変わらず椅子に座っていたが
「…………知ったような口を」
爪で皮膚が破けそうなほど拳を握りしめた。
「――綴様。あのまま帰してよいので?」
背後から、音も立てずにスーツ姿の女が現れる。
「物騒な物言いだな。あんな発展性のない男、殺す価値もない。止めておけ」
「しかしあの男は綴様に対して大変な侮辱を」
「うるさいぞ零。少し黙れ」
「……」
主にぴしゃりとそう言われ、彼女は押し黙る。
「……俺は最初からこんな家に拘ってなんかいない。ただ、自分の力がここでしか発揮できないだけだ」
常に自信家である彼にしては非常に自虐的な言葉に、零は目を伏せる。
「……だから、俺はこの地を統治する。瑞葉はもうじき土鬼に乗っ取られる。それさえ手なずければ奴らだって従わざるを得ないだろう。そういう奴らだよ、あいつらは。結局、信念なんてないんだ」
その言葉に零は頷く。
「貴方の居場所は、ここです。綴様」
** *
朝、空は快晴。
いつもより早く起きることができたので、今日は余裕をもって登校中。
「あー。今日は久しぶりによく寝たなー」
「寝ぐせぐらい直したらどうです、みっともない」
セキが頭上から注意する。
「え、どこ? どっかはねてる?」
「後ろ、後ろです」
「ん? ん?」
ごそごそやっているうちに校門前に到着。
けどなんだか今日は賑やかだ。軽く人の群れが出来ている。
「お、おはようございまぁーす」
その輪の中で、甘ったるい声が響く。
全校集会でよく聞くあの声だ。
「おはよー瀬戸ちゃん!」
「おはよう僕のエンジェル!」
そう返すのは朝から元気な男子高校生たち。彼らが副会長と言葉をかわそうと足を止めるせいで人の流れが滞っているようだ。
「瀬戸ちゃんは今日もかわいーね!」
「瀬戸ちゃんマジ天使! ふーッ」
「あ、あぁ、ありがとう!」
そんな浮ついたやりとりに、校門をくぐる他の女子は険しい目つきで足早に去っていく。
「……今日は挨拶の日か」
挨拶の日、というのはその名の通り、月に1回程度生徒会のメンバーが校門に立って朝の挨拶をする日だ。あのロリ副会長推しの脇谷が非常に楽しみにしているプチイベントでもある。
まあ、俺はいつも遅刻ギリギリなのでこの光景に出くわしたのは初めてだったりする。
……つか生徒会ってことはもちろん瑞葉のことを『飼う』とか言いやがったあのいけすかねえ生徒会長も立っているのかと思いきや、姿が見えない。
何人かの女子が奴の姿を目で探しては残念そうに校門をくぐっているのが分かる。
……あいつも休みとか?
「お、おはよう!」
考え事をしていたら、急に前方から声を掛けられた。
声の先には時代錯誤この上ない分厚いメガネのおさげ女子が緊張の面持ちで立っている。
「お、おう。おはよう倉井」
やっぱり見慣れなくてこっちまで挨拶がぎこちなくなってしまった。
……ていうか。そうだ。
いろいろあってうっかりしてたけど、俺日曜日こいつにほっぺチューされたんだった……!
「…………」
相手もそれを意識しているのか、挨拶以外に言葉は返ってこない。
あの後いろいろあったせいであんまり考えてなかったけど、あれってやっぱり俺への好意の表れ、なのか?
……だ、だとしたら俺、「今好きな人がいるんです!」ってちゃんと言わなきゃいけないんじゃ……!?
あ、でも勘違いだったら恥ずかしいし逆に倉井に申し訳ない気もするし……。
いやでもまずは確認が大事か!?
