E4.5:ナイトメアの落し物
時は夕刻。
日も沈みきった、静かな保健室で。
「久城君。貴方……」
厳かに、木村先生は言い放った。
「――女難の相が出てるわ」
「……う、嘘だっ! 先生絶対愉しんで言ってるだけでしょ!!」
思わず叫ぶと先生は若干頬を膨らませて抗議した。
「あら失礼ねー。確かに愉しんでるけど相が出てるのはほんとよ? 私の占い結構当たるって評判なんだから」
「……っあの夢魔、厄介なこと残していきやがって……!」
そう、瑞葉が夢魔を退治し、一件落着かと思いきや、金髪のやつがいきなり俺に「口説いた責任取れ」と言い出したこの1件。
どうやら夢魔が金髪に見せた幻覚に、俺が出てきたことが発端らしい。
「あら厄介だなんて。久城君は女の子に迫られて嬉しくないの?」
「う、嬉しいとかそういう次元の話じゃないじゃないっすかこれ!? だってもともとあの夢魔のせいだし!?」
「あら、そうとも言い切れないわよ?」
先生は意味深に笑った。
「? どういう意味っすか?」
「もともと、夢魔が見せる夢に出てくる相手って、夢を見る本人の憧れの相手って言われてるの。つまり……」
え!?
「そ、それってつまりあの金髪の憧れの相手がお、俺ってことっすか?」
「そうなるわね」
い、いつの間に……? やっぱ俺のオオカミ伝説のせい……!?
木村先生は俺の顔を楽しそうに眺めていたが、ふと思い出したように訊いてきた。
「そういえば久城君が見た幻覚には誰が出てきたの?」
――ぶっ!
「だ、誰だっていいじゃないっすか! 幻覚は幻覚なんだし!!」
……み、瑞葉だったなんて先生に言ったら散々冷やかされるに違いない。
「まあ大方見当はついてるけどねー。これは噂だから本当かどうかは知らないけど、その幻覚でのプレイってのも本人が望んでるプレイらしいのよー。いやー、望みのプレイのシチュエーションまで演出できるなんてよく考えたらすごいわよね」
「……せ、先生、そんなプレイって連呼しないで下さいよ」
「あはは赤くなってる、かーわいー」
けらけらとこの上なく楽しそうに笑う木村先生。
……し、しかしなんだ!?
お、俺ってば教室でのあんなプレイに憧れ……ってそんなけしからん!!
……あーでもなんか普段皆がフツーに使ってる教室でそんな行為ってのも変にハイトク感があって確かに……
「久城君、鼻の下のびてる」
「ひゃい!?」
俺は慌てて表情筋に力を入れた。
「――ふう。まあ夢魔のそれのことはさておき。私が気になるのはその夢魔を後ろで操ってたのが誰かってとこなのよね」
先生はふと窓の外を見てそう呟いた。
瑞葉が最後に奴に投げた問い。
『――答えろ。貴様は誰の命令で動いていた』
……そう言えば確かに、奴の言葉の端々には他の誰かと結託していたようなことを臭わせるものがあった。
「女から生命力を集めてたみたいっすけど」
「生命力? ……ああ。確かにまあ、それを集めるのが目的なら夢魔が見せる淫夢は手段としては最適かもしれないわね」
ん? なんで?
「けどどうして女性限定? 久城君の話だと夢魔は男性女性、どちらの性質も持ち合わせてたんでしょ? 単に生命力を搾取するという目的なら男性でも問題ないはず……」
先生は俺を置いてけぼりにしてひとりごとモードに入ってしまった。
「……まあいいわ。夢魔はとりあえず消えたんだし、そいつの駒を潰したってことだしね」
「はあ」
俺が間抜けな返事をすると先生は微かに笑った。
「気のない返事ねえ。朝とは大違い」
先生は席を立ち、戸締りを始めた。
俺もそろそろ帰って寝よう、なんて考えながら席を立つと、ふと先生に呼び止められた。
「そういえば久城君、これからどうするの?」
「へ?」
「金髪の彼女。責任取れって言われてるんでしょ?」
……あああそうだったー!
でもどうやって弁解しよう?
