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第八陣

「ねえ、河上くん、武田信玄って、どれくらい強かったの?」


野村がパンをかじりながら、ふとそんなことを口にした。


「…貴様も俺が得意な話題を理解できるようになったな…喜んで答えよう…

武田信玄の強さ、恐ろしさを語る上で、三方ヶ原の戦いは避けては通れまい」


俺は机に肘をついたまま、視線を遠くにやった。歴史を嗜む者にとってこれを語れるほど名誉な事はない。


野村がそっとパンを置く。


「三方ヶ原?」


「徳川家康が、死を覚悟した戦の一つだ、合戦当時、家康は浜松城に籠城戦を立案し、武田軍を迎撃しようと画策していた、が、武田軍はその城を無視して進軍した」


「…え? 無視されたの?」


「左様、挑発とも取れる行動だな。家康はそれを見、追撃に出る、だが、それこそが武田軍の計略だった」


俺は手帳の裏に、簡易の陣形をペンで描く。


「魚鱗の陣だ」


「完全防御型の陣だね」


「家康は武田軍を背後から追撃しようと進軍した、が、目の前には武田軍が魚鱗の陣で待ち構えていた」


「ひゃ〜!怖い!つまり…罠?」


「見事な迎撃だ、武田軍の異様なまでの統率力と勢いに、家康は死を覚悟する

実際、戦後に描かれた自画像の家康の顔は青ざめている、恐怖が染みついていたのだろう」


「うわあ…でも家康って、死ななかったんでしょ?」


「そうだ、彼の部下たちが奮戦した、各所で味方が命を懸けて時間を稼いだ結果、家康は浜松城まで生還できた」


「ふーん…」


野村はしばらく無言で考え込んだあと、口を開く。


「なんか意外だね、戦ってただ勝つだけじゃなくて、怖かったり逃げたり、そういうのもありなんだ」


「戦とはそういうものだ、逃げることもまた、生きるための決断だ、だがそれを恥じずに、あとからどう立て直すか――家康はそれが出来た、それ故天下人になったのだ」


「…へぇそういう風に考えるんだ」


「俺が、ではなく、家康が、だ」


「…でも、河上くんの話し方って、まるでその場にいたみたいだよね」


野村の言葉に、少しだけくすぐったさを覚える。けれど、俺はあくまで平然と、言葉を返した。


「それは最大の賛辞だ、俺の歴史への探究心、想像力が豊かな証拠だな」


「はいはい、自画自賛自画自賛」


彼女は軽く笑って、机の上の陣形の図を覗き込む。


「…これ、覚えたら次テストで出る?」


「まず出ない」


「じゃあなんで書いたのさ!」


「俺が書きたいから書いた、それが全てだ」


「まあ、分かってたけど!ほんと、河上くんって不思議な人だね」


そう言った野村の笑顔は、どこか楽しげだった。


「俺の歴史雑学は身にならぬ話ばかりだ」


「そうかな?その情熱って大事だと思うよ?」


「身にならぬついでにもう一つ、戦国当時の平均身長はとても低かった、武将の多くはかなり小柄だったのだ」


「私よりも?」


「貴様、身長は?」


「160…あるかないか、そのくらいだよ」


「山県昌景は140だったと言われている」


「ええ!?そうなの?」


野村は笑っている、確実に笑っている。


「笑うな!!」


「ご、ごめん…」


「まあ良い、それ故当時の馬も小柄だった、今で言うポニーと言うのか」


「可愛い〜!」


またしてもニコニコニコニコと…この者は…!


「可愛い…だと?貴様!痛い目を見ねば分からぬか!?」


「だって急にそんな話するから…」


「分かった、選ばせてやる」


「…えっ選ぶ??」


「一、尻叩き。二、顔面への平手打ちだ」


「…へ?」


提示された二択に、野村が目を丸くする。


「時代を侮辱した罰だ、覚悟するのだな」


「いやいやいや、え、え、ちょっと待って!? それって私がどっちかを選ぶの?」


「当然だ、選択権は貴様にある、さあ選べ」


「ちょっ、ちょっと待って?ていうか、平手って顔面!? そっちはガチで痛いやつじゃん!」


「顔と尻だ、選べ」


「…お尻叩くの?私の?」


「そうだ」


「手で?」


「そうだ」


野村は顔を赤くし、何か言いたげに唇をむぐむぐ動かす。


「…じゃあ、お尻で…出来るだけ強く、ね?」


「うむ、良い覚悟だ」


「…いやぁ、これに関しては覚悟と言うか、ちょっとした私の願望と言うか…」


「何か言ったか?」


「な、なんでもないっ!」


「ふむ……ならば、反省の意を込めよ、姿勢を正せ」


「はい、分かりましたぁ…って、あれ?なにこの私、すっごく素直じゃない?」


「よい傾向だ、将も軍師も、時に厳罰を以って士気を律するものだ」


「…こういうの、他の子には絶対やっちゃダメだからね?」


「当然だ、こんな罰を許容できるのは、貴様ぐらいのものだろう」


「…それって褒められてるのかなあ…」


「では、覚悟はよいな?」


「う、うん…でも、あのさ……」


野村はそわそわと立ち上がり、視線を泳がせる。指先は無意識にカーディガンの裾をいじっていた。


「こ、こういうのって、やっぱり…ちょっと…その、恥ずかしい、よ?」


「ならば顔面への平手打ちに戻すか?」


「いやいやいやいや!!」


食い気味の全力否定だった。野村は勢いよく手を横に振る。


「…恥ずかしいけど、それでも河上君になら…その、許すっていうか…いいよ、罰なんだもんね……」


野村は小さく深呼吸をしてから、くるりと背を向ける。両手でスカートの裾を押さえ、中腰になりそっと振り返った。


「…こ、こんな格好、他の人には絶対に見せないからね…」


「そうか」


「…ていうか…コレって河上君の癖とかじゃないよね…?」


「いつまで御託を並べているつもりだ?見苦しいぞ、罰だと言っているだろう」


「ひいん…確かに見苦しいけど〜…はい、どうぞ、河上君だけだよ?こういうの、許されるの」


先程からの野村はいつにもまして口数が多いのが気になるが…


まさか俺が本気で実行する訳あるまい、いくら野村とは言えど女子には変わりない、現代で言うところのセクハラ、パワハラ、モラハラに該当する、いや、現時点で全て該当している気がするが…。


「よし、いざ…覚悟!」


パンッ――


「あ」


勢い余って当ててしまった、しかもかなり強く、弾力で俺の掌も一瞬で熱を帯びる。


「いったぁ!いや、思ったより痛くなかったけど…!」


「…あ、ごめん」


「え!?今、ごめんって言った? 河上君が!?」


「…いや、本当に叩くつもりではなかったのだ、あの、その、勢い余ってつい…」


「ううぅ…ならもっと早く止めてよ…!あんなに、あんなに恥ずかしいポーズしたのに…!」


野村はぷるぷると肩を震わせながら、スカートの裾を押さえ直す。赤くなった頬を隠すようにうつむいて、地面に向かって小さな声でぼそぼそと続ける。


「…もう…ほんと、ひどい…でも…なんか、河上君らしいよね、こういうの…」


「ふむ、俺は礼儀を尽くしたつもりだったのだが」


「礼儀!? どこの文化よ、それぇ……!」


「これにて一件落着」


「じゃなーい!!」


「いや、悪乗りが過ぎたな、すまなかった」


「ん?全然良いよ?」

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