「あのさ、倉」
倉井に話しかけようとしたら、その隣にいたいかにも風紀委員っぽい奴がすっと前に出てきた。
「そこの君? シャツのボタンを開けていいのは上1つだけだから、直しなさい」
「……う、うぃー……」
鼠取りに引っかかった気分だ。大体の男子は上2つまで開けている。
それでも指摘されたものは仕方がないのでボタンに手をかけると
「――あとその寝ぐせも直したら? 笑われるよ?」
そいつはフ、と俺を小馬鹿にしたように笑った。
「…………、」
相手のあまりの意地の悪さに思わず絶句してしまった。
いやだってよ、風紀委員だからってそこまでチマチマ言いやがるかぁ!?
笑われるよ? とか言いながら既に笑ってやがるしな!?
つかこの学校の生徒会、会長含めちょっと偉そうにしすじぎゃね!? 何様!?
思わず物申したくなって口を開きかけたとき
「……ちょっと来て」
「!?」
突然倉井に手を引かれ、門から少し離れた木の陰まで連れていかれた。
「お、おい!? なんだよ急に!」
「……あーもう、あんたが馬鹿にされると私まで腹立つからちゃんとしてくんない?」
倉井はそう言って俺のシャツのボタンを1つ留めた。
……う。
なんだよ姉貴モードか!?
「その寝ぐせ……は、まあ言うほどのことでもないんだけどね。あの人ナルシストで身だしなみには厳しいから」
倉井は冷めた声で言う。
「……お前よくあんな集団の中でやってけるなあ。俺だったら絶対続かねえわ」
素直に思ったことを言うと、倉井は冷ややかに笑った。
「私だって居心地悪いけどさ。もともと私もそっち側の人間なの。族やってるのはその反動なんだけどさ」
倉井は変なことを言う。
俺の認識では、こいつは情に厚くて姉御肌で、あんな冷たいインテリとか媚びまくりのアイドルとは違うと思うんだけどな……?
「そういやオオカミ。瑞葉茨乃と木村先生と共有してる案件、片付いたの?」
突然倉井の口から瑞葉の名前が出てきてドキリとする。
「え!? あ、まあ、日曜のはお陰様でひと段落した、けど……まだ続いてるよ」
自分でもなんだか歯切れの悪い言い方をしたと思ったら、案の定倉井も眉をひそめた。
「ふうん?」
「と、途中で投げたくないんだよ! 俺は……」
なんとなく遠くから俺を見てくれてる瑞葉に、もっと近づきたくて。
彼女にはもっと、普通に笑ってほしくて。
だから俺は絶対に……
ふと我に返ると、倉井が不思議そうに俺を見ていた。
「……なんかよくわかんないけど、オオカミらしいね。なんか、覚悟決めたって感じ」
倉井が穿ったことを言うのでまたしてもドキリとした。が、彼女はそれ以上深くは詮索せず、
「っといけない、立ち話しすぎたね。じゃ、寝ぐせも頑張って直しなよ!」
そう言い残して軽やかに校門へと戻って行った。
「…………」
結局彼女の真意を聞きそびれたなあと思いながら、俺は後頭部のハネをくしゃりと撫でた。
** *
「愛子ちゃん、ちょっと」
「はい?」
校門前に戻った倉井愛子は、息もつかぬ間に今度は手を引かれる側となった。
彼女の手を取ったのはもちろんお騒がせ副会長の瀬戸愛華だ。
「あれー? 瀬戸ちゃんどこ行っちゃうのー?」
「すぐ戻るからぁー」
取り巻きの男子たちに愛想笑いを返した彼女は、門を入ってすぐ隣の備品倉庫裏まで愛子を連れて走った。
「なんなんですかいきなり!?」
愛子の抗議は全く気にせず、愛華は彼女に問い詰める。
「さっきの子、誰? もしかして例の愛子ちゃんの想い人?」
妙に鋭い愛華の指摘に愛子はポーカーフェイスを保てなかった。
「ちがいますよ!?」
「あっはーその顔は図星だ。へえー、ああいうのがタイプなのねー。ちょっと意外かも……いやそうでもないのかしら。優等生タイプってああいうちょっとやんちゃそうな感じの子が好みだったりするのよね」
「勝手に納得しないで下さいよ!?」
