第四陣
その日、昼休みの教室はいつもより騒がしかった。どうやら購買の新作メロンパンが人気らしく、女子たちが列を成している。
俺はといえば、昼食を早々に終えて、窓際で文庫本を読んでいた。幕末の動乱、文久三年──江戸に火が灯る直前の空気を感じる一節だった。
「…あれ、河上くん、今日も一人なんだ?」
声の主は、またしても野村彩葉だった。
「また貴様か、一人なのは、察しの通りだ」
「また私だよ、何でかな〜河上君、面白いのに…」
今日も自然に話しかけてくる。彼女のこういう距離感は、時に心地よくもあり、時に不可解でもある。
「野村は他にも学友がいるだろう?何故、俺などの方にばかり来るのだ?」
言ってから、ほんの少しだけ己の発言に後悔した。だが、彼女は即座に声を荒げた。
「はあ?何?嫌なの?…大体、私が誰と関わっても関係ないでしょ?」
「何故怒っているのだ…?」
「なんかさ、私が好きでやってることにガタガタ言うから…あと、河上君って卑屈すぎるんだよ! そんなんじゃ武士道精神の恥だよ!」
彼女は睨むでもなく、でも真剣な眼差しで俺を見ていた。
「…そうだな、野村の言う通りだ、俺は、侍としての在り方を見失っていたのかもしれん」
「侍でも大名でも良いけどさ、そんな卑屈だと天下統一出来ないよ!」
「いや、もう日本の天下は統一されてる、それに俺はそんなに思い上がっていない…」
「とにかく!昨日の放課後友達と面白い場所見つけたから、一緒に行くよ!」
そう言って彼女は俺の肩を小突いた、と言うより拳で殴った、多少痛い。
「面白い場所とは、どこだ?」
俺は肩をさすりながら訊いた。
「ふふん、それは着いてからのお楽しみだよ!今日の放課後、図書館の前で待ってて、逃げたら承知しないからね?」
「まるで追手の台詞だな…承知した、行こう」
まったく、あの野村という女子は、なぜこうも俺に関わってくるのか。
友達――そう呼んでいい関係なのかどうかも、正直わからない。ただ一つ確かなのは、彼女と話すと、なぜか本を読むのとは違う「時間の流れ」を感じる、ということだ。
放課後。
図書館だ、野村の姿は、ない、ならついでだ、中で待たせてもらおうか。
いつものように図書館の扉をくぐろうとしたその時、中から「ストップ!」と手が飛んできた。
「うわっ!!」
「今日は寄り道だよ、河上君、はい、約束」
俺はその手を見て、一拍置いてから頷いた。
「…案内を頼む」
「ふふっ、素直でよろしい…しかしアレだね、河上君もビックリするんだね〜」
野村はにっこりと笑い、俺の前を歩き出す。日が傾き始めた帰り道、俺はその背を、いつもより少し近い距離で追っていた。
「で、どこに向かっているんだ?」
「お楽しみだってば。ちゃんと興味持ってよ、歴史の人〜」
「俺は幕末と戦国の男だ、現代の娯楽には疎い、だが、最近少しずつ理解はしつつある…野村のおかげでな」
「うんうん、それを待ってたの!」
嬉しそうに振り返る彼女に、俺は少しだけ息を呑んだ。まったく、変わった女だ。
「それにしても野村――お前は変わっているな」
「君にだけは言われたくないよ!」
そのやりとりが、なぜか妙に自然だった。
まだ名前で呼ぶには早い。
まだ友達と呼ぶには宙ぶらりん。
だが確かに、少しずつ何かが動いている。
それが何なのか、まだ俺には分からなかった。
「…ここは、ショッピングモールではないか…?言っておくが俺だってショッピングモールくらい行くぞ…?」
「意外…だけどそれ、休日の話でしょ?どうせ書店にしか行かないでしょ?」
「何故それを…」
「流石に河上君の生態は理解出来るようになったよ」
悔しい、が彼女の洞察力は本当に素晴らしい。
