聖夜の贈り物
珍しく月が出ている夜だった。
北海道は、冬に月が見えることは少ない。雪が降ると月は隠れてしまうからだ。
私は月に誘われて、久しぶりに夜の街を歩いた。
もうすぐクリスマスだからか、街がクリスマス一色になっていて、昼間より騒がしいくらいだ。
どの店もクリスマスの曲を流し、店先にサンタの人形や、ツリーを飾っている。それに、街路樹のイルミネーションが街を彩り、まるで街路樹がファッションショーでもしてるかのようだ。
何だか、街を歩いている人も楽しそうに見える。いや、本当に楽しいのだろう。
私は、その光景をよその国の出来事のように見つめた。
妻が亡くなって二十年。
クリスマスどころか、正月だって私の中から消えてしまった。
感覚だけで、ああ、正月だな、クリスマスだなと思うだけだ。
二十年も経てば、その感覚にも慣れる、当たり前になる。でも、それが寂しいような、物足りないような気がする。
私は、珍しく冬の夜に出ている月を見上げた。月を見ると、そこに妻がいるような気がするからだ。
私は、月の妻に話かけた。
君がいなくなって、クリスマスのツリーも飾りも出さなくなったよ。
一人じゃ、クリスマスもつまらないからね。
君は、よく毛糸でツリーに飾るオーナメントを編んでいたね。サンタ、トナカイ、星に月、クッキー、ウサギやキツネ、クマもいたね。そうやってたくさん作っては、ツリーに飾っていたね。
「買うより、作るのが好きなの」と言って。
色とりどりの毛糸の真ん中に座って、楽しそうに作っていたのを思い出したよ。
「緑色のツリーをドレスを纏った貴婦人のようにするの」
童話が好きな君の表現が、面白くてよく笑ったものだ。
作り過ぎて、全部飾れなかったこともあったね。それから、オーナメントを吊り過ぎて、ツリーが倒れたこともあったね。
あれには、二人で大笑いしたっけ。
それに、君はオーナメントを作るのは得意なのに、ケーキ作りはよく失敗して、私が閉店間際のケーキ屋に買いに走ったのを思い出したよ。
仕事から帰ると、ぐちゃぐちゃのケーキの前で君は泣きそうになってたね。
なのに、私が買って来たいちごのケーキを前にすると、思いっきり頬張りながら、
「失敗して、よかった」と嬉しそうにしていたね。
そんな君を見ると、可笑しいやら、ホッとするやらで、何だか忙しかったよ。
君には、恥ずかしくて言えなかったけどね、君のその姿を見るのが、毎年の楽しみだったんだ。
だから、君がいなくなって、ツリーを出すのが、クリスマスが来るのが、とても辛かったんだ。君がいなくなったのを証明しているみたいだからね。
そんなことを思ってたら、二十年も経ってしまったよ。
でも、今年は思い切ってツリーを出してみようか。
もしかしたら、君の喜ぶ顔が見えるかもしれないからね。
そう言うと、月の妻が笑った気がした。
次の日の朝、私は物置となってしまった部屋でツリーを探した。二十年も出さなかったツリーは機嫌を悪くしたのか、なかなか見つからない。何だか、拗ねて隠れてしまったかのようだ。
その代わり、妻と行った数少ない旅行の土産物の置き物や、いつか二人で使おうと旅先で作った湯呑み茶碗などが出て来た。
私は懐かしさで、それらを一つ一つ手に取り、思い出に浸った。
ツリーだけじゃなく、これらも出してあげよう。
私は、ツリーを探す前に土産物の置き物や湯呑み茶碗を部屋に飾った。だんだんと部屋が賑やかになった気がする。
これは、いよいよツリーを飾るのが楽しみになってきた。
私は、気合いを入れてツリーを探した。ダンボールを一つずつ開けては、確認していくと、部屋の端に細長いダンボールが横になって置かれているのが見えた。
これだ、これに違いない。
私は他のダンボールを避けながら、そのダンボールに近づいた。
すると、細長いダンボールの側面に、妻の字で『クリスマスツリー』と書いてある。
「見つけた!」
