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ここにいる意味ないので




 もふり。ふわり。


 背中がほどよく沈み込み、柔らかな感触が身体全体を優しく撫でてくれている。


 正しくは包み込んでくれているのだけど、私が横たわっているところはそう錯覚するほどに心地が良かった。


 死んだら天国に行くとは聞いたことがあったから、瞼の裏にまで降り注ぐ真っ白な光は神々しいそれの一部なんだと思った。


 せっかく来たのだし、その美しい風景をはっきりと見ておこう。


 そんなことを思ってゆっくり目を開けたとき。


 目に映ったのは、視界いっぱいに広がる目が痛むほどの白色で。


「……ホテルの部屋?」


 困惑に満ちた自分の小さな声が、私しかいないらしい部屋にからりと響いた。


 どうやら私が想像していたような非現実的な空間ではないらしい。


 首を動かして辺りを見回すと、白を基調とした上品で高そうな家具たちが目につく。


 数人が間を空けて並んで座れるような大きいソファが向かい合い、間には傷一つない艶やかなテーブルが光を反射させている。


 それとは別に一人で軽食を取れそうな丸いテーブルと、座るだけで背筋がびしっと伸びそうな椅子もある。


 他にもかくれんぼで大人が何人も隠れられそうなクローゼットや、スタジオの控室にでも置かれてそうなお化粧台があって。


 それでも狭いと感じないのは家具と家具の間に十分な距離が取られているから。


 つまり、それだけ部屋が広いってことで……。


 ここが数年前に母から経験させてもらった五つ星ホテルよりも、煌びやかで華やかで広くて広い空間であることは明らかだった。


 病院の一室だなんて考えは、思い浮かべるだけ無駄っぽい。


 ……そもそも、医療とかそういう難しそうな器具が近くに見当たらないんだけど。


 電車に轢かれた。普通なら私の身体は原型を留めていないはず。


 それなのに、私が感じているのはベッドの心地よさだけで痛みは一つもない。


 意識がなくなる直前のことを思い出すとありえないはずなのに、これが事実。


 怪我くらいはしていて痛みが引いているのかもしれないと頭を触るも、伝わってくるのは艶々の髪のしっとりとした手触りだけ。


「それにしても、シャンデリアって」


 一通り周囲と自分を確認し終えて改めて天井を見ると、辺りへと惜しみなく光を放っていたのは部屋の中央にある大きな照明だったことに気づく。


 豪華なシャンデリア、高価そうな家具付きの広い部屋。


 もしかしてここは超高級ホテルのスイートルームなんじゃないだろうか。


 冷静に考えて、私にそんな財力はないわけで。じゃあ誰が私をこんなところにとさらに困惑は増すばかりなわけで。


「なにこれ全然意味わかんない」


 まさに“ここはどこ、私は誰?”状態。


 いや、私が誰かはわかるけども。


 白浜《しらはま》星来《せいら》。およそ一か月前に高校を卒業したばかりの社会人。


 息苦しい地元を飛び出し、都内で必死に一人で生きていた。


 お化粧もようやく慣れてきて、朝の支度時間が30分短縮された頃。


 電車に轢かれて死んだはずだった。


 さすがの私の運動神経をもってしても、あの状況で死亡フラグを折るのは無理だった。



 それなのに、なぜ。どうして私は生きてるの……?それに、最後私を抱き締めたのは―――



 ―――コンコンコン。



 控えめだけどしっかり届いたノックの音に、私は反射的に目を閉じた。


