1話 穂乃香とアロースの仕事
「おわった……」
描き終わった絵のデータをクライアントに送り付け、タブレットとタッチペンを机に置き、座っていたソファに倒れ込む。
今回の依頼は大変だった。
クライアントの注文は多いし、ラフもめちゃくちゃ却下された。でもなんとか終わった。すぐにオッケーのメッセージが来たから正真正銘終わりだ。
「お菓子…お菓子……あった…うま…」
でかい水筒に入ったお茶をごくごくと飲み、大きなテーブルに散乱しているお菓子の袋を一つ取り、袋を開けてお菓子を口に運ぶ。
丸1日程何も食べていなかった為、お菓子の甘さが体に染みる。しょっぱいのも好きだが、長時間集中していたので体と脳が甘いものを欲している。
「ほのか!ちゃんとご飯食べてよ!!」
そうぎゃいぎゃいと膝の上に乗ってきて叫ぶのは、相棒兼ペットのガブリエル。
黒色の毛皮に翠色の瞳。普段は普通の猫の姿だが、本来は尻尾が4又になっていて、敵の居場所を教えてくれるナビゲーターだ。
私は魔法少女。魔法という力で、別の惑星から侵略してきた『魔物』を倒す為に結成された地球魔法防衛軍のひとりだ。
魔法少女、という呼称は単純に、魔法を使うからという理由で付けられたそうだ。ちなみに魔法少女の男版は魔法少年と呼ばれている。総称は魔法使い。物凄く安直だ。
私は9歳の頃から魔法少女をしていて、もう19年になる。今年で29歳なので、正確には20年だが。
最初は機械的なことしか話さなかったガブリエルだが、今では保護者みたいなことを言ってくる。確かにご飯じゃなくてお菓子を食べるのは体に悪いのだろうが、お菓子が主食な訳ではないし、魔法少女の仕事でかなり動いているから太ることもない。寧ろ少し窶れてる方だろう。
「でも食材ないし…外でたくないし……」
「近くに新しい唐揚げ専門店できたって!物凄く美味しいんだって!ちょっと遠いけど、デパ地下で北海道フェアやってるって!」
「なんでそういう情報知ってるの!?もー!行きますよー!」
お菓子をしまい、箪笥に押し込まれているロングスカートとブラウスを取り出して、部屋着から着替える。
大きめの肩掛け鞄に、財布とスマホとエコバッグと念の為に通帳を突っ込み、鞄を肩に掛ける。するとガブリエルが慣れたように鞄の中に入ってくる。
私は唐揚げが好きだ。特に揚げ立ては物凄く美味しい。私は割と猫舌な方だが、それでも食べてしまうのが人間だ。
北海道のお菓子は、そもそも旅行に行かないから親戚からのお土産で数回貰った程度だ。だが美味しいチョコレート菓子があるのでかなり惹かれる。
「えっと…唐揚げ専門店……ガブ、ここ?」
「ん〜と…ここだね!」
スマホを取り出してマップアプリで近くの唐揚げ専門店を調べる。ガブは肩掛け鞄からひょっこりと顔を出し、少し背伸びをしてスマホを覗き込む。
『ナビ開始』の文字を押し、玄関に向かう。
「あ」
ふととあることを思い出し、リビングにUターンする。
お菓子の袋が散乱している机の上で、明らかに異色なそれを手に取る。
「『魔宝石』を忘れかけるなんてほのかぐらいだよ」
魔宝石。それは人間が忘れてしまった魔法を扱う力を活性化させるという、前線で戦う魔法使いにとって命とも比喩される大切なものである。
原初の時代の人間は当たり前に魔法を使っていたそうだが、永い年月を経てその魔法の力の扱い方を忘れてしまった。
今では魔宝石の能力を解放した状態でなければ魔法を使えない。魔宝石があっても魔法を使えない人の方が多いぐらいだ。
それ以外は大体のファンタジー小説の設定と同じようなものだ。魔力というものがあり、魔力がなくなったら魔法を使えない。
私は魔力が平均より低かったが、毎日毎日限界状態で戦っていたら、魔力量がとんでもなく多くなっていた。全て実戦の賜物だが、要は修行すれば魔力量が多くなると言う訳だ。
私の魔宝石は黄色で、解放状態では髪を纏めるリボンにくっついている。
ちなみに解放状態の服装は防衛軍が魔宝石に登録しており、それまで着ていた服は自動的に亜空間に仕舞われ、解放状態を解くと戻ってくる不思議仕様だ。
魔宝石を鞄の中にいるガブリエルに渡し、玄関の小さな靴棚の上に置いてある部屋の鍵と縁の広い黒色の帽子、黒縁の眼鏡を取り、眼鏡と帽子を着用して靴を履き、扉を開ける。
