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E5-3:悲しみのオーファン

「……なんなんだこれは」

 瑞葉ですら、そう言った。

「異形、としか言いようがありませんね。僕も初めて見ますよ」

 長い時間を生きたセキでさえそう言うのだ。

 こいつは滅多に見るものじゃないんだと改めて思い知る。


 そして

『――頂戴。頂戴』


 驚くべきことに、蛸は喋った。

 その眼は瑞葉を凝視している。


「な、なんかホラーみたいなこと言ってるぞ!」

「……ホラーにしては悪意がねえんだよ、あいつには」

 瑞葉がそうこぼした次の瞬間、再び蛸の脚がこちらに伸びてきた。

 瑞葉は容赦なく鬼の腕でそれを断ち切る。

 蛸は悲鳴すら上げない。

 ただただ

『頂戴、頂戴。カラダヲ、頂戴』

 そう言って脚を伸ばし続ける。

「……ッ」

 斬り捨て続ける瑞葉も流石に辛いのだろう。

 蛸の脚を全部斬り終えた頃には、息を切らしていた。


 蛸は、既に頭の部分を残すだけ。

 だというのにまだ喋り続ける。

 まるですすり泣くかのように。


『欲シイ。丈夫ナ、カラダ。……鬼ノ、カラダ、欲シイ』


「……鬼、だと?」

 瑞葉がその言葉に反応して顔を上げた瞬間、


『ソレ、頂戴ヨオオオオオオッ』


 慟哭のようなおぞましい声と共に、蛸の頭から針でも飛び出す勢いで脚が四方八方に伸びた。


「!?」

「み、瑞葉ッ」

 瑞葉の右腕が蛸の腕に捕らわれて、彼女の身体ごと宙に浮いてしまった。


『捕マエタ! 捕マエタ! 鬼ノ身体!』

 歓喜の声が響く。

 蛸は瑞葉の鬼の腕に興味津々で、それ以外のものはまるで見えていないようだった。

 挙句

『取レル? 取レル? コレ?』

「……っ」

 無邪気に瑞葉の腕を引っ張りだす。

 その様子はまるで人形の手をもごうとしている子供みたいで。


「や、やめろよ……」

 心臓がバクつく。

 恐怖と嫌悪で息が苦しい。


 けど奴は

『切レル? 切レル!』

 勝手にそう納得して、自らの脚を刃みたいに鋭く尖らせた。

 そして、それを彼女の腕に――……


「やめろぉッ!!」

 とっさに脚が動く。

 けど、到底間に合わないし力も足りない。

 そんな自分の不甲斐なさに喉が詰まりそうになった瞬間

「加勢します」

 まるで神様みたいな声を聞いた。


 ――ガツン。

 鉄と鉄がぶつかるような音が響く。


 気が付けば俺の拳は刃に届いていて。

 なおかつ、その刃が瑞葉の腕に降りるのを止めていた。

 そう、鉄みたいな音を響かせたのは、俺の拳だったのだ。


「……これ、は」

 何が起こったのか理解する前に、蛸がビリビリと痙攣し始めた。

 その隙に瑞葉は拘束を解かれて地に落ちる。


 するとそれを見届けたかのように、俺の拳のあたりからするりと抜け出すようにセキが姿を現した。


 途端、覚えたのは拳の骨が砕けたかのような激しい痛み。

「ぅぐあああッ!?」

 思わずその場に膝をつく。

「久城!?」

 何事かと驚いた瑞葉に、セキが冷静な声を紡ぐ。

「瞬間的に僕の力を彼に与えました。実際には身体に損傷はないのでしょうが、普段この手の鍛錬をしていない人間では痛みを錯覚してしまうのでしょう」

「……さ、さっ……かく!?」

 でもすげえ痛いんだけど!? ほんとに錯覚!? 手ぇ粉砕してない!?


「……無茶を」

 瑞葉が小さく吐き捨てた。

 その言葉は俺に掛けられたものではない。

「……!」

 セキの身体はまたも儚いほどに透けていた。

 そのことを気にかけている暇もなく

『ギギギギギギギ』

 後ろで蛸が異様な声を発し始める。

 まるで殺人マシーンが暴走し出す前兆みたいだ。

「なん、か、ヤバくない……か?」

「とっとと出るぞ、確かにまずい」

 瑞葉の声にも余裕がない。


 俺達がトイレから脱出しようとしたそのとき

『ギガアアアアアアアアアアア!!!!』

 奇声と共に蛸が勢いよく這いだしてきた。


「走れ!!」

「うあああああ!?」


 蛸は形状を自由に変化させることができるのか、狭いはずの建屋の入り口も難なくくぐり抜け外に出てきてしまった。


 白昼堂々、明らかに表に出てきてはいけないものが陽光を浴びて蠢いている。

「み、瑞葉、どーすんだよこれ!?」

「知るかよ、大体正体も分からねえ奴の相手なんか出来るかっつーんだよクソが!」

「逆ギレ!?」

 さらにセキまで、

「切断は無効。……粉砕ならあるいは……ですが、今の我々の状態では難しいですね。しっぽを巻いて逃げるのが得策でしょう」

「マジかよ!?」


 これはもう木村先生の怪しげなコネに頼って対化け物用のマシンガンでも妖でも何でもいいから借りてくるしかないのか!?


