1話 政略結婚
ニニエ=アンゲラーは伯爵家の長女だ。前妻との間に出来た子供で、周囲からは駄目な子扱いされている。ニニエ自身も義妹コーデリアに比べたら劣っていることはわかっているので、冷遇されても仕方がないと思っていた。
自室は離れ、家族団欒の時間は自分抜き、コーデリアが欲しがったらなんでも譲る......当たり前だと受け入れてしまっていた。
「私、ティエリー様と結婚したくないの。 だから、お姉様、私の代わりにお嫁にいってくれる?」
笑顔でコーデリアはニニエにそんなことを言っていた。
「相手側は良いって言ったの?」
「ううん、でも、お姉様がどうしてもティエリー様と結婚したいって駄々をこねるからどうしても。 ってパパが頭下げてくれたから大丈夫だよ」
「よろしくね、お姉様」
そんなこんなでニニエは冷徹非道で有名な公爵ティエリー=クナウストと政略結婚することになってしまった。
嫁ぐ前から我儘で義妹の婚約を横取りしたヤバい奴だと思われているだろう。と、憂鬱だったニニエであったが、クナウスト家の暮らしは静かなものだった。
ティエリーは政略結婚だけあってニニエに興味がないのか、自由にしていいと言ってきた。
その言葉通りニニエは自由だった。
あまりにも自由で暇だったので実家にいたときのように、家事でもしようかと思ったが使用人達に止められてしまった。
「暇......」
ニニエは筋肉痛になったふくらはぎを揉みながら呟いた。
昨日、暇すぎたニニエは自転車に挑戦しようと思い立ち、練習したのだが結局乗りこなすことはできなかった。
何度も転倒をして体中傷だらけなので、お付きのメイドは帰ってきたニニエを見た瞬間言葉を失っていた。
家事に追われるだけではなく、自分の存在に悩んでいた実家暮らしの日々に比べれば、嫁いできてからの二週間は気楽なものだが、常に何かに追われていたニニエはやることがないとどうしてもそわそわしてしまうのだ。
(本でも読もうかな)
嫁いできて初日、屋敷を案内してもらったのだが、そのときに書斎の広さに驚いたことを思い出した。
あれだけ大量の本があれば何冊かは気に入る本があるだろうと考えたのだ。
「奥様、おはようございます。 朝食のお時間です」
ニニエはいつもと違う天井に一瞬、夢かと思った。
「おはようございます......」
目をこすりながら上体を起こすと、ここが書斎だということに気が付いた。
どうやら、読書に夢中になり過ぎてそのまま寝てしまったらしい。
(毛布かかってる......誰がかけてくれたのかな)
薄いグレーの毛布がニニエの体にかけられていた。
「毛布かけてくれたのって、アリエルさん?」
「いえ、私ではありません」
「それじゃあ......」
「毛布は私が片づけておきますね。 さあ、お食事にしましょう」
その日、ニニエは初めてティエリーと夕食を共にすることになった。
どうやら仕事がひと段落ついたようで、結婚してから約二週間で初めて食事を共にするのだ。
といっても、特に会話の糸口が見つからないので無言だ。
(ティエリー様は噂通り物静かだから話しかけない方がいいのかな......)
チラチラ様子を伺うニニエにティエリーが口を開いた。
「何かようか?」
「あ、あの、ご趣味は何ですか?」
「ない」
「そうなんですね......」
ここでもう一度無言が訪れた。
「この家の書斎って本たくさんありますね。 初めて見た時びっくりしました」
「そうか」
あまりの会話持続時間の短さにニニエは早々に諦めた。
(やっぱり話しかけない方が良さそう)
黙々と夕食を終えた後、お風呂から出たニニエはその足で書斎へと向かった。
二時間ほど経ったとき、書斎のドアが開いた。
横目でドアを見るとティエリーがいた。
「こんばんは、旦那様」
「ああ」
ニニエはすぐに本に目線を戻した。
その後、ニニエが書斎を出るまで二人の間に会話はなかった。
「お先に失礼します。 おやすみなさい」
「ああ」
翌日の夕食、今日は本の話題を振ればいいのではないか、と、ニニエはうきうきを隠せない様子でティエリーに話しかけた。
「旦那様はどのようなご本をお読みになるのですか?」
「気分による」
「一番好きなジャンルはなんですか?」
「戦記物」
「そうなんですね、今度読んでみようと思います」
(昨日よりは続いた!!)
小さい一歩だが、会話が多少は続いたことにニニエは胸を撫で下ろした。
この晩は、ニニエよりもティエリーが先に書斎に来ていた。
ソファーにティエリーが座っていたので、ニニエはソファーから離れた四つ足の木製の椅子に座った。
戦記物の中から一冊選んだニニエは黙々と読み始めたのだが、ティエリーからの視線が気になって仕方がなくなり、顔を上げた。
「旦那様? どうなされましたか?」
「なんでもない」
そう言われたのでニニエは読書を再開させたのだが、数分後また視線を感じた。
思わずニニエはティエリーを長々と見つめてしまった。
「君は素直というか、その......なんでもない、忘れてくれ」
「は、はい」
(もしかして、馬鹿だともう知られちゃった?)
表情が非常に出やすいニニエはあからさまに落ち込んでいるような顔になった。
「......裏表がないと言おうとしただけだ」
「え?」
「もう寝る。 君もいつまでも夜更かしするなよ」
ティエリーは本を閉じた後、立ち上がった。
「その本...... 私、その本好きなんです。 どうでしたか?」
ニニエは本の裏表紙で自分がよく読む本だと気が付いた。
「君がバトルファンタジーを好きな理由がわかった気がするよ」
(バトルファンタジー好きって言ったことあるっけ......)
ニニエにはティエリーに自分の趣向を話した記憶はなかった。
「本当ですか?」
同志が増えたということでニニエの表情が明るくなった。
「ああ」
「旦那様さえよろしければ、今度おすすめのバトルファンタジー作品紹介します」
「よろしく頼む」
「旦那様のおすすめの本も教えてくれたら嬉しいです」
「わかった」
ニニエはすっかり上機嫌だ。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
ティエリーは書斎のドアを閉めた瞬間、深いため息を吐いた。
ティエリーはニニエのことをなんとも思っていなかったが、ニニエが自転車を練習している姿を目撃してしまってからは気になってしまっていた。
傷だらけになりながらも何度も自転車に乗る練習している16歳を見たことは初めてだった。
その日の夜、書斎のソファーから転げ落ちて熟睡しているニニエに、少し引いてしまったがあどけなさが残る寝顔になんだかもやもやした。
そして、さきほどのニニエのはにかんだ笑顔。
ティエリーのもやもやが止まらくなってしまったのだ。
何とも言えないこの胸のざわめきにティエリーはただ病気を疑うのだった。