表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/63

E5.5:始まりと朝

 一体何が起こったのか。

 不覚にも、彼女にはすぐに理解できなかった。


 せっかくのサンプルは消滅。

 残された事実はただそれだけ。

 だがその過程は?

 あの無力な少年は一体何をしたというのだ。


(……いや)

 違う。

 何もしていない。

 彼はただ土鬼に触れただけだ。

 触れただけであの負の塊を散らしたことになる。


 それほどの力、つい先刻の彼にはなかった。

 だというのになぜ、今彼はあれほど強いエネルギーを纏っているのか。


「…………」

 納得はいかない。

 しかし彼が今後、脅威となりうることを彼女は十分認識した。


「……貴女の隠し球ですか」

 先ほどからずっと殺気だった視線を投げかけてくる少女に、思わず問いかけた。

 無論、答えなど期待はしていない。

「では失礼。またきっとお会いするでしょう」

 彼女は茨乃と、いまだ呆然と空を眺めている標にそう告げて消えた。




 * * *

 ふと気を抜くと、膝から力が抜けて俺の身体はその場に倒れこんだ。

「…………」

 右手が痛い。

 身体も痛い。


「……おい、大丈夫か」

 瑞葉の声が降って来る。

 首を振る元気すらもう残ってない。

「……当たり前か」

 彼女は少しだけ呆れたように溜め息をついた。

 そして。

「……?」

 そっと、俺の額に手を触れる。

 瑞葉の手はひやりとしていて、心地よかった。

「意識を放せ。痛いんだろ」

 その手は俺の瞼の上に降りてくる。

 このまま眠れといわんばかりに。


 確かにもう限界で、今瞼を閉じればすぐに意識は落ちるだろう。

 けど、どうしてだろう。

 そうしたら

「……また、忘れそうで、嫌だな」


 大事な記憶が抜け落ちそうで、怖い。

 誓ったことも。

 願ったことも。

 次に目覚めたとき、全部忘れてたらどうしよう。


「……大丈夫だよ」

 瑞葉の声が少し遠くなった。

 心地よい手に誘われて、意識が段々と落ちていくのが分かる。

「もう止めない。それがお前の望みなら」


 ……望み、か。

 なあ瑞葉。

 俺の望みは…………。



 * * *

 眠りについた標を見て、茨乃はとりあえず息を吐いた。

 途端。

「…………ッ」

 身体をほとばしる激痛に、思わず地に手をついた。

「……く、ぁ……」

 身体全体が軋み、歪むように。

 徐々に濁されるような感覚。

 一時的なものではなく、明らかに均衡が崩れたことを示していた。


「…………」

 後悔はしない。

 むしろ、清々したと言ってもいい。

 完全に縁を断つことも、結局は出来なかったのだ。


 幸い、彼の器は順調に育っている。

 このまま徐々に封を解いてやれば、きっと崩壊することはないだろう。


「……安泰じゃないか」

 彼女は言う。

 まるで自分に言い聞かせるように。


 これでいい。

 これでいいのだけれど。


「……あんまり一緒にいれなくなるな」

 傍らに横たわる少年に、彼女は苦笑いを見せた。





 * * *

 次に目覚めたとき、俺は見知らぬ場所にいた。

 ちょっと古めかしい白い天井に、変に清潔感のある薬品の臭い。

 診療所だ。しかも、モグリらしい。

「……本気で心臓止まるかと思ったわ。死体かと思ったし」

 そう証言するのはちょっとやつれ気味の木村先生。

 ここの闇医者とは、どういうわけか知り合いらしい。


 何でも木村先生は、午後から自主的にサービス出勤し、そこで不穏な気配の残滓を察してプールサイドを訪れたところ、血まみれで倒れている俺を発見したのだとか。

 意識のない俺をここまで運ぶのに、相当手間がかかったらしい。


「……あはは。でも意外と深手じゃなくてよかったっす」

 そう。あれだけコテンパにやられたっていうのに脳や内臓には影響がないらしい。

 肋骨と右手の骨は少しいってしまっているみたいだが、それも思ったよりかは少ない被害だった。


「推測だけど少しだけ治癒力が働いてるわね。あの出血量だったらもっとヤバいはずだもの」

 先生は少しお怒り気味で、機嫌が悪そうだ。

「にしても何なのその黒スーツの女。一般人に毛が生えた程度の久城君をここまで殴る? それに」

 先生はキッと鋭い視線で俺を見る。

「君も君よ久城君! ヤバそうな相手に真正面から立ち向かってどうするの!」

「…………すみません」

 今回ばかりは謝るしかない。

 転がってる俺を拾ってくれた先生にはかなり迷惑を掛けてるし。

「……あ、ああ、ごめんなさい。私もちょっと動揺してて」

 しょげた俺を見て先生は少し慌ててそう付け足した。

 が、栗色の髪を掻き上げながらどこかやりきれない溜め息をつく。

「君の突っ走るところは好きだけど、今回ばかりは結果がね……。相手の素性が分からなくて気味が悪いっていうのもあるし」

 素性……。素性か。

 あの女、なんか瑞葉のこと知ってるような言い振りだったけど、何者なんだろう。

 ……ていうか。

「あの、先生。瑞葉はいなかった?」

「え? あ、ああ。そうね」

 ?

 なんか不自然な答え方じゃなかったか?