 ……そう考えた矢先だった。


 ズン、と鈍い音がしたかと思うと、目の前に立ちはだかっていた蛸が溶けるように崩れ落ちたのだ。


「……!?」

 突然の出来事に、何が起こったのか分からなかった。

 ただ、形をなくしてもか細い声で蛸は鳴いていて。

『……カ、ラダ、頂戴……。チョウ、』

 ――グシャリ。


 虫のように踏みつけられて、そいつはついに動かなくなった。


 容赦なくそれを踏みつけたのは、黒一色のスーツに身を固めた、女性……だった。

 長い髪をひとつに結うという女性らしい髪形な反面、あまりに洒落っ気のない無機質なパンツスーツを纏っているので性別の判断が少し遅れた。


「……誰だ?」

 瑞葉が問う。その声には明らかに警戒の色が滲んでいた。

 無理もない。

 そこにいる女は表情ひとつ変えずに蛸を踏みつけたのだ。

 いや、そもそもこいつは何をどうやって蛸を倒した?

 武器らしいものなんて何も持っていないのに。


「ご迷惑をお掛けしました。この残骸は私が責任を持って処理しますので、どうぞご心配なく」

 抑揚に乏しい声と共に、彼女はお辞儀をした。

 動作こそ丁寧だが、表情にも声色にも人間らしさがない。まるでロボットみたいだった。


「名乗れと言っているんだが」

 瑞葉がやや苛立ち始めたそのとき

「…………レイ?」

 ぽつりと、セキが気の抜けた声を発した。

 その声は微かに震えている。

「セキ?」

「レイの、気配が……あの女から……」

 ……え?


 女は少しだけ、顔をセキのほうに向けた。そして

「奇遇、ですね。この残滓の片割れとも出逢えるとは」

 独り言のようにそう呟いた。


「…………残、滓……」

 その言葉から何かを悟ったセキは、俯いた。

「……妹は、死んだ……のですね」

「経緯は知りません。ただ私は、この地にあった精霊の亡骸をこの手に宿しただけ」

 スーツの女は右の拳を握る。

 すると、そこに周りの気が集まりだすのが分かった。

 セキが見せた力と、形がよく似ている。

 けど、明らかに違う点があった。


「……もう、会えない」

 ぽたりぽたりと、セキの眼から涙がこぼれた。


 女はその手に宿した力を、『亡骸』と言った。

 セキの妹、レイの魂は、そこにはもうないのだ。


「……最後、喧嘩して、謝れなかったのにっ……。先に死んでごめんって、言おうと思ってたのに……」

「セキ……」


「……、っ、ぅ、ああああああああ」


 ついに、彼女は声を上げて泣き出してしまった。

 悲しい慟哭が空に轟く。


 俺はセキの妹がどんな子だったのかも全く知らない。

 けど、妹の気配を感知して駆けていったときの彼女の笑顔を思うと、どうしようもなく胸が痛んだ。


 ……そして。

「!?」

 一向に泣き止まないセキの身体から、黒い光が漏れ始めた。

 その光はまるで空気に溶けるように、けれど実体を持つように濃くなっていく。


「――これ、は」

 瑞葉の声に、今までにないほどの畏怖が感じられた。

「セキっ!?」

 この辺り一体の、悪意という悪意が彼女の周りに集結していく。


「駄目だ! このままじゃ悪霊になる!」

「悪霊!?」

 そんなことって……


 その時、背後で何かが蠢いた。

「!?」

 振り返ると、そこには黒いスライムが壁のように聳え立っていた。

「……は!?」

 違う、よく見たら蛸の残骸だ。

「まだ動けるのかよ!!」

「馬鹿久城! 避けろ!!」

 瑞葉に引っ張られて横にすっ転ぶ。

 途端、スライムはセキの上になだれ落ちた。


「セキっ!!」


 彼女の身体と黒い空気を全て飲み込むようにして、スライムは蠢動した。

 そして、見る見る姿かたちを整えていく。

 そう、奴が最初からそうなりたいと言っていたモノに。


「……ああ」

 黒スーツの女が、初めて感情の篭もった声をこぼす。

 それは絶望でも、恐怖でもなく、恍惚。


「土鬼……」


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