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第十七陣

放課後、俺は図書室で歴史以外の調べ物をしていた。


野村は「後で合流する」との事だ。




人気も少なくなってきた頃、俺は用を足し終わり、トイレを出た。


珍しく、下駄箱の方から人の声が聞こえた。まだ下駄箱で駄弁っている連中がいたのか。


横目で見ると野村の姿があった。

あと、一人の男子生徒。


「俺も仲良くしたいんだよ〜なぁ野村さん、せめて連絡先くらい交換しようって」


「…ありがと、でも、ごめん、私、彼氏いるから…」


(え?彼氏いたの!?おい、話変わってくるぞ!?)


野村は笑っていた。

だが、それは愛想笑いだった。俺には分かる。奴の本当の笑顔じゃなかった。


「いや、仲良くなりたいだけだって〜連絡先くらい良いじゃん、悩みあったら相談乗るし〜」


(やっぱり…野村はモテるな)


ちょっと羨ましいと思ったと同時に、どこか納得してる自分もいた。

別に見てるつもりはなかった。ただ、目が離せなかった。

二人とも俺の姿には気づいていないようだ。


「ってか彼氏って?えーと…歴史オタクの?河上だっけ?あの女みたいな小男?」


(…俺を河上彦斎の外見みたいに言うな…

彦斎は150センチ前後だと言われていたが、俺は160センチはあるぞ…いや、彦斎殿、あなたは立派な志士だ、俺なぞ足元にも及ばない…)


だが、人斬り彦斎が乗り移ったかのように、俺は男子生徒の発言に殺気を覚えた。


「…私の彼氏の事バカにしてるの…?」


(え?俺彼氏になったのか…?)


「アイツのどこがいいの?マジでもったいないって」


(それは俺もそう思う)


が、その次の瞬間だった。


野村の表情がスッと変わった。

今まで見たことのない顔だった。笑っていない。怒っていた


「…いい加減にして」


野村の声が低く、鋭くなった。


「いやいや、でもさ、アイツみたいな…」


「うるさいっ!!」


バンッと足を踏み鳴らす音が響いた。

俺と男子生徒がビクリと肩をすくめる。


「私の恋愛にガタガタ言わないで?それに、よく私の前でその人のことを悪く言えるよね…?仲良くなりたいとかガタガタ能書き垂れてるけど、私をバカにしたいだけなの?考えらんない、アンタなんかに相談する訳ないでしょ!?」


「の、野村さん…ちょっと言い方が…」


「あなたには何も関係ないから…もう、話しかけないで」


野村は、スッと息を吸い込んでから、静かに、けれど鋭く、吐き捨てた。


「死ねッッッ!!!!」


その場が、一瞬、凍りついた。


(怖っ…)


思わず心の中でそう呟いた俺にすら、野村の気迫が突き刺さってくる。


男子生徒は何も言えず、目も合わせずに逃げるように下校して行った。

気をつけて帰るのだぞ。


野村はその場に立ち尽くしたまま、何度か深く息をついて、やがてゆっくりこちらに歩いてくる。

怒りの余韻がまだ残っていた。けれど、俺を見た瞬間に、少しだけ、表情が緩んだ。


「あれ?何してるの?」


「…用を足していた」


「ちゃんと手ェ洗った?」


「当たり前だ」


いつもの、緊張感などまるでない表情に戻った。


俺は気迫に恐怖を感じた為、普段通りとはいかない。


「…もしかしてトイレ行くフリして私の後、付けてた?」


「…そんな訳ないだろう、だがトイレから出たら野村達がいたのだ」


「そっかぁ…じゃあ全部聞かれてたんだ…」


「済まん、聞くつもりはなかったんだが…」


「いや、私は全然、それよりも河上君と付き合ってる、なんて言ってごめんね、周りがそう言う認識だから、つい…」


「構わない、今回の相手には通用しなかったがな…」


野村の拳に力が入ったのがわかった。


「…ああいう奴ばっかで、本当嫌になる、河上君はそのままで…いや、今よりももっと素直でいてね?」


「それは問題ない、そもそも奴のような人間とは種類が違う」


「うん!そうだよね」


野村は早足で歩き出した。


普段の野村は真横か半歩後ろを歩くのだが、件のやり取りがあったせいか、歩く速度にも怒気が比例しているのか。


階段に差し掛かるとあろう事か、野村は二段飛ばしで駆け上がっていく。


こちらを振り返りもせず、制服のスカートをひらりとなびかせながら階段を駆け上がった。



止まる。


視線が、止まる。


見えた。


紫、薄紫。


(……見てはならないものを)


