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E1:ガールミーツボーイ

 もう、時刻的には明け方なのだろうか。

 うすら明るくなってきた窓の光を見て、ぼんやりと彼女は思った。

 瞼がひどく重い。倦怠感が全身を襲う。

 鬼の浸食の熱もあるが、泣き疲れのほうが大きいのだろう。


 ――あの日以来、もう泣かないと決めたのに。

 結局、同じ相手に泣かされた。


 瞳を閉じれば、再び意識が沈んでいく。

 同時に、彼女は少しだけ懐かしい、春の夢を見た。




 * * *

「みずはー! どーだったよさっきの! なかなかキレてただろ俺の右ストレート!」

 馬鹿が、馬鹿みたいに手を振っているのを見て、私はげんなりと答えた。

「わかったから声落とせよ。邪鬼が寄ってくんだろーが」

 静まり返った夜の校舎。

 誰も立ち入ってはいけないこの空間に、私は故意に忍び込んで、不本意なことに奴と共闘していた。

「昨日も言ったが、お前の拳が効くのは実体化した心鬼だけなんだからよ。無駄に霊体をおびき出すんじゃねえよ」

 私が言うと、奴はぼりぼりと頭をかいた。

「でもその……悪鬼? をおびき出して退治するんだろ? なら派手に暴れないとダメなんじゃね?」

「悪鬼は心鬼を餌に育ってんだ。心鬼の数を減らしてやればそのうち空腹で勝手に出てくんの。霊体の邪鬼を相手にすんのは私なんだから余計な手間かけさせんな」

「……悪い。役に立たんくて」

 しょんぼりとしょげる奴を見て、少し言い過ぎたかと思ったが

「なあなあ、だから俺にも霊体を相手にできる方法教えてくれよ! 瑞葉ならそのへんも詳しいんだろ! な!?」

「嫌だ馬鹿。馬鹿に教えるほど暇じゃねえっつの」

 昨日からの流れになって私はうんざりとため息を吐いた。

「えーー。教えてくれよ―!」

 奴は口をとがらせて駄々をこねる。

 ――いつまでもこんな呑気な会話が続くわけでもないっていうのに。

 私は右の掌をぼんやり眺めた。


 ……なんでこんなことになったのか。


 そもそも、この件はひとりで片づけるつもりだったのだ。

 それ以前に、こんな奴――しかもクラスメイト――と関わるつもりもなかったのだが。

 どういう星の巡りか、私は奴と出会ってしまった。


 はじまりは昨日。

 相変わらず腕が疼いて苛立つ気分を抑えるために、私は夜の学校へと繰り出した。

 単なる彷徨ではない。入学式の日から、不穏な気配は感じ取っていた。

 最初こそ気配が微弱で、気に留めるつもりもなかったのだが、次第にそれの存在感が顕著になってきたのだ。


 春は出会いと別れの季節。

 移り変わる季節の象徴。

 人の心もまた同じ。

 隙間がとても、生じやすい。


 そんな不安定なこの時期は、鬼どもが無駄に活発化する時期でもある。

 どうやらこの学校には悪鬼が一匹巣食っていて、それに引き寄せられて心鬼、邪鬼が集まってきているらしかった。


 こういう現象はよくあることだが、今回厄介なのはその悪鬼がなかなか姿を見せない点だ。

 力の強い鬼ほど、その力を隠匿するのは上手い。

 相手は想像以上の強者だ。


 しぶしぶ、校内をしらみつぶしに探索しているときだった。

 上階から下階への移動中、次第に階段を降りるのが面倒になってきて、私はちょっとした思い付きで手すりを飛び越えた。

 するとその先に


「――へ?」


 間抜け面を引っさげた、久城が立っていたわけだ。


 私は奴に激突し、奴は下敷きになって昏倒した。

 けれどそいつは馬鹿みたいに素早く復活して


「お前、すげえな!」


 馬鹿みたいな言葉を私に投げたのだ。



 ……で、どういう因果か奴は私のクラスメイトで(こっちは奴どころかクラスメイトをひとりも覚えていない)、奴は私の名前をキッチリ覚えていて(それどころかクラスの女子全員の名前を覚えていて)。

