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バカンス

作者: 春先ぷーすけ

バカンス

             タラシトウ


 彼女が好きだ。


 三十四年。私は、この人生で、子供を持てなかった

 結婚も出来なかった。


 途方にくれ、悲観し、自責し、遺書を書いた。

 一人暮らしのアパートで死ぬと、人に迷惑がかかるので、実家に戻ってきていた。

 

 荷物は、ほとんど処分した。

 

 朝起きて、朝食を取った。

 何も塗ってないトーストと、ベーコンの入ったいり卵を作って食べた。

 洗顔をして、スラックスを履いて、Yシャツをはおり、ネクタイを締めた。

 今日は、日曜日、教会に行く日だ。


 青年、ガライワタルは、オートバイに乗って、教会へ向かった。


 教会の裏手に、オートバイを停めて、中に入った。


 小さな教会の椅子に座ると、ガライを待っていたように、栗色の髪の少女が、さも当たり前と言わんばかりに、ガライの隣に座った。

 スマートフォンで、音楽を聴いて、小さく口を動かしている。声は、出していない。

 目は、ダークブラウン十一歳になったばかりで、名前をセリーナと言う。アメリカ人の少女で、英語が話せるらしいが、ガライは、セリーナが英語を話すところを聞いた事が無い。


 セリーナがガライに尋ねる。

 「まだ牧師さんの、お話終わらない?」

 ガライは、答える。

 「後、葯十分。」

 「後、五分。」

 「後三十秒。」

 「はい。終わった。」

 ガライが礼拝の終了をセリーナに告げると、セリーナは、一度、母親の元に戻り、教会の食事の時間中、ずっとガライの傍に居た。

 一度、ガライは、なぜ、セリーナが、自分の傍を離れないのか、それとなく尋ねて見た事があった。

 セリーナの返事は、一言だった。

 「落ちつくから。」

 セリーナは、それだけしか答えなかった。

 

 ガライの傍に居るのが、落ち着くのか?それとも、何か別の理由があるのか分からなかったし、それ以上何も聞かなかった。

 セリーナとガライは、いつもそうだった。

 二人とも、何も確かな事を言い合わない。


 「よし。」

 ガライは、腰を上げた。

 セリーナは、めったに教会に来ない。

 だから、死ぬ前に最後に、セリーナに会えて良かった。


 ガライが帰ろうとしたときだった。

 セリーナの母親が、電話で誰かと話していて、途中から動揺して、頭を抱え込んだ。

 「どうかしましたか?」

ガライが尋ねると、気が動転しているセリーナの母親は、ガライに頼みごとをしてきた。

 「ガライ。セリーナをしばらく見てもらっていい?私は、病院へ行かなければならないけど、セリーナを一緒には、連れて行けないの。今は、事情を言えないけど、セリーナを頼める?」

 ガライは、とても困った。今からガライは、自殺する予定だったのだ。

 そしてセリーナの母親のマリーが、ガライの名前を覚えていた事がとても意外だった。

 セリーナにしても、ガライを名前で呼んだことは、ない。

 ガライが何か言う前に、マリーは、千円札をガライに渡して、

「じゃあ、お願い。それでセリーナに水分補給をさせて。今日は、少し暑いから。」

 マリーは、それだけ言って、車で走り去った。

 ガライは、あっけに取られていた。何でセリーナを連れて行って、くれないのだろうか?それにマリーは、明らかに慌てている。ガライを信用して預けたのは、分かったが、彼女は、千円札を渡して、子供を一時的とは、言え、置いていくほど、無責任な母親では、無い。一体何が、あったのだろう?あの慌てようと気の動転の仕方は。


 しかもその日に限って教会の牧師は、忙しく、教会のドアは、閉められ、セリーナとガライは、教会から閉め出されてしまった。


 外は、暑かった。

 ガライは、タクシーを拾うと、セリーナと一緒に、教会の近くの高級ホテルに向かった。

 ガライは、ここにたまに食事に来る。

 「セリーナちゃん。喉が渇いただろう。ソーダ水でも飲む?それかパフェ食べる?」

 セリーナは、ホテルのレストランの椅子で、足をバタバタさせていた。

 「ダイエット中だから、ゼロカロリーのコーラ。」

 ガライは、ゼロカロリーのコーラを二つ頼んだ。

 二人は、コーラがなくなっても。ストローでズーズー吸って遊んでいた。


 その後、ガライは、セリーナを連れて、ホテルの周りを見て回った。腹は減っていなかったので、アニメ専門店で、時間を潰した。ガライもセリーナもアニメが好きなわけでは無いが、アニメ専門店は、賑やかな音楽が流れ、愛くるしいぬいぐるみや、綺麗な絵のグッズが置いてあって、居心地が良かった。

 

 その後も、街をぶらぶらして、時間を潰した。

 しかし、夕方を過ぎて、薄暗くなっても、マリーから連絡が無い。

 ガライは、何度も、マリーとその夫、セリーナの家に、電話をかけたが、だれも出なかった。

 『参ったね。こりゃ今日中に死ぬのは、難しいかも知れないぞ。』

 「セリーナ。お腹が空いたろ?」

 「うん。ちょっとね。」

 ガライは、ホテルに戻り、セリーナに夕食を食べさせた。


 ガライは、自分の葬式費用に大量の現金を持ち歩いていたし、クレジットカードも持っていた。


 ガライが、セリーナを家に送る事にした時、セリーナがうずくまった。

 ガライは、駆け寄ってセリーナを抱き上げて気づいた。

 「セリーナ。君、凄い熱があるじゃないか、何で我慢してたんだ?」

 セリーナが、ガライに懇願する。

 「おじちゃん。病院は、ダメ。病院には、私、行けないの。お願い。病院には、連れて行かないで。エドガーみたいに閉じ込められちゃう。」

 エドガーと言うのは、セリーナの弟だ。

 今日は、教会に来ていなかった。


 ガライは、とりあえず、ホテルに部屋を取って、セリーナをベッドに寝かせ。近くのコンビニで、氷を大量に買ってきて、ビニールで氷をくるんで、部屋のタオルにまいて、セリーナの頭と両脇に挟んだ。

 セリーナは、幾分かましになったようで、そのまま眠ってしまった。


 ホテルの外は、どんどん暗くなっていく。


 ガライは、何度もマリーに電話をかけたが、マリーは、電話に出ないどころか、電話そのものが、ずっと、通話中で繋がらなかった。

 「どうなってるんだ。」

ガライの憤った声で、眠っていたセリーナが起きた。

 「ガライのおじちゃんこっち来て。」

 セリーナが珍しくガライの名を呼ぶ。いつもおじちゃんだけなのに、ガライは、セリーナのベッドの横に座り、セリーナの手を握った。

 「ごめん。セリーナ。嫌な声を出して、何度も電話してるんだけど、セリーナのお母さんもお父さんも、電話に出てくれないんだ。俺の電話は、壊れてない。さっき確認した。セリーナのお父さんと、お母さん。何か事情があるみたいだ。セリーナ。何か知らない?今から、セリーナを家に送っていけば、誰か家の人は、居る?どうして、セリーナは、病院に行けないの?」

沢山質問をするガライをセリーナは、なだめる。

 「私もよくは知らないの。朝、エドガーが熱を出して、病院に行ったの。それで、お父さんとお医者さんが、病院の人と口論してて、お母さんは、逃げるように私を教会に連れて行ったの。病院の人たちは、エドガーを病院から出すなって言った。だから私もだから私も、閉じ込められるかもしれないから、病院には行けないの。」


 ガライは、仮説を立てた。セリーナの弟のエドガーは、何かの病気にかかり、隔離された。

 セリーナもエドガーと同じかは、分からないが、何かの病気にかかっている。


 とにかく死ぬのは、今度にして、今はセリーナを助ける事だ。

 何をしたらいいのか?ガライには、分からない。両親の元に送り届けるのが一番だが、その肝心の両親と連絡が取れない。

 だが、とにかく明日、セリーナの家に行ってみよう。望みは、薄いがセリーナの家族が居て、エドガーも帰ってきていて、何事もなかったように、セリーナを迎えてくれるかも知れない。

 セリーナは、汗を掻いていたので、ガライは、着替えの下着を買ってきて、セリーナに着替えてもらった。

 ガライは、シャワーを浴びると、椅子に座って、うつらうつらしていた。

 一息つくつもりで椅子に座ったが、ベッドに入る前に、睡魔が襲ってきた。

 まだ夜の十一時ごろだった。

 誰かがホテルのドアをノックした。

 ガライは、起きて、ドアを開けた。

 寝酒に、ビールとナッツを注文したのが、遅れて届いたのだと思った。

 しかし、ドアを開けると、見た事も無い。ガライと同じくらいの年齢の白人女性が入ってきた。髪は、セリーナと同じ栗色で、天然パーマ。目鼻立ちがはっきりしていて、タンクトップにジーンズ、バスケットシューズに、大きなボストンバッグを提げていた。

 「何だ、あんた勝手に入ってきて。」

 しかし白人女性は、

 「騒がないで。」

と一言日本語で言って、ボストンバッグから注射器を一本取り出して、セリーナに注射した。

 「おい、勝手な事するな。」

 ガライは、口では、そう言ったが、何か処置をしなければならないと分かっていた。セリーナの苦しい顔が、注射を打った直後、安らかなものになった。

 女性は、名乗った。

 「私は、マチルダ日谷。医者です。セリーナちゃんの体には、強力なウイルスが居ます。日を追うごとに、この注射では、抑えられなくなります。私の父の病院に行けば、セリーナちゃんを治療できます。あなたは、セリーナちゃんのお父さんですか?」

 ガライは、名乗る。

 「俺は、ガライワタル。父親じゃない。成り行きでセリーナを保護してる。病原菌て、何の事だ?俺には、何の事か、分からないし、セリーナが何らかの病気で、治療が必要にしても、両親と一緒に行かせるべきだ。」

 ガライがまだ何か言おうとするが、マチルダと名乗った女性は、まくし立てた。

 「あなたが、父親でないのなら、セリーナちゃんの両親と、エドガー君は、亡くなった物と、思います。死体を確認できていませんが、三人は、中央病院に居て、中央病院は、ミサイル攻撃を受けました。」


 「え・・・」

 ガライが言葉を失った時、マチルダが素早くテレビのリモコンを手に取り、チャンネルを変えていった。

 どのチャンネルにも、燃え盛る病院が映っている。

 「どういうことだ?」

ガライは、考えたことをそのまま口に出しいた。

 マチルダが眠っているセリーナを抱きかかえる。

 「ホテルの駐車場に、私の車があります。事情は、移動しながら話します。

 今は、セリーナちゃんの身の安全が、最優先です。あなたも私に着いて来たほうがいいですよ。ガライさん。あなたは、もう関係者になりました。セリーナちゃんを狙っている追っ手に何をされるか分かりません。

