E5:グッドモーニング・バード
『……チュン』
――あー……気持ちいい。
休日の、寝坊できる朝ほど気持ちいいものはない。
目覚ましが鳴ることもなく、お袋がたたき起こしに来ることもなく。
『チュンチュン』
窓の外から聞こえる鳥のさえずりを聞き流しながら、瞼に陽の光を感じる。
この白い光景の前では俺のくたびれた心も洗い流されるようだ。
『チュンチュンチュン』
このあったかい布団の中では俺は俗世から解放される。
素晴らしい解放感だ。
決めたぞ、俺は今日1日、この布団の中で過ごそう。
ああ、なんて素敵な土曜……
『チュンチュンチュンチュンチュン!!!!』
「だがしかしうるせーよ鳥ぃーーーー!!」
思わず布団を翻して怒鳴りながら起きる。
ったくどこのどいつだよ俺の眠りを妨げる馬鹿鳥は!!
「休日だからといっていつまでも阿呆面さげて布団に閉じこもるなんて日本男児としてみっともないことこの上ないと思いませんか少年」
……へ?
思わず目をこする。
俺の布団の上に、まるで座敷わらしみたいにちょんとそいつは座っていた。
「だ、誰!? てか何!?」
ヘンテコな和服の、見知らぬ少女だ。
薄茶色の短い髪は、見事に真っ直ぐ切りそろえられている。
幼げながらもまるで人形のように整った顔立ちと、その視線の透明さが彼女の非人間性を主張していた。
「見て分かりませんか、残念です。貴方の力はもっと大きくあったはずなのに。……いえ、歎いても詮無きことです。ともかくも身支度を整えなさい少年。貴方には僕の妹を探してもらいたい」
いきなりそんなことを言い出す座敷わらし(仮)。
「ちょっと待て! 勝手に話を進めるな! 意味わかんねーから!」
「貴方は頭が悪いようですね」
「うるせー! 失礼な奴だなコンチクショー! とっとと出てけよもー!」
「貴方に拒否権はない、少年。貴方が首を縦に振らないなら僕は全身全霊を掛けて貴方を呪う」
「んなことに全身全霊かけんなッ」
「ならばこの願いを聞き届けることですさもなくばこの場で呪いますはい三、にー」
「勝手にカウント始めるなッ!」
「いち。はい、呪いました」
「ギャー」
ついノリでぱたりと死んだふりをする俺。
……朝から何やってんの、俺。
「……そろそろ起きてください。いい加減出かけたいのですが」
ゆさゆさと俺の肩を揺さぶる座敷わらし(仮)。
だから一体何だっつーんだ。
* * *
「で、セキさんはどうして俺の家にいたわけ?」
5月らしい青い空の下、俺は傍らをてこてこと歩く少女に尋ねた。
「貴方の家にいたというより僕が眠っている場所に貴方がたが越してきたと言ったほうが正しいでしょう」
彼女――セキと名乗った――は相変わらず淡々と、言葉を流すようにそう答えた。
聞くところによると見た目は小学校低学年くらいだが、彼女は随分と長い時を生きた精霊、『だった』らしい。
過去形なのは既にその身が朽ちているから。
つまりこいつは、既に『死んで』いるのだ。
「貴方があの地に越してきたのは、偶然といえば偶然でしょう。貴方の活動エネルギーがあの地に眠っていた僕の『記憶』に影響を及ぼし、こうして形を得るに至ったのもまた偶然。しかし偶然とは必然と紙一重。長く生きた者ほどその現象を運命と捉えます」
「……あー、つまり俺とお前が会ったのは運命だって言いたいのか?」
こいつの長い台詞を理解するのは時間がかかるが、俺がそう言うと彼女は微かに口角を上げた。
「その通り。ではなぜ僕と貴方は出会ったのか? それはきっと、貴方が僕の未練を叶えてくれる存在だからだと、僕は考えます」
……よくよく聞いてると超自己中な考え方だな?
