E4-3:疾走バッドモーニング
――眠い。
超絶、眠い。
「今日はいつにも増して眠そうだな、久城」
脇谷がいつもの通り突っ込んでくれる。
「昨日はいろいろあってな」
すると脇谷は目を輝かせて訊いてくる。
「お、なになに。元カノが復縁迫って家に押しかけてきたとか? それで一晩中眠らせてくれなかったとか?」
「どんなだよ。てか脇谷、だるそうにしてる俺を見てお前はいつも何を想像してるんだ」
「熱い夜。甘い吐息」
「……お前結構ロマンチストな」
「男って皆そんなもんだろ」
「まあな」
……しかし今日はマジで辛い。
結局昨日はほとんど一睡も出来ていないのだ。
といっても脇谷が言うような男女のあれこれがあったわけでもなく、単にあの金髪ヘッドと例のイケメンをどう潰すかという計画を練ってただけで。
「あーもう無理!」
もう少しで授業開始だが、あまりにも瞼が重いので思い切って席を立った。
「あれ、ばっくれんの?」
「保健室にな」
普段の天使な木村先生なら1時間くらいベッド貸してくれるよな? と期待しつつ俺はふらふらと教室を出た。
* * *
「あら久城君。おはよう」
漂うのは優雅な紅茶の香り。
保健室に入ると、木村先生がちょうどマグカップに口をつけようとしていたところだった。
1限目開始のチャイムが鳴って、部活の朝練で怪我しただのなんだのと訴える連中のラッシュが終わった後のティータイムなのだろう。
「久城君も紅茶いる?」
「んー、頂けるなら……」
うつらうつらと頭を揺らしつつ答える。
「やけに眠そうね。昨日遅かったの?」
「んー、あれから色々あって……」
ああ、喋るのも億劫になってきたぞ。眠気がやばい。
「色々?」
しかし木村先生は気になったようで掘り下げるように尋ねてくる。
回転しない頭で俺は断片的に言葉を綴った。
「瑞葉と会って……濡れてて……風呂入って……もみ合いになって……一睡もできませんでした……」
「? ? え、なにそれ寝たの?」
「……いや、だから寝てないんですってば……」
……ぐう。
* * *
次に目を覚ましたときには、半刻ほど時間が経過していた。
「死んだように寝てたわね」
俺の顔を見て苦笑する木村先生の手には、目覚まし用の缶コーヒーがあった。
「はいこれ。どうぞ」
「あ、あっざーす!」
短期集中で眠ったせいか頭がさっぱりした気がする。
これでこのコーヒーを飲めば今日1日はなんとか凌げそうだ。
「で? 濡れた瑞葉さんとお風呂に入ってもみ合いっこになって一睡も出来なかったってどういう意味?」
ブハッ!?
「な、なんすかそれ!?」
「あら久城君が言ったんじゃない」
「言ってません! てか言ったかもしれないけど妙に超訳してません!?」
「あらバレた?」
てへ、と舌を出す木村先生。
この仕方のない先生に、俺は昨日の出来事を一部始終話すことになった。
「――それ、鬼ね」
俺の話が終わった後、木村先生はぽつりとそう言った。
「そうそう。昨日の瑞葉、金髪にダチを見捨てろみたいなこと言って鬼みたいだったなって」
「じゃなくて。その男がよ」
「へ?」
どういうこと?
「俗称色鬼。夢魔が形を成したようね」
木村先生は少し深刻そうな顔で俯いた。
「いろおに? むま?」
「淫魔って言えば久城君にも分かるかしら?」
「……ぅ」
笑顔でそれ言うのずるいなあ。
……いや待てよ?
