どちら様でしょうか?
「へぇ、雰囲気だけじゃなくて顔もちゃんと可愛いんだ」
へらりとした薄い笑み。感情の込められていない笑顔でもドキリとしてしまうような整った顔。ぱっと見た感じでは20代前半辺り。
気だるげな雰囲気は普通であればだらしなく感じられるのに、目の前の男の人はそれら全てが色気に変わって溢れ返っている。左の方の垂れた目尻の下にある小さめのほくろが雰囲気を増幅させていた。
ただし、最も目を引くのはほの暗く光を失っているその瞳。珍しく、黄金色の髪とは似ても似つかない色を帯びていた。
毒々しい紫色は気味が悪く、それは唯一この場にふさわしくないものに思える。
「……鬱陶しい」
周りを絶望で飲み込むような諦めが宿った瞳は私まで飲まれそうで不愉快で。
つい、顔をしかめて口に出してしまった。
すると、相手もまさか直球に言葉をぶつけられるとは思っていなかったらしく、驚きで目を見開く。感情が乗った瞳は途端に赤みを帯びた光を伴い、宝石のような煌めきへと変わっていった。
色素が薄くなり透き通った赤紫色には、先ほどまでの陰欝さは欠片ほども感じられない。
前言撤回。すごく綺麗な瞳《め》だ。
ここに人がたくさんいたら全員の視線を引き寄せてしまうであろうそれは、初対面の人に対してまじまじと覗き込むのは無作法だとわかっていてもついついやってしまうほどの美しさ。私の手のひら返しに私の心中を知る人は呆れてしまうことだろう。
くり抜いてどこかに展示しておくのもいいなんて、グロテスクな発想にまで至ってしまう。それはさすがに頭がおかしいよ、私。
「ふっ」
「ふ……?」
「ふははっ!!」
驚きに加えてどこか探るような眼差しを私へと向けていた彼は、しばらく黙っていたかと思うと突然大きく笑い始めた。扇のような広い手のひらで口元を覆い隠そうとしているけど、笑いで震えているせいでそれはほとんど意味を成していない。
「えぇ……」
そんな彼に露骨に引き気味の私である。だって、なんで急に笑い始めたのかわからないんだもの。
私がぽろっと零してしまった言葉は、相手を怒らせることはあっても笑わせるようなものじゃなかったし……ちょっと思考回路がおかしいのでは?と一歩しれっと後退した。
「はぁー……」
ひとしきり笑うと波が引いたのか、彼は一呼吸おいて静かになる。
瞳は再び暗い紫色へと元通りになっていて……だけど、生まれ変わった様に爛々と輝きは保ったまま。気味が悪いとは二度と思える気がしなかった。
「君、名前は?」
そよそよと吹く爽やかな風が彼の金色に輝く長い髪を撫でる。抵抗を知らなさそうな真っ直ぐの髪は、触らなくても指どおりがいいんだとわかるくらいにさらりと揺れた。
長髪の男の人はあまり好きじゃないはずなんだけど。
綺麗だと思ってしまうのは。口を開いてしまうのは。
どうしてなんだろう。これもまたなにかしらの魔法をかけられているのだろうか。
鮮やかな薔薇たちを背景に立つ姿は、まるで1枚の絵画で……いっそ、本当に絵画だったらこの心を揺さぶってくる美を永遠に留めておけるのに。
「白浜星来」
いつもの私だったら『私に聞く前に自分から名乗りなさいよ』くらい言ってのけるはずなのだけど、今回は大人しく名乗ってしまった。私って実はイケメンに弱かったのかもしれない。知らなかったよ。
自分の嫌いなところが増えた私をよそに、彼はきょとんと首を傾げている。そんな仕草でさえも品があるから、ここまでくるとなんかずるいと思う。
「シラハマ、セイラ?珍しい名前だね」
「普通だと思うけど……そっちは?」
「あれ、オレのこと知らないの?この国で2番目くらいには有名だと思ってたんだけどな~」
国で2番目に有名だと、自分で言えてしまうのがすごい。まぁ、あの美貌なら自信たっぷりになるのも頷けるが。
しかし残念ながら、彼がどんなに有名な人でも私が知るわけがない。そもそも私はこの世界の住人じゃないのだから。
「そっか、知らないのなら教えてあげないとね。改めまして、オレの名前は―――」
「殿下―!!!」
彼がもったいぶっていた口をようやく開いたとき、それを遮るように聞き覚えのある声が飛び込んできた。声の方へ視線を向けると、およそ1時間ぶりのメイドさんが酷く焦った様子でこちらへ猛ダッシュしていた。真っ直ぐにこちらへ突進してくるその様はまさに猪そのものだ。
……って、ん?殿下?