私は子供のように声を上げてしまった。
少し恥ずかしさを覚えながら、ダンボールの蓋を開けると、二十年前の物とは思えない鮮やかな緑色のツリーが入っていた。
私は、ツリーをそっと持ち上げた。
息を吹き返したようなツリーは、どこも壊れてはいない。
ホッと安堵すると、ツリーの箱の横にカラフルなダンボールを見つけた。珍しいノルディック柄の箱で、上に『オーナメント』と書いてある。どうやら、ここにツリーに飾るオーナメントが入っているようだ。
私は、早る気持ちを押さえつつ、ダンボールを開けた。そこには、種類別にビニールに入った毛糸のオーナメントが入っていた。ビニールには、『靴下』『動物』『星、月』など書かれている。面倒くさがり屋の妻にしては、几帳面に整理されていることに驚きながらも微笑ましい。
それに、オーナメントを見ていると、昔懐かしい友達にあった気さえしてくる。
私は、急いでツリーとオーナメントを持つとリビングに急いだ。ツリーを置く場所は、もう決まっている。窓の横だ。外からもツリーが見えるようにと、妻がここに決めたのだ。
「なぜ、外から見えるように置くんだい?」
私が妻にそう聞くと
「だって、サンタさんが来た時にツリーが見えていた方がわかりやすいでしょ?」
妻は、真顔でそう言うのだ。
私は、妻が真顔でそんなことを言うのがおかしくて笑いが止まらなくなった。妻は、大人になってもサンタを待っているんだなと感心もしたものだ。
リビングの窓際にツリーを立てると、案外高さがあった。
記憶では、もう少し小さかったような気がするが、もしかしたら私が縮んだのかもしれない。そういえば、妻は、ツリーの上の方に飾りやモールを付ける時は、椅子に乗っていたことを思い出した。
私は妻が飾り付けているのを思い出しながら、オーナメントやモール、電飾を付けていると、何だかワクワクしてきた。
まるで、昔に戻ったような気がする。
きっと、妻も毎年こんなワクワクした気分だったのだろう。
段々と飾り付けられていくツリーは、二十年ぶりだと思えないくらい堂々としている。貴婦人という表現は、あながち間違っていないかもしれない。ただのツリーがドレスを纏った貴婦人に見えてくるから不思議だ。
そして、最後にツリーのてっぺんに星の飾りを乗せた。
まるで、ティアラを乗せるように。
我が家のクリスマスツリー、いや、クリスマスの貴婦人は完成した。
私は、電飾のスイッチを入れた。キラキラ光るツリーは、リビングを違う世界に変えたようだ。
サンタさんにツリーが見えるかな?
私も妻と同じことを考える。
明日は、クリスマスイブだ。いちごのケーキを買って来るとしよう。飲めない妻のために、ノンアルコールのシャンパンも用意しよう。そう考えるだけで、今まで避けてきたクリスマスが楽しく思える。
早くそうすればよかったと少し後悔した。
クリスマスイブの朝、私は今までにないくらいワクワクした気分で目覚めた。
リビングの窓のカーテンを開くと朝日が入り、ツリーを照らした。まだ夜じゃないのに、キラキラと電飾が光っているように見える。
ツリーも久しぶりに箱から出ることができて喜んでいるのかもしれない。
私は、今夜のクリスマスパーティのための準備に取り掛かった。
まずは、料理だ。
二十年も一人暮らしをしていると、少しはできるようになる。
「クリスマスと言えば…チキンか」
頭の中で、一羽まるまるのチキンが思い浮かぶ。
「いやいや、一人で一羽は食べきれないな」
チキンは出来合の物を買うことにする。
「シャンパンに合うと言えば…そうだ!スモークサーモンだ。じゃあ、後はサラダだな」
買う物を紙に書いていくと、ほとんど作らずにできそうだ。
「後は、いちごのケーキだな。これは、ワンホール買おう」
独り言を言いながら、楽しくて仕方がない。
そして、雪が降る街を買い物しながら歩いた。メモに書かれた物を忠実に買いながら。
