表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

第三話 冤罪

男は静かすぎた。

取調室で向かい合うその男――佐伯は、四十代前半。会社員。被害者と同じ部署。金銭トラブルがあった。証拠は揃い始めている。通話履歴、口論の目撃証言、犯行時刻前後の足取りの曖昧さ。

「私はやっていません」

声は落ち着いている。怯えも、怒りもない。

柴崎は視線を上げる。

視るな、と自分に言い聞かせる。だが逸らせない。

――歪む。

階段。薄暗い非常灯。佐伯が被害者を突き落とす。鈍い音。頭部から血が広がる。佐伯は息を荒くしながら階段を駆け下りる。

そこで映像は終わる。

現実に戻る。

佐伯は椅子に座り、両手を膝の上に置いている。

だが――違和感がある。

さきほどの映像には“迷い”がなかった。衝動ではなく、計算された動きだった。だが現実の佐伯からは、その冷たさが感じられない。

「事件当日の二十一時、あなたはどこに」

「自宅です」

「証明は」

「ありません。妻は実家に帰っていました」

柴崎は黙る。

視えたのは殺した未来。だが、どこか輪郭がぼやけている。村上のときのような、確定に近い感触がない。

署内では、起訴の流れが固まりつつある。被害者は意識不明のまま。世間の関心も高い。

倉田が言う。「状況は揃ってる。ここで外せば、班が叩かれる」

「……違うかもしれない」

倉田が苛立つ。「またそれか」

柴崎は口を閉ざす。

能力の話はできない。できれば終わる。だが、視えた映像と、現実の空気が一致しない。

夜、柴崎は一人で現場のマンションへ向かう。非常階段を上る。映像と同じ位置に立つ。

足を止める。

視界は揺れない。

何も視えない。

あの映像は、ここで起きるはずだった。

だが何かが違う。

階段の踊り場に小さな傷がある。金属製の手すりの根元。塗装がわずかに剥げている。

柴崎はしゃがみ込む。

この高さ、この角度。もしここで突き落とされたなら、被害者はこの位置には落ちない。

映像と物理が一致しない。

署に戻り、鑑識の報告書を読み直す。落下地点の位置、頭部の打撲箇所。

計算する。

映像では“ここ”から落ちた。

だが現実の傷は、“もっと上”から。

つまり――

映像は、この世界の事件ではない。

別の分岐。別の可能性。

だが、可能性が高まった瞬間を視ているなら、なぜ一致しない。

翌朝、被害者の意識が戻る。供述は予想外だった。

「突き落とされていない」

階段で足を滑らせた、と言う。直前に誰かと揉めたが、押されたわけではないと。

班内がざわつく。

「かばっているのか」

「脅された可能性は」

柴崎は黙って聞いている。佐伯を見る。

――揺れる。

今度は、何も起きない未来。

佐伯が自宅でテレビを見ている。普通の日常。階段事件は起きていない。

映像は短く、静かに消える。

能力が、否定している。

だが、これまで視えた映像のいくつかは現実化した。

何を基準に。

倉田が近づく。「遼、どう思う」

柴崎は低く言う。「佐伯はやってない」

「根拠は」

「物理的に無理だ」

階段の角度、落下地点、手すりの傷。論理で組み立てる。能力には触れない。

班長は渋い顔をする。「だが動機はある」

「動機はある。でも機会が合わない」

議論が続く。最終的に、起訴は見送りになった。

数日後、別の男が浮上する。被害者の部下。金銭の横領を知られ、揉み合いになった可能性。

その男を取り調べる。目が合う。

――視界が裂ける。

階段で、突き落とす。今度は物理が一致する。高さ、角度、落下地点。

男は淡々と否認する。だが映像は強い。迷いがない。

柴崎は冷静に証拠を積み上げる。防犯カメラの死角、時間差、靴底の擦過痕。

やがて男は崩れ、認める。事件は解決した。

だが、柴崎の中に残るものは安堵ではない。

佐伯の取調室で視えた、あの殺害映像。

あれは、この事件ではなかった。

別の世界で、佐伯は本当に突き落としている。

だとすれば――

この世界で無実でも、別の世界では罪人。

それを知ってしまう意味は何だ。

帰り道、倉田が言う。「今回は助かったな」

柴崎は答えない。歩道橋の下、信号待ちの群衆を眺める。

次々と人と目が合う。刃物を振り上げる未来。車を暴走させる未来。誰かを殴る未来。可能性は、街に満ちている。

それらはまだ起きていない。だが、踏み越えれば現実になる。

柴崎は理解し始めていた。自分は、罪を視ているのではない。

“罪になり得る瞬間”を視ている。

そしてその瞬間は、疑い、圧力、追い込みによって、形を変える。

もし、自分が強く疑えば。その疑いが、引き金になるのではないか。

遠くでまたサイレンが鳴る。

柴崎は目を閉じる。視ないという選択は、できない。

だが、信じないという選択は、できるのか。

胸の奥に、鈍い疑念が沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