 『このマチルダという人、何を言ってるんだ?』

 ガライは、考えているが、マチルダは、迫ってくる。

 「ついて来るか、一人で逃げるか、決めてください。ついてくるなら、あなたがセリーナちゃんを抱っこしてついて来て下さい。」

 ガライが、セリーナを抱っこすると、マチルダは、早足で移動しだした。


 マチルダは、ホテルの非常階段を使って、駐車場まで、ガライとセリーナを連れて移動した。何かを警戒しているようだ。


 マチルダと三人で、車に乗り込むと、車を大きな雨粒が撃ちつけるような音が響いた。

 それは、雨粒ではなく、マチルダの車に浴びせられた追っ手の銃弾だった。

 マチルダは、銃を取り出し、車から降り、七発撃って応戦すると、手榴弾を追っ手に投げて、車を発進させた。夜の駐車場に火炎が走っている。

 マチルダが運転する四駆は、そこらじゅうの車を擦りながらふらふら走っていた。

 ガライは、注意する前に、マチルダが怪我をしているのに気づいた。

 さっき、銃で応戦したときに撃たれたのだ。

 駐車場を出て、二十分ほど走ったとき、マチルダは、腹部から血を流し、汗だくになっていた。


 後部座席で、セリーナを抱いていたガライが、マチルダの肩に手を置く。

 「俺が運転するから、車を停めてください。追っては、まいたようです。」

しかし、マチルダは、拒否する。

 「弾はかすっただけです。大丈夫です。」

 だが、マチルダのハンドルを握る手は、ガタガタ震えているこのままでは、ショック状態に陥る。

 セリーナは、眠っているので、ガライは、小さな声でマチルダに言って聞かせる。

 「なあ。あんたが、何を意地になっているのか、知らないが、運転を俺に代わるんだ。みちは、指示してくれれば、その通り運転する。どうやら、警察には、行きたくないみたいだからな。」

 マチルダは、車を停車する。

 目がうつろだ。

 「いいですか?私の指示どおり運転してください。私達三人が生き残るには、逃げ切るしかないんです。今は、誰も頼れません。とにかく父の病院へ。話は、それからです。」

 ガライは、運転席から、マチルダを担いで、後部座席へ移した。マチルダの血が、ガライのYシャツに付いた。

 ガライは、ハンドルを握り、発車させる前に、マチルダに言った。

 「ホテルから出るときの約束では、車中で事情を説明するはずだ。」

 マチルダは、自分ボストンバッグから、消毒薬と、包帯を出して、自分を治療しながら話し始めた。

 しかし、ガライには、マチルダの言う事がガライを騙すための嘘だと分かった。

 とりあえず、マチルダは、話す。

 「私の横で眠っているセリーナちゃん。そしてセリーナちゃんの弟のエドガー君は、強力な病原菌を体に宿しています。セリーナちゃんの両親は、テロリストです。いえ。もう亡くなったので、テロリストでした。と言うべきですね。彼らは、自分の子供に、病原菌を宿し、日本に持ち込み、その後、病原菌を取り出し、精製し、散布し、ばら撒くつもりでした。事情は、複雑ですが、米国には、アメリカがテロの標的になり、日本が安穏としているのを、許せない人間達が、沢山居るのです。」


 ガライは、マチルダが言い終わらないうちに、ため息を吐いた。

 「ちょっと興行収入をあげたい映画の筋書きなら、それでいいだろうが、あんたの言ってる事は、真っ赤な嘘だ。俺は、マチルダの両親とは、付き合いが長い。頻繁にアメリカと日本を、行ったり来たりしているのは、事実だが、テロリストでも悪人でもない。それよりマチルダさん。あんたのほうが、よっぽど怪しいよ。医者には、違いないだろうが、さっき、あんたが、銃を撃つのを見てた。一般人のレベルじゃ無い。銃を撃ち慣れてるな。あんたは、高度な軍事訓練を受けてるし俺は、善悪には、今は、こだわらない。セリーナちゃんの身の安全が、最優先だから、あんたの言う事に従ってやるが、あんたは、何かよからぬ事を考えているね。俺は、セリーナちゃんから不思議な話を聞いたことがある。セリーナちゃんは、普通の子供とは、ちょっと違う。あんたの目的が何だか知らないが、俺は最後まで、あんたから目を離さないからな。あんたが、何をしようと構わない。セリーナちゃんの身の安全は、保証してもらう。それに、エドガー君とセリーナの両親が、死んだって言うのも、信じがたいからな。マチルダさん。あんたは、うそつきの悪党のようだ。」

 マチルダは、ガライに嘘を見抜かれ、恐れるような目で、ミラー越しにガライを見ていた。

 そして、怪我のせいで、後部座席で、ぐったりとしてもう、嘘を吐かなかった。


 マチルダへ、指示されるとおり、ガライは、夜明けまで運転した。

 行き着いた病院と言うのは、ガライの想像していた医療センターのような大病院ではなく、小さな田舎の診療所だった。場所は、宮崎県高千穂。


 ガライは、セリーナが起きないように、静かに抱き上げて、守るようにだっこした。

 マチルダに促されるまま、診療所に入った。


 診療所の中で、高齢の医師が待っていた。


 「初めまして、ガライさん。医師の日谷明です。」

 マチルダは、ガライに運転させながら、この明医師に電話で、ガライの事を話していた。

 日谷明は、そう白髪の小柄な男だった。

 ガライが尋ねる。

 「失礼だが、このマチルダさんの話しだと、あなたは、マチルダさんのお父さんのはずだが、マチルダさんは、純粋な欧米人で、あなたは、どう見ても日本人だ。どうでもいい事に聞こえるかもしれないが、俺は、神経質になってる。この子、セリーナを守る責任がある。マチルダさんの言う事は、何もかもが、怪しい。俺としては、この場で、マチルダさんから、車の鍵を奪って警察に保護を求めてもいいんだが・・・」

 明らかに、ガライは、マチルダと、医師の日谷医師を敵視して、警戒している。ガライにマチルダが説明する。

 「養父なんです。うちの父は、私は、孤児でした。父は、私を引き取って、学校に行かせてくれました。本当です。信じてください。ガライさん。」

 明医師もガライを説得する。

 「ガライさん。とりあえず、そちらのセリーナちゃんに処置をさせてください。マチルダが注射を打ったと思いますが、あの注射の効力は、非常に短い上に、根本的な解決には、ならないのです。

ガライは、気持ちを落ち着けた。

「いいでしょう。セリーナが熱を出して苦しむのを見たくない。あなた方は、信用できませんが、処置は、してもらいましょう。ただ明先生。先にマチルダさんの傷を見て上げてください。見ているこっちが、痛くなるほど、血が出てる。」

 明医師は、ガライの要望どおり、最初に、マチルダの傷を治療した。やはり、自分で自分の傷の手当てをするのは、難しいらしく、マチルダは、あと少しで、感染症を起こすところだった。

 ガライは、明医師が、セリーナの採血をしている間も離れず、睨みを効かせていた。

 セリーナの血は、夜のうちに、調べるとして、明医師は、セリーナに点滴を打った。

 「点滴に、鎮静剤を入れました。」

 明医師は、隠さず説明した。

 セリーナは、目を覚まさなかった。

 明医師は、説明を続ける。

 「鎮静剤を入れたのは、セリーナちゃんを覚醒させないためです。」

 ガライさんは、マチルダの嘘を見破ってしまいましたが、セリーナちゃんの体の中に、特別な物が眠っているのは、本当です。セリーナちゃんは、その特別な物の影響で、熱を出した。この点滴の抗体が、特別な物を抑えこんで、眠っていた方が、セリーナちゃんは、楽です。セリーナちゃんが覚醒すると、特別な物と、セリーナちゃんの体組織が戦ってしまいます。そうするとまた熱が出ます。」


 ガライは、セリーナの点滴が終わるまで、処置室に居た。

 点滴が終わったのは、一時間後だった。

 しかし、鎮静剤を打たれたはずのセリーナは、目を覚ました。

 セリーナは、やはり熱を出した。

 「ガライのおじちゃん。ここどこ?」

 ガライは、何とかセリーナを落ちつかせようとした。

 「おじさんの友達の、お医者さんの病院だよ。この女の人が、マチルダ先生。そして、この男の人が、明先生。セリーナの体調がずっと落ちつかないから、病院に来てる。大丈夫。すぐ良くなって、帰れるからね。」

 「うん。分かった。」

 セリーナは、ガライが心配する必要が無いくらい落ちついていた。


 やがて、セリーナの熱は、下がり、マチルダの出血も治まった。


 マチルダは、真夜中にもかかわらず近くの家に、ガライの服を都合するため、出かけていった。

 「当てがある。」

とマチルダは、言っていて、すぐに戻ってきて、標準的な体格より、少し大きいガライの体に合う。ティーシャツと、スラックスを何枚か、都合してくれた。

 ガライは、マチルダに礼を言うと、セリーナを連れて、外に出た。


 セリーナは、夜空を見上げていた。

 「私、こんなに沢山のお星様見たの初めて。」

 セリーナは、目を輝かせていた。

 ガライは、セリーナの目の位置に、目線を合わせる為、地面に膝をつけて、尋ねた。

 「セリーナ、どうしてお父さんやお母さんがどこに居るか聞かないの?」

セリーナは、意外な返事をした。

 「えっ。何で?だって、ガライのおじちゃんが居るじゃん。ガライのおじちゃんが、私の傍に居てくれるんでしょ?」

 「それは、そうだが。」

 ガライは、言葉に詰まった。

 確かにセリーナの言う事は、間違っていない。ガライは、セリーナの両親が死んだとは、思っていない。マチルダの言うことは、信におけない。ガライは、セリーナを両親に返すまで、傍に居る。セリーナを守る。

 ただ、今日まで、今の今まで困っていなかった。疑問には思っていたが、何故セリーナは、こんなにもガライを信頼しているのだろうか? 

 実は、ガライは、セリーナに初めて会った日のことをおぼろげにしか覚えていない。

 教会の敷地で、バーベキューをしていて、セリーナの母のマリーや他の人間と話をしていた時、セリーナもそこに居た。そこまでは、覚えている。

 ただ、今、記憶をあぐねてみると、その時すでに、セリーナは、ガライの周りをちょろちょろして、ガライにちょっかいを出していた。

 曖昧な記憶が間違っていなければ、セリーナは、最初からガライに好意的だった。

 ガライは、何故か子供に好かれる性質だが、実は、子供が苦手だった。決してキライではないが、今、まさにそうであるように、子供は、理解できない部分が多いからだ。

 セリーナがガライを信頼しきっているのは、何故なのか?

 せっかくマチルダと、ヒタニ明と、医者が二人も居るのだ。

 時間があるなら、セリーナを患者として、診察してもらおうか?ここまで、ガライの事を盲目的と言いたくなるほど、信頼するのは、何かセリーナの心の中に、普通でない何かがあるのかもしれない。

 

 マチルダが、ガライとセリーナに声を掛ける。

 マチルダは、着替えていた。黒のシャツに、ジーパンに白のパーカー。ここは、田舎なので、少し冷える。

 「ガライさん。セリーナちゃん。病院の裏に、父の家があるの。客間に布団を敷いたから、もう眠ったら?疲れたでしょ?」

 ガライは、頷いた後、マチルダに尋ねた。

 「マチルダさんの、医師としての専門分野は何だ?」

 マチルダは、出会ったときよりも、うんと柔和な笑顔で答えた。

 「専門は、臨床心理学よ。紛争地域に行った兵士の相談に乗ってたの。」

 ガライは、セリーナを抱き上げる。

 「そりゃあちょうどいいや。この子、セリーナを見て、何か、感じないか?」

 マチルダは、セリーナと見つめ合う。

 「あなたにとてもなついてるわね。」

 ガライが聞きなおす。

 「他に気づく事は?」

 マチルダは、戸惑った顔をする。

 「ごめんなさい。今日、私、いつもより疲れてて、あなたが私に聞きたい事が分からないわ。」

 ガライは、呆れてしまった。

 「もういいよ。」

 コイツやぶだな。ガライは、そう思ったが、マチルダは、気づいていない。

 「何か、気づいたら、教えるわ。」


 その夜、セリーナは、ガライに抱きついて離れなかった。

 不安なのかな?

