E7-2:複雑サンデイⅡ
ファーストフードな昼食を終えて、さて次はどこへ行こうと相談したところ
「ルルパに行こう」
倉井は悩む間もなくそう言った。
ルルパというと、この秋にオープンした、隣町の浜手側にあるアウトレットショップだ。
もともと倉庫だった建物の外観をそのまま使用した建物なので少し無骨ではあるが、このあたりの店にしては最新のものを取り揃えている、いわば若者の聖地だ。
「よし、行くか」
コーラを最後まで飲み干して、立ち上がる。
自家用車という交通手段を持たない以上、ルルパまでは面倒だがバスで行くのが一番早い。浜手にあるせいで駅からはかなり離れているのだ。
ただ問題なのはバスの時間で。
「田舎のバスっつーのはなんでこう本数が少ないのかね」
バスは30分に1本。まあ、多少ラッキーだったのか待ち時間は15分で済みそうだ。……ということで
「悪い、ちょっとトイレ行ってくる」
「へ? あ、うん」
ぽかんとする倉井を置いて、とりあえず小走りになる。
ここから一番近いのはファミレスだろう。ちょっとバツが悪いが借りるしかない。
「……少年、どうして映画館で行かなかったのですか」
わかりきった、もっともな意見をセキが言う。まるで小さな子供を嗜める母親のようだ。
「うるさいなあ! 緊張が解けてきたら急に行きたくなったの!」
** *
突然ひとり取り残された愛子は、その放置状態に憤慨するでもなく、むしろ、ほっと安堵の息を吐いた。
「……やっぱまだ緊張するなあ」
むにむにと自らの頬を引っ張る。
はたからみれば、自由奔放に自分の行きたいところに彼を連れまわしているだけのように見えるが、その実、内心はカチコチのままなのだ。もっとも、連れまわされている標のほうはそのことにまったく気がついていない。
普段から素の顔を隠しているせいか、彼女は本心を隠すのが人より上手い。それを彼女自身も理解していた。
「……待てよ。そういうとこが逆にかわいく見えないのかも……?」
ひとり悶々とそんなことを考えていると、バスが目の前に停車した。
彼女たちが乗るべきものとは別の路線のバスで、何人かの客がぞろぞろと降りてきた。その中に、ひと際騒がしい若者のグループがいて
「しっかしヤバかったなあれ。いろんな意味でヤバかったよあれ! 今思い出しても笑えるっ」
「だろ? あの映画作ったやつ正気の沙汰じゃねえよ。俺もさー、将来監督になろうかなあ? 俺さ、相当才能ある気がすんの!」
「もちろん、そっち系のだろ? カハハッ、確かにお前ならいろんなシチュエーション撮れるだろうよ! なんせ百戦錬磨だしなあ!」
「おい、今度俺にも紹介しろよー。そういうおトモダチたくさんいるんだろー? どうやって釣ってんの、やっぱ出会い系? 人妻とかいんの?」
この真昼間から、大変下種な話が公の場で垂れ流されたものだ。愛子は内心舌打ちしながらも、努めて聞こえないふりをして彼らに視線を合わせないようにした。ついでにさっさとここから立ち去れと念じたのだが、彼らはあろうことかその場に残り、彼女の目の前で猥談に華を咲かせ始めた。
(よそでやれ!)
柄の悪いこの4人がいるせいで、他にバスを待っていた2名ほどはバス停から離れていった。
道を塞がれた愛子はベンチから立つに立てず、フラストレーションが溜まる一方だ。しかも。
「――あ?」
4人組のうち、特に自慢げに自らの経験を語っていた鼻ピアスの男が、彼女の顔をまじまじと見始めた。
「……どっかで見たよーなカオだな……」
「え、おいマジかよ! まさかここでおトモダチとの遭遇!? しかもハッキリ覚えてないとかお前超サイテー!」
勝手に自分が貶められていることに我慢ならず、愛子は思わずきっと顔を上げた。
すると
「……! お前、神木の白虎……!」
意外なことに、鼻ピアス男は目を見開いてそう言った。
「!?」
まさかここで、その名を出されるとは思ってもいなかった愛子は反応に困った。
「白虎って、あのレディースの美人総長? うそ、マジで!?」
「すげー。本物?」
まるで動物園のパンダを見るようにしげしげと彼女を眺める男たち。そして
「金髪じゃねえからすぐわかんなかったぜ。そのめかしこみようじゃ男とデートか?」
ろくに面識もないというのに鼻ピアス男は馴れ馴れしく彼女に話しかけてきた。
「……気安く話しかけんじゃないよ。さっきから黙って聞いてりゃ胸くそ悪い話を道端でべらべらと。そういう話は便所の隅でするんだね、ガキが」
苛立ち具合がマックスになった愛子はギロリと相手を睨みつけた。貫禄たっぷりのその睨みに男は一瞬ひるんだ。が
「流石、神木の白虎様は言うねえ。しかしあんた、意外とお堅いじゃねえの。あんたも男待ってるんだろ? どうせこれからイイとこ行くんじゃねえの? なあ?」
「……ッ!!」
あまりにもデリカシーに欠ける、いや、それ以前の最低な発言に愛子は思わず拳を握る。
こんな場所で先に手を出すのはまずい。
