第十四陣
放課後の教室、
俺は軍師野村を救済する策を実行すべく内容を伝えた。
ここ最近、明らかに野村の表情が、優れない、というよりも時折人が違うように遠くを見つめたり、目が虚になっている。
恋煩い
推測するに、野村の恋は、難航している。
意中の男がいるがどう接近したら良いか、分からないのだろうか?
素養はあるが最後のもう一歩が踏み出せないのだろう。
「歴史同好会?」
「そうだ、設立には最低でも三人の署名が必要だ、部として認可されれば、活動費や資料購入も…」
「…待って、それって、人を集めるってことだよね?」
「うむ、それ故交渉役を貴様に任せたいのだ、貴様が声をかけるのだ、人選は貴様に一任する」
野村は恋煩いの相手に声をかけるだろう、頃合いを見計らい、俺は退却する手筈だ。
「いーやーだっ! 嫌だ!!!!」
「!?」
突然の拒絶に、俺の時間は一瞬停止した。
「…理由を述べよ」
「私は、河上君の話だけが聞きたいの! 他の人の話なんて聞きたくないの!」
「…知見を広げられるのだ、寧ろ好都合ではないか? 歴史とは一人の視点で語りきれるものではない。複数の視座が交わることでより深く、より多角的に…」
「河上君の話を聞くのは、私だけの特権なの!」
彼女は机に身を乗り出し、俺の目を真っすぐに見据えて言った。
「…そうではない、俺は貴様に人選を一任する、と言った、男女を問わず、貴様の独断で良い、そのような意図があるのだ」
(助け舟は出した、さあ、行動せよ)
「別に、私は誰にも声かけないよ?」
「…え??」
(誰にも声かけないよ??だと)
「いや、正直なところ、男手が欲しいと思っていた、して野村、誰ぞ手頃な男子はおらんか?」
「はあ?男子?要らないでしょ、なんで男手が必要なの?私だけじゃ役不足って言いたいの?」
(貴様の為に言っているのだ!察すべし、野村!!!!)
「軍師も男手が必要だろう、それに貴様の裁量で声をかければ…」
「なんで!?そんなの一人もいないよ!軍師は私だけで良いの!」
「何を言っている、豊臣秀吉にも竹中半兵衛、黒田官兵衛という二人の軍師が存在しており、更には弟の秀長も長年にわたり補佐として――」
「昔のことは知らない! 私だけで良いの!!!!」
彼女は叫んだ。いや、叫びながらバンバンと机を叩いた。
昔のことは知らない…だと?
「聞き捨てならぬ、それでは今まで語った史実も全て知らないというのか?」
「そうじゃなくて!!」
頬を真っ赤にしながら、彼女は両手で顔を覆う。
「他の人が、河上君の話を聞いてるの想像するだけで、男でも女でも…やだって思っちゃうの!別に他の人の歴史観がどうとか関係ない! 私が、河上君の話を、誰よりも一番楽しみにしてるんだから!」
「……」
言葉に詰まる。
想像していた反応と、全く違う。
俺は彼女の情熱に、少しだけ圧倒されていた。
(…何故だ…)
「…ならば、二人きりの研究会という形で非公式に始めてみるのも、やぶさかではないかもしれん」
「え…!」
「その場合、活動報告は非公開、議事録も残さず、参加者も増やさない、完全なる秘密結社のような運営方針になるが、それでもよいのならば――」
「うんっ、それがいいっ!」
野村はぱあっと笑った。その笑顔は、まるで歴史上の名将たちすら降伏しそうな威力を持っていた。
(それがいい!だと!?何故だ!!!!!!!現状何も変わっていないではないか!!!!!)
