E7-6:アンダー ザ スターズ
部屋の中は、流石高級マンションといった具合で、天井は高いし家具はシンプルながらも洒落てるし、大きな窓から見える景色は最高だし、なんだかドラマで見る金持ちの一人暮らし部屋そのまんまといった印象だった。
まあ、1つ違う点を挙げるとすると、部屋の隅に未開封っぽい段ボールが山のように積まれている点ぐらいだろうか。
「あ、すみません。それ僕の姉の私物なんです。片づけてほしいんですけど聞く耳持たなくて」
闇里は苦笑しながらそう言った。
セキも双子だっていうし、精霊って兄弟とか多いのな、なんて思っていたら、
「あの、差し出がましいかもしれませんがせっかくなのでシャワーも使われますか? 髪にも花粉が……」
「へ!? いや、でも……」
それはさらにまずい気が!?
……いや待てよ、思えば俺だって瑞葉にうちのシャワー貸したことあったよな。
ならこんなにうろたえるのも逆に不自然か?
それ以前にこれはもしかしてこんな汚いカッコで綺麗な家の中を徘徊するなっていう意味なのか?
「この家の管理は僕が預かっていますから、遠慮しないでくださいね。お風呂場はあちらです」
人懐っこい笑みで彼は勧める。その厚意に偽りはないように見えた。
「……じゃあ、お言葉に甘えて……」
……高級マンションていうのは、風呂場まで広い。
という事実を、俺は今日知ってしまった。
なんだこのジャグジーバス。丸い。広い。子供のころじいちゃんにねだってねだって買ってもらったビニールプールと同等……いやそれ以上の大きさだ。
しかもこの大きな窓からこの夜景が見えると来た。
なんつーセレブ仕様……!
「……瑞葉、俺んちの風呂場入ったときどんな気分だったんだろ……」
窓は小さいしタイルは剥がれかけてるし、トイレか何かと勘違いしそうな狭さだったろうな。
「……つーかのんびり風呂とか入ってる場合じゃないんだけどな……」
そう愚痴りつつも、滅多に見ない大きなジャグジーバスの誘惑に負けてそーっと湯に浸かってしまった。
まあ、どうせすぐに上がっても闇里がまだ制服の洗濯としみ抜きをしている頃だろうから、待つことには変わりない。
……でも
「……なんか緊張する……」
脚を十分伸ばせる大きなジャグジーバスの中で、なぜか俺は正座をしていた。
それも仕方ない。そもそもだって、ひと様の家のお風呂だし。
あまつさえ瑞葉ん家のお風呂だし。
ふと見上げれば、棚には女性もののシャンプーやらコンディショナーやらが並んでいる。
うちのお袋はそういうことに関してものすごい無頓着なので、俺が買ってきた安物のリンスイン、しかも男物を平気で使ってしまうのだが、瑞葉は流石にそこまで大雑把ではないらしい。
そもそも、彼女の髪はいつもさらりとしていて綺麗だ。
触ったら殴られるんだろうけど、きっと触れたらやわらかいんだろう。
……ああ、そういえば微かに彼女の髪の匂いが……。
「いかん」
頭がぼうっとしてきた。
だめだだめだ、ここはだめだ。やっぱり早く上がろう。
――そう思って立ち上がろうとしたその時。
ガラリ、と。
銀髪の女が風呂場に入ってきた。
一糸まとわぬ姿で。
「!?」
驚いて思わず浴槽内で足を滑らす。
ばっしゃーんと派手に湯が飛び散った。
「騒がしいわね。さっさと退いてくれる?」
顔にかかった湯を忌々しげにぬぐいながら、女はそれでも平然と、そう言った。
「◎×△□!!」
返事も謝罪も不満も言葉にならず、俺はタオルを腰に巻きつつバタバタと浴槽から這い出る。
すると女はさっとかけ湯を施してからゆったりと湯船に浸かった。
相手の身体が隠れてくれたおかげでようやく俺の言語中枢が復活する。
髪の色、瞳の色からして彼女が闇里の姉だろう。顔はよく似ているのにその態度のせいか全く似ていないように感じる。
「つかお前! 人が入ってるときにいきなり入ってくるなよ!」
最初に口から飛び出たのはやっぱり抗議だった。
「はあ? だってここうちのお風呂だし。客人にどうこう言われる筋合いないわー」
なんだこの暴風女!?
「そういう問題じゃねー!」
「何? この身体が人間でいうところの女だからそんなにうろたえてるわけ?」
女の金色の眼が冷ややかに俺を嗤う。
「あ、当たり前だろ! なめんな!」
「あははっ」
くっそー! 本気で笑いやがったよこいつ!
