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砂上の城(アレクセイ視点)中編


「嫌いだと? この俺を……?」


 自室で呆然と言葉を反芻していた。あれから屋敷にオウム帰りをし、テーブルに座った。召使たちが勝手に気を利かせて誂えた茶が並んでいる。今更ながらにそれに気づいて、カップを持ってすぐに下ろした。とっくに冷え切っている。

 ふらりと自室を歩き回る。何気なく掴んだ調度品を、叩き割ろうとしていた。既で気づき下ろす。こんなところを見られては、目も当てられない。

 完璧な王太子である、このアレクセイ・リムドが、そのような醜態を晒すわけにはいかないのだ。

 そういったはしから、カーテンを裂こうとしており、アレクセイは両手を固く握り合わせ戒めた。

 


「何ということだ。この俺が、女一人にこのざま……」


 壁にもたれると勢いが強かったらしい。ごん、と頭をぶつける。爺やがやってくるが、「何でもない!」と返した。

 ルヴィアが、あの自分を好きという一念で生きているような女が、自分を嫌いだと……。

 そんなはずはない。それは確かに、フラーラの名を出したのは、悪かったかもしれないが。


「正妃はお前だと、言っただろう。いつまで過去の女と自分をひきくらべるつもりだ」




 フラーラとああいうことになったのは、まあ単純に出来心だった。


「殿下っ」


 聖女というものにも些か興味はあったし、フラーラは平民らしく、貴族の女のように回りくどくなく、直情的で可愛かった。

 少しドレスを贈ってやれば、ルヴィアのドレスを袖にしてようようとルヴィアの為の夜会で着てくる。ルヴィアが心を砕いていると思えば、より愉快だった。


「今日の君はいつにもまして素敵だね」


 そう褒めてやれば、フラーラは顔を真っ赤にして、嬉しげに破顔し、接吻を強請ってきた。このようなことをする女は、花街くらいしか見たことがなかったので、アレクセイはたいそう愉快だった。

 なので褒美のつもりで、唇をくれてやったのだ。

 まさかそれを、ルヴィアに見られるとは思わなかったが。

 ルヴィアは愕然として、涙を必死にこらえていた。婚約者のくせに何も言わないさまに呆れて、少々意地悪してやることにした。フラーラを側妃にする気などなかったが、とりあえず場がうまく収まるだろうとふんでのことだ。

 案の定、賢明なルヴィアは、秘密を守っていた。つくづくおろかな女だと思う。だからいっそう追い詰めてやりたくなった。

 フラーラには悪いが、ルヴィアが真っ青になりながら妃教育を施す様子は、見ていて楽しかったのである。こんなに、この女は俺のことが好きなのだな。哀れなことだ。


 側近のニースにたしなめられる。彼はフラーラを好意的に見ているので、哀れに思ったのである。

 だからアレクセイも、少々ばつが悪くなって、「いずれ正式に謝り、しかるべき名誉を与え、村に返してやるつもりだ」と言った。「無論、お前の妻にしてもよいが」と意趣返しのつもりで付け足すと、ニースは咳払いをした。


 誤算があるとしたら、ズーシャの存在であった。隣国、アガンの王子であるズーシャは、身分は第四王子であるが、王座の最有力候補である。その男が、何をどうしたか、ルヴィアを見初めたらしい。

