ep.1
しっとりとした草の上にとさっと音を腰を落ち着ける。
町の中、少し小高くなった丘の上、広葉樹の森に囲まれて、ただただ静かな時間を過ごす。
空を見上げれば、宝箱のようにキラキラとした星の海が広がっていた。
この丘は、幼い頃の俺の秘密基地だ。
この場所でみる星空が本当に綺麗で、俺はここが大好きだった。
それにここは、俺にとって1人になれる唯一の場所だったのだ。
悩みも憤りも悔しさも、星空が受け止めてくれる気がして。
自分と向き合うためにはうってつけで。
――だから、俺はここに帰ってきたのだ。
上京して、就職して、いろいろなことがあったから。
けど
「わあっ、今、いまいまっ、流れ星ーっ!ねね、見た?」
「見てない」
「えーっ、つまんないー」
そう言って、彼女は頬を膨らませる。顔は不満を示すためか、眉根をよせてしかめっ面だ。
そんなにも俺に流れ星をみてほしかったのか。
何十年かぶりに訪れたここは、今や彼女がいるおかげで随分と騒がしくなってしまっている。
「はあ、君はいつも自分の世界に入っちゃうから。もうちょっと私に構いなさい」
「悪かったって」
どうやら、すっかり考え込んでしまっていたらしい。
彼女の機嫌は損ねたくない。気を付けよう。
数週間前、実家に帰ってきた夜、なんとなく思い出してこの丘を訪れた。
もちろん、ここが俺の秘密基地だったのもずっと昔の話だし、とっくに誰かに見つかっていることも、無くなっているかもしれないことも、想定はしていた。
けれど、彼女のような存在がいるなんて、誰が想像できようか。
さて、「構いなさい」と言われたことだし、構ってやらないとな。
なにか、ええと・・・・・・
頭の中で女の子と何を話したらいいのか、いろいろと思案しながらなにげなく右隣に座る彼女を見、る
――目を、奪われた。
彼女は、自分は俺に構えと言ったくせに星空に夢中になって、一心に空を仰いでいた。
絹のような長い亜麻色の髪、細く白い伸びやかな四肢、身体を包む白いワンピース、そして、満点の星を目一杯映しこむ大きな瞳。
その全てが幻想的な美しさを孕み、彼女を神秘的な美少女たらしめる。
ただひたすらに、美しい。
少女の純粋さと透明感、それに相対する蠱惑的な妖艶さ、その両方を共存させているからこそ生まれる美。
この世の物とは思えない程の。
思わず吸い込まれるように手を伸ばす。
手を伸ばして――その手が、彼女に触れることはなかった。
「なに?」
唐突に手を伸ばしてきた俺を、彼女はみじろぎひとつせずに横目で見つめる。
俺はまばたきもできずに彼女の姿と、彼女の身体を《《通り抜けた》》自身の手を認めた。
透き通っている。比喩ではない。実際に透き通っているのだ。
よくよく見ると、彼女の髪も手も足も瞳も、うっすらと向こう側が透けて見える。
「本当に、幽霊なんだな」
「なあに、今さら」
なんてことのないように、彼女は肯定する。
久々にここを訪れたあの日、彼女は俺の身体を通り抜けて見せた。
彼女に言わせれば、見えているとは思わなかったとのことだが、俺はそれはもう怖い思いをした。
てか、倒れた。気絶した。
そして目覚めたら彼女が心配そうに看病してくれていて、また気絶しそうになったけれどなんとか耐えて。
話してみたら意外とイイ奴で。
そこからは、主に俺のおせっかいと彼女の寂しがりが原因で、今や毎夜
集まっては星空を眺めて言葉を交わす仲になっていた。
「成仏とか、しないのか?」
俺は思いつきの質問を口にする。
彼女はその質問に感情の見えない声音で答えた。
「して欲しいの?」
重ねられた質問に、俺は頭を抱える。
「いや、そういうわけじゃ、無い・・・、いや、あるのか・・・?いや、うーん・・・・・・ほら、あれだ!成仏できないと悪霊に、とか!」
「マンガの読みすぎ」
「はい」
俺、撃沈。
彼女は何か思ったのか、少し考えるようにうつむいたあと、俺に視線をよこした。
「まあ、正直よくわかんないんだけどね」
「分かんないのかよ」
「けど、確実に言えるのは、もうかれこれ30年は経ってるけど悪霊になってない。成仏もしてない」
「ん。てことはもう三十路はとっくに過ぎてるって」
「なんか言った?」
「いいえなにも」
危ない危ない。あやうく彼女の地雷を踏むところだった。踏んでない、よな?うん、踏んでない。セーフだセーフ。
そもそも、彼女の見た目が高校生かそこらなのが悪い。
実は30はとっくに過ぎてます、なんて、ツッコまざるを得ないだろう。
俺は内心で冷や汗をかきながら、彼女ににっこりと笑いかけた。
彼女はじとーっと俺を数秒見てから、はあっと息を吐いて空に目を向けた。
「そういえば、君、私に構ってる暇あるの?」
「何を言いたいんだ?構って欲しいのか欲しくないのか・・・・・・」
「会社リストラされて出戻ってきたんでしょ」
「うっ」
彼女のいきなりすぎる爆弾発言に、思わず胸を押さえてうめく。
「いきなりなに言ってくれてんだ!さらっと傷をえぐるな!!」
「だって、三十路って言った・・・・・・」
「すみませんでした」
しっかり根に持ってらっしゃったらしい。
彼女はぷくっとかわいらしくむくれる。
「自分だって、四十路のおっさんのくせに」
「う、そうです・・・」
「ニート」
「うぐ」
「彼女なし独身」
「ぐあっ」
彼女が口を開くたびに確実に入るダメージ。
俺は息もたえだえ、瀕死状態に。
「そ、そろそろ勘弁して・・・」
彼女がすまし顔でちらりとこちらをうかがう。
沈黙。数瞬後、聞こえてきたのははじけるような笑い声だった。
「ぷっ、あは、あははははは」
大口を開けて笑い転げる彼女に、俺はポカンと口を開ける。
「ひい、ひい、あーごめんごめん。笑った笑ったあ」
「い、いきなりなんだよ」
「ごめんごめん。おもしろくてちょっといじめちゃった」
「は、はあ!?」
なんだよそれ。俺の傷をえぐっておいて、趣味悪すぎだろ。
なにか文句のひとつでも言ってやらなくては気が済まない。
俺は意気込んで口を開いて、とくに何も言えずに閉じた。
目の前で彼女が心底楽しそうに笑っている。
それだけで、なんかもういいかな、なんて。
我ながらチョロすぎて泣けてくる。