殿下って……なんだっけ?なんかとにかく偉い人……?
「その方を!今すぐに!捕まえてくださいー!!」
懸命に記憶を掘り起こしていた私は、メイドさんの言葉にようやく我に返る。
私は指名手配されていたんだった……!呑気に薔薇を愛でたり、イケメンと和気あいあいやっている暇はないんだった!!あのメイドさんに捕まらないように、今すぐにこの場を去らなければ!!
だけど、時すでに遅く。
「言われなくても捕まえてるよ~」
「な、なにしてっ……!」
気づけば私は彼の腕の中にいて。
へらへらとしている癖に、私を捕らえる力はしっかり男の人のもので。
私の身体を余裕で包み込んでしまえる彼の大きさにドキリと心臓が跳ねる。ちょろすぎる自分の将来が心配だ。
「とりあえず、部屋に戻ろうか」
「嫌」
デートにでも誘うような甘い声に騙されることなく、脊髄反射で答えてしまった私である。ドキドキも一瞬で鎮まった。現実主義の私、グッジョブ。
今のところ、彼は私にとって目が覚めてから初めて好意的に接してくれた人。
でも、それはいつまで続く?私が部屋から脱走した不審人物だってことがバレたからにはいつ敵視されてもおかしくはない。なんなら、もう胸の内では悪感情が湧いていてそれを外に出さないようにしているだけかもしれないし。
また部屋の中に逆戻りで捕らわれたままだと、いつか私はきっと魔法か物理で殺される。もしくは一生囚われたままでこき使われっぱなしになるかも。
そんなの絶対に嫌だ。ようやく自由を手に入れたばかりなのにまた籠の中だなんて耐えられない。
私は逃げるしかないのだ。今はたとえ麗しい人の腕の中にいたとしても。
「ダメだよ。言うこと聞いてくれないとお仕置きするよ?」
私の苦い胸中とは反対に、だんだんと近づいてくる端正な顔。平常心を保とうとするも、慣れていない私はあっさりと色気にあてられて再び鼓動が一気に加速する。
余裕そうに微笑みを浮かべられるのが一番ムカつく……。
誰が思い通りになってやるもんか。全員がその色気で堕とされると思ってるのならそれは大きな間違いだ!離せ!!
「可愛い見た目に反して、意外と暴れん坊なんだね~。……仕方ないなぁ」
「へ……?うわっ!!」
「ほら、大人しく抱かれてて」
ふんわりと持ち上げられる私の身体。不安定に宙に浮く感覚は初めてで、咄嗟に彼の首に腕を回してしまった。
『なんかあんたが言うと別の意味に聞こえてしまうんだけど!』と、さすがの私もお偉いさんに噛みつく勇気は湧いてこない。下手なことを言って殺されるの、やだし。
ただ、自ら腕を回した上に口を閉ざしてしまったものだから、彼はそれをいいことに満足そうに笑んだまま歩き始めてしまった。……なんだこの敗北感。
頬に集中する熱は……ほら、あれだ。さっき全力疾走したから体温が上昇した、それだけ。だから私の顔を見て笑うのはやめろ!堪えきれてないから!
「オレの部屋に行こうね」
「で、殿下!いけません!そちらの方のお部屋は……」
「ふーん……じゃあこのまま二人で外に逃げちゃおっか!」
「「え」」
メイドさんの言葉を遮ってぶっ飛んだ提案を私に持ちかけてくる色男。進んでいた方向を変えたあたりが本気っぽい。私は逃げられる可能性が上がって嬉しいけれど、突拍子もなくて驚きに固まる。
メイドさんも本気で困っているらしく、口をパクパクとさせて言葉を慎重に選んでいる。
この男はチャラそうだけど、そんなに偉い人なんだろうか。ご機嫌取りしなきゃいけないような……ぶっ飛んだことにも下々の者は怒れないような。
……殿下って、ほんとになんだっけ?
「わ、わかりました!殿下の部屋にお通しいたしましょう!ですから外への逃亡はおやめください!」
「あーあ。2人きりになるチャンスがなくなっちゃったね~」
「ルイス様にもお伝えしておきます……」
「うへー……」
嫌そうな顔をしながらも了承はしているらしく、言葉ではっきりと拒否することはなかった。
ルイス。確か追跡魔法を使える人だったはず。様付けされるってことはそこそこ偉い人ってことだろう。この世界のルールを知らないから確証はないけど。
「さぁ、オレの部屋に行こうね」
紫色の瞳がきらりと嬉しそうに光った。
……で、結局あなたはどちら様でしょうか??