 ガライは、セリーナの顔を見たがその寝顔は、幸せそうだった。微笑んで、ガライの腕にすがりついて、安らかな寝息を立てている。


 ガライは、何故か涙が出てきた。

 今朝、ガライは、死のうとしていた。

 ガライの心は、虚しさに蝕まれ、永遠の地獄に落ちる道を選ぼうとしていた。

 しかし、今夜、ガライに抱きついているセリーナは、こんなにも温かく柔らかい。

 そう。そもそも本当にガライが、この世に未練が無いなら、教会へ行く必要は、無かった。

 ガライは、セリーナに会いたかった。まだ幼いセリーナは、一心にガライにすがってくれる。甲斐性が無いガライでも、セリーナが食べたい物、飲みたいものくらいは、買い与える事が出来る。ガライにとって、セリーナの存在は、大きかった。おそらくガライのこの世の唯一の未練だろう。


 ガライは、セリーナに、掛け布団をかけて、安らかな眠りに落ちていった。


 朝が来た。セリーナは、まだガライにしがみついている。ガライは、セリーナを抱きかかえて、客間を出た。

 ヒタニ医師と、マチルダが朝食の用意をしている。ガライは、パンが良かったが、味噌汁と玉子焼き、焼き魚と白米だった。

 マチルダは、腹部に包帯を巻いているが、昨日より顔色が良い。

 「おはよう二人とも、良く眠れた?セリーナ。」

 セリーナが答える。

 「ええ。良く眠れたわ。お姉さん。名前は、何だっけ?」

 そう言えば、マチルダは、セリーナに名乗っていない。

 「私は、マチルダ。今日からよろしくね。セリーナちゃん。しばらく一緒に居る事になるわ。」

 セリーナは、疑問を持たない。

 「一緒に居てあげてもいいけど、ガライのおじちゃんの邪魔は、しないでね。私の面倒は、ガライのおじちゃんが見るから。」

 マチルダは、微笑んでいる。

 「ええ。ガライさんと、セリーナちゃんの邪魔は、しないわ。だから、傍に居させてね。」

ヒタニ明が口を開く。

「ガライ君。マチルダと一緒に少し海外へ行っていてくれないか?」

 ガライがひっついて離れないセリーナをあやしながら、問う。

「それは、国外逃亡しろってことですか?」

 ヒタニ明は、否定しない。

「そうだ。マチルダを護衛につける。君達のパスポートも偽造してある。偽名を使ってもらうから、機内で出入国カードを書く時、気をつけてくれ。話は、以上だ。」

マチルダがガライから、セリーナを受け取って抱っこしてあやす。

「セリーナちゃん。ちょっとお出かけしましょうね。」


夕方には、セリーナとガライとマチルダは、福岡空港でシンガポール行きの飛行機を待っていた。

シンガポールを経由して、とりあえずモルディブに行く。

セリーナは、マチルダにすっかりなついて、マチルダとアルプスいちまんじゃくをやっている。

マチルダは、子供をあやすのは、上手い。

ガライは、と言えば、それをぼーっと眺めているだけだ。

こうなったらなすがままだ。どうせ、昨日死んでいた身だ。どうなっても構わない。

今のところ、セリーナの家族の安否を確かめる方法は、無い。

税関を通って、飛行機に搭乗する。

夜になっていたので、しばらくして機内食が出された。

ガライは、食欲が無かったが、マチルダとセリーナは、パクパクと食べていた。

ガライも一応残さず食べたが、胸焼けがした。

出入国カードを書いて、シンガポール空港に入る。

次の飛行機が来るまで、六時間ある。

セリーナは、眠っていた。

「買ってきたわ。」

 マチルダが、空港内のハンバーガー屋で、ハンバーガーを買ってきてくれた。

 さっきは、胸焼けがしたガライだが、しばらくすると、腹が減ったので、マチルダに買ってきてもらった。水も一緒に。

 セリーナは、ガライの腕の中で眠り続けている。

 ガライがマチルダに尋ねる。

 「なあ、マチルダ。これから行くところには、セリーナが体調を崩したときに対処できる。病院は、あるのか?」

 マチルダが、ガライの額に手を当てた。

 深い意味は、無い。

 ガライの顔色が真っ青だったので、体温を測った。

 「心配しないで。大丈夫よ。病院もあるし、私達のコテージに、医療器具を父の友人に運んでもらっているわ。コテージは、広いから。滞在に不自由は、しないと思う。」

 「そうか。」

 ガライは、自分で聞いておいて、上の空で返事をした。

 ガライは、少しずつマチルダを信用しはじめている。マチルダは、セリーナの面倒を良く見てくれる。

 ガライは、いつもセリーナとどう接したらいいか分からない。いつもただひたすら、セリーナの話を聞いていた。

 セリーナは、今もガライの腕の中で眠っている。

 ガライに抱っこされてすやすやと。


 マチルダは、セリーナの分も、ハンバーガーを買ってきていたので、食べさせようと思ったが、ぐっすり眠っているセリーナを起こすのを可愛そうだと思った。

 ハンバーガーは、冷えても美味しいだろう。今は、眠らせて上げよう。熱があってとても辛かったはずだ。


 ガライが、財布を出して、マチルダにハンバーガー代を渡そうとしたとき、マチルダには、大量の札束が入ったガライの財布が見えてしまった。

 マチルダが尋ねてみる。

 「ガライ。あなたは、何の仕事をしていたの?」

 ガライは、また上の空で答える。

 「郵便配達だよ。心配しなくてもいい。仕事は、辞めた。俺の代わりは、いくらでも居る。」

 マチルダは、再びガライに尋ねる。

 「あの、私、失礼な事を言いたいわけではないのだけれど、郵便配達って、そんなに儲からないわよね?少なくとも会社の重役みたいには、あなたの財布には、三百万円近く、入っているように見えるの。何故、そんなに現金を持ち歩いてるの?ずっと一緒に居たけど、あなたがお金を下ろす所を見てないわ。」

ガライは、語る。

 「マチルダ。俺は、昨日死ぬ予定だった。すったもんだあって結局死んでないが、上着には、遺書も入っている。この金は、俺の葬式費用だ。まあ、結局こうして、この現金は、今、頼りにしてる。とりあえずこれだけあれば、しばらくセリーナに不自由をさせない。」

マチルダは、ガライが何故、死のうとしたのか聞かなかった。ガライは、話したくなさそうだし、今、ガライは、セリーナを抱きしめている。

「ガライは、いつでもセリーナちゃんが第一なのね。」

ガライは、頷く。

「ああ。この子は、何の価値も無い俺に、何故かなついてくれているからな。」

マチルダが意見を言う。

「この子は、なついているなんてレベルじゃないわ。私が見る限り、この子は、あなたを親より慕っている。推測でしかないけど、子供は、自分を愛してくれる大人を無意識に求める。セリーナは、ガライが自分を愛してくれる事を感じているのよ。」

ガライは、マチルダが買ってきてくれたジュースを飲みながら、マチルダをじっと見つめた。

「悪いな。あんたの事をやぶだとおもってたけど、けっこうちゃんとした医者だな。」

マチルダが苦笑いする。

「今のは、医者としてでは、なく私の個人的な見解よ。私も子供の頃は、父に甘えるのが好きだったから、あなたがセリーナちゃんを愛しているのが、セリーナちゃんには、分かるのよ。」

ガライは、何気なくセリーナの頭を撫でた。

セリーナが起きてしまった。

「あっ。ハンバーガーだ。」

ガライは、マチルダに接するのとは、対極の姿勢で、母親のような声色で、セリーナに尋ねた。

「食べたい?」

 セリーナが頷く。

「うん。」

ガライの膝の上で、セリーナは、ハンバーガーを食べた。

シンガポールの税関を出て、モルディブまでのフライトをして、モルディブに着いた。

モルディブの空港は、真夜中だった。

ブランド物の免税店の看板だけが目立つ空港で、ガライは、再び眠っしまったセリーナを抱いて、マチルダと一緒に、スピードボート乗り場へ向かった。

マチルダが、滞在先のリゾートアイランドへのスピードボートを手配していた。

セリーナは、何かに取り付かれたように眠っていた。

スピードボートに乗り、満天の星空の下を、高速で走っていても、セリーナは、目を覚まさない。

そのうちに、バントスと言う島に着き、ボートを降り、マチルダが荷物を持って、ガライは、セリーナを抱いて、コテージに向かった。



コテージは、小さな平屋のようで落ち着いた。

中に二つのベッドルームと、キッチンとシャワーとそしてリビングがあった。バスタブは、無かった。

時計が無く、マチルダの時計は、日本時間なので、正確な時刻は、分からなかった。


そなえつけの冷蔵庫に、マチルダが、現地のスタッフに指示した物が一通り入っていた。

マチルダは、手早くパエリアを作り、ワインと缶ビールをテーブルに並べた。

「ガライ。あなたも飲むでしょ?私は、飲むわ。とても疲れたの。」

ガライは、冷えたワインを、マチルダと自分のグラスにそそいで、乾杯した。

ナッツの詰め合わせもあった。


緊張の糸が解けたのだろう。

マチルダは、がぶがぶとワインを飲んでいる。

ガライは、ワインを一口飲んで、辛く感じたので、ワインは、そのままにして、グラスをもう一つ、食器棚から取って、ビールを注いで、ゆっくり飲んでいた。

「マチルダ。怪我は、もういいのか?」

マチルダは、三本目のワインのコルクを開けていた。

「ええ。もうすっかりいいわ。父は、腕がいいの。もともと弾は、かすっただけだし、私は、空港や、飛行機のトイレで、定期的に消毒してたの。」

「そうか。」

ガライは、ナッツを口にして、ビールを飲んで、セリーナの様子を見に行った。

マチルダは、飲み続ける。

セリーナは、ガライのベッドで眠っていた。起きる気配が無い。

深海のように深く眠っている。

ガライは、何度かセリーナの頭を撫でた。


リビングに戻ると、マチルダは、まだワインを飲み続けていた。ガライは、止めない。

一緒にテーブルに着き、パエリアを食べる。とても美味しい。

「マチルダ。テレビをつけてもいいか?」

マチルダは、赤くなった顔で答える。

「ええ。どうぞ。だけど、大した番組は、やってないと思うわ。」

ガライは、テレビをつけた。本当に大した番組は、やっていなかった。

 どこのチームなのかも分からない球技が流れていた。

 ガライは、ルールの分からないスポーツ番組を見て思った。

 日本のテレビは、とても攻撃的だ。

 マチルダは、一通り、飲み食いを終えると、冷蔵庫からコーラを取り出して、喉を潤すと、テレビを眺めた。


 やっとセリーナが起きて来た。

 「おじちゃん喉渇いた。」

 ガライは、すぐに冷蔵庫から、スポーツ飲料を取り出して飲ませた。

 少し、ややこしかったのは、ミネラルウォーターに、同じコカコーラの商品で、アクエリアスと書いてあるものがあったので間違えるところだった。そっちは、ミネラルウォーターだった。スポーツ飲料のアクエリアスとミネラルウォーターのアクエリアスと二種類のアクエリアスがある。