 何かと理由をつけてはルヴィアの前に現れるようになった。

 初めは馬鹿なことをと思った。ルヴィアは、自分以外の異性とは、儀礼的な付き合いしかしない。だからそのようなことをしても無駄だと。

 しかし、ルヴィアはズーシャに心を許した。それはズーシャが節度を守ってくれたことも大きいかもしれぬが、ルヴィア自身、ズーシャに好意があるようにしか見えなかった。

 その時のアレクセイの気持ちは、なんと形容しても足りない気がした。

 まず、裏切りだと思った。次に、不貞な女だと思った。その次に、絶対に許せないと思った。

 いよいよアレクセイはルヴィアに厳しい態度しか取れなくなった。俺を好くのが唯一の取り柄のくせに、それさえかなぐり捨てるとは、どこまでおろかなのか。

 しかしアレクセイは詰っても詰っても、ルヴィアが悲しい顔しかしないことに焦りを感じ始めてもいた。ルヴィアの情熱に燃える目が、遠くなっていく。

 もうフラーラに甘えられても嬉しくなかった。この間にも、ルヴィアはズーシャにこのように甘えているのかもしれない。

 ルヴィアのズーシャに向けられた、やわらかな笑みを思い出しては、吐き気がした。自分にはあのような顔、一度しか見せたことがないくせに。


 ルヴィアの母が亡くなった時、ルヴィアは涙を見せなかった。気丈に振る舞い、母の分まで生きようとしていた。そのさまは珍しく好ましいと思った。

 だから薔薇でも見せてやろうと思ったのだ。

 ルヴィアは、緊張した面持ちをしていたが、自分からの誘いが嬉しくて仕方ないようだった。薔薇園を見ると、ルヴィアの白い頰が赤く染まった。


「美しいこと」


 そう言って、そっと薔薇に手を寄せた。自分のことさえ忘れて、薔薇に魅入るその姿は、とても美しかった。だから、常にない優しい言葉もかけてやったと思う。

 結局、不発に終わってしまったが。


 アレクセイはあの笑顔だけは、忘れないだろうと思った。以後もずっとルヴィアは気を張っていて、打ち解けて笑いはしなかったから。

 けれども、ズーシャには違う。あの男には、笑いかける。

 腹が立って、腹が立って――あの男が帰ると聞いた時に、安堵した自分にさえ失望した。


 しかし、あの男はただでは帰らなかった。ルヴィアになんと求婚したのである。

 ちょうどその時、アレクセイはルヴィアとズーシャの位置どる垣根の向こう側にいた。ズーシャは供を連れ、あくまで紳士的にルヴィアを求めた。

 自分という婚約者がいるとわかっていながら。このような屈辱は初めてであった。

 今すぐ決闘を申し込んでやりたい気持ちになったが、そう自由にできぬ立場が初めて憎い。こそこそと隠れている自分がまた憎らしく、視線で相手を呪い殺せるなら、とっくにズーシャは、血を吹き出して死んでいるだろう。

 ルヴィアは、何と答えるつもりだ。アレクセイは息を殺して、ルヴィアを睨んだ。もしも頷いたなら、殺してやる。そう思った。アレクセイが女にそれほどの感情を向けたのは初めてであったが、気づく余裕もなかった。


「私は婚約者のある身です。殿下の御心に応えることはできません」


 ルヴィアの返答は否。しかしその答えは些か不服だった。婚約者があるから、だと? もっとはっきりと断れ!

 案の定、ズーシャは何度も食い下がっていた。ルヴィアはそれに涙すら零した。ズーシャは去っていったが、男の勘だ。あれはちっとも諦めていなかった。ルヴィアは、手渡されたハンカチを握りしめ、哀しげに泣いていた。

 ――まるで、報われぬ恋人同士の別れのようではないか。

 そう思った瞬間、アレクセイは垣根から飛びだし、ルヴィアの首を絞めてやりたくなった。ニースが止めていなければ、そうしていただろう。


「殿下、どうなさったのです。貴方らしくない」


 ニースの動揺の言葉にも、応えることができなかった。婚約者が間男に求婚されて、腹が立ったなど。あまりにもみっともないではないか。

 許さない、そんなことは。ルヴィアは俺のものなのに。

 あのアガンの第四王子を、死ぬほどの恥にさらしてやらねば気がすまなかった。



 そう決めてからのアレクセイの行動は早かった。


「どういうことですか……!?」


 フラーラを振り、村に返した。フラーラは、信じられないという顔で、アレクセイに縋ってきた。


「嘘です! 私を妃にしてくださるって……!」

「すまない。やはり聖女を妻にすることはできない」

「そんな……! ひどい! 唇まで許したのにっ!」

「君の幸せを願っている」


 わああ、と泣きながらアレクセイの胸を叩くフラーラは、やはり可愛かった。フラーラになら、いや、他の女には謝ることも簡単だ。何故なら、可愛い。皆、自分に振り向いてもらおうと、必死に媚を売り、言葉を尽くす。自分の気持ちさえ愚図愚図と言えず、こちらのことを知りもせず自己完結して、そのくせずっと遠くから見つめているような、甘ったれた性根をしていない。

 というのに、そんな女を選んで、自分は可愛い女を切り捨てるのだ。冷たい顔のニースに伴われ去っていくフラーラを、アレクセイは見送った。幸せをねがっている。そうくり返しながら。

