第七陣
昼休みや放課後に校内で歴史談話をするのが恒例になってきたある日。
「武田信玄……いや、武田晴信は父親、信虎から疎まれていた、弟の信繁を愛し、後継にと考える向きもあった、しかし…晴信は父親を追放し甲斐国の当主となった」
俺は野村に、尊敬する武田信玄公の小話を語っていた。
「えっお父さん追放しちゃったの…?じゃあ信繁さんが仕返ししたりとか…?」
「良い着眼点だ、だが信繁はその後も兄をよく支え、武田家を共に支え続けた…最後は晴信の影武者となり、そして討死した…」
「……えっ、それって、普通だったら調子に乗って仲悪くなりそうなのに、すごいね……えっ、きゃっ!」
「その通り……その通りだ……!」
俺は思わず、彼女の肩をガシッと掴んでいた。
「な、なんで肩掴むの……?」
我に返って手を離す。
「…失礼、つい、感動が抑えきれなかった」
「うーん、河上君だから良いけどさぁ」
「だが、軍師の扱いには細心の注意を払うべきだ、非礼を詫びる」
野村は少し俯き、唇を尖らせたように笑った。
「わ、私だから良いけど、他の女の子にやたらと触っちゃ、ダメだよ?」
「俺も同じ事、貴様だから油断したのだ」
「ふ、ふーん、そういうこと言っちゃうんだ…?」
「…続けよう、武田騎馬軍団は機動力を活かした電撃戦が特徴でな…」
「え?でも騎馬戦って山ばっかの山梨じゃ難しいんじゃ…」
「…貴様…まさか…地形まで考えていたのか…!?」
「地形なんて昔から変わらないでしょ?だからどうやって戦ったのかな…って」
「その通り、だが山に囲まれていれば相手からも攻めにくいのだ、武田は領内での戦いは避け、甲斐国の富強に勤めた、信濃を攻略してからは…む?」
ふと見ると、野村の視線が宙を仰いでいる。
「貴様!聞いているのかっ!!」
「あ…ごめん」
「全く、退屈ならばそう言えば良いだろうに、本日はこれにて結び、閉演だ」
「え、退屈なんかじゃ…ちょっ、待ってよ」
「閉演だ!」
俺はそう言い、教室を出た。
度重なる歴史談話、少々退屈であったか、致し方あるまい、次は野村の話を聞く事にしよう。
…以前野村とラムネの話をしたな、この学校の自販機には生憎ラムネはないが、サイダーも同じような物だ、爽快感においてラムネ、サイダーの右に出る飲み物は、無し、一本買っていこう。
サイダーを手に、帰宅しようと下駄箱に向かった。
だが昇降口が女子の声で賑わっている、数にして三人。
「ねえ、彩葉ちゃんって、河上君と付き合ってるの?」
(む!?彩葉とは…野村か!?これは…?)
野村と俺の名が上がっている。
不意にその場から身を隠してしまった。
「え…?な、何で?」
野村の声だ、野村もその場にいるようだ。
「毎日くっ付いてるじゃん?一緒に歩いてんのメッチャ目撃されてるし」
(だろうな)
「…付き合ってないよ、ただの友達だよ〜」
(貴様は軍師だろう!)
「まあ、河上君、変わってるけど、黙ってれば見れるからね」
(女子生徒何某め、黙ってれば、とは…無礼な…!!)
「話せば話すほど面白い人だよ〜一緒にいると楽しいんだ〜」
(野村…)
「もう、付き合っちゃいなよ彩葉〜ほっといたら他の子に取られちゃうよ〜?」
「そうそう、私もああいう男に弱いし〜」
女子何某一号と何某二号が何やら訳のわからないことを囀っている。
「…でも…私、河上君に嫌われちゃったかもしれない…!!ふええ〜…!」
(む!?野村!?何故泣いている…?)
「私、今から河上君に謝ってくる…!」
(俺に謝るだと?一体何故?)