 セリーナは、小さな体で、ごくごくとスポーツ飲料を飲み干した。

 よほど、喉が渇いていたようで、もう一本飲みたいというので飲ませた。

 「おじちゃん私、お腹すいた。ハンバーガーもう無い?ハンバーガーが食べたい。」

 マチルダが提案する。

「じゃあ。二十四時間空いてるカフェがあるから、行きましょう。」

 セリーナが、ガライに抱っこをせがんだので抱っこをしてカフェへ向かった歩いて一周三十分ほどの島だからカフェまで十分とかからなかった。

 店に入り、三人でメニューを見る。

 セリーナは、英語が読める。

「私、やっぱり、ハンバーガーよりピザトーストがいい。飲み物は、スプライト。」

 酒を飲んでいたマチルダとガライも小腹が空いた。丸一日で、ハンバーガーと機内食と、パエリアを食べたが何故か空腹だった。緊張しているせいだろう。

 三人とも、ピザトーストとスプライトを飲み、現地のウエイターにチップを五ドル払った。

 ガライは、セリーナにピザトースト以外も食べるように勧めた。

 「じゃあ。ハンバーガー食べる。コーラとポテトも頼んでいい?」

 ガライは、頷く。

 「サラダも食べたら?」

 セリーナは、もりもりと食べた。


 コテージに戻り、三人は、眠りについた。セリーナの分のベッドもあったが、セリーナがガライと一緒に寝るといって聞かなかったので、床にマットを敷いて眠った。


 マチルダは、万が一、招かれざる客が来たときのために、リビングのソファーで眠った。


 朝が来たが、コテージには、光が射さない。マチルダがカーテンを開けると、雨が降っていた。


 ガライが起きて来た。

 マチルダが尋ねた。

 「セリーナちゃんは?」

 「まだ眠ってる。眠らせておけばいい。」

 「朝食を作るわ。」

 「手伝うよ。」

 冷蔵庫にあった材料で、お味噌汁とおにぎりを作った。

 マチルダとガライが食べ終わって、温かいジャスミンティーを飲んでいるところにセリーナが起きて来た。

 ガライが、この上なく優しい声で尋ねる。

 「朝ごはん入りそう?」

 セリーナは、首を横に振る。

 「無理。昨日の夜。食べ過ぎた。」

 「じゃあ。お茶だけでも飲みなさい。」

 セリーナは、眠たそうにしている。

 雨は、降っていたが、スコールでは、無かったので、三人で外に出た。

 免税店があったので、三人は、洋服を買った。

 ガライは、Yシャツとスラックスを、セリーナとマチルダは、ドレスを買った。


 三人は、暖かい南の島を歩いていた。


 すると、小さな四歳くらいの女の子が、

「ハロー。」

と声をかけてきた。

 三人は、笑顔で挨拶を返したが、その直後、その女の子は、前方に倒れた。

 マチルダは、駆け寄っていき、女の子を抱き上げる。 

 「ガライ。この女の子を仰向けにして、抱いて、ショック状態に陥っている。セリーナ。この子の両親を探して、腹部に注射の後がある。仮説でしかないけど、小児糖尿病かもしれない。私は、インスリンの注射を持っていない。ありがとう。ガライ。もういいわ。ガライは、ホテルのフロントに行って、両親とそれと、ダメ元で、インスリンの注射を持った観光客がいないか探してきて。走って急いで。ショック状態が長引くと非常に危険よ。」

 ガライが、フロントに走りながら、マチルダに尋ねる。

 「マチルダ。この島に病院は、無いのか?」

 マチルダは、素早く答えた。

 「無いわっ。だから、セリーナに必要な設備を用意したコテージを借りたの。でも、インスリンの注射は、無いの。」

 「分かった。」

 ガライは、フロントまで走った。

 ガライは、少女の両親を見つけてきた。

 両親は、少女が眠っていたので、無理に起こさずに、コテージの鍵を閉めて、売店で、食料を買っていた。

 ガライと少女の両親は、急いできたため、息が切れ、心臓が振動するほど、苦しかった。

 だが、少女は、さっきまでとは、打って変わって、セリーナにおぶられて遊んでいた。

 両親は、マチルダが医者だと聞いて、涙を浮かべて礼を述べる。父親のマイケルのほうが、マチルダの両手を握る。

 「あなたは、素晴らしいお医者さんだ。インスリンの注射も無く、どうやってショック状態を治したんですか?」

 しかし、マチルダは、曖昧な返事をする。

 「分かりません。確かにショック状態を起こしていました。ですが、ショック状態からすぐに元に戻りました。もしかしたら、私の診断ミスかもしれません。」

 ガライとマイケルと母親のシーナも首をかしげる。

 マチルダの言っている事は、いまいち的を得ない気がする。


 しかし、少女メリッサは、無事なので、両親は、安堵しているし、ガライも胸を撫で下ろしていた。

 

 マイケルとシーナが、コテージに迎え入れてくれた。

 マイケルが他愛も無い話をする。

 「私達は、アイルランド系のアメリカへの移民でね。メリッサは、我が家のアメリカ生まれ、第一号なんだよ。それにしてもどこの国も煙草は、高いね。」

奥さんのシーナが口を挟む。

 「この人はね。娘が産まれたら、煙草を止めるって言っていたのに、結局止めなかったのよ。うちの家計は、煙草に圧迫されているわ。でも共働きは、メリッサの事があるから難しいの。私は、マイケルと、結婚する前タクシーの運転手だったのよ。だけど今は、マイケルの大工としての給料だけで、やっていってるの。このモルディブ旅行も、苦しい家計をやりくりして貯めたお金を崩して来たの。ガライ。あなたは、煙草は、吸わないみたいね。全然煙草の匂いがしないわ。」

ガライは、雑談を楽しんでいる。

 「僕自身は、煙草を吸いませんが、友人は、吸っていますし、止められない人がほとんどです。マイケルさん。日本で暮らせるといいですけどね。日本だったら煙草は、五ドルくらいですよ。アメリカだと十ドルとかするんじゃないですか?大工さんの仕事もあると思いますよ。ただ日本は、保育所が不足してるんです。メリッサちゃんの、お世話が難しいかもしれません。でも奥さんがタクシーの運転手でしたら、移動手段に、困らず快適に暮らせると思います。いいところですよ。日本は。」

 マイケルは、煙草が五ドルほどと聞いて、日本に興味を持った。

 「煙草が五ドルだって、楽園のようなところだな。一日、二箱すっても十ドルだろ?最高じゃないか?ところで、ガライは、こんなに美しい奥さんとどこで知り合ったんだい?もしかして、君も医者かい?私と違って金持ちなのかい?」

ガライは、微笑んでいる。

 「いいえ。私は、郵便配達員です。マチルダは・・・」

 そこで、マチルダが会話に入ってきた。

 「夫とは、父の紹介で、知り合いました。父は、とても顔が広いんです。夫と知り合えて、セリーナを授かった事を感謝しています。さっあなた、もうそろそろお暇しましょう。長いは、無礼よ。私達も忙しいじゃない。私は、もって来た書類仕事があるから、あなたは、セリーナを泳ぎに行かせて。せっかくバカンスに来たんだから。」

 奥さんのシーナは、残念そうだ。

 「あら、マチルダ。もう少しいいじゃない。うちのメリッサとセリーナちゃんを遊ばせましょうよ。さっきからとても仲良くしてるわ。」

 その時、マイケルとシーナにも、わざと聞こえるように、マチルダがガライに舌打ちした。

 「あなた、私達のコテージに戻りましょう。私は、仕事で疲れてるの。」

 ガライは、仕方なく、セリーナを抱いて、マイケルとシーナとメリッサにさよならを言った。

 「狭い島です。また会ったとき仲良くしてください。」

 シーナが礼を言う。

「本当にありがとう。マチルダさん。ガライさん。セリーナちゃん。」

 マイケルが気を使う。

 「引き止めてごめんね。マチルダさん。でも悪気は、無いんだ。」

 メリッサは、寂しそうにバイバイと言っていた。

 食堂で、昼食を取って、コテージに戻った。

 セリーナは、また眠ってしまった。

 ガライが不思議に思って、マチルダに尋ねた。

 「夫婦だなんて、つく必要のある嘘だったのか?それにマイケルさんたちは、いい人たちだ。友人になりたかったな。」

 ガライがそう言った瞬間。マチルダが、ガライめがけて、マグカップを投げつけてきた。

 ガライには、当たらなかった。マチルダも当てるつもりは、無い。ただ癇癪を起こしている。 

 マチルダは、まくし立てる。

 「あなた、何べらべら素性も分からない人間としゃべってるの?ガライ、あなたは、いいわよ。セリーナの面倒だけ見てればいいもの。でも私は、こうしている間も、セリーナの健康状態と安全に気をつけて、万が一敵が襲ってきた時に備えているの。セリーナだけじゃなくて、あなたの事も守らなきゃいけないから。マイケルたちがいい人?友達になりたい?そんな事でどうするの?いい人だなんて、簡単に信用しちゃダメよ。確かにあの女の子、メリッサは、本当に発作を起こしていたし、私の診断では、確実に小児糖尿病。だけどね。だからと言って、マイケルやシーナがいい人間とは、言えないの。糖尿病の少女をどこかからか連れてきて、死んでも構わないと囮にして、セリーナを亡き者にしたい人たちは、この世にごまんと居るのよ。あなた日本で銃を持った連中に襲われたの忘れたの?

 ガライが反射的にマチルダを抱きしめる。

 「俺が悪かった。軽率だった。だから気持ちを静めてくれ。マチルダ。本当にごめん。」

 マチルダが、ガライにしっかりと抱きしめられて泣いている。

 「カップを投げたりしてごめんなさい。当てるつもりは、無かったわ。ただ、私、とても、緊張してるの。今もね。取り乱して本当にごめんなさい。昨日あんなにお酒を飲んだのも怖かったから。」

 ガライは、マチルダを椅子に座らせて、ミネラルウォーターをグラスに注いで、テーブルに置いて、一本電話を掛けた。

 電話を置いてガライは、マチルダにゆっくり語りかける。

 「今、ナイトフィッシングを申し込んだ。今日は、夜釣りと砂浜での、生バンドの演奏を聴きながら、食事を楽しもう今朝買ったドレスを着ると良い。」

 マチルダは、泣きながら頷いた。

 「あなたと、私は、夫婦。セリーナは、一人娘。この設定を忘れないで。セリーナにも説明しておく。この設定が追跡者をかく乱させてくれるわ。」

 「ああ。分かった。心配しないで。演技は、得意なほうだ。」

 ガライは、何故、メリッサのショック状態が治ったのか聞きたかったが、もうマチルダに負担をかけたくなかったので聞かなかった。


 セリーナは、ずっと眠っていたが、午後四時過ぎに、ガライが優しく起こした。

 セリーナの頬をつつく。セリーナが眠そうにする。

 「セリーナごめんね。起こして。」

 セリーナは、急にガライに抱きついた。

 「おじちゃん。怖い夢を見た。」

 ガライが尋ねる。

 「怖い夢って、どんな夢話せる?」

 セリーナが、首を横に振る。

 「言えない。言ったらもっと怖くなりそう。」

 ガライは、セリーナを抱いて、ゆっくり揺らした。

 「大丈夫だよ。セリーナ。寝てみる夢は、所詮、幻みたいなものだからね。夢は、すぐ忘れるよ。」

 セリーナがさらにガライにしがみつくように強くガライの体にひっつく。

 「おじさんも怖い夢を見る?」

 ガライは、正直に答える。

 「うん。おじさんは、怖いゆめばかり見る。だけどね。不思議なんだ。セリーナちゃんと会う日曜日と、セリーナちゃんに会う土曜日は、とても安らかで、怖い夢は、見ないんだ。」