「ってことは、素人が挑んで勝てる相手じゃないってことっすか?」
「そうね。正直無理ね。絶対無理ね」
「う」
「だから瑞葉さんも止めたんでしょうけど。でも結局止められなかったってことは……」
ふと、木村先生は苦い笑みを見せた。
「瑞葉さん、今朝教室にいた?」
「――――!」
眠くてふらふらしてたからあんまり見てなかったけど。
教室の隅、彼女の席は――――
「……空いてた」
気付けばよかった。
もっと早く。
だってあいつ、昨日本調子じゃなかったのに。
慌てて保健室から出ようとする俺を
「ちょっと待った久城君!」
木村先生が声を張り上げ制止した。
「言ったでしょう? 素人の貴方が行っても返り討ちに遭うだけよ」
先生にしては珍しく、真摯に棘のある言葉。
「でも……」
「中途半端な気持ちで鬼に関わっちゃ駄目。どうしても関わりたいのなら君は覚悟を決めないと」
先生の眼が俺を見透かしている。
俺には確かに、『覚悟』がない。
幽霊とか、鬼とか、存在こそ否定はしなくなったものの、積極的に関われる自信はない。
だって、それは恐怖の対象だったから。
――けど、なんでだろう。
鬼の腕を持つ瑞葉を、恐れることはなかった。
それを思うたび、ふと考えるんだ。
俺は、彼女をもっと深く知ってたんじゃないかって。
「俺やっぱり気になるんで行きます」
「駄目って言ったら?」
「それでも行きます」
「……言うじゃない」
「んじゃ!」
先生にびしりと敬礼して、俺は下駄箱へと急いだ。
* * *
「姐様、姐様。オオカミとの待ち合わせは夕方ですよね? いいんですか、もう乗り込んじゃって」
「乗り込むんじゃないよ。あくまで偵察さ」
まだ空気も澄んでいる平日の朝。
電柱の隅に隠れるように、2人の女が佇んでいる。
神木町の新星レディース、羅武危機のヘッドとその子分だ。
普段なら彼女らも学校に通っている時間なのだが、決戦日である今日は勉学など手につくまいと、応援を求めた久城標と落ち合う前から敵の偵察にやってきたのだ。
「……しっかし相変わらず趣味の悪い屋敷だねえ」
金髪ヘッド――もとい倉井愛子は憎憎しげに敵の本拠地を見上げた。
ひと言で表すと、そこは豪邸。
もしくは幽霊屋敷。
「聞いたことがあるんですけど、この屋敷ってどっかの国の変な芸術家が建てた家でー、その芸術家が発狂して自殺して以来誰も寄り付かなくなったのに、ある日突然どっかの物好きが買い取って、今はあいつが住んでるんだとか」
「いかにもな話だねえ」
門が、そもそも悪趣味なのだ。
言ってみれば地獄の門。
建物を飾るものは全て悪魔やらなにやら、そういったブラックなイメージのものばかり。
「……なんでこんな屋敷に住んでるような奴にハマッちまうんだか」
愛子が深い溜め息を吐いた、その時。
――ガシャン、と。
屋敷の中から派手な音が聞こえた。
「!?」
「なんの音ですかね?」
ガラスが割れるような音にも聞こえたが、それにしては音が大きかった。
もっと大きなものが壊れたような、そんな異音。
「中で何か起こってる……?」
* * *
「――ああ。その装置高かったんだけどね」
男は微笑を湛えつつも、決して笑わない眼で彼女を見た。
目の前にはベッドほどの大きさの円盤型の装置が見るも無惨な形に破壊されている。
「現代の夢魔ってのは堕ちたもんだな。こんな機械に頼らないと本領を発揮できないのか」
破壊した当人――瑞葉茨乃は冷ややかな視線を男に返す。
男の周りには数人の女が転がっていた。
装置による幻覚の作用が切れて気絶しているのだ。
「――確かに、私は本来形を持つべきものではないもの。ゆえに形を得て以来制約も加わった」
夢魔とは本来、人間の夢に現れる形なきもの。
形がないからこそ人間の夢に現れることができると言える。
つまり、形を持った時点で人間の夢には入ることができない。
それを擬似的に可能にしたのが、人間に幻覚作用をもたらすこの円盤型の装置だったというわけだ。
「だったら貴様はどうして形を成した?」
茨乃の問いに、男は一瞬複雑な笑みを見せた。
「それは言わない約束でね」
「……約束?」
「レイディ、お喋りはおしまいだ」
そう言い放った途端、男の姿がブレた。
「!」
目前に迫った男を振り払おうとするも、男の想像以上の怪力に鬼の腕は阻まれた。
「ッ」
男は彼女の耳元で囁く。
「そういえば伝えていなかったね。多人数の相手を一気に堕とすにはあの装置が必要なんだが、1人くらいならこの眼でどうにかなるんだよ」
「!?」
「君は芯が強そうだから、きっと良いものがとれるだろう」
逃れる術はすでになく、鬼と彼女の視線がぶつかった。
敵に関して>この題材で全年齢対象のまま乗り切れるかが今回の試練です(←)。
次話こそマシな更新頻度で行きたいと思います頑張ります。
いつもめげずに読んでくださっている方々、ありがとうございます。