第二話 疑念
内部監察が入ったのは、村上が再逮捕された翌日だった。
会議室は窓がなく、空調の音だけが静かに鳴っている。
机の上には録音機。向かいに座る監察官は感情の色をほとんど見せない男だった。
「取り調べが強引だったという証言があります」
柴崎は腕を組まない。机にもたれない。ただ座る。
「強引ではありません」
「あなたは容疑者に『やる目をしている』と言ったそうですね」
倉田が横で小さく息を吐く。
柴崎は一瞬だけ、村上の顔を思い出した。あのとき視えた映像。血。刃。
「一般的な表現です」
監察官は淡々と書き留める。
「あなたが強く圧力をかけた三日後、実際に刺傷事件が起きました。因果関係は否定できません」
因果関係。その言葉が、静かに沈む。
柴崎は言葉を選ぶ。「彼は元々、衝動性が高い」
「それは“可能性”です」
同じ言葉だ。可能性。
会議室を出たあと、廊下で倉田が言った。「やりすぎだ、遼」
「俺は止めたかった」
「止めるために追い詰めたのか?」
柴崎は答えない。
夜、自宅。電気をつけないままソファに座る。
頭の奥に、あの瞬間が何度も再生される。
視えたのは未来か。それとも、踏み越えた瞬間の“最悪の可能性”か。
もし、視なければ。もし、追わなければ。
翌週、別件が入る。マンションでの傷害事件。被害者は会社員男性。容疑者は隣室の住人。騒音トラブル。
取調室で、柴崎は容疑者と向き合う。
三十代後半。神経質そうな男。爪を噛む癖がある。
視るな、と心のどこかが言う。だが目は逸らせない。
――視界が歪む。
男が階段で被害者を突き落とす。頭部を打ち、動かない。息がない。
男は震えながら携帯を握る。通報はしない。扉を閉める。
映像はそこで途切れた。
現実に戻る。男は椅子に座り、うつむいている。
「……やってません」
声は弱い。柴崎は黙る。
さっきの映像は“殺人”だった。だが今回の事件は傷害止まりだ。被害者は生きている。
この男は、まだ踏み越えていない。
「当日は何時に帰宅しましたか」
淡々と質問する。感情を乗せない。視線も抑える。
男は答える。アリバイは曖昧だが、決定的ではない。
捜査を進めると、状況証拠が揃い始める。被害者とのトラブル。目撃証言。指紋。
班は起訴方向で動く。
倉田が言う。「今回は固い」
柴崎は小さく首を振る。
「……やってないかもしれない」
「また“目”か?」
倉田の声は低い。柴崎は説明できない。言えば、終わる。刑事生命が。
だが視えたのは“殺した未来”。今はまだ傷害。分岐は変わる。
柴崎は独断で再確認を始める。防犯カメラの死角。携帯位置情報。エレベーターのログ。
夜中、マンションの非常階段を調べているときだった。
背後から声がする。「何探してるんですか」
振り返る。倉田だ。その瞬間、また視界が揺れる。
倉田が拳銃を構える。暗い路地。誰かに向けて引き金を引く。銃声。倒れる影。
映像は一瞬。
現実では、倉田は手をポケットに入れているだけだ。
柴崎の喉が締まる。
「遼?」
「……なんでもない」
視える対象が増えている。いや、最初からか。
署に戻ると、新しい事実が判明する。被害者の会社の同僚に不審な動き。
保険金トラブル。金銭問題。
容疑者とされていた男は、事件当時、別の階で別の住人と口論していたことが確認される。時間が微妙にずれている。
班の空気が変わる。
倉田が低く言う。「お前の勘、当たったな」
柴崎は机に置いた手を見つめる。
勘ではない。
視えたのは、“踏み越えた未来”だった。だがその未来はまだ確定していない。
もしかすると――
俺が強く疑えば、その未来に近づく。疑いを弱めれば、遠ざかる。
能力は未来を見ているのではなく、“可能性が高まった瞬間”を切り取っているだけなのではないか。
そして、その高まりは、周囲の圧力で変わる。
署を出ると、夜風が冷たい。歩道橋の上で立ち止まり、下を走る車を見下ろす。
通行人がすれ違う。その一人と目が合う。一瞬だけ、視界が裂ける。
その男が、歩道橋から誰かを突き落とす。現実では、ただの通行人だ。
柴崎は目を閉じる。見たくない。だが、視えてしまう。
可能性。
その言葉が、重くのしかかる。
そして、初めてはっきりと理解する。これは、救いの力ではない。
疑念を増幅させる力だ。そして疑念は、人を追い込む。
遠くでサイレンが鳴る。
柴崎は歩き出す。次に視えるのは、誰の“踏み越えた瞬間”なのか。




