将棋棋士の癖
将棋棋士の癖
将棋のプロ棋士である高梨五段は、ある休みの日、自宅でテレビをぼーっと見ていた。
休みの日は、将棋の勉強をする以外はぼっーとしているのが好きで、この日も音楽を聴いたりテレビを見たりして過ごしていた。
偶然見ていた番組は、二人のプロ野球選手の対談だった。
一人はA打者、もう一人はS投手で、現役時代は両チームの四番とエースとして対決してきたが、二人は同じ六大学野球出身ということで、プライベートでも仲が良かった。
Sが言った。
「お前には現役時代よく打たれたなあ。通算したら三割七分近く打たれてるよ。」
すると、Aが笑いながら答えた。
「あははは。お前のおかげで俺の選手寿命も二~三年は伸びたよ。ところでお前、気が付いていた?」
Sがきょとんとしていると、Aは済まなそうに言った。
「今だから話すけど、お前の癖を俺は見抜いてたんだよ。お前ってカーブ投げる時、微妙にグラブを構える位置が高くなるんだ。それで沢山打たせてもらったって訳だよ。」
その話を聞いてSは絶句した。
「馬鹿野郎。そんな話今頃するんじゃねえよ。親友なんだから、現役時代に教えろよ。」
「現役時代はお互い生活が懸かってたからな。まあ、許せよ。お前もプロで二百勝近くできたんだから、いいじゃないの。」
最後はSもAも大笑いしてその対談は終わった。
このやりとりを見て、高梨はかつて聞いたプロ野球の盗塁王の同じような話を思い出した。
その盗塁王は、もちろん足も速かったが、それ以上に相手投手の癖を見抜くのが上手かった。相手投手の微妙な動きで、ホームへ投げるのか、けん制してくるのかを見分ける事ができたので、いつも思い切ってスタートが切れたのだった。
だが、見抜いた相手投手の癖は決して言わなかった。言ってしまえば、相手投手がその癖を直してしまうからである。正に、企業秘密であった。
高梨も、日頃から相手棋士の癖には何となく興味を持っていた。
将棋は、わずか一メートルくらいの距離で相手と顔を突き合わせて長時間対局するので、意識せずとも相手の挙動や癖が分かるのだ。
集中して考えている時は体を前後に揺らす者、優勢の局面では背筋がピンと伸びる者、劣勢の局面でため息をつく者など、無意識の挙動や癖が対局中に出る。
もちろん、このような挙動や癖は、相手に自分の考えを悟らせる恐れがあるので、棋士は極力このような動きをしないように努力している。棋士は若い頃から、対局中はポーカーフェイスを通すように修練しているのである。
しかし、人間にはそれでも出てしまう無意識の癖と言うものがある。
高梨はふと思った。
「ひょっとして癖を研究すれば、将棋の勝負にも使えるのではないか。」
プロの将棋ではその実力差は紙一重であり、単に自分だけの読み筋を考えても勝てない。相手が攻めようとしているか、守ろうとしているのか、局面を優勢と判断しているのか、劣勢と判断しているのかといった相手の出方を推測して、その上で最善の着手を選んでゆかねばならないのである。
高菜は、人に対する観察力はある方で、人のものまねなども得意であった。
高梨は、各棋士の癖を少し研究してみようと思った。
一口に癖と言っても、様々なものがある。
一番単純なのが、いわゆるボディーランゲージのようなもので、具体的な例で言えば、イライラしていると貧乏ゆすりをする等がその代表だが、棋士の場合、集中して考えている時に出る事が多い。
たとえば、体を前後に揺すったり、扇子をぱちぱち鳴らしたり、中には咳を何度もしたりする棋士もいる。既に引退したМ九段などは、空咳がうるさくて、相手からクレームがついたくらい有名であった。
また、その人だけの珍しい癖を持っている棋士もおり、現在大活躍の若手のK七段は、考えに集中すると無意識の上に頭の毛を触ってくるくる回す癖があり、今やK七段のトレードマークとなっている。
さらに、ボディーランゲージと言うほど大きな動きではなくても、近距離で将棋盤を挟んで座っていると、対局相手の微妙な挙動も結構分かるものである。
