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とりあえず、ご飯が美味しいってことはわかりました




「なんで……」


「ん?どうしたの~?」


 どうしたって……そりゃ困惑するに決まってる。だって……。


「あー、お口に合わない?それならここにあるやつは下げさせて、新しいやつを持ってきてもらうよ。セイラはなにを食べたい?」


「大丈夫です!とっても美味しいので!」


 私はどうして名前も知らないイケメンにもてなされ、こんな贅沢を経験しているのだろう……。彼にお姫様抱っこで運ばれる間、すれ違う人々にどこか生暖かい目を向けられ続けた私へのご褒美だろうか。


 だからと言って、部屋に着いた途端に待ち構えていたメイドさんたちに身ぐるみを剥がされ、泳げそうなほどに広い浴室で隅々まで清めてもらい、今こうして高級レストランのディナーみたいなご飯を用意してもらう理由が見当たらない。


 清楚めな水色のドレスを着てメイクアップされたのは“殿下”のお目を汚さないためだと察するけれど。


「……はっ!」


 もしかして、作り立ての美味しそうな匂いで私の食欲を掻き立てているこの食事の中には私を苦しめるためのなにかが……


「毒や睡眠薬は入ってないから安心して食べてね」


「……それは良かったです」


 それはどうやら被害妄想が過ぎたらしい。にこりと笑みを作る彼だけどそれは私へ好意的な姿勢を示すためのもので、悪い含みはなさそう。食べるかどうかはまた別の話だが。


 彼からの恩恵をこれ以上に受けると、人生丸ごと渡さなければいけなくなる。メイドさんや彼の言葉を整理するとここは彼のお屋敷……つまりホテルでもなんでもなく豪華な空間も大きな建物も低姿勢な人々も全部が彼の持ち物なわけで。そんなところで私はひと騒ぎ起こしてしまった。


 迷惑料に加えて恩返しをしろと言われたら私は奴隷になるしかないのだ。


 私は食べないぞ。いくらパンがふかふかと柔らかそうで、スープも誘うように湯気を揺らしていて、お肉の塊がその身を輝かせながら私に食べてくれと懇願しているとしても。


 ちなみに私は朝から牛丼とか朝からステーキとか余裕で行けてしまうタイプ。起きたてで胃がすっからかんだからこそたくさん収納できてしまう。


 もちろん、今だって胃袋の調子はいつもと変わりなくて。



―――くぅぅぅぅ。



「…………」


「食べないの?」


「食べます」


 食べないという決意は、固めて3秒で崩壊した。


 欲に正直な私の身体よ。やけに可愛らしく鳴くじゃないか。あれか、イケメンの前だからか。そうか、私はそういうやつだったのか。……いろいろと情けない。


「いただきます」


 食べるときは野菜から。身体に沁みついた習慣に抗うことなく、一番誘惑の薄いサラダにフォークを伸ばした。


 薄緑のみずみずしい葉と色とりどりのパプリカが口の中でシャキシャキと音を立てる。ドレッシングはシーザーっぽい濃厚さで、少量なのがちょうどいい。味覚や食物に関しては元居た世界と変わりないらしい。


 透き通ったコンソメスープは舌の上から喉奥の方までしっかり染み渡るような深い味わい。小さくキューブ型に刻まれた野菜は溶けかけていて、どれほど火にかけられていたかを想像するに難くない。具の肉は旨味を出し切っていなかったらしく噛めばじゅわりと幸せが口に広がった。


 メインであるお肉は朝にぴったりの脂身が少なくあっさりとした舌触り。身の部分が多いけれど、それでもきめ細かい繊維のおかげで肉塊は口の中で簡単に小さくなっていく。シンプルな塩コショウでの味付けが肉本来の旨味を際立たせていて……はぁ、美味しい。


 その他、主役を引き立たせるために添えられているものも一口一口が私を喜ばせ、胃も心も満たしてくれた。朝食は絶対にご飯派だった私の考えがあっさりと覆ったパンの味を、私はきっと一生忘れない。


 お金持ちの人たちはこんなに美味しいものを毎日毎食に食べているってこと?……贅沢過ぎる。

果物でさえも甘みと酸味のバランスがちょうどいいのはやっぱり目利きのシェフやらを抱えているんだろうな……格差社会だ。


「口にあったようで嬉しいよ」


 そう言う彼の前にも私と全く同じ食事が用意されているものの、なにが面白いのか私をにこにこと眺めるだけでそれらには一切手をつけない。スープやお肉から漂う誘惑が切なげに揺れている。


 ……いやいや、早く食べなよ。見られっぱなしはこっちが食べづらいことこの上ない。


 え、美味しすぎるあまりに変な顔になってる……なんてことはないよね?見てて面白い顔面に崩壊しちゃってる、なんてことはないよね??