何だか、頼まれた買い物をしているような気がする。肉屋でローストチキンを買い、スーパーでスモークサーモンとサラダ、パン屋では、フランスパン。シャンパンは、ワイン専門店で買った。妻に、ノンアルコールのシャンパンも忘れずに。最後に、ケーキ屋でいちごのクリスマスケーキ。今日は、かなり奮発したな、そう思いながらも顔は笑っている。
家に帰ると、さっそく料理をお皿に乗せる。それから、次はテーブルをセッティングだ。シャンパン二本は、氷の入った大きなボールで冷やす。お皿やフォークやナイフ、スプーン、シャンパングラスは二人分用意する。料理を並べると豪華になった。
「これで、完璧だ」
手を腰に当てて、部屋を見渡す。
誰が見ても、クリスマスパーティ会場だ。
買い物に時間が掛かったのもあって、もう夜の八時になっている。もし、凝った料理を作る予定にしていたら、何時になっていたかわからないなと苦笑した。
「さぁ、クリスマスパーティの始まりだ」
私は椅子に座ると、シャンパンのコルクを抜いた。もちろん、まずは妻のノンアルコールのシャンパンからだ。泡立て過ぎないように妻のシャンパングラスに注ぐ。それから、私のシャンパンのコルクを抜いて、自分のグラスに注いだ。
「メリークリスマス!」
妻のグラスに自分のグラスを当てた。久しぶりに飲むシャンパンは、体の中に爽やかに染み込んだ。
「クリスマスパーティを始めよう」
妻の席に向かって言う。
私は、そこに妻が座っているかのようにいろいろ話した。日々のことや、毎年のクリスマスの話、妻と出会った日のことまでも。
もちろん、返事はない。でも、そんなことは、どうでもいい。
私は、妻とクリスマスパーティをしてい
るのだ。そんな私の傍らには、ツリーが電飾をキラキラと光らせて、このパーティを盛り上げてくれている。
私は、いつもはそんなにアルコールを飲まないが、今夜は気分が良くて、シャンパン一本を一人で空けてしまった。
よく飲み、よく食べ、よく喋ったからか、少しウトウトし始めた。
少し眠ろうとソファに横になった。
どれくらい経った頃だろう。
私はふと目覚めた。見えているのは、窓際のツリーだ。電飾だけが、キラキラと点滅している。そして、気付いた。部屋の電気を消した覚えがないのに消えているのだ。
酔っていたから、消したのを忘れているのだろうか?
そんなことを考えていると、ツリーの横が淡く光っているのが見えた。私はよく見ようと体を起こした。
そこに見えたものは、淡い光に包まれた妻がツリーの横に立っている姿だった。
私は夢を見ているのか?
まだ、寝ぼけているのか?
そう考えずにはいられない。
でも、何回瞬きしても妻はいる。
ツリーの方を向いて、懐かしそうに自分の作ったオーナメントを見ているのだ。
「美雪…」
私は思わず声を掛けた。
その淡い姿の妻は、私の声に反応するかのように私の方を向いた。その表情は、とても優しく穏やかだった。それは、亡くなる前の痩せた顔じゃなく、元気だった頃の顔だ。
妻の柔らかなほっぺには、赤みが差していて、くるんと巻いたまつ毛もここから見てもわかる。
「美雪、クリスマスパーティに来てくれたのかい?」
私は、そう聞いた。
でも、妻は笑って頷くだけだ。
ああ、月の妻と同じだ。
声は聞こえないんだ。
それでもいい。来てくれただけで。
妻を見ている私の目から知らず知らずに涙が流れていた。悲しい涙じゃない。嬉しい涙だ。
「ずっと、クリスマスツリーを出してなくて、ごめん。君を思い出して悲しくなるのが怖くて出せなかったんだ」
私は、素直な気持ちで謝った。
妻は、少し悲しそうな顔をしたが、大丈夫よというように優しく頷いた。
「でも、今年は出してよかったよ。また美雪に会うことができた」
妻が嬉しそうに笑う。
「あ、ごめん。でもプレゼントも買うのを忘れてしまったよ」
私がしまったという顔で謝ると、また妻が笑う。私の顔が面白いというように。