形勢を悲観している時のかすかなため息や、自分の読みにない手を指された時の一瞬の動揺など、本人は平静を装っているつもりでも、対局相手には伝わる。
囲碁の世界では、「耳赤の一手」という有名な話がある。
江戸時代の名人がある手を指した時、その碁を周りで見ていた者が名人の勝ちを断言したのだが、その根拠が、その手を指された瞬間相手の耳が赤くなったというのである。絶妙の一手を指された相手の動揺が耳の色に出たのである。
そして、将棋特有の動きとして絶対に見逃すことができないのが、駒を将棋盤に指すときの「手つき」である。
会心の一手、勝ちを読み切った時の手つきは、無意識のうちに駒を打ちおろす手に力が入ったり、自分の負けを悟って指す時の手つきは、心なしか力がこもっていなかったりする。
かつては皆この点にはおおらかで、勝ちを読み切った時などは、駒を思いっきり叩き付ける棋士も多かった。既に引退したY棋士などは、力が入りずぎて将棋の駒を何度も割った逸話で有名である。
そんな中、、現代将棋で最も有名な手つきは、T三冠の手つきである。
T三冠の場合はちょっと変わっていて、勝ちを読み切った時に差す手が震えるのである。
「震える」と言うと、相手を恐れている、追い詰められているというイメージがあるが、T三冠の場合は逆で、勝ちを読み切って緊張感がほぐれた瞬間に出る癖なのである。
将棋棋士の間でも、よく冗談で「T三冠に震えられたら、負けだな。」と言われている位である。
その他にも、自分の勝ちを読み切ると、一旦席を外してトイレに行き気を落ち着けるとか、眼鏡を拭くと、じきに投了するサインだとか、様々な動きもある。
このように、対局中の棋士たちは、極力ポーカーフェイスを通そうとしているのだが、結構いろいろな癖を出してしまっているのである。
では、このような様々な癖のうち、勝負に役立つ癖とはどのようなものなのであろうか。
それは、「相手の形勢判断が分かるような癖」である。
プロ棋士は指し手を読む驚異的な力を持っているが、それでもすべてを完全に読み切れるわけではなく、対局中は常に迷いながら指している。
判断に迷うケースで一番多いのは、ある局面で攻撃の手を選ぶか、守りの手を選ぶかである。
その攻撃の手が成功するならば当然攻撃の手を選ぶべきであるが、一方、その攻撃の手が失敗に終わるなら、とりあえずは攻撃は見送って守備の手を指さないと、返って相手の反撃が厳しくなって負けを早めるからである。
しかし、もしここで相手の形勢判断が分かったらどうだろうか。
その局面で、もし相手が「自分の方が形勢が悪いと判断している」という事が分かれば、逆に言うと今読んでいる攻撃の手が成功する可能性が高いという事になる。
相手も恐らくその攻撃の手を読んでおり、その上でその手が成立することが分かったので、「自分の方が形勢が悪い」と判断したと思われるからである。
すなわち、ある局面で攻撃の手を選ぶか、守備の手を選ぶか迷っている時に、もしその局面での相手の形勢判断が分かれば、それを参考にして手の選択ができるのだ。
ただ、T三冠の「勝ちを読み切った時に差す手が震える。」というような癖は、その癖を知っていも勝負には何の役にも立たない。。ただ単に自分が負けた事を悟らされるだけだからだ。
結局、本当にに勝負に役立つ癖とは、「形勢が悪いと判断している時に出る癖」なのである。
ある局面で、自分の方が勝ちになると思われる勝ち筋を発見したとしよう。
もし、この時に「形勢が悪いと判断している時に出る癖」を相手が示せば、現在自分が発見した勝ち筋が成立する事を相手も認めている事が分かるので、、その勝ち筋を自信を持って指すことができるであろう。
プロの将棋は、難解な局面で、思い切って勝ち筋に踏み込めるか否かが勝負を分ける。もし、せっかく生じていた勝ち筋を、迷いを吹っ切る事が出来ずに自重すると、その後二度と勝ち筋は生じず負けてしまう。
高梨は、相手の癖を見抜いて現実の対局に勝つことができれば、これ程痛快な事はないと思った。
高梨は、癖の研究に本腰を入れ始めた。
実際の研究において、まず最初に壁となったのは、どうやってデータを収集するかであった。
