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プロローグ



「3番線、電車がまいります。黄色い線の内側に―――」


 都内の通勤ラッシュの時間帯。


 ホームには人、人、人で埋め尽くされている。初めて見たときには思いきり顔が歪んでしまった。


 数分おきに電車が来るのに、数分後にはまた人で溢れてる。


 田舎から来た私は人の多さに一人でひっそり驚いた。


 でも、それは一か月前のこと。


 最初は迷子になりかけていた電車の乗り換えも、今では一本の道を歩くようにスムーズにできている。


 無事に都会の人のふりができている。成長だ。


 休みだった昨日は、カラオケに行ってオシャレで美味しいランチを食べた。


 好きなアーティストの新曲がさっそく追加されていてテンション爆上げで歌ったし、溶けたチーズ入りのふわっふわオムライスはほっぺたが落ちる感覚を知ってしまったほどに美味しかった。


 こうして充実した時間を過ごしストレスを発散、やる気をチャージした……はずだったのだけど。


「はぁ……」


 堪えようとしても漏れ出てしまったため息。



 月曜日……仕事に行きたくない。



 すれ違う人たちみんなからエネルギーを吸い取られているんじゃないかってくらい、一歩進むたびに心が干からびていく気がする。


 スマホの画面に反射している自分の顔は、月曜の1時限目に授業をしていた先生たちとまるで一緒。


 『先生なんだからもうちょっとやる気を出して授業しなよ』なんて思っていた学生の頃の私は、大人の苦労を知らなさ過ぎた。


 自分の言いたいことは我慢。上の立場の人たちには常に低姿勢。


 人の機嫌を伺いながら生きていた人間でも、少しずつ精神が消耗されていく。


 一番のダメージは、基本的に放置されていること。


 教えてもらえないから、資料室にあったマニュアルを見ながらなんとか頑張っているけども。


“三年生は入学したての一年生の面倒を見ましょう”みたいな優しい世界はどうやら学生までだったらしい。急に世界が変わるの、怖すぎる。


 今日もマニュアルを熟読するところから始まるんだろうなぁ……。


 気持ちが後ろ向きで、のろのろとしか歩けない。


 数分おきに来る電車を一本逃したところで遅刻なんてするはずもないのが都会のいいところ。


 ……そんなことを思っていると。



―――ドンッ。



「え?」



 突然の衝撃に身体が傾き、ホームから足が離れた。


 私の左半身に勢いよくぶつかった人は、こちらを振り返ることもなく自分の目的の方向へと足早に向かっていく。


 周囲の人たちも手元の四角い端末に夢中。


 誰もこちらを見てくれさえしないのが、視界の左の方にちらりと映った。


 私はホームから落ち掛けているというのに、だ。



―――キィィィィィ!!!



 運転手さんは私の存在に気づいてくれたのかもしれない。高くて不快な音が耳をつんざく。


 ようやく異変に気づいたホームで行列を作っている人たちの悲鳴も混じっているような気がした。


 あぁ、でも。ブレーキ踏んでも間に合わないんだろうな。


 電車には背中を向けているから見えないけれど、後ろから圧みたいなものを感じる。もわっとした熱気が私を背中から包み込んだ。


 完全に落ち切っていないままに本能的恐怖を感じながらも、どこか冷静な私。



「星来《せいら》!!!」



 叫ぶように私の名前を呼ばれたけど、声の主が誰なのか。残念ながら、死を覚悟して目を瞑った私にはわからない。


 ただ、似ているなって。


 ここにいるはずもない……私が先日捨てたところにいるはずの、母の声に似ているかもって。


 ……死ぬ間際に考えたのがあれだけ憎くて仕方ない母だったなんて、笑っちゃう。


 押されてから落ちるまでの一瞬で巡ったのはそんなもん。


 もう十分に生きてきた気がするし、別に未練もなにもない。強いてあげるとするなら、もうちょっと自由を満喫したかったってくらい。でも、それだけだから今死ぬのが正しいのかもしれない。


 迫りくる死を受け入れながら感じたのは、どうしてか全身を強く抱き締められているような感覚で。


 遠い昔の記憶と同じ温かさにはっと目を開くと、そこには。



「お、かあさん……?」



 驚きで喉がひりついた私の声は電車のブレーキオンに搔き消され……私の意識は深い底まで一気に落とされたのだった。




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