「分かった、では同好会の話題は、一旦白紙にしよう」
(…これが最後だ、野村…これを承諾したら貴様に好機はないぞ…)
俺がそう告げると、野村は即座に叫んだ。
「白紙じゃなくて! その案は燃やして!!」
(……何故だ)
「…燃やすとはまた乱暴な、強い意志は伝わったが、貴様の話には理がない、感情論で物事が解決するわけなかろう」
「いいよ、理なんてどうでも…!」
野村は語気を落としながら、ふいに視線をそらした。
「感情論でもなんでも良いよ…だって今は、私は軍師でも相棒でもない、ただの一人の女の子だよ、女の子として物事を言っているの!」
その言葉に、俺は思わず口を閉ざした。
「貴様が女子なのは重々承知している、明らかに男ではない」
「…そういうことじゃなくて…」
野村は思わず髪をくしゃくしゃと掻いた。普段の彼女ならありえない乱れ方だった。
「…あのさぁ、河上君は、軍師としてじゃなくて、女子として私のこと、どう思ってるの?」
その言葉に、俺は一瞬言葉を失った。
しかし、野村はすぐに目をそらして笑った。どこか、自嘲気味に。
「…やっぱ、いいや、どうせ、何とも思ってなさそうだし」
「いや」
俺は即、否定した。
「素直で、会話も理解力も軽快、今で言うところのモテ女の要素は十分にあると思うぞ、ゆるふわ系と言うのか?髪も柔らかそうだ」
「なっ――!!」
目を見開いて硬直する彼女をよそに、俺は続けた。
「間違いなく美人だが真顔だと冷たい印象の顔、性格の明るさもあるだろう、笑顔が多い、表情豊かだ、周囲との関係性も築けている、異性としての魅力に欠ける点は特に見当たらない、あえて挙げるなら、時折我儘で唐突に叫ぶ癖くらいだが――」
「ち、ちょっと待って…!」
ばしんっ、と鞄の端で俺の肩が小突かれる。
「…それって、私のこと、好きってこと?」
「いや、それはまた別の話だろう、これは評価だ、感情とは切り離している」
「うーわぁ…」
野村は椅子に座り込んで、顔を両手で隠してしまった。時折呻き声を上げている。
俺はその様子を見て、首を傾げた。
「…何か不都合でもあったか?事実に基づいて称賛しているのだ」
「ないよ!ないですよ!!…もう、歴史の話してて!!」
「では、先日の話の続きだ、三方ヶ原の布陣において、山県隊の突撃――」
「そこじゃないっ!!」
教室に響く野村の叫び。
俺はその音量に少しだけ目を細めながら、ふと、心の片隅で思った。
なぜ彼女は、俺に女子としてどう思っているかを聞いたのだろう?
「事実、野村はこの先も、異性の交友関係に困ることはないだろう、恋愛の話をしていたが、貴様ほどの剛の者であれば、どんな男でも難なく攻略できるであろう」
「な、なっ…! なっ…!」
目を見開いたまま、野村は声にならない音を漏らす。肩を振るわせ、髪の毛まで逆立ちそうな勢いだった。
「どうしても不可能であれば、俺でよければ相談に乗ろう、実績はないがな」
「……っっっ!!!!」
その瞬間、野村はついにぷつんと糸が切れたように、机に突っ伏した。
「どうした? 体調が悪いのか?」
「悪いよ! 河上君が原因で、すごく悪いよ!!」
「心因性のものか…だが俺の言動に問題は見当たらなかったはずだ」
「あるよ!? ありすぎて整理できないよ!!」
顔を覆い、机に額を押しつける野村。
その背中越しに聞こえたかすかな声は、けれどどこか、震えていた。
「…もうちょっと…自覚してよ…」
「…?」
俺は首を傾げた。
剛の者とは、誉め言葉であるはずだ。
それを否定される謂れはない――はずなのだが。
野村は静かに、手首に巻かれた数珠を見つめていた。
淡い水色の石が、透明な水晶が、揺れるたびに光を反射して揺らめいている。
その瞳に宿ったのは、どこか寂しげな色だった。
「…その数珠、気に入ったか?」
野村は顔を上げる。
少しだけ、微笑んだ。
「数珠じゃなくて、ブレスレットって言って…
うん、とっても、すごく綺麗だし、大切にしてるよ、肌身離さないって決めたもん」
「それは何よりだ」
しばしの沈黙ののち、野村は目を伏せたまま、ぽつりと呟いた。
「…でもさあ、こんなことされたら、勘違いしちゃうよ?」
「勘違いとは?」
「…ううん、なんでもない」
野村は言い淀む。
けれど俺は、彼女の手元を見つめながら、言葉を続けた。
「だがそれは貴様を一生縛る首輪ではない、外したければ、外すと良い」
「全然違…いや、違くもないか」
野村はそっと、ブレスレットを撫でた。
「…良いよ、私を一生縛る首輪でも」
「例え話だ、そんな物など、存在せん」
「そうだね、うん…存在しないんだよね、河上君の中ではね…でももう手遅れだよ…」
微笑んではいるが、笑っていない。
野村の横顔に浮かぶその表情は、俺にはやはり上手く読み取れなかった。
「…どんな男でも難なく攻略できる、って言ったでしょ?」
「ああ、確かに、言った」
「それは無責任な発言だと思うよ?本当にそうだったら苦労しないもん」
そう言った野村の目は、冷たく光っていた。
そうだったかもしれない。
そもそも俺が手出ししたとて、その力は微々たるものだろう。