帽子と眼鏡をつけるのはちょっとした悪足掻きだ。なるべく魔法少女であることはバレたくない。昔は都市伝説だった防衛軍だが、今では熱狂的なファンがいる。
私は古株な自信があるし、なんなら活躍している方だ。ファンがいるかはネットを見ていないのでわからないが、マスコミの餌になることは確実だ。
顔を凝視されたりしなければこんなアラサー芋女が魔法少女だなんてわからないだろう。
眼鏡は度無しの伊達眼鏡だ。これでも視力はかなり良い方なので、完全に変装用だ。
「あら高橋さん?この時間にお出かけなんて珍しいわねぇ」
「ぴゃっ!?」
突然声を掛けられ、跳び上がってしまう。声を掛けてきたのは同じ階に住んでいる古賀さんだ。
私が住んでいるのは都内のそこそこ高いマンションの中階。古賀さんは顔が広い様で、よく古賀さんの部屋で4、50代ぐらいの女の人たちがお茶会をしている。なんなら何回も誘われて2回ぐらい連行された。
私は人見知りかつコミュ障だ。9歳の頃から魔法少女業にかまけていて人との関わりを持たなかった代償だろう。古賀さんも私がコミュ障なのは知っているが、何かと声を掛けられる。
今だって奇声を発したのににこにこと嬉しそうに微笑んでいる。
「ぅぇ、えっと、か、からあげ、たべに…」
「まあ!もしかして近くに出来た唐揚げ専門店のこと?あそこの唐揚げ美味しかったわよ〜!私が行ったときは行列だったわあ」
「な、ならぶ、のはへいき、なの、で」
「あらそう?でも最近ちょっと暑くなってきたから、飲み物は買っておいた方が良いわよ。なんなら私が水筒あげましょうか?」
「ゃ、いい、で、す」
「ふふ。ちょっと喋りすぎたみたいね。気をつけてらっしゃい」
そういうと古賀さんは自分の部屋に入っていった。
人と話すときは幼児並に語彙力が低下する。その上日本人かも怪しいぐらい言葉がたどたどしい。
これでも話せるようになった方だ。最初は話しかけられる度に軽くお辞儀して速攻逃げていた。
ご近所付き合いは大変だ。
◇◇◇◇◇◇◇
マンションの近くにある自動販売機で水を買い、スマホのマップを頼りに歩いていく。
魔法少女としてほぼ毎日戦っている為、体力だけは無駄にある。筋力もあるが、日頃の不摂生のせいで体重が平均以下だ。丸一日何も食べないこともざらだ。その状態で戦っているのでよくガブリエルに猫パンチされている。
数分程歩いた所で目的地の店が見えてくる。古賀さんが言っていた通り、そこそこの人数が並んでいる。
その最後尾に並び、スマホを取り出してインターネットを開く。
私は少し有名なイラストレーターらしく、そこそこのフォロワーがいる。まあゲームも殆どやったことがないし、小さな頃から絵を描くしか趣味がなかった。読書は嫌いではないのだが、魔物は時間も場所も考えずに暴れる為読む時間がなく、本を借りたことも忘れてしまうので絵を描くぐらいしか暇を潰せなかった。
魔法少女になる前からも絵を描くのが好きで毎日描いていたので、上達はするのだろう。
よく私にイラストを依頼してくる配信者がおり、付き合いも長い。たまにその配信者の動画を見たり、アカウントの投稿を見たりしている。他にも仕事上で関わった人のアカウントや動画はたまに見ている。
投稿を見ながら十数分くらい並んでいると、いつの間にかレジがすぐそこまで見えてきた。
テイクアウトの唐揚げ弁当と単品の唐揚げを数個頼み、また投稿を確認していると意外と早く注文していたものが出来上がり、それを受け取って店を出た。
近くの公園のベンチに座って弁当を食べる。ガブリエルは食事を必要としないので鞄の中からじっと見ている。
というか、ガブリエル含む魔法知覚生命体は食事という機能がない。胃や食道などという器官が存在しないらしい。完全にサポートだけの存在だ。
『生命体』と銘打ってあるが、生命の根幹を成す機能が殆どない。唯一睡眠だけは必要とする。本当に不思議だ。
弁当を食べ終わり、空の容器をゴミ箱に捨てる。
もう一度スマホのマップアプリを開き、もう一つの目的地であるデパ地下を選択し、『ナビ開始』を押す。
残りの唐揚げはちゃんと袋で包んで鞄に入れてある。