 セリーナは、微笑んだ。

 「じゃあ。おじさんは、怖い夢を見ないね。私、おじさんとずっと緒一緒にいるよ。ずっとおじさんのそばに居るよ。」

 ガライは、セリーナの顎を自分の肩に乗せた。

 セリーナのずっとおじさんの傍に居ると言うのは、不可能だ。せーなの家族は、きっと生きている。セリーナは、

家族の下に帰らなければならない。そしたら、マチルダも、ガライとは、一緒に行動しない。ガライは、不安だった。

 その時、自分は、また死ぬことを考えるのだろうか?」

 ガライは、セリーナのずっと傍に居ると言う言葉で、ぽろぽろと涙をこぼしたが、無理やり涙を止めて、タオルで素早く涙をぬぐった。自分が涙を見せると、セリーナが不安になると思った。

 マチルダが、セリーナにミネラルウォーターを飲ませながら言って聞かせる。

 「セリーナちゃん。私達をパパだとか、ママだとか呼ばなくていいから、私達を呼ぶときは、ねえやちょっと。困ったら助けてと呼んで。決して名前で呼んではダメよ。」

 セリーナは、素直だ。

 「別に、パパ、ママでもいいよ。短くて呼びやすいし。」

 ガライがセリーナの頭を撫でる。 

 「大丈夫。ねえや、ちょっとや助けてや、こっちで、分かる。」


 三人は、一呼吸置いて、ホテルのフロントまで歩いた。

 夕方で、とても温かかった。空は、とても広く、青く美しく、海岸を歩くと目の前を何もさえぎる物の無い水平線が見える。ひたすら広がる海があり、その色は、クリスタルブルー。水晶のように透き通った青だった。だんだんと、夕日で、黄金色の混じった朱色に変わっていく。

 大気は、とても温かく優しく、何か大きな温かい音に包まれている気分だ。

 フロントのすぐ先、十メートルくらいの船着き場に着いた。 

 大きな公園には、子供達が上って遊ぶ木製の遊具があることが多いが、その遊具のような木で組まれた、ボート乗り場で、木製の廊下や、受付の部分のすぐ下が海になっていて、海水の中で、魚が泳いでいるのが見える。

 セリーナが二人に尋ねる。

 「ねえ。あの魚、なんて魚?」

 ガライが目を凝らす。

 「何だろうね。すくなくとも、秋刀魚やいわしや、さばじゃないね。ぼらかな?ここじゃ良く見えないや。釣ってよく見て見よう。」

 セリーナは、心から嫌そうな顔をする。

 「えー。嫌だ。かわいそうだし、それ以上に、あのお魚気持ち悪い。私、もっと金魚とか、グッピーとか釣りたい。」

 マチルダが吹き出す。

 「セリーナちゃん。グッピーや金魚は、食べれないでしょ」

 セリーナの顔が凍りつき、戦慄する。

 「何言ってるの?私、あんな魚、食べたいよ。スーパーで売ってるのは、もっとおいしそうだし、生きてないもん。私が食べるの。別の魚だよ。たいてい四角いよ。」 

 ガライも吹き出す。

 「あのね。セリーナちゃん。四角いお魚は、居ないんだよ。美味しいお魚を切って、」

 セリーナが途中で耳を塞ぐ。

 「やめて、それ以上、聞きたくない。私、船の上で夕日が見れると思ったから来たの。ロマンティックしようと思って、それ以上、何か言ったら、コテージまで、二人を置いて、走って帰るから。」

 セリーナと、マチルダと、ガライは、夜釣りをするために、船に乗り込んだ。

 セリーナは、はしゃいでいる。

 マチルダが、セリーナを抱き上げる。船の上は、割と安定している。

 座っているガライが、マチルダからセリーナを受け取り、一緒に釣竿を握った。

 セリーナが口を尖らせる。

 「私は、絶対にお魚、釣らないからね。」

 ガライが、セリーナを膝の上に乗せる。

 「分かった。釣らなくていいから、夕日でも見てなさい。」

 しかし、運の悪い事に、一番最初にガライの釣竿に魚がかかった。セリーナは、ガライの膝から、マチルダの胸に逃げた。

 ガライは、釣竿を巻き上げると、魚を手で掴んで、針を抜き、一緒に乗っていたホテルのスタッフに、渡した。

 セリーナは、それを見て呟いた。

 「やっぱり私も、お魚さん釣ろう。」

 セリーナは、急に張り切り、マチルダと一緒に釣竿を握った。ガライと一緒に釣りをしないのは、対抗心を燃やしているからだ。

 しかし、セリーナの釣竿には、なかなか魚がかからない。

 「つまらない。」

セリーナは、そう言って、釣竿をマチルダに渡すと、世界一、美しいと言われるモルディブの海の上に沈んでいく朱色の夕日を見つめていた。

海が真っ赤に染まっていく。

まるで、真っ白な布を、染めていく真っ赤な染物のようだ。


セリーナは、夕日を見ながら、涙を流していた。

セリーナは、きっととても辛かったのだろう。セリーナは、ガライが大好きで、信頼しているが、それでも子供には、母親が一番だ。

決して、母親の居ない人へのあてつけではない。誰にでも母親になりうる人間が居る。残念だが、ガライは、セリーナの母親には、なりえない。それは、性別の問題ではない。ガライは、甘やかすが、叱らない。本当の母親と言うのは、叱ることもある。怒るのでは、無く、叱るのだ。

セリーナにとって、ガライは、父親であり、恋人だ。

幼いセリーナにとって、たまに触れ合い、甘やかしてくれるだけのガライは、完璧な恋人だった。

しかし、ガライは、セリーナがいても命を絶とうとした。

ガライにとって、セリーナは、さほど大きい存在では、ないのだろうか?

三人は、船を降りて別の島の広場で生バンドの演奏を聞きながら、食事をした。

しかし、みな食事が喉を通らなかった。

大体、船に揺られた後というのは、思うように食事が入らない。特に慣れていない人間は。

南の島に、ゆっくりとしたバラードが流れる。

甘く優しい旋律。

エンリケイグレシアスのヒーローだ。

踊ってくれますか?

君のヒーローになりたい。

そんな歌詞だ。

せっかく美しい音楽が流れているのに、マチルダは、フランス人となにやら口論をしている。ガライは、英語は、分かるが、フランス語は、分からないので、放っておく。


ガライは、知る由も無かったが、フランス人女性は、ガライが一番に夜釣りで、魚を釣った事をねたんで文句を言っていて、マチルダは、それに文句で返していた。

セリーナは、肉や魚をフォークでつついて、ご機嫌斜めだ。

「おじちゃん。このご飯。美味しくない。」

ガライが、セリーナの首を優しく撫でる。

「無理して食べなくていいよ。後で何か美味しい物をおじちゃんが調達するよ」

マチルダと、フランス人との口論が、一段楽した頃に、小雨がぱらついてきた。

生バンドの演奏には、セーリングのリクエスト。同じくフランス人から。 

そして、アンコールに女性のシンガーだったが、プレスリーの好きにならずにいられないを歌ってくれた。

締めは、バラードがいい。特にプレスリーなら最高だ。カーペンターズのトップオブザワールドでは、締めは、ダメだ。夜は、穏やかに更けていった。

ガライは、Yシャツを脱いで、ロープ代わりにして、セリーナのオンブ紐にして、おぶっていた。

 セリーナは、また眠ってしまった。

 帰りは、雨のぱらつく中、ボートでバントスまで戻った。

 ガライは、セリーナをおぶって、マチルダの手をしっかり握っている。ボートから落ちないように。

 セリーナをおぶったままコテージまで歩く。

 温かい大気に、少し冷たい風が心地いい。

 星は、見えないが、南の島特有の、針葉樹が、雰囲気を良くする。

 コテージに着き、ドアを開け、電気をつける。

 優しい明かりにほっとするマチルダとガライ。

 マチルダが、ウィスキーを取り出す。

 「あなたも飲む?ジャックダニエルと、ジムビーンのデビルズカットがあるわ。」

 ガライは、遠慮する。

 「おれは、いい。どちらかがシラフでいた方がいい。」

 マチルダが微笑む。

 「飲めば、体が温まるのに。」

 ガライは、笑い返す。

 「そんなに君も体は、冷えてないだろ?マチルダ。君が飲むのは、構わない。俺は、お茶での飲む。紅茶か、ハーブティーは、あるかい?」

 マチルダは、首を横に振る。

 「ごめんなさい。コーヒーしかないわ。紅茶が飲みたいなら買ってくるけど、明日しか無理ね。もう売店は、開いてないわ。コーヒーは、上等なものよ。でもコーヒーを飲むと、眠れないかもよ。」

 ガライが、コーヒーをドリップする。

 「コーヒー一杯ならいいよ。」

 ガライは、ドリップしたコーヒーを一口飲む。

 「美味いな。もしかして、この豆、アティトゥランクリスタリーナかい?」

 マチルダは、ジャックダニエルをゆっくり飲んでいた。つまみは、チーズ、ナッツ、スナック。

 「そうよ。良く分かったわね。」

 ガライが、笑顔になる。

 「好きな豆なんだ。ブルーマウンテンの一番良い奴より、好きだ。この豆の繊細な甘さが好きでね。休日は良く、このコーヒーを飲んだ。」

 そんな雑談を少しして、ガライは、シャワーを浴びた。

 次にマチルダがシャワーを浴びた。

 本当は、セリーナもシャワーを浴びたほうがいいのだが、翌朝にした。

 起こしては、可愛そうだ。

 ガライは、遅くまで起きていた。

 マチルダの荷物の中に、セリーナのための子供の向けの本があって、その中にドラキュラ物語があったので、それを読んでみた。ありがたいことに日本語の本だった。

 マチルダが選んだ本だ。マチルダは、何か隠し事をしているのだろうか?本当にただの医者なのだろうか?

 マチルダは、眠っている。セリーナの隣で、うとうとしていた。

 ガライは、ドラキュラを読んでしまった。

 ドラキュラは、ハッピーエンドだった。最後にドラキュラ伯爵は、殺されてしまうのだが、どこか救われたようだった。

 ガライは、何故か、寂しい気持ちになった。

 ガライは、そのまま朝まで眠った。


 次の日の夕方。

 三人は、水着で砂浜に設置されている寝そべれるいすに座って夕日を見ていた。

 この椅子を獲得するのに、他の人がどいてくれるのを無言の圧力をかけて待った。 

 セリーナは、夕日を見て、満足そうだ。

 「この椅子。気持ち良いね。」

 ガライも同意見。

 「ああ。このままずっと夕日を見ていたい。」

 マチルダは、一言。

 「酒が飲みたいわ。」

 セリーナの水着姿は、子供そのものだったが、マチルダは、さすがに美しい肉体をしていた。普段、訓練をしているのだろう。 

 ビキニにサッシュをまいていた。

 胸は、とても豊かで、ウエストが細かった。

 ガライも引き締まった体をしていた。

 夕日が沈むまで、三人は、ビーチに居た。

 その夜は、立派なレストランで、食事を取った。

 真っ白な砂浜のレストランだ。

 白い砂の上に、美しい木製のテーブル。

 まず、バケットが出される。

 マチルダが、ウエイターに気前よくチップを払う。

 セリーナが、ウエイターに注文する。

 「ハンバーガーありますか?」

 ウエイターは、対応が良い。

 「メニューには、ありませんが、作る事は、出来ます。特別ですよ。」

 ガライも注文する。

 「俺は、Tボーンステーキと、熱いスープ。ライスがあれば持ってきて下さい。」

 マチルダも同じものを頼む。

 「私も、ステーキとライスをお願い。昨日の夜、お魚料理を食べたんだけど、あまり美味しくなかったわ。それと、ビールあるわよね?ビールは、タイガービールで。」

 ウエイターが注文を書く。

 「かしこまりました。少々お待ち下さい。」

 ウエイターは、注文を厨房に伝えに戻った。

 ガライが呟く。

 「こういう観光国のウエイターにしては、気の利いた人だな。雑な対応を覚悟してたんだが。」

 マチルダが先に出されたミネラルウォーターを口に含む。

 「どこの世界にも気の利いた人は、居るのよ。それに、この国は、観光が主な産業なの。もてなしなれてるのよ。」


 三人は、談笑しながら、食事をした。

 やはり、肉料理は、とても美味しかった。

 ロブスターは、頼まなかった。

 マチルダは、ロブスターが好きではない。ガライとセリーナにいたっては、ロブスターを食べた事が無かった。

 セリーナは、朝、シャワーをマチルダと一緒に浴びていた。

 三人は、夜、トランプをして遊んだ。

 ゲームは、ポーカーだ。

 セリーナもガライも、マチルダに酒を飲み過ぎないように注意して、マチルダがトランプのゲームで、ガライとセリーナに勝ったときのみ酒を飲んでいい事にした。

 しかし、マチルダは、やたらポーカーが強く、ゲームに勝つたびに、ショットグラスで、ウィスキーを飲んでいた。

 セリーナは、トランプを持ったまま眠ってしまった。

 椅子に座り、目を閉じて、動かなくなるセリーナ。

 マチルダは、セリーナを抱き上げて寝室まで連れて行った。 

 

