第十八陣
「暑いなぁ、やっぱり…」
夏が近づいている
「その上っ張りを脱げば良かろうに」
「脱っ…あのねえ、河上君、簡単に言うけどさぁ…」
「?」
「はぁ…本当に…」
そう言い、野村がカーディガンのボタンを外し始めた。
野村は出会ってからずっと大きめのカーディガンを着用していた。
野村は袖を抜き、カーディガンを脱いだ、夏服だけになった。
普段から陽に当たらないのか、生まれつきなのかは分からないが、肌がとても白い。
あとは…
強いて言えば…胸が見るからに大きめだ。
「…ちょっと!そんなに見ないでよっ…」
視線に気づいた野村が慌てて胸を隠す。
俺も目線を逸らす。
…そこか。
「河上君だから言うけど…中学の時から男子の目線が嫌で…ずっと大きめのカーディガンで隠してるの…夏は暑いけど、お尻も少し隠れるし結構便利なの」
目線が気になる、か、野村にも野村なりの悩みがあったのか。
「だが野村、俺も男だ、見るぞ」
「そ、そうなの?…まあ、パンツは見られたけど…」
「…幻滅したか?」
「いや、そんな事はないけど…」
「そうか、俺も人間なのでな」
「じゃあ胸は?お尻は?どんなサイズが好みなの?」
「…無いよりは…あった方が、良い、と思う」
野村の目に光が灯った。
「ほんとっ!?
…じゃあ最後に、私の体って、どう思うの?」
ブレスレットを触りながらとんでもない事を突っ込んできた。
唐突で、直球過ぎた。
いつもの冗談めいた調子じゃない。
逃げ道を完全に塞がれていた。
「……」
言葉が出ない。
どう思うかって、正直な話、驚いた。
いや、それ以上に、…意識してしまったのは事実だ。
けれどそれを言葉にしたら、俺はただの男だ。
他の男子と何も変わらない。
「黙んの、禁止」
軽く、でも逃げたら許さない、そんな声だった。
「…野村」
「ん?」
「…正直、少し…目を奪われた」
一拍置いて、野村がほんの少しだけ、頬を赤らめた。
「ふふ、目を奪われた、かあ…なんか河上君っぽい」
「…済まない」
「ううん、嬉しかった、河上君だけは、何も見てないと思ってたから」
「…見てはいた、ただ、言葉にすべきか迷っただけだ」
「迷うって、何が不安だったの?」
「…それを言えば、野村を性的な目で見た事を肯定ことになる
そうなれば、俺は信頼を裏切るんじゃないかと」
「裏切ってないよ、むしろ、それをちゃんと口にしてくれる方が嬉しい」
野村が、わずかに目を伏せる。
「だって私、今日、脱いだのも、暑いのもあったけど…河上君の反応が気になったから…
胸とか、お尻とか…気にしてるんだから」
言った。そこまで言ってきた。
ここで逃げれば、本当に後悔する気がした。
「…目を奪われたのは、事実だ、胸も…尻も」
野村の頬が、はっきりと染まった。
「そっか…ありがとう、言ってくれて」
その声が、小さく、でも確かに嬉しそうに響いた。
しばしの沈黙。
(……??)
「…待て、野村よ、美談のような流れになっているが、内容が下劣過ぎないか…?」
再び沈黙が流れる。
「……今さら! 真面目に受け止めてくれたと思ったのに!」
「受け止めた、 受け止めた上で、冷静に俯瞰してみた結果だ、お前は胸と尻の話をしていただけではないか」
「だ、だからそれは恥ずかしいけどっ…でも、ちゃんと意味があって…!」
「意図は理解した、だがそれはそれとして下劣ではある」
「うるさいっ! そもそも河上君がいやらしい目で見たからでしょ!」
それはそうだが…。
流れを変えよう。
「蒲生氏郷という武将は…」
「えっ!?急に!?」
「織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将だ、彼を一言で言えば、文武両道だ、彼の逸話を話そう」
「本当に急だなぁ…」
「蒲生氏郷は新入りの家来にこう言ったそうだ
『我が隊には、銀の鯰尾の兜で常に先陣で戦っている者がいる、その者に負けぬよう、励め』と」
「へぇ…強い人はどこにでもいるんだねえ」
「その者こそ氏郷自身のことだ、自ら先陣を切る姿を見せて、鼓舞していた、これぞ統率の形だ」
「なるほど…なんかそれって、自己紹介なのにちょっとカッコいい言い方だね、ギャップで盛れるタイプじゃん」
「貴様は戦国武将を盛れるで語るのか…?これは…」
「え?罰!?お仕置きタイム!?」
目を輝かせた野村は身を乗り出して接近してきた。
野村の豊かな胸が近づき、咄嗟に目を逸らした。
「…罰と言えば、蒲生氏郷も基本的に家来を大切にする人物…だがその反面、厳格な面もあった
こんな話がある
可愛がっていたある家来が乗る馬の馬沓が外れ、その家来はそれを直すために家来は隊列を離れた、だが軍規違反としてその家来は手打ちにされた、と言う話だ」
「ええ〜…そんな、しょうがないじゃん…」
「だが軍の規律を守る事は大将は勿論、その兵士達を守る事と同じだ、乱れた軍は統率が取れずに実戦で壊滅するだろう、多くの家来を守る為、忖度しない、いや、出来ないのだろう」
「…じゃあ私へのお尻叩きも規律を守る為だったの?…二人しかいないのに…?」
「まだそんな事を言っているのか…」
「一生言うよ!」
「あの時、満更でもなかったような気もするが…?」
「……」
突然黙り始めた。
「おい」
「あのー、あまり引いて欲しくないんだけど…実は…」
野村は手を挙げ、気まずそうに語り始めた。
「…河上君だから、って言うのは前提で話すけど、あの時物凄くキュンキュンしちゃって…
その時初めて気づいたよ、私、M気質だったんだ、って…意地悪されても結構ご褒美に感じていると言うか…」
(うわぁ…)
俺は席を立とうとしたが即、腕を掴まれた。
「…引いてんじゃないよ…」
「引いてはいない、野村という生物をどう扱ったら良いわからないだけだ」
野村は、ふっと力を抜いて微笑んだ。
「なら、今まで通りでいいよ…河上君は、河上君のままでいて私、勝手にキュンキュンてしてるから………でも…この前みたいな、タチの悪い冗談は…正直、嫌いだよ」
声がわずかに震えている。
「私、本気で傷ついちゃうから」
視線は合わせていない。けれど、俺に向けられた言葉だと分かった。
俺は少し迷ってから、静かに言葉を返す。
「…野村は、反応がわかりにくい」
「…え?」
「どこまでが冗談で、どこからが本気か……お前自身が分かってない時もあるだろう」
「…そ、それは…」
「俺とて傷つけたくないのだが、加減がわからない」
野村はポカンとしつつ、眉を寄せて小さく笑った。
「…なんか、それって優しさみたいで、ズルい」
「俺はそういう人間だ」
「…それでも、たまにでいいから、分かってくれようとするなら…許してあげる」
ふっと空気が緩む。
野村の声には、微かな甘えが混じっていた。
(野村はズルいズルい言い過ぎだな)