全部夢だったんだぞって言っても相手になんか微妙に悪い気がするし……。
それに、気になっていることが1つある。
『私が死ぬまで、私のものになってくれ。久城』
これは現実に、瑞葉が言った言葉なのか。
そうだとしたら、どうして俺は忘れているのか。
そのことを彼女に聞きそびれたままだ。
* * *
ガラス玉の中で、原初の水に浸り浮かぶ異形。
胎児のように身を縮めているため、一見しただけではその全貌は分からない。
が、その頭部からはっきりと伺える角で、それが鬼なのだと理解するには容易だった。
「――失敗です」
無機質な声で、それ以上に無表情に、黒いスーツの女はそう報告した。
「見れば分かる」
ことの結末にか、それとも女の態度にか、不機嫌に男は吐き捨てた。が、さして気に留める風もなく、女は抑揚のない声で報告を続ける。
「本日午前10時過ぎ、旧ハルテナ邸に住まわせていた夢魔の消滅を確認しました。これ以上の生命力の取得は不可能です。あと1時間ほどでこの被験体も消滅します」
「どうせ消えるなら今殺せ。目障りだ」
「はい」
男の言葉に躊躇いなく彼女は答え、その腕を地球儀大ほどのガラス玉に突き立てる。
瞬間、相当な厚みであったはずのガラスは粉砕し、中にいた鬼も蒸発するように姿を消した。
その場に残ったのは鬼を包んでいた温かな水、そして女の手から滴り落ちる赤い血のみ。
しかし女の顔に苦痛の色は一片も浮かばない。
男も彼女の負傷など気にすることなく、ただただ現実を歎いた。
「女から得られる生命力で羊水を作っても無理、か。八方塞だな」
「僭越ながら申し上げますが、人の手で鬼を生むというこの計画は現時点での技術では少し難しいのではないかと」
女の言葉に男は嗤った。
「霊体の化け物は人の手で作ることができるのに? 東の奴らはアレを狩るのに必死らしいな。国まで裏で関与しているらしい」
「綴様。あれらと鬼とはまた別のもの。特に、我々が成そうとしていることは――」
「お前に言われなくても分かっている。絶滅した種を復活させるのと同じようなものなのだろう」
諦観の篭もった溜め息をこぼしながら、綴と呼ばれた彼は腕を組んだ。
しばらく無言で何か考え込んでいたが、ふと思い出したように女に問う。
「瑞葉の娘はどうしてる?」
「出奔した姉の代わりに今だ前線で務めを果たしているようです」
「……頑丈な女だな。あれさえいなければ俺がここまで頭を抱える必要はなかったのに」
「いえ、そうとも言えません」
「? どういうことだ」
眉をひそめる綴に、相変わらず淡々と彼女は報告した。
「瑞葉茨乃は弱体化しています。着実に」
* * *
「茨乃姫様、どうかなさいました?」
不意に声を掛けられて、茨乃は思わずはっとなった。
「さっきからぼうっとされてますけど、お疲れでしたらもうお部屋で休まれては?」
闇里は主人を気遣いそう言うが
「……まだ寝るには早いだろ」
時計が指す時刻――小学生でも寝る時間ではない――を見て、茨乃は溜め息混じりにそう答えた。とはいえ、新聞のチャンネル欄を見ても特に興味をそそられる番組はない。
何をするでもなくテレビ前のソファーに座っているだけの彼女が、退屈を持て余しているように見えたのだろう。闇里はちょこんとソファーの近くに座って、上目遣いに茨乃に尋ねた。
「姫様、今日は一体どのような鬼を滅せられたのですか? どうか僕にそのご武勇をお聞かせください」
嬉々とした表情――それも、子供のようなキラキラとした期待の眼差しを向けられて、茨乃は思わず喉がつっかえた。
闇里のこのおねだりは、いつものことだ。
わけあって彼はこのマンションの敷地内から外に出ることが叶わない。
数えてみればもう3年ほど、外出していないことになる。
ゆえに彼は外の事情を、マスメディアと、この家の住居人である茨乃と姉から得るしかないのだ。
いつもならその境遇を思い、手短ながらも鬼退治の話をしてやるのだが、今日はそうもいかなかった。
「……今日のは、駄目だ」
「えぇ!? どうして!?」
案の定、闇里はショックと言わんばかりに眼を潤ませた。
そんな彼にどう言い繕おうかと茨乃が考えていると
「今日は色鬼退治だったんでしょ? 私も興味あるー」
にょきっと、音を立てずにソファーの後ろから小夜が現れた。
「い、色鬼!? というとあの、人間に淫らな夢を見せるというあの悪名高い……!?」
悪名高い、と言いつつも闇里の顔は妙に興奮の色に染まっている。
「で? 勿論あんたも見せられたんでしょ?」
小夜は意地悪い笑みを浮かべながら茨乃に迫る。
「見てない」
「即答するところが余計あやしー。言えないような内容だったんだー?」
「そ、そうなんですか!? まさかボンテージでえすえむプレぃグホッ!?」
突然の蹴りを受け、見事なまでにのけぞる闇里。
さらに追い討ちをかけるようにげしりと彼を足蹴にする茨乃。
「それはお前の欲求だろ」
「ぐふっ、い、痛いけど、イイです姫様……もっといたぶってくださぶほぉッ」
彼の望み通りもう1発お見舞いしてプレイはあっけなく終了した。
至極幸せそうな顔で昏倒する弟を見てこの時ばかりは小夜も真面目に呟いた。
「……どこで間違えたのかしら」
「十中八九お前のせいだろ」
茨乃は若干肩を怒らせ踵を返す。
「あら、まだ聞いてないわよ夢の内容。……むしろ当てたげよっか?」
小夜のそんな冷やかしを完全に無視して茨乃はリビングから出ていった。
少々乱暴に閉ざされたドアを眺めつつ小夜は不敵に笑う。
「背徳系プレイね、あれは」
いやもう待ってくださってる方には本当に申し訳ないこの亀更新です殴ってくださいすみませんぐほっ。
次回更新もスランプってて見通しが立ってないのですが絶対最後まで書き切りますので忘れるか忘れないかのところで気長に待っててください。申し訳ないです(汗)。