 なにもわからない私が、たった今この部屋に入ってこようとしている人物とまともに会話をできるとも思えない。


 そして、相手が信用できる人とも限らない。


 もしかしたら私は助けられたのではなく誘拐されたのかもしれないし。


 とりあえずは寝たふりでやり過ごすのが最善だ。


「失礼いたします」


 聞こえてきたのはか細い声。たぶん女の人。


 彼女が誘拐犯だったとしたら、わざわざ一声かけて部屋に入るなんて配慮ある行動はしないだろう。


 だとすれば、先ほど浮かんだばかりの悪い妄想は杞憂に終わりそう。


 まだ少し様子を見る必要があるから、寝たふりは続けるけど。


「……まだぐっすり寝ていらっしゃるようです」


 しばらく無言で私の様子を眺めていたらしい彼女は、近くにいるらしい誰かにこれまた敬語で話しかけた。


 厚みのある赤い絨毯の上では足音が響かないからわからない。


 だけど、やりとりがあるということは少なくとも2人以上がこの部屋に入ってきたってこと。


 ため口ではないところを聞くに、2人にははっきりとした上下関係があることはわかる。


「早く目を覚まして、この敷地の庭で寝転がっていた理由を説明していただきたいところなんだがな……」


「警備員たちは女性どころか不審者も見てないとのことでしたからね」


「あぁ。あの妙な格好も気になるな」


 敷地の庭、警備員、妙な格好……?


 まず、本当に私がここの敷地の庭で寝転がっていたとしたなら、どうしてそうなっていたのか私の方が知りたい。だから、説明しろと言われてもそれはできない。


 次に、彼女のセリフから察するに、私は警備員さんの目をすり抜けてどっかからぽっと湧いたように庭で寝転がっていたのだろう。なにそれ、私凄い。


 そして最後に、彼女の上司っぽい男性が指す私の格好とは、成人男性なら大抵の人が着たことがあるであろうスーツのことで。それを妙だと捉えるのは価値観がよほど変わっているのかあるいは……なんだか嫌な予感がする。


「この方が目を覚ましたらご連絡いたします」


「そうしてくれると助かる。私は公務に戻るとしよう」


 ガチャリと。


 先ほどは気にならなかった扉の重い施錠音が、私への警告音のように聞こえた。起きたら起きたでやっぱりめんどくさそうだ。質問攻めになる未来が見える。


 それにしても……彼らが私についてなにもわからないのも変な話。


 私の持ち物の中には免許証とかスマホとか、いろいろ特定できるものはあったはず。だけど、私のことを“この方”って呼んだってことはそれらを見てないってことだ。


 荷物の中を“見てない”よりも荷物そのものが“見当たらなかった”可能性の方が高い気もする。



 私が運よく電車を避けられてホームの下のくぼみへ行くことで死を回避できた。しかし私は気絶してしまい、そんな私を保護してくれためっちゃいい人が独断で病院に連れて行かずに私の精神面を考えてゴージャスなホテルに泊まらせてくれた……なんてパターンしか思い浮かんでいなかったのだけど。



 私が発見されたのはこの敷地の庭らしいから、私の都合のいい妄想は的外れだったってことがわかった。


 だったらなんだろうと頭を働かせてみるけれどさっぱりで。


 私を警戒しているようだからさっさと警察に突き出せばいいものを、それをしないのはどうしてなのか。


 ただ、彼らにとって私がどんな人かもわからないのにこれだけ豪華な部屋を使わせてくれるということは、ここがやはり全室スイートルームの高級ホテルか、あるいは超お金持ちの客室の一つか……どちらにしてもここを所有している人はとんでもない大富豪だというのは間違いない。