 口の中に物が入っていて喋れないから、とりあえず作り笑いを向けておくことにする。


「カトラリーの持ち方や食べ方が綺麗だね。セイラって貴族なの?家名は聞いたことがないけど」


「生まれも育ちも一般庶民です」


 貴族や家名という言葉をさも当たり前のように口にする彼に、食い気味に答えた私。ちょうど口の中のものを胃の中へ落とし込んだ時で良かった。


 そうか、この世界はそういう縦の序列が露骨な世界なのか……。身分とかなんとか、私が嫌いな文化が当たり前のところなのか……。うわー無理。


「貴族じゃないんだ。意外だね」


「いまどき、庶民でも食事マナーの教育を受けますよ」


 嘘はついていない。“別の世界では”という修飾語が抜けているだけ。


 私の家は他の家に比べて、特にマナー面に関しては口うるさかったと思う。


 食事中にテレビを見るな、喋るな、席を立つな。箸は必ず真ん中から少し上の方を、きちんとした形で持て。嫌い箸は論外。咀嚼音や食器の音も立ててはいけない。小さい子どもなら泣いてしまうような鋭さで睨まれる。食べ物一つ零そうなら長ったらしいお説教の始まり。


 それが3歳の頃からなのだから、身体に沁みついていて当然だった。和が洋に変わっても同じこと。家族で行くファミレスでさえも気が抜けなかった。気を抜いてはダメだった。


「へぇ、セイラが住んでいる地域は教育熱心なんだね。どこから来たの?」


「日本です」


 んー、本当このパンは美味しい。ふわふわのもちもちで食べ応えがある。毎食どころか10時と15時のおやつの時間にも3つくらい食べたいな。ほんのりした甘さだし、お菓子と言っても差し支えない。大丈夫、いける。


「ニホンか……聞いたことないなぁ」


「別の世界にありますからね」


 んんっ、このオムレツもやっぱり最高。


 料理人ぶった料理人が作ると、黄身が半熟の三歩手前くらいのさらりとした食感になるけど、これはしっかりジャスト半熟って感じでぷるりとろりとしている。だけど、フォークの隙間から落ちることはなくかろうじて塊を保っている。さらには私の口の端を汚すこともない。味付けはシンプルにケチャップ。インチーズなのが天才的だと思う。


 シェフとはぜひとも一度固い握手を交わしたい。切実に。


「そっかぁ。別の世界にあるならオレが知らないのも無理はないかぁ」


「そうですね。いくらあなたが勤勉だったとしても知らなくて当然です」


「あなた……?あ、そうか。まだ名乗ってなかったんだった。オレの名前は―――」



「―――殿下、なに普通に会話続けちゃってるんですか」



 やっと彼の名前を知ることができると思ったのも束の間。


 彼の隣に無言で立っていた男の人は耐えられなくなったのか、低い声で容赦なくツッコみを入れた。呆れたようにわざとらしいため息を零す。


「まったく……別の世界とかいう戯言を鵜呑みにする王族がどこにいるんですか」


 白シャツのボタンをかっちりと一番上まで止めている彼の名前はルイス。


 “殿下”の最側近とのことで、隣に立っていても絵面を汚さないくらいには彼も容姿が整っている。濃い抹茶のような緑の髪と、同じ色をした奥底の見えない瞳はこの世界では珍しく暗いものだ。


 身なりを整えた私を迎えに来てくれたときに、ぺこりと一礼をして名乗ってくれたことを考えると敵意はないのかと思っていたけど、私の都合のいい解釈だったらしい。こちらに向ける視線には疑心がたっぷり含まれているのがわかる。


 警戒を怠らないのは側近として優秀と言えよう。警備の人の言葉を思い出すに、この人はこのお屋敷で唯一、追跡魔法が使えるってことだから……優秀な人はどこまでも優秀だってことか。


 いや、まぁ。そんなことよりも。


「お、うぞく……?」


 王族って、あの王族?


