E3:放課後デンジャー
朝は嫌いだ。
とりあえず眠い。異様に眠い。
けど学校はもうサボりませんと中学時代の恩師に誓ってしまった手前、いかに眠くても学校には行かなくちゃいけない。
重たい身体を引きずりながら、教室に入る。
チャイムが鳴るギリギリ前だったから、他のメンツは皆すでに席に着いていた。
「おー久城。生きてたか」
隣の席の脇谷がそんな挨拶をしてきた。
「朝から失礼な奴だな」
「なんだよ、一応心配してたんだぜ? 昨日外に出たっきり帰ってこなかっただろ」
「え? 誰が」
「だから、お前が」
……?
首を傾げまくる俺に、脇谷は非常に困った顔をした。
「合コンだよ合コン。結局緑ヶ丘の子たちもバスが事故ったらしくて来れなくなっちまったんだけどな? お前、バス停見てくるって言ったきり戻ってこないからヤバい連中にでも絡まれたのかと思ってよ」
「あー……」
合コン。バス。
そういえば、そうだったな。
バス停まで行って、それで……。
「バスが来なかったから、帰ったんだっけ……」
いまひとつ記憶が曖昧だが、多分そういうことだろう。
「帰るなら一言くらいかけて帰れよなー。あ、先生来た」
担任が教室に入ってきて、それでその話題は途切れた。
1限目はちょいと苦手な数学だったりする。
俺は一応ノートと教科書を開いて、ただ座っていた。
……しかし変な話だよな。
昨日のことなのに記憶が曖昧とか。
もしかして俺、なんか深刻な病気にかかってたりしないか?
喧嘩でよく頭ぶつけたりしてたもんなあ。うわ、そのせいだったらどうしよう。自業自得過ぎて泣くに泣けないよなあ。せめて彼女の1人くらい作ってから死にた……
「おい久城ー、聞いてるかー」
コツコツと、テキストで頭を叩かれて我に返る。
気がつけばすぐ横に愛称『バーコード』の数学教師が立っていた。
「ノートも真っ白じゃないか、まったく。後で職員室に来るように」
バーコードはそう言い残して教壇に戻っていった。
……朝からついてねーー!!
昼休み。
俺は弁当をかきこんでから、しぶしぶ職員室に向かうことになった。
「失礼しまーす」
教師陣もちょうど昼飯を終えた頃なのか、見た感じ職員室は空いていた。うちの学校の教師は昨今の値上がりにも負けず喫煙率が高かった気がするから、恐らく一服しに外にでも出ているんだろう。
……ていうかバーコードもいねえし。
出直すか、と踵を返そうとしたら
「久城君?」
後ろから、細くて綺麗な声に呼び止められた。
この声は。
「木村先生! ちわっす!」
ゆるふわ愛され系の栗色ロング。
天使のような笑顔に、それを際立たせる純白の白衣。
そしてその下に隠された超スペクタクルナイスバディ!
我が校が誇る奇跡の養護教諭、木村手鞠先生が立っていた。
「こんにちは。職員室に何か用があったんじゃないの?」
「いやー、バ……じゃなかった三田先生に呼び出しくらってたんすけどいないみたいなんで」
木村先生は「そうねえ」と職員室を見渡した後
「居眠りでもしてたの? 他のクラスの子も三田先生にそれで呼び出されてたから」
気さくに話しかけてくれた。
「今日は考え事っすよ」
「何か悩み事? だったら抱え込まないでいつでも保健室に来てね」
おお、エンジェル……!
けど今年度木村先生が赴任してきてからというもの、うちの保健室はいつも満員だったりする。
というわけで健康優良児である俺がこうやって先生と話が出来る機会なんて、そうそうないのだ。
「でも感激っす。木村先生に名前覚えててもらえてたなんて」
思わず本音を漏らすと、先生はくすりと笑った。
「4月の健康診断のときに皆と一応は顔を合わせてるでしょう? 久城君って、標っていう下の名前が格好良くて印象深かったのよね」
おおう……!
今まで『しるべえ』とかテキトーなあだ名の元になってた俺の名前だけど、たまには良いこともあるんだな!
「放課後またいらっしゃい。きっと三田先生もいらっしゃるわ」
「ういっす!」
俺は上機嫌で職員室を出た。
鼻歌を歌いながら少しスキップ気味に階段を下りていくと、上ってきた側の生徒とぶつかりそうになった。
「おっと、悪い……」
謝った先にいたのは、うちの学校では希少な女子。
しかも、瑞葉だった。
「…………」
驚いているようで、大きな眼を見開いている。
しかし無言。
もうちょっと喋ってくんないかな。
「ごめんなー」
あはは、と愛想よく笑ってみたが、やっぱり瑞葉は喋らなかった。
というより、視線が何気に痛い?
