前哨戦
高校一年、現在。
教室で俺は、喋らない。
いや、喋れないのではない。喋らぬことに意味があるのだ。
——この者らに語っても仕方あるまい。それで大いに語りでもしたらそれこそ、傲慢だ。
いかに山縣昌景が武田の命を背負い戦場を駆けたか。
いかに河上彦斎が時代を憂い、刃をもって信念を貫いたか。
俺の名は
河上昌景、俺の名はこの方々に支えられている(血縁関係なし)
語る価値のある者には語る。そうでない者に、無闇に語るまい。
それが俺の、現代を生きる上での戒めである。
だから、俺は図書室にいる。
放課後の図書室には人影もなく、陽が沈む頃には、もう薄暗い。
それでも俺は明かりをつけない。かつて蝋燭もなかった時代の夜は、もっと暗かったはずだ。
この黄昏に目を慣らすことすら、先人への敬意であり、鍛錬の一つである。
本を一冊、棚から抜き取る。
——が、そこに背後の空気が微かに動いた。
「か、河上くん!? なにしてるの?」
声をかけてきたのは、クラスメイトの野村彩葉だった。
見慣れぬ制服の女子のシルエット。目が少し大きく、声に驚きが混じっている。
「む、野村か、俺は調べ物だ」
「…調べ物って、この暗い中で?電気もつけずに?」
「文明の力には、なるべく頼らないと決めている。 、蛍光灯などという物はなかった時代に肖っている」
「わかったけど、目、悪くしちゃうよ…私、点けるからね」
パチッ
図書館に淡い白光が満ちる。瞬間、俺は目を細めた。
「……あ」
野村が、思わず声を漏らす。
俺の顔を、きっと驚きと少しの困惑で見つめているのだろう。
制服のまま、片膝をついて、分厚い歴史書を読み漁っていた奇行生徒。それが俺である。
「…河上君が歴史好きなのは知ってるけど…なんで、そんなに熱心なの?」
「歴史は、我々の血肉だ、俺たちは、先人の志と誇りの上に生きているのだ……それを忘れてはいかん」
「…へえ」
野村はそれ以上、笑いもせず、呆れもせず、ただ「へえ」と言って隣にしゃがんだ。
そして本棚に並ぶ歴史資料を、少し興味深げに見つめ始めた。
「君は…奇特な人間だな」
俺の独り言に、野村はにっこりと笑った。
「そう?君ほどじゃないと思うな、河上君って、面白いね」
——その笑みが、なぜか俺の胸にひとつ、奇妙なざわめきを残した。
(女子か、だが色恋は不要だ、無用だ)
この日が、俺と野村彩葉の「相棒関係」の始まりだったのかもしれない。