 国で一番偉い、日本で言う皇族にあたるところのお方?私みたいな一般庶民とは一生関わりなんてないと言い切れる、縁もゆかりもない血筋のお方??本気で言ってる?冗談じゃなくて??


 真顔で冗談言うなんてとても面白いですねルイス様。


「ルイス見て見て、セイラの顔。口開けて固まってるよおもしろーい」


「すごく残念なお顔ですね」


「うん、ものすごく残念。まぁそれは一旦置いといてさ、この世界の人間がこの世界で最も栄えている国の王子様を知らないのっておかしくない?」


「この方が無知なだけなのでは?」


「失礼だなっ!」


 残念な顔は許せても無知は聞き捨てならない。私は無知かもしれない……と自分で思うのはいいけれど、人に言われるのは嫌だ。悪口じゃんか。


 私に噛みつかれたルイス様は私と目も合わせようとしない。……いい度胸だ。よし、こういうときは実力行使をするに限る。王子様の機嫌をそこねて私の人生が終わったとしても後悔しないぞ。


 いや、やっぱり後悔はしそうだからやめておこう。グーパンチで私の大切な命が吹き飛ぶなんてアホらしい。命拾いしたな、お互いに。


「3階の部屋から無傷で脱走した挙句、警備の目をかいくぐって門まで行き、さらには強者ぞろいの警備をまけたこの子が……食事のマナーも完璧なセイラが無知だって言いたいの?」


「……多少能力があるのは認めますが。知識と能力は別物です」


「別物……それはそうかぁ」


「いや、そこは粘ってくださいよ!私は無知じゃない……」


 日本の皇族の顔と名前はわかる。私の性格が普通じゃないのは自覚しているけど、さすがに一般常識くらいある……はず。


 無知。


 この2文字がこれほどに私の精神を攻撃してくるとは思わなかった……うっ。


「セイラが無知じゃないって言うんだったらそれはそうだ。それに嘘もついてなさそう。つまり、不審者じゃないってことがわかったね~」


「殿下、この人がいくら可愛いからってチョロすぎます。軽率に信じてはダメです」


「ルイスもセイラが可愛いってのはわかるんだね。ちゃんと男みたいで安心したよ」


「私だってそれくらいの感性くらいは……って話を逸らしたって無駄です」


「……ちっ」


 一時は乗せられそうになったルイス様はしっかり話の軌道を元に戻した。それが気に食わなかったみたいで小気味いい音が広い部屋にこだまする。


 舌打ちの音を控えめにしようともしない彼は間違いなく王族なんだろう。あまりにもゆるっとした雰囲気と権力者特有の威圧がないおかげで、彼単体だととても信じられないけれど。


 じーっと2人の会話の終着点を見守っていると、ルイス様がこちらへと視線を移した。それから眉根を寄せ、その顔のまま主人に強い視線を戻した。


 つい数秒前に可愛いって言われたからには苦い顔をされるような顔の造形じゃないはずなんだけど……なに、どうしたの。


「ところで殿下」


「なに~?」


「殿下のお力の発動の下に会話を続ければこの方が何者かわかるのでは?お力を使われないのはどうしてでしょうか?」


「気が乗らない」


「理由になっていません。今すぐにでも使ってください」


 駄々を捏ねる彼にルイス様は即座に視線を鋭くし、彼の些細な理由を切って捨てた。対する彼は纏う空気を一変させ、顔から一切の感情を消す。


 美形同士の真顔での対立はこの部屋の中を一気に冷やしていくような気がして、私の身体は細かく震えた。恐ろしいのに綺麗だから、これまた変な感じがする。


「セイラには力を使いたくない」


「今回ばかりは殿下の我儘を許すわけにはいきません」


「ルイスにオレの行動を制限する権利はないよね」


「権利はなくとも口出しはさせていただきます。殿下をお守りするためなら尚のことです」


「自分の身くらい自分で守るし、力を使う時も自分で見極める」


 加速していく口論に、バチバチと見えるはずもない火花が2人の間で激しく光る幻覚が見えた。近くで空気と化していたメイドさんでさえもこれは見慣れない光景らしく、顔を青くしながら、しかしなにもできずに私と同じように身体を震わせている。



 ……はて、ルイス様が使わせたがってる殿下の力って一体なんなんだろう。




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