第十陣
「よく創作で、武将が馬に乗ったまま槍をぶん回している場面があるだろう?」
放課後の教室。鈍色の空、控えめな夕陽が射す中、俺は机の上に教科書と資料集を並べながら語る。
「うん、あるある、アニメとかゲームでもよく見るやつ!」
「だが、あれは実際にはある事にはあるが、現実的には──」
「えっと…馬が動いてるときに槍を振るうと、遠心力で自分の体も振られるし…馬も方向変えちゃうんじゃない?」
「……なっ!」
思わず、俺は身を乗り出して彼女の肩を掴んでいた。
「その通りだ!素晴らしいぞ野村!!貴様と言うやつは…本当に…!」
「え、えへへ…ま、また肩掴んだ…」
照れ臭そうに笑う。
(またやってしまった…)
「すまん、再び同じ事をしてしまった」
「全然良いよ、なんか信頼されているみたいで、良いね」
「いや、軍師とは言え、嫁入り前の女子の体に触れるとは、士道不覚悟だ…!」
「…私は相棒なの?軍師なの?女子なの…?」
野村という者にはそれら全て該当する。
「…相棒兼軍師だ!」
「あー…はい…
あっ、ねえねえ、お館様、質問があります」
「軍師、申してみよ」
「戦国時代の恋愛事情ってどんな感じだったの?」
「…」
どうして女子はこう、恋愛ばかり気にするのだ…。
「恋愛…か、衆道について語っても良いか?」
「うん?しゅどう?」
「衆道とは、つまり男色、君主と家臣が身も心も忠誠を誓い合う、歴とした文化だ、武田信玄も織田信長も例外ではない、中でも信玄は家臣の高坂昌信に並々ならぬ想いを…」
「う〜ん、なんか思ってたのと違う…」
「多様性という意味では、むしろ今よりも昔の方が受け入れられていたのかもしれん」
「そうかもしれないけど、そうじゃなくて! 恋愛の話をしてよ!」
「いや、恋の話ではある、武田信玄は高坂を小姓としてではなく、一人の男として…」
「違う違う!! 異性の恋愛話をして!」
「異性も同性も、恋愛には変わりあるまい」
「そうだけど! 甘酸っぱいやつ! 好きとか、嫉妬とか、そういうやつを知りたいの!」
「武田信玄も高坂に宛てた恋文には…」
「あなたはそれしか言えないのかっ!」
野村は珍しく机を叩き、身を乗り出す。
「……なるほど、そういう類の恋物語なら、細川忠興と嫁のガラシャの話がある、ガラシャに見惚れた庭師がいてな、それに嫉妬した忠興が…庭師の首を刎ね…」
「ガラシャって名前?あとメチャクチャ血生臭い!!」
いつにも増して口を挟んでくるな、この者は…。
「ガラシャとは洗礼名だ、口出しするなら己で調べれば良かろう、俺は色恋には無頓着故な!」
言い終えてから気づいた。野村が、手首の数珠をいじりながら、こちらを見つめている。
「なんだ?」
「じゃあ、私の話を聞いてよ」
「よかろう」
「私はね、恋って日常のなかのふとした瞬間に気づくものだと思ってる、誰かの言葉に胸がきゅってなったり、嬉しくて真似しちゃったり…自分でも気づかないうちに、顔が赤くなってたり」
「それは…風邪ではないか?」
野村は心底呆れたような表情でため息を吐き出した。
「…違うの、好きな人って、話すだけで顔が熱くなるの」
「そういうものなのか?しかし、恋煩いという言葉があるように、病魔の一種ではないのか?」
「うん、だから…だからこそ、面白いんだよ」
(面白い…?)
と俺は眉をひそめたが、野村の声はどこか楽しそうで、しかし少しだけ憂いを帯びていたようだった。
「なんでこんなに気になるんだろう、なんで放っておけないんだろう、って考えてる内に、もう好きになっちゃってるの、そういうのって、戦国時代にはなかったのかな」
「…戦場においては、好き嫌いより忠義が優先される、皆必死だったのだ、心の余裕は近年より無かっただろう…だが、皆無とは言い切れん」
「そっか」
野村はふっと微笑んだ。
「でも河上君は、気づかないまま終わりそうだね、そういうの」
「む?」
「ううん、なんでもない。まったく、恋の話ひとつでこの苦労だもん、私が恋バナしようって思ったのが間違いだったかなー」
「そもそも貴様は誰かに恋しているのか?それとも過去の話をしているのか?」
「さあ、どうだろうね
河上君は恋愛についてどう思うの?」
恋愛…。
「恋愛、恋と愛に分けて持論を述べよう
恋についてだが、誰かを一方的に好きになるという非合理性に耐え、相手の反応に一喜一憂しながらも関係を築こうとする姿勢には、覚悟がある」
「……覚悟?」
「それは、戦場における突撃命令に似ている、恋とは一種の情報戦であり、心理戦でもあり、感情に身を投じる覚悟を試されるものだ、よって、恋に必要なのは、勇気ではなく持久力だと、俺は考えている」
野村は口を開けて固まっている。
「次に愛についてだが、これは理性的思考だ、これに該当する対象は人間、動物、植物、あらゆる物が含まれる
友情、信頼、愛着もまた愛情だ」
固まっていた野村が吹き出すように笑い、口を開いた。
「河上君って本当に凄いなぁ〜無頓着そうなのに言っている事全てが理にかなってるんだもん…」
「俺の経験に伴った発言ではない、全て付け焼き刃の論だがな」
だが歴史の知識全般にそれが適応されてしまう、真実かどうかは分からない。
「恋って、いきなり始まったりするんだよ、誰かの何気ない言葉だったり、仕草だったり、こっちの準備なんてお構いなしに」
「…予兆なく開戦されるのは最悪だ、さながら奇襲だな」
「うん、確かに、だから、最初はちょっと混乱するけどさ」
と、彼女は数珠を触りながら再びこちらを見つめた。
「その混乱すら、結構楽しかったりするんだよ?ううん、半分はそうだけどあと半分は嫌な感情かもね」
「嫌な感情?妬みや僻みか?」
「そうだね、あとは不安、さっき河上君が言ったみたいに、持久力…我慢、かな」
そう言った野村は数珠を見つめていた、その表情は淡く、今にも崩れそうだった。