「空気の入れ替えでもしようかなぁ」


 目まぐるしく思考を働かせている私の右隣で、彼女が立ったのか空気が揺れ動いたのがわかる。


 彼女が動いておよそ十秒後。今度はかちゃりと軽やかな音と共に、左側から爽やかな風が音を立てつつも穏やかに部屋へと流れ込んできた。


 煌びやかな家具たちに夢中だったせいで確認しそびれていたけど、たぶん出口までの距離はそう遠くはない。


 それに、彼女が『よいしょ』と小さく呟いて開いたことを考えると、出口は小さな窓ではなく大きなドアなんだろう。バルコニーがあると見た。


 部屋には彼女だけ。逃げるには最高の条件。


 私の荷物はなさそう、私の欲しい情報もなさそう。


 ここにいたって私にメリットはない。それがわかったのだから選ぶ道は逃げる一択だ。


「ん……」


「あら、起きたのかしら……って!」


 ―――ドンッ


 先ほど辺りを見回したときに確認済みの、枕元にあった置時計を寝ぼけたふりして床へと落とす。分厚い絨毯の上では鈍い音が響くだけで壊れることはないだろう。


 ……彼女はそれを拾うために私の右横に来るし、かがむことにはなるけども。


「綺麗な顔して寝相は悪いのね……」


 失礼な。普段であれば私は死んだように眠るから寝相はすこぶるいい。以前、母が『死んだように』を強調しながら苦い顔をしていて文句を言ってきたから間違いない。


 足元付近で聞こえたひとり言に内心で言い返しながら、私は機会をうかがう。


 そして、彼女が着ている服が絨毯と擦れる僅かな音を耳にしたとき。


「ほい」


「きゃあ!?」


 私の上に綺麗に乗せられていた重たい掛け布団を、彼女の上に覆いかぶせた。可愛い悲鳴のあとの声はもごもごとして聞こえない。


 自分の姿をちらりと確認すると、纏っていた堅苦しいスーツではなく幾分も薄く動きやすい寝間着姿になっていた。


 これで外に飛び出すのは少し心許ないけども、膝上丈の動きにくいスカートで脱走するよりは全然いい。むしろありがたい。


 それで、痛いのは苦手だからスリッパを拝借してっと。


「おぉ、3階か~」


 出口に向かうと予想通りにそこはバルコニーになっていて。目を覚ましてから初めて日光を浴びた。数メートル先には若々しい緑が精一杯に生きていて、こんな状況だというのに心が和んだ。


 ここが1階だったら楽だったんだけどな……と思いながらスリッパを一旦外へと投げ捨てる。木に飛び移るのは物理的にも心理的にも難しくて、2階のバルコニーの手摺を使うしかない。

 さすがにあの柔らかいスリッパを履いたままそれをやるのは滑りそうで危ないから……っと。


「な、なにを考えて……!!」


「あははっ!ばいばーい」


 もみくちゃになりながら掛け布団から脱出した彼女の姿は笑っちゃうくらいぼろぼろで、だけど捕まえられるわけにもいかない私は笑顔で3階から飛び降りた。


 一度、2階のバルコニーをクッションにして、それから落としたスリッパの上へと膝のバネを使いながらしなやかに着地。うん、我ながら見事な動きである。


「え。……え?……えー!!お待ちください!!!」


「いやいや、逃げるに決まってるじゃん」


 今は遠くなってしまった部屋の中から叫ぶ声が聞こえる。


 私は悪びれもなく返すけれど、ぼそりと呟いただけのセリフはお相手さんには当然届かない。よし、逃げよう。


 緑の群れに駆け込みながらもちらっと後ろを振り返ってみると、顔を青くしてこちらへ手を伸ばす……ジュリエット顔負けの悲壮感漂う彼女がそこにいた。


 あぁ、メイドさんだったんだ。絵にかいたようなメイド服が可愛い。いくら可愛くても止まってあげないんだけど。


 ……って、あれ?メイドさん?


 そんなの現代ではメイドカフェくらいにしかいないんじゃ……。


「だ、誰か!女性が脱走しました!捕まえてくださいー!!」


 メイドさんが両手でメガホンみたいな形を作ったかと思えば、そう大きくアナウンスをした。ぽわっと光の粒が集まり、それが瞬く間に周囲へ拡散される。


「……今の、なに?」


 次々と追加される情報量に足が止まりそうになるも、背後で人が増えたのがわかって私は前へと向き直り加速させた。


 考えるのは後にしよう。今は逃げるのが一番だ。鬼ごっことかくれんぼは昔から大得意。警備のことはひとまず置いといて、まずは出口を探さないと。


 パニックになりかけている脳と心臓を落ち着かせ、密集している木々を器用に避ける。増えていった声たちが小さくなっていくのに安堵しながら、林らしきものの出口を目指して駆けたのだった。




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