瑞葉はそのまま俺を避けて階段を上っていった。
「…………」
そのとき、白いものが見えた。
いや、スカートの話ではなく、服の袖から、だ。
包帯のように見えたけど、腕、怪我でもしてるんだろうか?
そして、放課後。
もう1度職員室に向かうと今度はちゃんとバーコードが席にいて、俺は少しばかりの説教をくらうことになった。
「いいか久城、これはお前のためを思って言ってやってるんだぞ? 高校に入って間もないこの時期が1番大事なんだ。ここで勉強に乗り遅れるとだな……」
うー、まあ確かにバーコードが言ってることは正しいと思うんだけどな?
でもやっぱり昨日の記憶が曖昧なのがちょっと気になるんだよなー。
どうせ今日暇だし、帰りに保健室寄ってみようかな。
うん、そうしよう。
「おいこら久城! 聞いてるのか!?」
「ういっす!」
返事だけちゃんと返して、なんとかその場を乗り切った。
教室に鞄を取りに戻って、そのまま保健室へと向かう。
放課後ともなれば流石に常連の奴らももういないだろう、と踏んでいたのだが。
……甘かった。
既に部活が始まっている時間ゆえに、
「木村せんせー、ボールが顔に当たって鼻血がー」
とか
「捻挫しちまったみたいなんすけど診てください手鞠せんせー」
などなど、お前らほんとに高校生かよと言いたくなる男子共が保健室に群がっている。
にも関わらず木村先生は
「はいはい、順番に診るからちゃんと並んでー」
笑顔を絶やさず天使のように対応している。しかも
「あら久城君。三田先生には会えた?」
入り口付近にぼけっと突っ立っている俺に気付いて声まで掛けてくれた。
「はい! こってり絞られました!」
「ふふ、その割には元気ね」
微笑む天使。ああ、癒し系。
「あのー、先生にちょっと相談があったんすけど、今忙しいっすよね」
保健室にはまだごろごろと図体のでかい奴らが並んでいる。これを全部診ていたら先生もなかなか帰れないだろう。
「相談ごと? ならゆっくり聞かないとね」
先生はそう言ってから
「6時にここにいらっしゃい。それまでに皆診ておくから」
そっと、俺に耳打ちした。
……こ、これは!
これはまさかのアッハン課外授業!?
……じゃなくって、わざわざ俺のために時間を割いてくれるということだ。
ああ、やっぱり木村先生って良い人だよなあ……。
「じゃ、また!」
俺も他の奴らに聞こえないよう小声で返すと、先生は笑顔で応えてくれた。
とりあえず6時になるまでどこかで時間を潰さないといけない。
こういうとき部活に入ってれば便利だったんだが、生憎不器用で球技は苦手だし校舎内で大人しく活動する文化部も性に合いそうになかったから俺は帰宅部だ。
一旦校舎の外に出るのも面倒だし、教室でちょっとばかり居眠ろう。
そういう結論に達して教室に戻ると。
「……?」
俺の机の上に、何かが落ちていた。
よくよく見ると、それはノートの切れ端で。
『早く下校しろ』
とだけ、書かれてあった。
「…………?」
このメモは俺宛てなんだろうか?
正直、見たことのない字だった。
形の整った綺麗な文字。
男の書く字でもなさそうなんだが、ほとんど接点のないうちのクラスの女子がこんな伝言を書くとも思えない。
すると教師の誰かだろうか?
「……ふむ」
結局、このメモは誰かが誰か宛てに書いたものがたまたま俺の机の上に落ちたんだろうと思うことにして、俺は机に突っ伏した。
目を覚ますと、辺りは薄暗くなっていた。
「…………」
寝ぼけ眼で黒板の上にある時計に目をやると、時刻は6時半を回っていた。
「……やっべ!」
約束の6時を30分もオーバーしちまってるじゃねえか俺の寝ぼすけ!!