財布にはそこそこお金が入っていたから、北海道フェアのお菓子を沢山買える。……流石に普通の食材も買わないとガブリエルに怒られそうなので、スーパーにも行かなければならないが。
そうして歩き始めるが、とある気配を感じ、素早く魔宝石を取り出す。
ガブリエルも気が付いたのか、鞄の中で尻尾が4又になっている。
私が感じた気配。それは魔物の気配だ。近場であれば私も魔物の気配を感知できる。それ以外の範囲はガブリエルにおまかせしている。
きょろきょろと辺りを見回し、鞄の中のガブリエルを覗く。
「認識阻害よろしく。数秒でいいから」
「わかった」
私はなるべく魔法少女であることを知られたくない。だが魔法を使うためには魔宝石で解放状態にしなければいけない。でも周りに人がいて解放状態にできない。
そんなときはガブリエルに認識阻害の結界を張ってもらうのだ。これなら私とアロースがイコールで結ばれることはない。認識阻害の原理についてだが、ガブリエル曰く、その光景を見た者の脳波を弄り、『これが正常である。報告する必要なし』という命令を出すのだという。
正直言って精神操作では?と聞いてみたが、それとこれとは話が違うらしい。
精神操作とは他者の精神を乗っ取り、意のままに操ること。
対して認識阻害はひとつの事象に対して注視しないようにすることであり、操っている訳ではなく、どちらかというと誤魔化していると言った方が正しいのだ、とガブリエルが力説していた。
魔宝石を利き手である左手で握り、お約束の呪文を呟く。
「<解放>」
一瞬で服装が代わり、モノトーンな服装から黄色と灰色の服装へと変わる。
鞄も亜空間の中に自動的に仕舞われ、鞄に入っていたガブリエルは4又の尻尾を揺らしながら浮遊している。
「ガブ」
「うん」
物凄く短いやり取りで意図を理解したのか、ガブリエルは私の肩に乗って、振り落とされないようにしがみつく。
それを確認し、足に力を入れて思いっきり跳ぶ。
あっという間にビルより高い場所に出て、気配の位置を確認し、姿勢を変えて横方向に空中を蹴る。これも魔法だ。原理は聞かないで欲しい。『魔法はイメージ』とは、とても便利な言葉であるとだけ言っておこう。
高速で飛び、気配に近付いたと同時に速度を落として魔物を見据える。
大量の紫色の魔物が人を襲っている。魔物の形は人型だったり動物だったり大きな虫だったりと様々だ。
魔法で威力を殺しながら超高速で地面に降り立ち、着地と同時に金色のシンプルな細めの剣を顕現させ、近くの敵を切り刻む。
「これって大侵攻だよね」
「うん。今本部から通達が来た。敵本拠地までの道を策定中だって。第13次惑星間戦争の終結を目指す、だって」
「すぐ14次が始まりそうな勢いだけど?」
「……馬鹿だよね」
「今に始まったことじゃないでしょ」
そんなやり取りをしながらも、人々を襲う魔物を切り捨てていく。
素早く、一体一体確実に。
逃げ惑う民衆は周囲への警戒心が疎かになっているのか、近くに小さな魔物が忍び寄っていることに気がついていない。
民衆が気付く前に移動して切り捨て、素早く移動して次の敵を切る。
相変わらず魔法少女とは思えない戦い方だが、元々魔力が少なかった為、魔法で武器を顕現してからの肉弾戦しかしてこなかった。魔力量が底上げされた今なら魔法を沢山撃っての迎撃ができるんだろうが、ずっとこの戦い方なのでもう変えるのも手間だ。こちらの方が確実なのだから文句は言わせない。
「戦況」
「若干不利」
「指令」
「民間人の救出」
「他国」
「同様」
「人手」
「不足」
「報道」
「若干の遅れあり」
「犠牲者」
「少数。ただし負傷者多数」
「物的被害」
「各地で家屋やビルの倒壊がしばしば」
「避難状況」
「避難できる安全な場所なし」
ガブリエルに単語だけで問いかける。毎回毎回時間が立つと総攻撃を始めてくる。今回の戦争が終わってもすぐに第14次惑星間戦争が始まるに違いない。
どの国もボロボロになるのに、追い打ちを掛けるように別の惑星が仕掛けてくる。防衛軍も疲弊していくおかげで、私は毎回主将を打ち取る羽目になっている。
そのせいで私は英雄扱いされていると聞く。
あーあ。
「正義のヒーローになりたかった訳じゃないのになあ…」