 悪いことに奴にはそこそこ力があって。

 そのくせ、まったくの無知だったのだ。


「……知らないんなら知らないフリでもしてりゃいいんだ。わざわざ面倒な世界に踏み込むもんじゃない」

 昨日から何度同じことを言っただろう。私がそう呟くと

「それじゃあダメなんだよ。先生に顔向けできねえからな」

 久城はそう言って笑う。その笑みの裏に隠れているもの――やせ我慢みたいな泣き顔――が容易に見えてしまう自分が恨めしい。というより、こいつが素直すぎるのか。

「……もーいい。勝手にしろ。そのうち勝手に逃げ出したくなるよ」

 私は溜め息をつく。

 さっきの派手な動きでやはり邪鬼が集まってきたらしい。

「み、瑞葉、なんか黒いのが寄ってきてないか?」

 実物を見たことがないのか、久城の顔がひきつった。

 邪鬼の負の気配は心鬼の数倍だ。感度がいいと余計に恐怖の念が煽られる。

「それが邪鬼だ。言っとくけど悪鬼はもっと酷いぞ。…………まあ、一番醜いのはコレだけどな」


 私はこれ見よがしに鬼の腕を顕現させる。

 数倍に膨れ上がる土色の剛腕に、脈打つ血の管。触れるものを全て刺し穿つかのような鋭利な爪。

 背後で久城が息を呑んだのが分かった。

 思わず笑いがこぼれてしまう。

 ……我ながら本当に、


「くたばれ」

 私はその大きな凶器で、邪鬼の頭を丸ごと掴み、躊躇いなく潰した。


「…………」

 意外にも、悲鳴は聞こえなかった。鬼の、ではなく後ろの奴の、だ。

 振り返ると、奴は呆然とこちらを見ていた。

 悲鳴を上げるのも忘れていたようだ。


 ――帰る気になっただろ?