俺は慌てて教室を飛び出して、保健室へと急ぐ。
校舎内に人気はない。
部活は6時までという規則だから、当然といえば当然だ。
この分だときっと木村先生も帰ってしまっているだろう。
保健室の前に辿り着く。
案の定、部屋に明かりは灯っていない。
「……はあ」
扉の前で、盛大に溜め息を吐く。
せっかく6時まで学校に残ってたのにこの様だ。
それに先生も待っててくれたかもしれないのに……。
とそのとき、突然目の前の扉が開いた。
「ひゃ!?」
本当に突然だったので思わず後ろに飛び退くと、そこにいたのは白衣を脱いだ私服姿の木村先生だった。
「あ、先生」
「待ってたわよ。さ、入って」
木村先生はいつもの笑顔で俺を招きいれてくれた。
「お茶でも飲む?」
「えっ、いいんすか?」
「安物のティーバッグしかないけど」
そう苦笑しながら木村先生はお茶を準備してくれた。
悪いなーと思いつつ、俺はベッドの端に腰掛けて待つ。
しばらくすると、ふわりと紅茶の良い香りが保健室中に広がった。
先生が使っている銘柄は家にあるものと同じ一般的なものだったが、俺の家じゃこんなに良い香りは立たない。
やっぱインスタント紅茶も人を選ぶんだな、うん。
「はいどうぞ」
「どうも!」
差し出されたマグカップを受け取って、そのまま一口ごくりと飲み干す。
さっきまで寝てたから喉渇いてたんだよな。
「それで、相談って?」
丸椅子に座った先生が尋ねてきた。
「いやーそれがっすね、俺昨日の記憶がなんか曖昧で」
「記憶が? どんな風に?」
「どんな風にって言われると難しいんすけど、なーんかいまいち記憶してることに実感が湧かないっていうか……」
そう、ふわふわした感じだ。
昨日の夜、俺は一体何をしていたんだろう。
ファミレスを出たところまではちゃんとはっきり覚えてる。
その後俺はバスを待っていて、それで、でもバスが来なくて……。
この辺りから、どうも記憶がふわふわ……
「…………?」
ふわふわしている。
足元が。
「え……」
めまいを起こしているかのような感覚。
頭が、ふらついている。
「ぁ」
気がつけば、手に持っていたマグカップをガシャンと床に落としていた。
けど、「すみません」と謝ることすら出来ないほど、頭がくらくらしている。
俺の身体はそのままぱたりとベッドに倒れてしまった。
「? ?」
身体が思い通りに動かない。
何が起こっているのかさっぱり分からないでいると、ベッドがぎしりと音を立てて軋んだ。
「……ぇ」
目の前に、木村先生がいる。
彼女が浮かべるのは、笑み。
いつもの天使のようなそれではなく、まるで小悪魔か魔女か、そんな妖艶な笑みだった。
「ふふ、案外簡単に引っかかったわね」
彼女はすっと、その細い指で俺の額を撫でた。
「!? !?」
ななななんだこのアブナイ状況は!?
「……私、ずっと君のこと狙ってたの」
先生は甘い声でそう囁きつつ、その指を額から頬へ、頬から首へと下ろしていく。
「ね、狙ってってな、なんすかそれ!?」
「知りたいの?」
先生は俺の反応を面白がるように指をさらに下へと移動させた。
さ、鎖骨はやめて!
鎖骨弱いんだよ俺!!
目を瞑ったのが悪かったのか、俺の弱点を察して彼女はそこをついっとなぞった。
「ひぃぁう!?」
「あら、良い声で啼くのね」
う、うおおおおおん!?
どうしよう、このままじゃ俺の貞操が!
俺の純潔が!!
奪われ
「るってあァ!?」
気がつけば、俺にのしかかっているのは木村先生じゃなくなっていた。
――鬼だ。
キロリと光る紅く邪悪な眼。
禍々しさすら感じさせる鋭い牙。
額に生えた見事な1本角。
「イヤーーーー!?」
じたばたと逃げ出したいが身体は全くと言っていいほど動かない。
「君ノ力、微弱ダケドトテモ美味シソウナノ。私ニ、頂戴?」
鬼がニタリと涎を垂らした。
知るかよ嫌だよ食われたくないよ!?
神様仏様ご先祖様、もう誰でもいいから助けてーーーー!!
――刹那。
バタンと、激しい音が保健室に響いた。
「!?」
俺の上に乗っていた鬼が入り口のほうを凝視する。
そこには。
「校内でナメた真似してんじゃねえよド馬鹿共が」
ドアを蹴破り暴言を吐く、瑞葉がいた。
これ以上ないほどノリで書いている本作ですがしょっぱなからお気に入り登録等々ありがとうございます。励みになります。