 本命のルヴィアを呼び出した。ルヴィアは悲しげな顔をして、アレクセイに向き直った。ズーシャの為か? そう思うと腹が立って仕方なく、「君を正妃にする」と決まり切ったことだけ告げた。

 これで全ての問題は終わりだ。ルヴィアは否やは言うまい。そう思った。しかし以前のように大喜びする未来が見えない。そのことに焦燥も覚えていた。

 そしてそれは現実となった。

 アレクセイの言葉に、あろうことかルヴィアは疑問を呈した。フラーラはよいのかと。

 フラーラを口実に断わろうとしているようにしか見えず、アレクセイはうなじが燃えるようだった。ズーシャのところに行くのか、そう思うと、引き倒してやりたかった。

 それをすんでの理性で抑えどなると、ルヴィアは呆然と泣いた。


「謝ってほしかった。自分が好きだと言ってほしかった」と。


 ルヴィアがこのように自分の前でさめざめと泣き、思いを吐露したのは初めてのことだった。もう自分など見えないように、自分のためにひたすら泣いている。

 その姿を見た時、思わずアレクセイはルヴィアを抱きしめていた。


「すまなかった」


 以後飛び出してきた言葉に、アレクセイ自身も驚いた。好きだと言う割に、自分を見ないからだと? 馬鹿馬鹿しく女々しい言葉ではないか。ルヴィアはぽかんと目を瞬かせた。その蒼の瞳から落ちた涙を、驚くほど優しく自分の指が拭った。

 そのことに動揺しながら、アレクセイは、何とルヴィアに告白した。好きだ、などと……自分でも驚いていると、ルヴィアが唐突にアレクセイの頬を打った。

 愛の告白――それも初めての――をして、頬を打たれる男などいるのか? アレクセイは驚愕にルヴィアを見た。ルヴィアは、顔を真っ赤にして、子どものように泣きじゃくっていた。

 そんなルヴィアを見て、アレクセイは茫然とした。あのルヴィアが、自分の前でこのような醜態を見せるなど。

 ルヴィアのぐしゃぐしゃの泣き顔は、本来なら見るに堪えないものであるはずだ。しかし、アレクセイは咄嗟に、ルヴィアを抱きしめた。ルヴィアはアレクセイをなじり、「許さない」と胸を叩いた。

 その顔は、今まで見たどの女の顔より可愛くて、アレクセイを焦らせた。

 だから、じっと抱きしめ、謝罪と愛の言葉を繰り返した。今までしてきたように、他の誰かとの幸せなど、願えそうになかった。

 一晩中泣き明かすルヴィアを、アレクセイはじっと抱きしめていた。このような忍耐を自分が持っているとは、にわかには信じられなかった。


 俺はこの女のことが、好きなのかもしれない。笑わせるための方便ではなく、本当に。

 泣き止んだルヴィアに、妻となるかと問うた。ルヴィアは、泣き腫らした目を恥ずかしげに伏せて、頷いた。

 その時ほど、アレクセイの心に充足をもたらしたものはなかった。



 そうだ。自分はルヴィアに譲歩した。心からずも、ルヴィアに惚れているから。なのに、何故。

 このふたつき、庭園の散歩やお茶、廊下での談笑、手紙のやり取りなど、子供じみた付き合いに甘んじてきた。アレクセイはかつてなくルヴィアに優しく接した。

 ルヴィアは自らの幸福が信じられないような、不安げで、嬉しさに満ちた顔でじっとアレクセイを見つめていた。

 なのに、何故だ?


「殿下、荒れてるな」


 悪友の一人が、アレクセイの肩を叩いた。


「お遊びにもそろそろ飽きた頃か?」

「誰かと賭けでも?」


 ルヴィアのことを言っているのだ。そう思うと、答える気にもならずアレクセイは黙っていたり彼らは肯定と受け取ったようで、口々に続ける。


「まったくルヴィア嬢はおめでたい方だよな。ラタとは思えない」

「いや、とんだ食わせ物だと思ったよ。まさかアガンとリムドを両天秤にかけるとは」

「殿下もそれは面白くないよな」


 この無礼な口を今すぐ塞いでやりたい。しかし、アレクセイの矜持が邪魔をした。


「まあな、簡単だった。少し優しくしてやれば、さっさと尻尾を振ったよ」


 

 皆の笑い声が大きく上がったので、誰かが走り去った音に、アレクセイは気づかなかった。



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