「ははッ、あーおかし。あんたまじでウケるわ」
実に可笑しそうに、けらけらと女は笑う。
「こんな間抜けそうな男のために一旦抑えた発作を自ら再発させるとか。あの子も随分イカれたもんねー」
ふう、と女は息を吐きながらそう言った。
「……? どういう意味だよそれ」
俺が問うと、彼女は浴槽のへりに腕を載せて俺を見た。
「何? やっぱ本人は知らないんだ。つくづく幸せものねえ」
「だからなんなんだよ。教えろよ」
「むしろこっちが知りたいのよ。あんたどこまで覚えてるの? 全部忘れたまま?」
なんなんだよこの女。質問に質問で返すなよ。
「言うけど。私、あんたの記憶を2回消したわ。茨乃の指示で」
「……! お前が?」
瑞葉の、指示で……。
「その様子じゃ覚えてないんだ? いや、何か忘れてる、ぐらいの感覚はあるわけ」
「おい、消した記憶は戻せないのかよお前」
「私が奪い取るわけじゃないから無理。けど強い記憶ほどきれいに消すのは難しい。だから、あんたの奥底に記憶はあるんじゃない?」
……すぐには思い出せないのか。
というか
「なんで瑞葉は俺の記憶を消すように言ったんだ」
「そんなの本人に聞けば?」
俺があからさまにむっとすると
「だって知らないわよあの子が考えてることなんて。……まあ、アレはああ見えてものすごくわかりやすいから大体見当ついちゃうんだけど?」
「だったら」
「わかんないあんたも随分間抜けよね。周りからよく言われない? 愚鈍とか」
……言葉が出ない。
「ははっ図星ってカオ。……まあいいわ、今日は機嫌が良いから間抜けなあんたに釘を刺してあげる」
そう言って彼女は、俺にとどめを刺した。
「あの子もうすぐ死ぬわ。土鬼に身体を乗っ取られるのは時間の問題」
浴室を出ると、闇里が制服を用意してくれていた。
「シャツのほうはやっぱりだめでした……って久城さん!? もう出られるんですか!?」
洗ってもらったばかりの制服を再度着用し、玄関のドアを開ける。
闇里の言葉も聞かずに、再度街へと飛び出した。
探すあてなんて全然ない。
ないのに、じっと待ってなんていられなかった。
――どうして?
彼女に聞きたいことが沢山ある。
今までずっと溜め込んできた問いをすべてぶつける。
そのためにも彼女を……
――いいや、違う。
俺は焦っている。
あいつの言葉を、恐れている。
『私はあの子の介錯人の役を担っている。あの子が鬼に成る前に、殺すの』
『もともとそういう運命だったのよ。身体に鬼を封じた時から』
気配はあったんだ。
土耶の野郎が彼女に近づいた時。
鬼の腕が彼女の意思と反して顕現していた。
いや、それ以前に、最近の彼女は体調が悪い。
倒れるほど。学校に来なくなるほど。
『あんたの記憶を封じると同時に、茨乃はあんたの力も沈めた。あの子の発作は一時的に収まった。けど、あんたの記憶と力を封じなくなってから、発作が再発した。あんたは何かしらのカギなんでしょうね』
――一体、なんだってんだ!
「……ッ、はあ」
当てもなくがむしゃらに走ったせいで息が上がる。
立ち止ればぽたぽたと汗まで滴り落ちてきた。
いつの間にか、町はずれの高台にまでやって来ている自分がいた。
小さい頃、よく星を見に来た場所だ。身体が覚えていたのかもしれない。
空を見る。
相変わらずの紺碧。光の少ないこの町の空は暗い。
こんな夜でも星は綺麗に瞬いていて。
……そう、いつかも。
彼女と眺めたような、気が……。
「……!」
空をなぞった先、坂の上のベンチのさらに奥。
町を見下ろす柵の前に、1つ、人影が見えた。
――見つけた。
声を掛けることも忘れていた。
この偶然に感謝した。
今にも夜の闇に溶けいってしまいそうな彼女の腕を、俺はすぐさま掴んだ。
「……!?」
漆黒の眼を見開いて、彼女は振り返る。
戸惑いより、不意を突かれた驚きが勝っているように見えた。
「……よう、不良娘。やっと見つけた」
開口一番、なぜかそんな言葉が自然と湧いた。
彼女は眉をひそめたが、唇は固く結んだままだ。
その様子は、喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んでいるようにも見えた。
彼女に聞きたいことが山ほどある。
聞かなくちゃならない。
けど、今は。
「!」
彼女の腕を引いて、そのまま抱きしめた。
もういってしまえとパッションがそうさせたのでした。
いつもありがとうございます。