もちろん、現実の対局において相手の挙動を観察するのが一番であるが、実際にはそんなに観察はできない。将棋では、盤を挟んでお互い至近距離に座っており、相手をジロジロ見ると、その視線は相手もすぐに感じるので、相手のことはジロジロ見ない事が対局の暗黙のエチケットとなっているのである。
また、相手を観察する角度も、真正面からしか見る事はできないので、現実の対局から得られるデータは非常に限られるのであった。
しかし、高梨に都合の良い風が吹き始めていた。インターネット中継の増加である。
かつては将棋のテレビ中継と言っても、日曜日の国営放送の中継くらいだったが、近年はインターネットテレビの将棋専門チャンネルができ、対局中継の回数が大幅に増えていた。
インターネット中継は朝の対局開始から夜の終局までまる一日中継し、また、テレビは両対局者を横から映すため、現実の対局とは違った角度から、両対局者の細かな挙動も観察できるのであった。
高梨は、これを利用しない手はないと思った。
高梨はあらゆる中継を録画して、それを各棋士ごとに編集して、何度も繰り返し見ていった。
すると、今まで気づかなかった様々な事が見えてくるようになってきた。
たとえば、指し手の「手つき」についても、高梨は意外な傾向を感じた。
一般的には、指し手に自信があるときは、ピシッと力強く指し、指し手に自信のない時は、力なく指すように言われているが、むしろ現実は逆のように高梨には感じられた。
棋士は手つきから自分の形勢判断を悟られないように、いつも一定の手つきで指すことを意識しているが、この意識が強すぎて、むしろ形勢が良い時の方が、静かに指しているように見えた。
人間とは不思議なもので、ある事のバランスをとろうと意識しすぎると、逆のアンバランスを生んでしまうのではないかと高梨は推測した。
高梨は、録画したビデオを見ながらこのような現象を発見する事に、非常な楽しみを覚えた。
ただ、対局相手の固有の癖はなかなか発見できなかった。
さずがの高梨も途中で挫折しかかったが、ビデオのチェックを続けて一年くらいたった頃、遂にある棋士の癖を発見したのだった。
それは、U五段の、右足の太ももの外側を掻く癖だった。
高梨とU五段は同じような段位で年齢も近かったことから、過去に六局の対戦があり、三勝三敗と互角の勝負をしている間柄だった。六局の対戦であれば、通算すれば相当の時間盤を挟んで相対していた訳であるが、今まで高梨はU五段のこの癖には気づいていなかった。
ところが、対局の録画ビデオを見ていると、U五段の右手で右足の太ももの外側を掻く動作に目が留まった。実戦では相手を真正面からしか見ないので、なかなか気づきにくい動作であるが、ビデオの横からのアングルによって初めて気づかされた動作であった。
高梨は、早速この動作が出た対局を調べてみると、すべてU五段の負け将棋であった。
高梨は、この動作はU五段が自分の方が形勢が悪いと感じている時に、無意識に出る動作ではないか、いくら局面を読んでも自分が優勢になる指し手を発見できず、苦しんでいる時に出る動作ではないかと推測した。
そして、遂に勝負に役立つ癖を発見して、すぐにでも実戦で活用してみたいと思ったいたところ、ある棋戦の予選で、高梨もU五段も順調に勝ち上がり、決勝で対決する事になったのである。
高梨は、対局が待ち遠しくてならなかった。将棋の研究をしてその研究結果を実戦で試したいというのならまだしも、癖の研究結果を試してみたいというのは自分でも滑稽に思えたが、ここまでものすごい時間を癖の研究に費やしてきた以上、一度くらいはその研究結果を実戦の勝ちに結び付けたいという妙な執念が芽生えていたのだった。
対局は序盤から難解な局面が続き形勢不明のまま終盤に入った。そして、遂に高梨の方に、ある勝ち筋が見える局面となった。
高梨は、ここが癖の研究を生かす場面だと思った。
もし、U五段が例の癖を出せば、それはU五段が自分の方が形勢が悪いと考えている証拠であり、逆に言えば、高梨の発見している勝ち筋が成立する証拠となる。