 マチルダがおもむろにサイレンサーの付いた拳銃を、棚から取り出した。

 「ガライ。銃の撃ち方を教えておくわ。テニスコートに行きましょう。

 マチルダは、ガライを真夜中のテニスコートに連れて行った。

 テニスコートには、人っ子一人居ない。

 マチルダは、ガライに銃を握らせる。

 「いい?強く握らないで。グリップを軽く持つ、そして銃口が中心にくるように、強く握ると弾が外れるわ。じゃ、引き金を引いて。」

 どこを狙ったわけでもないが、銃弾は、まっすぐ飛んだ。

 マチルダは、満足したようだった。

 「筋は、いいわ。じゃあ、コテージに帰りましょう。:

 マチルダは、スコッチを飲んでいる。

 「スコッチは、ハイボールよりもチャイサーに限るわね。」

 ガライは、スコッチを飲まなかった。

 ガライは、マチルダは、アルコール依存症では、ないかと疑った。

 マチルダは、この島に来て、ひたすら飲んでいる。

 まあ、マチルダがある中でも関係ない。医者として、セリーナの治療だけしてくれればいい。

 銃の練習をした翌日。みんなで水着を着て、シュノーケリングをやった。 

 しかし、結果は、惨憺たる物だった。

 三人に共通していた事は、スイミングスクールに通っていた事だったのだが、スイミングスクールでは、鼻から息を吐き、水上に顔を出して、息を口から吸うように習う。

 しかし、シュノーケリングと言うのは、水中で鼻から息を出してはいけない、口で息を出し入れする。 

 これが三人とも出来なかった。

 セリーナは、半べそをかいて、しばらくは、水中眼鏡のみで、水の中を見ていたが、息が続かないし、海水は、波の変化で、砂で曇るし、最悪だ。

 とうとうせりーなは、シュノーケルのセットを全部はずして、泣きながらシュノーケルセットを借りた日本人のショップに返しに行った。ガライとマチルダも着いていった。

 日本人の店員が、セリーナに「楽しかった?」と尋ねたが、セリーナは、「ちっとも面白くないわっ。」と悪態を吐いた。

 ガライとマチルダが、慌ててフォローに入る。

 「水も曇っちゃったし、足ひれの使い方が難しくてですね。」

 ガライは、そう言うと、べそをかいているセリーナを抱き上げ、日本人の店員に頭を下げ、マチルダの手を引いて、その場を離れた。

 「夜は、白い砂浜の上野レストランで、ステーキ、パン。ガライとセリーナは、止めたのだが、マチルダは、高価なワインを飲んでいた。

 セリーナが苦言を呈する。

 「マチルダお姉ちゃん。飲みすぎだよ。」

 マチルダは、ちょっと酔っていた。

 「子供には、分からないのよ。酒にたよらないといけない大人の女の、苦しみが。:

 セリーナは、怒る。

 「そんなの。分かりたくも無いわよ。」

 ガライは、静観していた。マチルダは、言っても聞かない。セリーナに『このおねえちゃんは、アルコール依存症だから。』と説明してもまだ分からないだろう。

 コテージに帰り、ガライは、セリーナに添い寝した。

 しかし、そこでセリーナが、今日まだ、シャワーを浴びていない事にガライは、気づいた。

 「セリーナちゃん。ごめん。起きて。シャワーを浴びて。」

 セリーナは、いやいや起き上がった。

 ガライに抱かれてシャワールームに入る。

 セリーナが、どうしても、ガライか、マチルダが一緒でないと怖くて、頭が洗えないというので、マチルダに頼もうとしたが、マチルダは、ウィスキーをラッパのみして、べろべろに酔っ払っていた。ここまで来ると酒豪だ。

 「おまえ。いい加減にしろよ。」

 ガライは、仕方なく水着を着てセリーナの頭を洗う。

 セリーナは、ガライの左の二の腕を掴んで離さない。

 「ガライのおじちゃん居る?そこに居る?」

 ガライは、何とかして、セリーナの頭を洗う。

 セリーナは、シャンプーが怖い。シャンプーの怖い人間にとって、シャンプーハットなど意味をなさない。どこからでもシャンプーは、入ってくる。

 ガライは、本当は、コンディショナーやトリートメントをしたかったが、止めておいた。裸のセリーナと居るのは、罪悪感を感じる。寝かしつけるのと、一緒にシャンプーを浴びるのとでは、大きな違いがある。

 セリーナの体を拭いて、パジャマを着せて、ガライもシャワーを浴びた。ガライは、朝と、昼食の前、シャワーを浴びていたが、セリーナをシャンプーして、汗だくだし、ついでに浴びる事にした。

 ガライがシャワーを終えて、長袖のTシャツと短パンでシャワールームから出てくると、セリーナが、酔いつぶれて、テーブルに突っ伏しているマチルダを起こそうとしていた。

 「おきなよ。お姉ちゃん。こんなところで寝たら風邪を引くよ。」

 ガライは、セリーナを抱き上げ、ベッドに連れて行って言って聞かせた。

 「セリーナ。今は、分からないかもしれないけどマチルダお姉ちゃんは、壊れてるんだ。覚えておきなさい。どんな人間も救う事が出来るけど、自分で自分を傷つけて奈落に落ちていく人間は、救えないんだよ。」

 セリーナは、もう眠ろうとしていたが、うわごとのように、繰り返していた。

 「マチルダお姉ちゃんを、ベッドに乗せて上げて。」

 ガライは、仕方なくマチルダをお姫様抱っこして、ベッドに寝かせた。

 「俺は、死のうとしていた。だが、酒におぼれるあんたより、俺は、マシだ。」

 意識の無いマチルダにそう告げて、ガライは、セリーナのぬくもりを感じながら眠った。

 マチルダが、朝起きて、朝食を作ってガライに尋ねた。

 「ガライ。私のニッカウィスキー知らないかしら?どこにも無いの?」

 ガライは、にこりともしない。

 「おまえの腹の中だ。」

 マチルダもにこりともしない。

 「じゃあ。トイレに行ったから、今頃は、自然に返ってるわね。」

 そこまで言ってマチルダは、別の話題を切り出した。

 「ガライ。セリーナ。ちょっと聞いてね。突然だけど、この国を離れるわよ。

 セリーナが文句を言う。

 「えーーーーっ。嫌だよ。ここ楽しいもん。」

 ガライも反対だ。

 「ここに居るべきだと思う。ここは、日本から、西に八千キロ離れた国で、しかも、大小、様々な島からなる共和国だ。安全だと思う。 

 マチルダが、二人を鼻で笑う。

 「二人とも甘いわよ。私達は、逃亡者なの。楽しく過ごせれば良いわけじゃないわ。亜私たちを追ってる敵は私達が、例え、グリーンランドの、町でも村でも無い場所にテントを張ってても、見つけ出す連中よ。大丈夫。私が守ってあげるし、移動を手配してあげる。あなた達は、荷物をまとめるだけでいい。なんなら荷物だって、運ぶ人を手配してあげる。」

 セリーナがこわごわ聞く。

 「グリーンランドに行くの?とても遠いんでしょう?それとも、熊本に戻って、遊園地の三井グリーンランドに行くの?」

 マチルダが冷たく笑う。 

 「どっちのグリーンランドにも行かないわ。とりあえず、シンガポールのリトルインディアに行くわ。そこから、グアム空港で、カツカレーを食べて、パラオに行くわ。」

 セリーナの目が輝く。

 バカンスは、まだ続くのだ。

 

 モルディブ最後の夜。 

 三人は、白い砂浜の上のレストランで、食事した。マチルダもこの後、飛行機に乗るので、酒を飲まなかった。

 レストランでゆっくりしすぎて、空港のある島までのスピードボートに乗る。時間になり、慌ててコテージに戻る。

 コテージの前には、三人の荷物を運ぶ。アフリカ系のスタッフが待機しており、マチルダは、その三人に、二十ドルずつ渡して、大急ぎで、スピードボートに飛び乗った。空港に着くと、マチルダたちは、面倒な手続きを済ませ、飛行機に乗り込む。

 飛行機に乗る前に、セリーナが、高級ブランド店の看板を見つけた。

 「マチルダに合いそうな靴やバッグが、ありそうだね。」

 そうセリーナは、言ったが、セリーナ自身興味があったのだろう。

 マチルダも、ブランド店で立ち止まるが、ガライが急かした。

 「早く、飛行機に乗ろう。どうせ、夜は、店は、開いてない。」

 飛行機の中で三人で眠った。

 シンガポールに着くと、リトルインディアのニューパークホテルに部屋を取り、荷物を置いて、ショッピングモールに向かった。ホテルの部屋は、やたら寒かった。


 シンガポールで、セリーナが、ストレスを訴える。

 「なんか暑い外と、寒いホテルや飛行機の行ったり来たりだったから疲れた。丁度いいところに行きたい。」

 ガライは、困惑する。

 マチルダが微笑んでくれる。

 「そろそろ、私達の体も疲れてくる頃だからね。足つぼマッサージを受けて、ナイトプールへ行きしょう。

 リトルインディアの、ショッピングモールの中のマッサージ店で、三人は、足つぼマッサージを受けた。

 足つぼマッサージは、天国にいるように、心地よかった。

 しかし、マチルダは、足つぼに一切の痛みを感じないのに、ガライとセリーナは、一点、とても痛い部分があった。足の土踏まずの中心近くだ。

 セリーナが尋ねる。

 「そこ、凄く痛いんだけど、私、どこか悪いの?」

 中年の男性マッサージ師が答える。

 「おじょうちゃんとパパ(ガライのこと)は、腸が少しだけ弱っているよ。だから痛いんだよ。」

 セリーナは、マッサージ師に続けて尋ねる。

 「どうして、うちのママ(マチルダのこと)は、どこも悪くないの?すんごいお酒飲むよ。肝臓とか悪くないの?」

 マッサージ師は、笑う。

 「おじょうちゃんのママは、いたって健康だよ。多分血筋だろうね。おじょうちゃんは、お父さんの血を強く引いているのかもね。」

 マチルダは、高笑いだ。

 「私は、医者よ。自分の健康管理は、ばっちりよ。」

 セリーナが日本語で呟く。

 「図書館の本で読んだことがあるわ。医者の不養生って。」

 セリーナは、何とか反撃するが、マチルダは、気にも止めない。

 「私は、北欧のバイキングの血を引いてるから、強く出来ているのかも知れない。日本人の血を引く、セリーナや、ガライほど、繊細でもデリケートでもないのよ。それにあなた達だって、いたって健康よ。急に食事が異国の物になったから、お腹がちょっと反応してるだけよ。でも後で、ちょっとお腹を見せてね。あなた達の、健康を守るのは、私の仕事だから。私は、ボディガードであり、主治医でもあるから。」