私は、この妻の笑顔をずっと見たかったんだ。ずっとずっと見たかったんだ。
まさか、もう一度見られるなんて。
今日は、最高のクリスマスになった。
ただ、わがままを言っていいなら、妻の、美雪の声が、言葉が聞きたい。
妻は何かを伝えようと口を動かす。もどかしいくらいにわからない。
まるで、妻と私の間をガラス板で遮られられているかように。
近くにいるのに、遠い。
わかっているけど、辛い。
でも、一つだけわかった言葉がある。
口の動きが『ほん』と言っているような気がする。妻は本が好きで、小さな図書館と呼んでいるたくさんの本がある部屋があるくらいだ。
もしかしたら、妻は残していった本が気になっているのかもしれない。
「大丈夫だよ。本は全部とってある。捨てたりしないよ」
私は、妻を安心させるように言った。
それでも、何か言っているようだが、わからない。
「大丈夫、大丈夫」
少しでも妻に心残りがないように、そればかり言っていた。
しばらくすると、夜が明け始めた。
時間というのは、容赦がない。
いくら、私たちが望んでも待ってはくれない。淡い姿の妻が、だんだんと薄くなっていく。
そして、儚い映像を見ているように妻は消えいった。
それと同時に私も深い眠りについた。
眩しい光に照らされて目覚めた。もう日が高く登っているようだ。私は、ソファから立ち上がると窓のカーテンを開けた。今日は、雲一つない十勝晴れのようだ。
空を見ているうちに、ふと、気になることを思い出した。それは、昨夜、妻がしきりに『ほん』と言っていたことだ。
あれは、いったい何を意味していたのだろう…
昨夜のことが夢でないとしたら、何か意味があるのかもしれない。
私は、小さな図書館と呼んでいる部屋へ向かった。四畳半の小さな部屋に本棚を壁一面に置いて、本を並べている。
ここも、妻を思い出すので入ることは滅多にない。少し埃を被っている本を見ながら、掃除をしなければいけないなと思っていると、昨夜の妻が赤いカーディガンを着ていたのを思い出す。あの赤いカーディガンは、妻のお気に入りでよく着ていたものだ。そんなことを考えて、本棚を見ていると、下から三段目の一番端っこに小さな赤い本が見える。それは、文庫本サイズのようで、他の本に隠れるように置いてある。
私は、その赤い本を手に取った。なぜか、この赤い本には、表紙にも背表紙にもタイトルが書かれていない。中を開くと妻の書いた文字が見える。どうやら、これは本ではなく、ハードカバーのノートらしい。本棚にあるから、本だと思い込んでいたので、ノートがあることに驚いた。
私は、一ページずつ、ゆっくりとめくった。そこに書かれていたものは、妻が書いた童話のようだ。
一ページ目には、『小さな冒険』と書かれてある。私は愛おしむように読んだ。
ストーリーは、こうだ。
女の子が森に迷い込んで、泣いているとコロポックルたちがやってくる。コロポックルたちは、女の子を泣き止ませようと、いろいろ所に連れて行く。七色に光る湖、人より大きいフキの森、ラベンダー畑では、花冠を作って女の子の頭に乗せてあげる。すると、リスや野うさぎがやって来て、一緒に遊ぶ。
所々に妻の書いたイラストがあって、ちゃんと本になっている。
いつ、書いたのだろう?
全然、知らなかった。
驚きと共に、完成度の高さに感心した。
「美雪に、こんな才能があったのか…。もっと早く気付いてやればよかった」
思わず、そう呟いた。
そして、物語を最後まで読んだが、まだ最後のページにまだ何か書いてある。
最後の一枚をめくると、
『寂しい心を温めてあげたい。美雪』
そう書かれてあった。
これは、きっと私へのメッセージだろう。
昨夜、妻はこれを私に見せたかったのだ。だから、『ほん』と言ってたのだ。
私は、小さな赤い本を胸に抱きしめた。
美雪、ありがとう。
美雪の気持ちは受け取ったよ。
サンタさんは、大人の私にも最高の贈り物をしてくれたようだ。