ショッピングモール内には同じ制服の生徒もちらほら見受けられる。
駄菓子コーナー。
「ほら、ここだよ、小学生の頃、友達とよく来たでしょ?懐かしいでしょ?」
「小学生の頃にはこのようなショッピングモールは無かった、それに俺には友人が…」
「んでね、今日はここでゲームするよ。題して――」
俺の話を遮るようにぱんっと手を叩いて、彼女は言った。
「『300円で一番“美味しい幸福”を買えた人が勝ち選手権!』」
「…妙な勝負だな」
「駄菓子屋はね、お金じゃなくて“知恵”と“センス”で勝負するんだよ! 300円って、江戸時代ならお殿様レベルの大金なんだよ?」
「いや、300円は300円だ、10文と言うのならまだ…それに大名レベルであったら…」
「そういう時代考証は要らないから!」
元気にそう言いながら、彩葉は小銭入れからきっちり300円を取り出した。
「じゃ、ルール説明!制限時間は10分。予算は300円ぴったり。買いすぎても余らせても負け!より『満足度の高い組み合わせ』を出した方の勝ちね!」
「審査基準は…主観か?」
「もちろん!つまり私の勝ちでーす!って言う準備も出来てる!」
「それは武士道に反する」
「もういいから!スタート!」
駄菓子屋の中で、俺と野村は別方向へと散った。
棚にずらりと並んだ小袋の菓子、きなこ棒、ラムネ菓子、様々な味のガム、グミ、30円の怪しげなゼリー…その一つ一つが、思いのほか歴史のあるものばかりだった。
(値段の割に満足感が高く、かつ腹持ちの良い物…つまりコスパを重視すべきか。だが野村は甘味に重きを置いている節もあるな…ならば、こちらは意外性で勝負する)
俺は思考を巡らせながら、計算を繰り返した。
10分後。
「じゃーん!できた!」
先にレジ前に戻った彩葉の手には、カラフルなパッケージが満載だ。
「まず王道のやばい棒×3本。で、チョコバット、舌に色が付くガム、たい焼き菓子、最後に謎のグミ!これでぴったり300円!」
なかなかにハイカラではないか…。
「…俺のはこうだ」
俺は袋から、きなこ棒、焼きイカせんべい、小袋のグミ、ガムからラムネに変わる飴、そして最後に10円ガム各種を取り出した。
「実用と満足感のバランスを重視した。長く楽しめる構成にしたつもりだ」
「ぐぬぬ…!悔しいけど、河上君の方がちょっと“考えてる”感じする…!意外性が…でも…!」
「だが、甘味が欲しい気分であれば、野村の選択も理解できる。人は感情の生き物だ。審査員が野村である以上――」
「つまり、私の勝ち〜〜!」
「…やはりか」
笑いながら駄菓子を口に運ぶ彼女を見ていると、どこか懐かしい光景に見えてきた。
これはきっと、他愛もない放課後。
だが、俺にとってはきっと、人生でそう多くない“普通の思い出”のひとつになる。
「見て見て〜」
「…?」
「ひたのひほはわってふ??」
舌を出して「舌の色変わってる??」とでも言っているのだろうか、野村の舌に青色が付いている。
「ああ、人外の色をしている」
「リアクション薄〜…じゃあお菓子交換しよ?」
じゃあ?じゃあとは…?
「私はこのやばい棒の納豆味を出品します、河上君は何を出してくれるのかな?」
俺は10円ガム(コーラ味)を差し出した。
「…流石にそれは酷くない?」
「…文句は無料だものな」
小袋グミ(みかん)を差し出した。
「こうすれば300円以上の価値はあるからね、これも楽しみの一つだね!昨日友達とここに来たんだけど、それでこのゲーム思いついたんだ〜」
そうか、そういう事だったのか。
俺は長い間歴史に触れすぎて今流れている時代に関心が向いていなかった。
野村と関わっていると少しだけ、歴史から離れた一日になるのであった。