足音がパタパタと聞こえてくる。
(まずい、身を隠さねば…!いや、もう身は隠している…走って戻ろうか…だが…
激しく動いたらサイダーが溢れてしまう…!!)
「えっ…?河上君…?」
もたついていたら野村に発見された。
涙を拭っている。
「…何故泣いている?」
この場を切り抜ける策は…ない。
何も聞いていない素振りをするしか、ない。
「さっきの話、聞いてた…?」
(チッ!)
「何のことだ?」
しらを切るしかあるまい。
「嘘だ、聞いていたよね、聞いたから戻ろうとしてたんだよね?」
当時の戦場に野村がいたらこの冴えはどれほど心強いか。
「聞いたからには…罰が必要ですよ…?」
(何故敬語なのだ?この場合、何故俺が罰を受けねばならんのだ…?)
何故か校内の図書室に連れられた。
野村はいつもより表情が、暗い。
「…」
五分は経つが、野村は何も話さない。
「…俺はここの図書室には用がない、用がないのなら…」
席を立とうとすると野村が口を開く。
「ごめんなさい…」
「…?」
「さっきは、ごめんなさい」
「私が、よそ見してたから怒ったんだよね…?」
怒った…?俺が?
「心当たりが全く無いが…」
「……?」
野村が、困惑したように目を瞬かせた。
「貴様が退屈そうにしていたから、俺が身を引いただけだ、本日は閉演と言ったのだが…伝わっていなかったか?あくまで本日だけの話だ」
「……え、そうだったの?」
「俺は貴様に怒りを覚えた事など、一度もない」
野村はしばらく黙っていたが、やがて、俯いてぽつりと呟いた。
「…じゃあ、私、勝手に傷ついてたんだね」
「そうだな」
「今日も河上君の話をたくさん聞こうって思ってたの、でも、私…集中できなくて」
「…集中出来ない理由とは?」
「……」
野村は少し唇を噛んでから、目を伏せたまま話し始めた。
「…なんかね、最近ずっと変なの…」
「病の類か?」
「…そうかもしれないね」
「医者に診てもらったのか?」
「…そういう病気じゃなくて…もう、なんて言えば伝わるかなぁ…とにかく、ちょっと…変なの…」
野村はそれだけ言うと、図書室の机にそっと手を置き、顔を伏せた。
「それは病なのか…?」
「もう、分かんないよ」
「俺でできる事なら力になろう、そうだ、貴様の話を聞いてみたかったのだ俺は」
「…私の話…?」
「いつも俺ばかり語っていたからな、貴様も何か趣味趣向があるだろう?良ければ俺にも聞かせてもらえまいか?」
野村は顔を上げた。そして、泣き笑いのような表情で言った
「…でも私、河上君の話聞くの、好きだよ?」
「それは別だ、是非聞かせてくれ」
野村はしばらく唸り声を上げた後口を開いた。
「…色々あるけど…でも、今は河上君のお話聞いたり、一緒に寄り道するのが一番好きかな…」
そう言い野村は頬を掻く。
「だが野村よ、それで良いのか?貴様は…」
「…なんか、またマイナスな発言しそうだから先手を打たせてもらうけど…私は私の意思で、好きにさせてもらっているんだからね…」
彼女の目からは揺るがない、決意のような物が感じ取れた。
「…そうか、事の発端は俺のつまらん配慮だったつもりの行動が結果的に貴様を傷つける形になってしまったのだ、まだこちらから謝罪が無かったな
…済まなかった、非礼を詫びる」
野村が無実の罪で謝罪をする羽目になってしまった
「謝んないで良いよ…どの道よそ見してたのは良くないし…またいつも通りでいられるならそれで良いよ…」
「ああ、いつも通り、だ」
「…じゃあ、武田信玄の話、聞かせて」
「すまんが本日は閉演なのだ…」
「なんでそこだけ頑ななのっ!?」