 シンガポールのマリーナベイサイドまで移動する。当たり前だが、移動が便利だ。船ではなく、タクシーで移動できるし、タクシー代が安い。マリーナベイサイドホテルのフロントに行くと、マチルダは、フロントにパスポートを見せ、ガライとセリーナを連れて、入っていった。

 セリーナが尋ねる。

 「泊ってないのにどうして簡単に入れたの?」

 マチルダが、答える。

 「泊まっている事になってるからよ。あなたを追う追っ手をまくために、二つのホテルに部屋を取った、このマリーナベイサイドの方に泊まってる事になってるけど、ここでは、プールを借りるだけ。ニューパークホテルが隠れ家よ。」

プールへ向かう。

セリーナは、いつもの事だが、ずっとガライに引っ付いていた。

プールに行っても、ガライの傍を離れなかった。勿論。ナイトプールと言うのは、必死に泳ぐ場所では、無い。

マチルダは、酒を飲まなかった。ガライは、不思議そうにする。

「マチルダが酒を飲まないなんて、珍しいね。」

マチルダは、豊満な肉体にビキニだ。

「私は、お酒が好きだけど、飲んではいけない時くらいわきまえるわ。少なくとも、ここには、銃が持ち込めない。おいで。セリーナ。抱っこして上げるわ。」

セリーナは、ガライの傍を離れたくなかったがマチルダに抱きつきたくなった。一時的だが、母が恋しくなった。


セリーナは、マチルダに抱きついて甘えた。マチルダのやわらかな感触と、プールの水が気持ちいい。しかし、すぐにガライを恋しがり、ガライの元に戻ったが、ガライは、居なかった。

何の事は、無い。ガライは、夜のシンガポールの街を見ようと、少しはなれただけで、すぐ戻ってきたが、セリーナは、一目もはばからず、ワンワン泣き出した。

「ごめんなさい。もう傍を離れないから。私を一人にしないで。」

周りの大人は、父親からはぐれた子供が泣いているだけだと気にしなかったが、ガライは、驚いた。

「謝らなくていい。セリーナ。おじちゃんが悪かった。ちょっと,景色を見ようとしただけなんだ。泣かないでくれ。一人じゃないだろう?マチルダが居ただろ?」

セリーナは、泣きやまない。

「ガライのおじちゃんがいいの。おじちゃんじゃなきゃダメなの。」

ガライは、困り果てたが、マチルダは、動揺していない。セリーナとガライの付き合いは、深いが、マチルダは、ついこの間会った他人だ。

ガライが、マチルダに合図する。 

「もうニューパークホテルに戻ろう。他の人は、気にしてないにしても、セリーナを落ち着かせなきゃ。」

三人は、ニューパークホテルに戻る。

セリーナは、ガライに抱きついて、離れなかった。

ガライが呟く。

「これが、普通なんだよな。おれもちょっと、リゾート気分だったけど、いきなり親と離れて、来た事も無い海外に来てるんだもの。こうなるよな。ごめんセリーナ。それにしても、このホテルの部屋寒いな。マチルダ。悪いけど、電話で、毛布を沢山持ってきてくれるように、頼んでくれ。多分ホテルの設計上の問題で、室温の調整がうまくいってないんだろう。」

マチルダは、フロントに電話をかけた。セリーナが、ガライに抱きついて、ガライの耳元で、声を出す。

「おじちゃん。お風呂一緒に入ろう。」

ガライは、少し、セリーナが元気になったように思えた。

「今日は、マチルダが珍しくシラフだから、マチルダとシャワーを浴びて。」

セリーナは、悲しそうな顔をする。

「また私を一人にするの?」

ガライは、セリーナに、セリーナくらいの年になったら、男の人とお風呂に入ってはダメだと言い聞かせようかとも思ったが、止めておいた。

仮に自分が、セリーナの立場で、母親くらいの女性に、一緒にお風呂に入る事を拒まれたら、酷く傷つくと思ったからだ。

「じゃあ。一つ。お約束してね。セリーナもおじちゃんも水着を着て、シャワーで、体と頭をを流すだけにしようね。そして、今は、いいから、出来るだけ一人か、マチルダおねえちゃんと入れるようになろうね。

せりーなは、しぶしぶ約束した。

「でもずっと一緒に居てね。」

シャワーを浴びてセリーナは、ガライの部屋で眠った。

ガライは、マチルダの専門的な意見が聞きたくて、夜、マチルダに部屋に来てもらった。二部屋とってある。本当は、セリーナは、マチルダと眠る予定だった。

ガライがマチルダに相談する。

「マチルダ。今日のセリーナは、なんか変だ。前から少し変わってると不思議に思ってた。なついてくれるのは、嬉しいんだが、俺は、専門的な事は、分からないが、幼児退行とか、赤ちゃんがえりみたいな感じかな。」

マチルダは、どこで手に入れたのか、オレンジをナイフで切って、ガライにもくれた。

「ガライ。あなたって本当に、鈍いわね。セリーナが、あなたに感じてるのは、恋人のような感情よ。」

ガライは、否定しようとする。

「俺は、セリーナの父親くらいの年齢だよ。」

マチルダは、真剣だ。

「年の差は、関係ないのよ。それに女の子は、父親に恋人みたいな感情を持つわ。小さい頃わね。そして、ガライ。あなたは、父親ではなくて他人。セリーナは、あなたに両親の影を見ながら、矛盾してるけど、彼女なりにあなたに母性を持ってもいるの。そもそも恋愛感情ほど、曖昧なものは、無いわ。異性を過剰にいとおしく感じたらそれは、恋愛に似てくるのよ。だから、あなたがセリーナを拒絶しなかったのは、正しい。

ただでさえ、不安定になっているせりーをこころの拠り所のあなたが否定したら、彼女は、行き場がなくなる。

ガライは、苦悩する。

「でも、俺、そんなに、女性に好かれるほうでは、ないんだけどね。」

マチルダが鼻で笑う。

「でも、嫌われている実感もないはずよ。推測でしかないけど、あなたのその鈍さで、逃してしまった女性も居るかもね。」

ガライは、マチルダをまっすぐ見る。

「どうせなら、マチルダみたいな。大人の女性に好かれたいよ。マチルダは、とっても綺麗だからね。最初。銃を撃った時は、この人、あたまでもおかしいんじゃないかと思ったけどね。」

マチルダが拭き出す。

「あなた正直ね。あなたのそういうところ私も好きよ。」

マチルダは、セリーナが眠っているベッドに座っているガライを抱きしめた。

ガライは、マチルダに身をゆだねる。

「君の欧米的な友情の表現が、今は、嬉しいよ。」

マチルダは、ガライの頬にキスをする。

「だから、あなたは、鈍いって言ったの。私は、友情じゃなく、愛情のつもりよ。」

ガライは、マチルダの抱擁に身をゆだねながら、礼を言った。

「ありがとう。マチルダ。」

次の日も三人は、ショッピングモールに行った。

ガライは、マチルダに似合うドレスを選んで、プレゼントした。

黄緑色のドレスと茜色のドレスがあり、ガライは、迷わず茜色を選んだ。

「ありがとう。ガライ。マチルダは、ドレスを受けとり、喜んでいた。ドレスが嬉しいのではなく、気持ちが嬉しかった。

ガライとセリーナは、ホテルの近くのセブンイレブンで、愕然としていた。マチルダは、ホテルでテレビ電話スカイプで父親と話していた。

セリーナは、カップめんを手に取る。

 「ガライのおじちゃん。このカップめん。気持ち悪い。日本のカップめんには、きのこなんて入ってないのに、これには、きのこが入ってる。」

 セブンイレブンの様子も、日本とは、違う。なんか食べられる軽食のようなものが売ってあると思ったが、お惣菜の概念がないのだろう。思えば空港のコンビニにもお惣菜は無かった。

 仕方なくタクシーを使い。大きなキッチンカーのようなマクドナルドに行き、ハンバーガーを買って食べた。空港の中のハンバーガーショップ、バーガーキングは、飲み物が少なかったが、街中のマクドナルドは、南国のせいか極端に、飲み物が大きい。セリーナは、飲みきれなくてガライに飲んでもらった。

 「間接キッスになっちゃうけど、あげる。ガライのおじちゃん。

 セリーナは、少し恥ずかしそうに、顔を紅くする。

 今さら間接キッスを恥ずかしがる間柄だろうか?疑問に思いながらも、ガライは、無理してドリンクを飲む。この国では、基本的に物を捨てるのは、禁止だ。ドリンクをその辺に流してるのを見られたら、警察が来るかもしれない。

 セリーナが不満を言う。

 「ハンバーガーもう飽きた。食べたくない。おにぎりが食べたい。」

 いつもなら五百円で、叶えて上げられるセリーナの望みが、今は、叶えられない。日本料理店は、あるだろうが、セリーナが食べたいのは、おにぎりなのだ。多分母親が作るような。

 ここでは、コンビニのおにぎりすら手に入らない。

 「確かに、この国もモルディブもご飯。美味しくなかったよね。Tボーンステーキとかは、美味しかったけど、もっと和食みたいに、あっさりで、栄養のあるものが食べたいね。僕と、セリーナちゃんは、お腹がちょっと弱ってるモンね。

 セリーナは、なおも不満そうだ。ガライに不満なのではなく、この状況に。

「ねえ。ガライのおじちゃん。和食って、この国には、無いの?」

 ガライが謝る。

「おじちゃんが思うに、海外にあるのは、あくまで日本食で、セリーナちゃんが望むような、和食では、無いと思う。セリーナちゃんが望んでるのは、お母さんが作るご飯でしょう?玉子焼きとか梅のおにぎりとか、あおさのお味噌汁とか、そういうのは、たぶん無い。」