「ほら、とりあえず今日は入院なんだからもう休みなさい。ここの先生の腕は確かだから明日には家に帰れるわ」

 下手をしたのを誤魔化すように、先生はぱっとカーテンの裏に隠れてしまった。



 * * *

(……さっきのはまずかったわね)

 手鞠は苦笑いで思わず頭を掻く。

 そのまま彼女は部屋を出て、湿っぽい廊下の突き当たりの部屋に向かう。

「入るわね」

 軽くノックした後彼女が部屋に踏み込むと、白いベッドに腰掛ける瑞葉茨乃の姿があった。

「ちょっと瑞葉さん、寝てなくていいの?」

「いらない。寝て治るものでもないし」

 彼女はそう言って立ち上がった。

(それはそうだろうけど……)

 何を言っても彼女は聞かないだろうことは容易に想像できたので、手鞠は溜め息をつくしかない。


 そう、プールサイドで倒れていたのは標だけではなかったのだ。

 手鞠が駆けつけたとき、瑞葉茨乃もその傍らで意識を失っていた。

 ここへ運ぶ途中、彼女の方は意識を取り戻し、倒れていたことを彼には言わないようにと口止めされていたのだ。


「久城君、明日にはもう帰れそう。きっと瑞葉さんのお陰ね」

 手鞠の言葉に静かに茨乃は首を振る。

「私は何もしてないよ。治りが早いのならそれはあいつの力だ」

「……そう。彼の力、少し大きくなったわよね?」


 力の大きさは目に見えるものでもない。が、それとなく感じることは出来る。

 その人間の器からこぼれた気の流れ方で分かるのだ。

 手鞠から見れば、標の纏う気が少し変化したような気がした。

 些細なことに思いやすいが、そんな微妙な気の変化を感じられるということは、中身が大きく変わったということだ。

 それに、変わったのは彼だけではない。

 目の前にいる彼女もまた、以前とは違う気の流れを纏っていた。

 いや、むしろ彼女に関しては『これが本来あるべき』姿なのかもしれない。


「ねえ瑞葉さん。このことと瑞葉さんが久城君を遠ざけようとしてたことって関係あるのよね?」

 手鞠の問いに茨乃は相変わらず答えない。

 いや、答えられないのか。

 そんな彼女を見て手鞠は微笑む。

「大事なのね、彼のこと」

「……んなこと、」

「『そいつは死ぬまで私のだ』って言ってたのに?」

「!? それはあいつと約束……っ、……したから」

 反論の途中からしぼむように俯いた彼女に、手鞠は首をかしげた。

「瑞葉さん?」

 具合が悪くなったのかと心配した手鞠に、しかし茨乃はこう告げた。

「……保健医、頼みがある」




 * * *

 機械的で、しかし有能で、けれどたまに暴走する側近の報告を受けた土耶つちやつづるは、今回ばかりは冷静さを保っていられなかった。

「お前、失敗作が逃げ出したことをどうしてもっと早く報告しなかった」

 必死に取り乱すまいと抑える声は、それでも怒りに震えている。が

「速やかに処理するつもりでしたので。綴様のお手を煩わせるほどのことではないと判断しました」

 やはり機械のように淡々と答えるのは、黒いスーツを鎧のように纏う女。殿田とのだれいだ。

「……が、失敗したんだろ? その上瑞葉の娘にもそれを見られた、と。あまつさえその拳で一般人を殴った?」

「申し訳ありません」

「謝罪するなら最初に謝罪しろよ!」

 バンと机を叩き、立ち上がる綴。

 若くして家督を負わされた彼がここまで感情を顕にして怒るのは珍しいことだった。

「……申し訳ありません」

 零は心なしか声を落として謝罪した。


「もういい。過ぎたことを言っても仕方がない」

 ぱたりと、彼は再び椅子に座る。

「……結局失敗作は失敗作のままなんだ。土鬼を蘇らせようとするなら、やはりオリジナルが必要だ。そうだろう?」

「……では」

「瑞葉の娘に接触する。お前は動くなよ、ことが厄介になりそうだ」

 そう言われて、零は少しばかり頭を垂れた。




 * * *

 ……日差しが明るい。

 朝、なんだろう。

 今日は月曜日、だが、木村先生に今日は休めと言われてある。

 サボりたくない気持ちはあったけど、顔の腫れがもう少しマシになってから登校したいって気持ちもあって、なんだかんだで言葉に甘えてしまった。

 ……駄目な奴だなあ俺。

 月子先生との簡単な約束も満足に守れてない。


 もぞりと、温かい布団の中で身を縮める。

 セキがまだいたら、また怒られてるんだろうな。

 日本男児として情けないって。


「がっかりですよ、少年。平日まで布団の中で丸まっているのですか」


 ほらほら。


「……て、え?」

 思わず俺は跳ね起きた。

 途端、

「ふがあッ」

 完治しきっていない怪我が痛んで悶絶する。

 すると

「朝から賑やかですね、貴方は」

 朝日が差し込む窓辺に、小さな鳥が留まっている。

「……セキ……?」

「結局成仏できずに戻ってきてしまいました」

「……お前……」

「僕が念願を果たすまで、もうしばらくここにいさせてもらっていいでしょうか?」

 落ち着かないのか、恥じるようにぱたぱたと身体の向きを変えるセキに

「ふ、ふおおおお! せきぃいいいいい!!」

 俺は涙と鼻水を垂れ流しながら手を伸ばした。


このあたりからコロコロと話を転がしていこうと思っているのですがこれがなかなかで。めげずに頑張ります。

いつも読んでくださっている方々、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