まずいとわかっていながらも、反射神経は止まってはくれなかった。
怒りの原因は、己に対するあまりにも下品な侮辱。
いや、それ以上に。
大事な今日という日を、こんな最悪な出来事で汚されることに、我慢ならなかったのだ。
「……!」
殺気立った空気を肌で感じたのか、男は瞬時に顔を青くする。どうやらその手の危機管理能力はあるようだが、それを防ぐまでの技量が彼にはないらしい。
愛子の拳が男の顎をめがけてまさしく放たれた、その時。
「ぅおっとー」
ひょうきんな声とともに、ぴたりと、彼女の拳は止められた。
というより、包まれた。温かい掌に。
「!」
かなりの瞬発力で放った拳が、あまりにも優しく止められたことに彼女は驚いていた。
その掌の主は、もちろん
「何やってんの?」
彼女が憧れる、神木のオオカミだった。
一方、鼻ピアス男は事態を理解するのに数秒を要し、ようやく自分が負傷を免れたのだと知ると
「……、い、行こうぜお前ら!」
バツが悪そうにそう言って踵を返した。連れの男たちもわらわらと彼についていく。残念ながら彼らは標のことまでは知らなかったようだが、神木の白虎の拳を止められる力量を持った男を前にしては退散するほかなかったらしい。
嵐が過ぎ去ったあとのように、バス停には2人だけが残される。
愛子はぼうっと、包まれた掌の余韻に浸っていた。
(……やばい)
鼓動が喉にせり上がるように高鳴る。
(か、かっこいいじゃん、オオカミ……! 何この絶好のシチュエーション、映画みたい……!)
真昼間から、頭の中がお花畑になりそうな勢いである。
「倉井? おーい倉井?」
一方、まったく反応してくれない相手に標はひたすら呼びかけ続けた。
何度目かそれが続いたのち
「……! わ、悪かったね。ついカッとなって手が出そうになって……」
はっと我に戻った愛子は慌てて謝罪する。が、動揺やらなにやらでその声はひっくり返っていた。
「んー、まあ素人相手に手上げるのはよくねえと思うけど、どうせあいつら失礼なこと言ってきたんだろ?」
「……ぅ、まあ……」
愛子としては、普段の自分はあんな言葉に乗せられて手を上げるような人間じゃないと主張したかったのだが、内容が内容だけに具体的に何を言われたかまではあまり言いたくなかった。
「でも止められてよかったよ。瑞葉の腕だったら俺でも止められねえからなー」
彼は軽率だったと言える愛子の行動を咎めることなく笑った。そのことに愛子はほっとしつつも、同時にそこで『彼女』の名前が出てきたことに少し嫉妬する。
やはり、というべきなのか、彼の頭の片隅には常に彼女の影があるらしい。
「お、ちょうどバスが来たな」
愛子がその気持ちのもやを言葉にする前に、バスが目の前に停車した。
(……って私が何か言っても仕方ないしなあ、こればっかりは)
なんて、愛子が自分でも嫌気が差す嫉妬心に自己嫌悪に陥っていると
「おーい倉井。いくぞ」
いつの間にかバスのステップを登りかけていた標が手を差し出す。
「今日、愉しむんだろ? さっさと嫌なことは忘れちまおうぜ」
に、と笑いかける標。
その言葉に、愛子は目を見開いた。
彼は分かっていたのだ。自分が何に怒って他人を殴ろうとしたのか。
「……うん」
贅沢を言えば、それが分かっているならそういう日に他の女の名前を出さないでほしいと思った彼女だが、そこまではもう言うまい。
愛子は満面の笑みで、彼の手をとった。
** *
――感想を言えば、今日という1日はこの非日常的に忙しかった1週間の中で、昔の古い仲間と騒ぎあったような、そんな穏やかな日だったように感じられた。
ほんと、神木のレディース総長様はいろいろと男前だった。なにせ一応デートだというのに、先頭を歩いてリードしていたのは常に彼女のほうだったのだ。
その点に関しては、なんだかいろいろと複雑ではある。
『私を愉しませろ』と言われたのは俺なのだから、自分が引っ張らなきゃいけなかったんじゃないかとか。でもこれはこれで楽しかったからいっか、などと考えながら歩いた帰り道。
「……オオカミん家ってこっち方面だっけ?」
ふと倉井がそんなことを口にして、俺ははたと立ち止った。
(……やっべ)
地元のバス停に帰り着いてから、俺の脚はごく自然と倉井と別れぬまま学校へと向かっていたのだ。
「いや、実は俺、これからちょっと用事が……」
倉井にはあえて言っておかなかったのだが、実はこのあと木村先生と学校で落ち合う約束をしているのだ。
なんでも、倉井の乱入で中断してしまった例の特訓の最後の仕上げをするから、ということだ。
休日も待ったなしというなんとも過酷なスケジュールだが、校舎に人がいない休日だからこそ、なのだろう。
……そういうわけで、倉井を引き連れたままここまで歩いてしまったのはかなりの凡ミスだった。
当の倉井も、急に歯切れの悪くなった俺を見て、なんだかいぶかしげな顔をしている。
「……もしかしてさ、学校向かってる?」
「!?」
なぜバレたし!?