まあいいけどさ。
「で? その妹さんとはいつ頃離れ離れになったんだ?」
「それが明確には覚えていないのです。この身が朽ちる少し前のはず……なので、10年前だったか100年前だったか……」
や、幅在りすぎだろ。
「……ところでさ」
「なんでしょう」
「妹さんもその……死んでるのか?」
遠慮がちに尋ねると、彼女はまた微かに笑んで、首を横に振った。
「いえ、それはないでしょう。そもそも精霊の死という事象自体が滅多にないことなので」
「……じゃあなんでお前……」
死んだんだ、なんて不躾なことを口にしてしまいそうになった。
しかし彼女は特に気を害した風もなく
「殺されました」
さらりと、そう言いやがった。
「……お前さ」
俺ですら呆れ返って溜め息しか出ない。けれど一応言いたいことは言っておこう。
「なんでそんな淡々としてるわけ? フツー『殺された』とかそんなさらっと言えねーよ」
「それは貴方の尺度でしょう。僕は君よりもずっと長い時間を生きていた。死というものの捉え方が違うんです」
「要するにお前にとっちゃ死ぬことなんてどうってことなかったってのかよ」
棘のある言葉で返すと、彼女は少し不服そうに眉をひそめた。
「僕はそこまで軽率ではない。望んで命を投げたわけじゃない。現に、僕は今未練がましくこの地に留まっている」
そう言った彼女の顔に、ようやく感情のようなものがにじみ出た。
ほっとすると同時に急に罪悪感がこみ上げる。
「……悪い、言いすぎた」
「いえ。貴方のそういうところは好感が持てるのでしょう。一般的に」
最後の言葉に彼女の棘があるような気がしたがいちいち気にしていたら負けだろう。
そうしてしばらく歩いていると
「……! 気配が、あります。レイの」
突然彼女は立ち止まった。
「ほんとか?」
「こっちです!」
彼女はぱっと駆けていく。
その嬉々とした表情には思わず頬が緩んでしまった。
* * *
そして彼女がたどり着いたのは。
「……ここ、学校じゃねーか」
「貴方が通っている学び舎、ですか」
「ほんとにここにいるのか? お前の妹さん」
尋ねたくもなる。だって見かけたことがないのだ。
「いえ、微かな気配だけです。ここに一時期留まっていたのかもしれません」
「だよなあ。……でもこれで振り出しに戻っちまったじゃねえか」
「振り出しではありません。ここにいたということは確かなのですから、ここにいる者に尋ねれば情報が得られる可能性はあります」
「ああ、なるほど。……でもここにいる者って……」
「もちろん人ならざる者にです。多くの想いが交差、残留する学び舎には古から実に様々な者たちが集まるものです。貴方も心当たりがあるのでは?」
……まあ、確かにあるっちゃあるけど。
「でもそんなに知り合いはいないぞ? 俺が知ってるのは……」
* * *
旧棟4階の廊下。今は吹奏楽部がたまに練習に使っているだけの寂れた空間に、怒声が響いた。
「タローてめえ!! また浮気しやがっただろこんの大馬鹿がああああ!!」
「ちがっ誤解だハナコ!! ヤミコとは偶然会ってちょっとお茶しただけなんだよ!!」
「ヤミコぉ!? 私以外の女を呼び捨てする時点でありえねーんだよ! てめえなんか一生トイレに詰まってろ、フン!!」
「ああっ待てよハナコーーーー!!」
窓から颯爽と出ていったおかっぱ頭の女性と、それを『カムバック』と言わんばかりのポーズで見送るリーゼントの男性。
「……」
「……」
「……なんかすげえ話しかけにくいときに来ちゃったな」
「我々のせいではありません。まあ、運が悪かったといえばそうでしょうが……」
学校での俺の『知り合い』といえば、トイレを縄張りにしているこのタローさんくらいしかいない。
ちなみにこのタローさんは昔トイレで死んだ不良の幽霊、というわけではない。
本人曰く『学校の男子トイレにタローさんってお化けがいるって噂が具現化したもの』、らしい。
さきほどのハナコさんもそういう類らしいが、『トイレのハナコさん』というものの知名度のほうが圧倒的に高いため彼女の方が輪郭がはっきりしている。言ってみれば彼女の方が『強い』のだ。
「あのー、タローさん。落ち込んでるところ申し訳ないんすけど」
俺はそうっとタローさんに声をかけた。
「……ああ? なんだお前か。……今の、見てたろ? ちょっと1人にさせてくれないか……」
しょんぼりと、背中に陰を背負ってうなだれるタローさん。
そのあまりの悲壮感に、俺は掛ける言葉を失ってしまったのだが。
「彼女が出ていったのは貴方の誤解を招く行動が原因でしょう。そんなことより貴方、少し尋ねたいことがあるんですが」
結構サックリな性格のこいつはお構いなしにそう尋ねた。
「そ、そんなことォーーーー!?」
案の定タローさんはキレる。
怒ったタローさんは結構怖い。リーゼントだけに。
「破局の一大事なんだぞテメエ何様だァこのガキんちょ……」
が。
「あ、あんたは……」
セキの顔を見た途端、タローさんはサッと顔色を変えた。
「?」
首をかしげまくる俺たちをよそにどこかおろおろとし始めたタローさんは
「お、俺ハナコ探してくるッ! じゃ!」
逃げるように、窓から飛び立った。
「……お前タローさんと会ったことあるのか?」
「いいえ、少なくとも記憶にはありません。……が、もしかすると」
「もしかすると?」
「私と妹は双子のように瓜二つなのです。もしかすると……」
「ああ! 妹さんと間違われた、かも?」
だとしたら話は早い。
「あの男を追いましょう」
セキの言葉に頷いて、タローさんが消えていった方向へと足を向けた。
……また前の更新から1ヶ月以上経ってる……。
新エピソードに入って色々準備してたらえらく時間がかかってしまいましたすみません(謝ってばっかり)。
めげずに読んでくださっている方々、ありがとうございます(涙)。