その場で立ち尽くしていた俺に、階段の上から野村が首を傾げて言った。


「何してんの、河上君? 」


「…野村、もう少々節度を持って階段を登るべきではないかと進言したい」


「えっ? 何が?」


「二段飛ばしは、危険だ、事故が起きぬとも限らん」


「事故? 何かあった?」


「…見えた」


「っ……!?」


野村の顔が、はじけるように真っ赤になった。


「ちょ、え、嘘、ちょっと待って、うわぁ…」


(抵抗できた事故だろう…)


慌ててスカートの裾を押さえながら、彼女はその場でしゃがみ込んだ。


「うわぁ…やっちゃった…」


「急ぐからだ…」


「…もう、良いから早く図書室行こ…」


顔を赤くし、呼吸乱れた野村は立ち上がる。


(!?)



その瞬間ーーーーー


極微かに――だが確かに、甘い香りがした。


柔軟剤でも香水でもない。人工的ではない、もっと


ーー生きている匂いだった。


それはどこか湿った空気と混ざり合って、体温のような温もりを帯びている。


鼻腔に残ったその香りが、心臓の奥をかすかに揺らした。


(なんだ、これは…)


たかが匂い。それだけのはずなのに、視線が無意識に彼女の方へと引き寄せられる。


そして気づく。

これは――女の匂いだ、と。


理屈ではなかった。

「意識しよう」としたのではなく、「意識させられてしまった」のだ。


彼女の髪が揺れる。

そのたび、風に乗ってまた香りが鼻腔をくすぐる。


この空間には俺と野村の二人しかいないはずなのに――まるで、目には見えぬ第三の存在が忍び寄ってきているようだった。


それは、彼女の「女」という本質。


普段の明るさも、天然めいた言動も、先ほどの怒り狂った姿も――今は、全て霞んで見える。


その奥にある、生きた女性としての「匂い」に、俺の五感は捉えられていた。


これは、生物が分泌する、フェロモンというものなのか…?


(ゴキブリ以外でも分泌するんだな…家に帰ったら調べてみよう)


「…?どうしたの?早く行こ?…って、顔赤ッ!?」


どうやら俺の顔は紅潮しているようだ。


「…軍師ちゃんのパンチラで興奮するなんて、淫らな大将だこと!」


「……お前は、ゴキブリか?」


「はあ!?」





余談だが、俺達はあまりにも図書室に入り浸っている為、それを見つけた教師から施錠と鍵の返却を条件に鍵を預かっている。





「でさ、河上君、私達、もっとちゃんとお互いを知るべきだと思うんだよね」


唐突に野村が珍しい事を語りだす。


野村の基本的な人となり、表情の変化は理解しているつもりだが…自信は、ない。


「確かに深くは知らないが」


「でしょ?これはお互いの為になるからね」


「では、詳細な自己紹介でも始めるのか?」


「違うよ、そんなのは良いの、


河上君、ズボン脱いで」


「…は?」


野村は椅子から立ち上がり、わずかに腰に手を当てながらこちらに歩いてくる。


「ほら、早く、脱いで」


「じょ、冗談はよせ!」


野村が触れそうな距離まで近づいてきた、だが野村の顔が急激にニヤケ顔に変わった。


「ぷっ……あははは! なにその反応〜! ちょっとからかっただけなのに、焦りすぎでしょ、河上君! あははは!」


(この女…)


「あー、笑った笑った、イジられキャラになりつつあるからね、ここで名誉挽回だよ」


「…そうか、冗談、だったのか、俺は…覚悟まで決めたというのに、そうか…」


「…えっ?」


「…野村なら、と思っていたのだがな、そうか、残念だ」


一瞬で野村の笑いが止まる。


「…え、待って…それって…」


口元が緩みかけたまま、固まり、目が泳ぐ、視線を落とす。胸元で組んだ腕を解くと、手のひらがスカートの端をそっと握った。


「…そういうの、ズルいってば…」


声はかすれ気味で、小さくて、けれどもどこか力強い、そんな声。


「…じゃあ、続けて良いんだよね…?」


ほんの一瞬、間が空く。



だが俺は、あくまで淡々と――


「…嘘に決まってるだろう、うつけが」


「……………え、」


野村の表情が一瞬で怒りに変わる。


「もぉーっ!! 本っっ当に、私の立場知ってた上でのその冗談はタチが悪いよ!!!!」


バンッと机を軽く叩く野村の顔は、耳の先まで真っ赤だった。


「そもそも野村が先に仕掛けてきたのだ、やり返されて当然だ」


「違うじゃん!そっちがそういうの言うのは違うじゃん!!もうバカ!!!!」

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