セリーナが泣きそうになったので、ガライは、抱き上げてよしよしして、ホテルに連れて帰った。

 ガライもセリーナも憂鬱だ。

 多分、またホテル、冷房効きすぎなんだろうな。

 二人が、部屋に入ると、マチルダは、荷物をまとめていた。ガライとセリーナの分も。

 「セリーナ。ガライ。行くわよ。」

 ガライが慌てる。

 「行くって、どこへ?」

 セリーナも慌てている。

 マチルダは、気にしない。

 「グアム経由で、パラオよ。私は、どうしてもグアム空港で、カツカレーが食べたいの。」

 ガライは、確認する。

 「今か?」

 マチルダは、もう荷物をまとめ終わっている。

 「そう。今よ。」

 セリーナは、この国と寒いホテルに飽き飽きしていたので、異論はないようだった。

 空港に戻り、飛行機に乗り、グアム空港に降りた。入国はしたが、グアムの空港からは、出ない。

 マチルダが言うように、カツカレーを食べる。とたんにセリーナの機嫌が治る。ここに来るフライトでも機内食を睨みつけていた。

 「日本のとは、ちょっと違うけど、とても美味しい。」

 ガライも無心に食べる。お米って素晴らしい。

 グアム空港から、パラオの空港まで飛び、税関を通ると夜だった。

 思えば、空港と言うのは、夜も稼動しているから、そこで働く人は、大変だ。

 例によってタクシーで移動する。レンタカーや、レンタルバイクは、使わない。海外で、人でもはねたら目も当てられない。

 夜中パラオパシフィックホテルに着く。

 マチルダは、バーに行ったが、もう何もおつまみは、無かった。バーテンダーが気を利かせて、ピーナッツを出してくれた。

 マチルダは、ありがとうと言って、バドワイザーのビールを飲んだ。

 ガライとセリーナは、七階の七○二号室に入った。

 セリーナが喜ぶ。

 「やった。バスタブがある。」

 ガライも弾んだ声で、セリーナを呼ぶ。

 「セリーナ。こっち来てごらん。ベランダもあるよ。」

 ホテルの部屋は、広くは、ないが、今まで一番居心地が良さそうだった。

 ダブルベッドと、鏡のあるテーブル。

 ベランダには、ゆっくり出来る椅子がニ脚おいてある。こじんまりしてて気持ちいい。

 ベランダから、セリーナは、夜景を見た。

 下には、集落があって、月と星が、とても綺麗だった。

 シンガポールのニューパークホテルと違い、エアコンの温度も調節出来る。一階には、プールもある。もうプールを借りに行かなくてもいい。」

 セリーナがダブルベッドに横になる。

 「ここなら、安心して過ごせる。おじちゃんもう寝よう。」

 ガライは、鏡を見ている。 

 「いやちょっと、飛行機の中で,寝てたから、あんまり眠くないね。セリーナは、寝ててもいいよ。」

 セリーナは、掛け布団をかぶった。

 「お言葉に甘えて、そうさせて頂きまーす。」

 しかし、ガライが、眠ろうとしたセリーナの方をゆする。


 「あっごめん。スーパーに買い物に行くからそれだけ付き合って。セリーナを一人には、出来ないから。」

 セリーナが拒否する。

 「いやっ。もう寝る。」

 ガライが頼む。

 「セリーナ。スーパーについて来れないなら、マチルダと一緒の部屋に居て、あとでおじちゃんの部屋で寝てもいいから。」

 セリーナは、むっくり起き上がる。

 「嫌だ。ずっとおじちゃんといるもん。さっさとスーパー行こう。そして寝る。」

 ガライとセリーナは、スーパーに向かった。

 高温多湿の夜道を歩く。

 スーパーで、やたらアルコール類を買いあさっている白人女性が居て、二人で『目を合わせないようにしようね。』と呟いていたら、その女性が振り返った。その女性は、マチルダで、酒とつまみを大量にカートに乗せて近づいてきた。

 「あら二人も、来てたの?」

 マチルダの息は、酒臭く。もうご陽気だ。

 セリーナは、顔をしかめる酒臭いのではなく、マチルダを人としてどうかと思うのだ。

  

 スーパーは、雰囲気が良かった。日本のスーパーとはだいぶ違う。飲み物の冷蔵庫などが、端っこの方にある巨大なコンビニのようなスーパーで、シンガポールのセブンイレブンと違い、ナッツやお菓子も売ってある。日本の有名清涼飲料水だってある。セリーナや、ガライの好きな甘いお菓子も沢山ある。ケーキを作る粉まで置いてある。

 セリーナは、お菓子を買い。ガライは、珍しくビールを少し買った。他は、清涼飲料水や水などだ。勿論、セリーナにも清涼飲料水を買ったが、少し加減して飲ませたほうがいい。セリーナは、甘いお菓子を沢山買った。清涼飲料水にも、砂糖は、沢山入っている。ガライが注意してみておかないと、自称健康管理の係りのマチルダは、酔っ払って便りには、ならない。

 スーパーは、冷房が心地よかった。

 冷房と一口に言っても色んな感じ方をする。

 モルディブの冷房は、涼しくは無かった。ただ、ある程度暑さをしのいでるだけで、ガライには、少し温かい部屋だった。

 スーパーの照明は、神々しいほど、美しかった。

 レジを通ると、ガライたちが日本語で話していたので、現地の店員が、

 「ドモ、アリガトウ」

と日本語で挨拶していた。

 ホテルの部屋に戻ると、セリーナは、お菓子を食べずに、ガライの部屋で眠ろうとした。

 ガライが促す。

 「軽くでいいから、シャワーを浴びてね。」

 セリーナは、シャワーを浴びて、体や髪を洗って眠りについた。

 南の島では、よく汗をかく。汗自体は、有害では、ないだろうが、体は、常に清潔なほうが良い。この場では、明確に明記しないが、不衛生になると、色々な悪い変化が体に出る。


 ガライは、ピーナッツや、カシューナッツを食べながら、ビールを飲んだ。そして、意味は、ないが、これまでの出来事を簡単に記録した。

 そしてジュースを飲み歯を磨くと、セリーナの眠っているベッドに横たわった。

 今も疑問だ。

 『何故、この子は、自分から離れないのだろうか?何がこの子をここまで、自分を信頼させているのだろうか?』

 ガライは、セリーナをわが子のように愛していたが、やはり不思議だった。


 次の日、三人とも、夜まで眠っていた。

 体は、長時間のフライトで疲れていた。三人とも、神経だけが突っ張っている状態だった。

 夕方になって、顔を洗って、歯を磨き、ホテルのレストランへ向かった。

 セリーナが、ガライに椅子を引かれ、席に着く、ガライは、マチルダの分も椅子を引く。

 三人で座る。

 マチルダが適当に注文する。

 「今日のお奨めの料理を。」

 久しぶりのまともなご飯に、うきうきしていたセリーナとガライの期待は、料理が出て来て、打ち砕かれた。

 魚や肉や、野菜もあったが、メインディッシュは、なまこの煮つけだった。

 しかし、セリーナは、それが、なまこだと気づいていない。ガライは、なまこだと思うが、確信が持てない。

 セリーナが、ガライに尋ねる。

 「ガライのおじちゃん。これ何?」

 セリーナがブヨブヨしたスライムの煮付けのような物を箸で突く。

 「多分なまこだよ。おじちゃんも見るのは、初めてだ。うちのお母さんは、海の近くの村の生まれで、よく言ってた。なまこは、大嫌いだって。」

 セリーナの顔が戦慄する。

 「おじちゃん。一口食べてみて。で、ダメだったら、残そう。いいよね。私達、お客だし、こういう万人受けしない料理を出す。シェフがいけないんだと思うわ。」

 ガライが、一口食べてみる。

 「うん。何とか食べれる。的確な表現が見つからないが、こんにゃくに無理やり味を付けた感じだ。こんにゃくより遥かに、不気味な食感だけどね。」

 セリーナも一口食べてみて、腹が立ってガライの背中を平手で打った。

 「こんなの食べれないよ。おじちゃん。私が、椎茸とか嫌いなの知ってるでしょ?最悪の味だよ。」

 セリーナは、泣きそうだ。

 「ごめん。大人になると味覚がバカになるの。忘れてた。」

 マチルダを見ると、普通に食べていた。

 セリーナが尋ねる。

 「マチルダ。ナマコ美味しい?」

 「ちっとも美味しくないわよ。だけど残さないでね。二人とも。コラーゲンが豊富よ。お肌がプルプルになるわ。」

 マチルダは、ビールを飲みながら、食事をしている。

 仕方なく、ガライがセリーナの分もナマコを食べた。二人は、もう二度と、ナマコは、頼まないと誓った。

 三人に、日本人らしいウエイトレスが声をかけて来た。

 「あの、日本の方ですか?」

 ガライが応対する。

 「ええ。そうですよ。あなたも日本人のようですね。お名前は?」

 ウエイトレスは、嬉しそうに答える。

 「私、あゆむって言います。ナマコは、お口に合いませんでしたか?」

 セリーナが答える。

 「まずいったら、ありゃしないわ。」

 あゆむは、うんうんと頷いた。

 「私の方でも、シェフに、美味しくないですよと伝えてるんですけどね。頑なに作るんですよね。お口直しにデザートなど、いかがですか?」

 ガライの顔が輝く。

 「セリーナ。デザートだって。」

 セリーナは、ガライの手を握る。

 「アイスクリーム頼もう。」

 二人は、あゆむに、アイスクリームを注文した。

 マチルダは、ビールを飲み続ける。『また。始まったな。』セリーナとガライは、ため息をつく。

 食事を終えて、マチルダは、先に部屋に戻った。

 ガライとセリーナに見られないようにもっと酒を飲むためだ。

 ガライとセリーナは、ホテルのプールのそばに座った。

 セリーナが寂しそうに呟く。

 「明日、泳ぎたいな。付き合ってくれる?おじちゃん。」

 ガライは、優しい笑顔で頷く。 

 「勿論。」

 その時だった。

 ホテルのドアを通り、一人の女性が現れた。

 何故、その女性が、ここに居るのかは、分からなかった。

 セリーナの母親のマリーだった。

 ガライは、セリーナが『お母さん。』と叫んで、駆け寄っていくと思った。しかし、セリーナは、ガライの手を握って、動かない。

 明らかに戸惑っている。

 気にせず、マリーは、迫ってくる。

 「セリーナ。迎えに来たわ。帰りましょう。」

 ガライは、様子を見ている。マリーは、強引に、セリーナの手を引いた。

 そしてガライに言った。

 「ガライ。私を許してね。」

 セリーナは、叫んでいる。

 「おじちゃん。私、おじちゃんと一緒に居る。お母さんとは、行きたくない。」

 しかし、マリーは、セリーナを抱きかかえて、タクシーに乗り込み、去って行った。


 一時間後。マチルダは、ガライを猛然と叱り付けていた。

 「それで、大した抵抗もせず、あなたに千円札を渡して、セリーナを置き去りにした女に、セリーナをみすみす引き渡したわけ?」

 ガライが首を横に振る。

 「そんな言い方をするな。マリーは、セリーナの実の母親だ。俺がどうこう出来る問題じゃないだろ?」

 マチルダは、叱り続ける。

 「でも、セリーナは、行くのを嫌がったんでしょう?あなたに止めて欲しかったのよ。」

 ガライは、まだ言い訳をしていた。

 「それは、分かるけど俺には、何の権利も無い。つまるところ、赤の他人。だが、マリーさんは、違う。」

 マチルダは、異議を唱える。

 「母親なら、子供に何をしてもいいの?もういい。私は、セリーナを取り返しに行くわ。あなたどうする?」

 ガライは、夜のホテルのベランダに立つと、両手を広げ、風を浴びた。

 「俺も行く。セリーナを迎えに行く。」

 日本までの、道中、マチルダとガライの間には、会話が無い。

 高速バスで、夕方熊本に戻る。

 「ガライ。あなた、どこか知らない?マリーが、セリーナを連れて行きそうなところ。そもそも、熊本でよかったのかしら?他に当てが無いから来たけど。」

 ガライは、話す。

 「一つある。滅多に無いことだが、俺は、一度用事で、マリーさんたちの別荘に行った事がある。セリーナちゃんとエドガー君が高熱を出して、どうしても来てくれと言われたんだ。二人とも、俺に会いたがってた。可愛がってたからな。居るとしたら、そこだ。二手に別れるか?俺は、別荘に行くから、マチルダは、病院を当たるか?マリーさんとセリーナちゃんと、エドガー君が居るかもしれない。」

 マチルダが断言する。

「いいえ。別荘に居るわ。連れて行って。」

ガライが、尋ねる。

「そう言い切る根拠は、何だよ?」

マチルダは、誤魔化そうとしたが、少し真実を述べた。

「セリーナも弟も、病気じゃないからよ。身を潜める場所があるなら、必ずそこに居る。」

マチルダは、車を手配して、自分は、ライフル持ち、ガライに自動小銃を持たせた。


 


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