 そう、尋ねようとした。

 すると、奴は言ったのだ。

「……す、げえ……」

 私は思わず耳を疑った。

「……は?」

「すげえな瑞葉! やっぱすげえよ!」

 奴は躊躇なく私の手を握った。

 調子を狂わされて私は思わず手を引っ込めた。

「さっきのあれ見て普通そんな反応しねえよ、お前馬鹿? 根っからの馬鹿なんだな!」

「そうか? だってすげえかっこよかったぞ瑞葉。あんな鬼を躊躇なく撃退できるんだもんなー」

 ……どんな神経してるんだこいつは。

「あんな醜い腕見てなんでそんなことが言える? 私は普通じゃないんだぞ」

「んなこと言ったら幽霊とか鬼が見えるようになった時点で俺も普通じゃないじゃん? ……ああ」

 ふと、彼は気が付いたように言った。

「瑞葉は腕のこと気にしてるのか。女の子だもんな」

 ――絶句した。

 ここまで呆れかえったのは人生で初めてかもしれない。

「…………違、う」

 私がこの腕を嫌うのは、この腕が私の命を削っているからで。


 ――3年前。私の初めてのお勤め。

 私は初の実戦にして、最凶最悪の鬼と遭遇してしまった。

 私は土鬼に負けた。

 それまでの研鑽などひとつも役立つことなく、あっけなく、丸呑みにされたのだ。

 けれど、鬼の腹の中で、私は余計なことを思ってしまった。

『これまでの私の人生は一体なんだったんだろう』

 自分で言うのもなんだが、私は幼い頃から瑞葉の名に恥じぬよう、姉と並んで修練ばかりしていた。それこそ他のことはすべて投げ打って。

 けれどそこまでしておいて、結果がこれでは、何にもならない。

『こんなことなら、私は』

 渦巻いたのは後悔と憤怒、そして切望。

 本当に、取るにたりない凡庸な願いが、私の滝行を増幅させ、鬼をこの身に封印するに至った。

 けれど代償は大きく、繋いだ命はこれ以上なく面倒な苦悩を生んだ。


 こんなことにならなかったら良かったのにと思ったとき、こんなことにならなければ自分は既に死んでいたという矛盾に気が付いて。

 結局、どうしようもないんだと思い知って。

『普通に生きたい』なんて願いを抱いたのは、そもそも間違いだったんだと今更ながらに気づいた自分が情けなくて。

 楽しげに夢や恋、未来を話す他人を羨む自分がどうしようもなく惨めで。

 ……つまり、私は


「……私は、いや、なんだ」

 ぽつりと、今更になって気づくように、私はそうこぼした。

 すると奴は言うのだ。

「そうか。じゃあその腕ってどうにかして治らねえの? よく知らねえけど今どきのイガクってすごいらしいしさ」

「……無理だよ。この腕は私が内に封印した鬼を部分的に顕現させてるだけだから、仮に腕を切り落としたって再生するさ」

 自分で言っておいて妙な気分だ。これでは私が鬼に寄生しているようにも思える。

「切り落とすとか怖いこと言うなよ! もっと穏便な方法をだなー」

 ……なんでこの馬鹿はこんな真剣に考えだすんだ?

「……いいよ、別に。もう諦めてるんだから」

「ほんとに嫌ならそんな簡単に諦めんなよ!」

「余計なお世話だ。大体この腕がないとお前だって今困るんだぞ、分かってんのか?」

「……そりゃあ、そうだけど……。でも瑞葉ってその腕なしでも強そうじゃんか。なんかわかる」

 そう言われて、私は少しはっとした。

 ……こいつ、案外逸材だ。

 彼はなんの知識もなしに、この学校の悪鬼の気配を察知しただけじゃなく、私の滝行にまで勘付いている。

 相手の器を正確に見測るというのは、実は意外に難しいのだが、それを直感できているということだ。


 彼がつかさどるのは『木』。

 春という季節も相まってか、彼の体内を循環する気は芽吹くのを待ちわびるかのようにたぎって見えた。

 そもそも、彼は少し特異なのだ。

 なにせ、見えないものが見えるようになったのが、ほんのつい最近だというのだ。

 これだけ純粋な『木』の力を持っているというのに、覚醒型というのもおかしな話だ。

 水を極めた滝行を背負う私が言うのもなんだが、彼の純度は界隈のサラブレッドにも並ぶ。

 それこそ、研鑽すれば一代で、『木』を超える『樹』になりえなくもないほどに。


 潜在能力は十分。

 センスもいい。

 このタイミングで、こんな奴が現れるとか。

 ……一体なんの仕業だ。


「瑞葉?」

 じっと見つめられてそわそわしだした奴は困ったように頭をかく。

「……お前はまだ自由だ。慎重に選べよ」

「へ?」

 私の言ったことの意味が理解しきれていないらしく、久城はうーんと唸った後、

「あ、つまり俺、お前についてっていいと! むしろついてきてと!」

「なんでそこまで解釈広げんだよ! 勝手にしろって言ってんだよ!」

「なんだ、じゃあやっぱついてこいって意味じゃんか」

「殴るぞお前」

「え、ちょ、鬼の手で殴るの? うあちょっと!!」


 結局私はこの件を最後までこいつと成し遂げることになるわけで。

 苛立つほどに焦がれた、凡庸で痛い感情に、ほだされることになる。


大事なところで更新が途切れた! ……すみませんでした。お詫びに2話連続投稿です。

前話は難産で結構書き直して今回からはE1に戻るしでいろいろ調整があって(←計画性がないともいう)しかしボーイミーツガールガールミーツボーイは良い言葉ですね。月並みって意味もあるらしいんですけど、茨乃のセリフ「凡庸」とかぶってそれもまたよいかなと。あとようやくあらすじ書き直しました。イマイチ作品内容とずれてんだよなーと前から思ってて(この話表現するのが難しいんですけど)ほんとはラブとか押したいとこなんですけど自重。長くなりましたが、いつも読んでくださってありがとうございます。

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