真っ赤な顔で叫ぶ愛子に愛華は「まあまあ」となだめるように言い、
「それでどうなの? うまくいってるの? 見た感じじゃ随分親しげだったじゃない」
いかにも他人の恋路を応援している友人のように尋ねる。
「……いや、まあ、仲悪いとかそういうんじゃないんですけど……」
「? なんか浮かないカオね。貴女の恋の成就は私の夢の成功とも繋がってるのよ? 包み隠さず教えなさいな」
ここでさらりと愛華の本音が出たわけだが、そんなことは前々から分かりきっていることなので愛子も文句は言わない。
何かしらの説明をしないと解放してもらえそうにないので仕方なく彼女は語った。
「……いや、実は前の日曜日、オオ……彼と出かけたんですけど」
「ええ!? うそマジ!? すごッ愛子ちゃんやるじゃん!」
愛華の驚きようがあまりに素直だったので愛子は思わず笑った。そのせいか、するりと口から事実がこぼれる。
「まあ、こっちから誘ったわけで、少なからずアピールというか……してみたりしたんですけど」
「そりゃそうよね、そういう機会だものね!」
珍しく、愛華は心底感心している目でうんうんと頷いている。自らの気持ちを愛子の行動に投影しているのかもしれない。
「で、どうなったの!?」
期待のまなざしで愛華は愛子の目を覗き込む。
愛子は困惑しながらも、胸中のわだかまりを吐き出した。
「……いや、だからそれが……通じてないというか。……なんか、相手は別の人を見てる気がして」
「…………」
嬉々としていた愛華の表情が一気に硬直した。
「……な、ななななにそれ! ってことは貴女諦めるつもり!? 確証もないのに!?」
声を荒げる愛華に、思わず愛子も声を大きくする。
「いや、確かに直接聞いたわけじゃないですけど! 副会長だって分かるときないですか!? 脈があるとかないとか!」
「……ッ、私の初恋はつづる様なの! そんな経験ないんだから分かるわけないじゃない!」
愛華の思いもよらない大激白に、愛子はしばし目を点にしてしまった。
「……は、はつこい……?」
にわかには信じられない。
愛子の中での瀬戸愛華像は、ある意味せいせいするくらいの『ぶりっこ女子』で、そのくせ憎らしいくらいに男達を思いのままに扱える……それこそ女豹か毒蜘蛛かといったものなのに、ここにきてまさかその彼女の口から『初恋』などという言葉が出てくるとは。
「ッ、なによそのカオ! 信じてないんでしょ! 別にいいけどッ」
そう憤慨する愛華の顔は本当にふてくされていて、やけに真実味を帯びていた。
(……まじか……。この件に関してやたら熱心なのはそのせいか……)
愛子は頭を抱えたくなると同時に、少しだけ彼女を見直してしまった。
意中の相手に女の影が見えただけで卒倒できたり、普段は敬遠している女に取り入ろうとしてまで、彼女は必死にあの男を追いかけているのだ。
好きな相手にここまで熱心になれる彼女が、少しばかり愛子は眩しく感じた。
「……ってちょっと、何ぼけっとしてるの! ほんとに諦めるつもり?」
感傷に浸っている愛子を愛華が叱咤する。
「私はあきらめないわよ! 今日つづる様は体調不良でお休み……このイベントを逃す手はないのよ!」
「……副会長、まさか……」
「お見舞いよ! ご病気で心身ともに弱っておいでのところに甲斐甲斐しくお世話をしに行く! 完璧無双のつづる様を落とすにはこれしかないわ!」
拳を握りしめ愛華は力説する。
ちなみに愛華が把握している生徒会長の住所データも、愛子が職員室のパソコンから盗み出した倫理上アウトな代物だ。
「もちろん愛子ちゃんも手伝ってくれるわよね?」
図々しくもなぜかあらがえない愛華の笑顔に、愛子は心の中でため息を吐いた。
毎度更新遅くて本当に申し訳ないです(涙)。
しかも地味にこの作品、この6月で3年目……。今年度中の完結を目指したいところです。
いつもありがとうございます(涙)。