「だってこっち方面で主な建物っていうと神高しかないじゃん」
……確かに。この町の主要施設は悲しいぐらいに限られている。特にこちらの方角となるとじいさんばあさんの憩いの場である小さな社と俺たちの通う学校しかない。
「……ちょっと、用事があってだな……」
具体的に何の用事とも言えず、結局同じ言葉を繰り返すバカな俺に、倉井はなんとなく複雑な表情を浮かべた後、はあ、と呆れるように溜め息を吐いた。
「……わかったよ。例の、なんかよく分かんない案件なんでしょ? 今日1日私のわがまま聞いてもらったし、深くは詮索しないよ」
「……倉井」
彼女の大人な態度に少し感動する。
「ありがとな。お前、ほんと良い奴だ」
俺が笑うと、彼女はまたどこか複雑な顔をした。
「?」
首を傾げると、倉井は口元だけ笑ってこうこぼした。
「……そうでもないよ。今日だってちょっと卑怯だったかなって思ってるし」
「卑怯?」
「泣き落としみたいに誘っちゃったじゃん?」
……ああ、そのことか。
「別に泣かなくなってお前の誘いだったらいつでも遊びにいくぞ?」
「……!?」
倉井が急に目を見張った。
「なんかお前と話してると昔の仲間と喋ってる気になるんだよなあ。最近知り合ったばっかなのにな?」
俺がそう言うと彼女は目に見えて肩を落とした。
「どした?」
「……いや、それ男仲間って意味だよなって」
「あ。いや別に悪い意味で言ったわけじゃないぞっ。気兼ねしないっていうか、男前っていうか……って違う、えっと……」
言葉を出す度に墓穴を掘る俺を見て、倉井は機嫌を損ねる……わけでもなく、笑った。
「いいよ。オオカミが楽しかったんなら」
倉井は少し大人びた笑顔を見せる。
やっぱ年上なんだな、と今更ながらに思った。
「……っていやいや、今日はお前を愉しませるって話だったじゃないか」
思わず突っ込むと、倉井は不意を突かれたようにきょとんとして、それから一歩、こちらに踏み込んだ。
「!」
今日1日一緒にいた中で、一番近い距離に思わずぎくりとする。
「それは完璧だったよ、オオカミ。今日1日、私はすごく楽しかった」
「そ、そっか。それならよかった」
こっちが焦っているのが判ったのか、倉井は一瞬くすりと笑うように目を細めた。そして
――――す、と。
まるで、風に撫でられたかのような軽さで、彼女の唇が頬を掠めていった。
「…………へ」
一瞬の出来事に、事態が把握できないまま立ち尽くす俺。逆に、自分がしでかしたことに対して赤面全開の倉井は飛び退くように後退し、
「ジャ、マタ!」
びっ、と手を挙げて逃げるようにして去っていった。
「…………」
むずがゆくて、思わず頬を手でさする。あっという間に倉井の背中は見えなくなっていた。
いつまでもぼけっと突っ立っていられないので、とりあえず、校門に向かうべくゆるりと方向転換すると。
「……あ」
偶然というにはあまりにも良すぎるタイミングで、瑞葉がそこに立っていた。
「…………」
「…………」
……さっきの、見られた、か?
「よ、よう。今日もプレハブにいたのか?」
とりあえず何事もなかったかのように挨拶代わりにそう声をかけたが、彼女はそのまま、俺のほうをじっと見るだけだった。
「なん、だよ?」
何とも言えない空気にたじろぐと、
「…………いや」
小さくそう呟いて、彼女は俺の脇を通り過ぎた。
「あんま浮かれてると怪我すんぞ」
忠告なのか、過ぎ去りざまに彼女はそう言った。
「う、浮かれてなんかないぞっ!?」
反射的に思わず反応すると、彼女はちらりとこちらを見た。
その一瞬の表情に、俺は息をのんだ。
「……嘘つけ」
彼女は言って、また背を向けた。
倉井のように走っていったわけでもないのに、瑞葉の後ろ姿はあっという間に見えなくなった。
彼女が早足だったのか、俺が呆然としていた時間が長かったのか。
「…………なん、だよ」
思わず、口に出した。
だって、わからないのだ。
振り返った彼女の顔は明らかに、何かに傷ついた顔をしていた。
ともすれば、泣いてしまうんじゃないかとすら思える表情で、嗤ったのだ。
「……なんでそんな顔、するんだよ」
……どう足掻いても月1ペースから抜けられぬ……。ていうかこの話の最後のへんとか前から考えてたのにいざ書くとなるといろいろもどかしい&しょっぱくてなかなか書きだせなかったわ……。
遅筆すみません、ありがとうございます。次話では手鞠先生の愛の鞭が待ってます。