高梨は、次の指し手を考えるふりをしながら、U五段の右手に注意を集中した。例の癖は、真正面からでは見にくい癖であるので、高梨は左わきに置いてある脇息にもたれかかって体を左に倒し、U五段の右手と右足を見やすい態勢をとった。
そして、自分の手番となってから十五分くらいした時、U五段の右手が右足の太ももの外側をズボンの上から掻いた。高梨は、この動作を見逃さなかった。さらに、さらに五分位した時に、再びU五段は、ズボンの上から太ももの外側を掻いた。
高梨は、U五段が自分の方が形勢が悪いと判断していると確信した。
高梨は次の一手を自信を持って指し、この手を境に高梨が一気に勝勢となって、そのまま一方的に押し切った。最後は高梨の快勝となった。
終局後の感想戦で、例の癖が出た局面となった時、高梨はU五段に確認した。
「この局面での形勢判断はどうだったんですか。」
すると、U五段は答えた。
「いろいろ考えたんですが、自分の方に上手い指し手がなく、ここでは負けだと思っていました。」
高梨は、U五段の顔を見ながら満足そうに頷いた。
U五段との対局は快勝だったが、高梨の成績は下降していった。
それもそのはずであった。各棋士とも必死に将棋の研究をしている中で、相手の癖の研究などに時間をかけている様では、勝てるはずもない。また、癖を見抜いた相手との対局など年に一~二局あれは良い方であり、癖の研究で勝ち星が大幅に増えることなど期待はできなかった。
高梨は、もう癖の研究は止めようと思い始めていた。現実の成績を下降させてまで取り組んでいるのは本末転倒であり、またそんな事を考えている自分自身が馬鹿らしく思えてきた。
しかし、それでも相手の癖の研究に未練が残り、惰性でビデオのチェックだけは続けていたそんな頃、高梨は新たにМ九段の癖を発見したのであった。
М九段の癖とは、勝負所で手を指した後に、腕時計を見る癖である。
通常、棋士は対局中は腕時計を外している。駒を動かす利き腕は当然だが、利き腕でない方もほとんどの棋士が腕時計は外している。
では、腕時計をどうしているのかと言うと、ポケットやカバンの中にしまう者もいるが、М九段の場合は、着席した右脇に置く習慣があった。
そして、重要な局面で一手指した後に、腕時計を確認する動作に高梨の目が留まった。対局中に盤を挟んで正対していると余り気づきにくい動作だが、ビデオの横からの画像で見ると、妙に気になる動作だった。
高梨はこの動作をしたすべての対局を確認したところ、М九段が指した後に腕時計を見た対局は、М九段の負けであった。
将棋には「持ち時間」と言って一局の中で考えられる時間の制限があるが、持ち時間があと何分残っているかについては、通常対局室に時計が置いてある。従って、М九段が腕時計を確認するとすれば、残り時間ではなく時刻そのものを確認しているはずであった。
なぜM九段が時刻を確認するのかについては、自分の負けを悟った場合、終局まであとどのくらいの時間がかかるか推定できるので、М九段は対局の終局時刻を確認しているのではないかと高梨は推測した。
本人に聞くわけにもいかないので、完全な当て推量だったが、現象的には間違いなかった。
しかし、М九段との次の対局がいつになるかは全く目途が立たなかった。М九段のような強豪と対戦するには、高梨自身が予選を勝ち抜いていく必要があり、数年に一度対戦できるかどうかという関係であった。
ところが、ある棋戦で高梨は絶好調で、予選を勝ち上がり本戦の一回戦で遂にМ九段と対戦する事が決まったのである。
高梨は、M九段との対局が待ち遠しかったが、そんな事を考えている時、ある重大な見落としに気が付いた。
癖が勝負に生きるのは、相手が「形勢が悪い時と判断している時」である。
という事は、まず前提として、相手を形勢不利に追い込む必要がある。しかし、М九段のような強豪相手に、自分が優勢になることは至難の業であり、現実にも、М九段には過去に一度も勝ったことがなかった。
高梨は、一人で苦笑した。
「俺は何という馬鹿者なんだろう。」
そもそも相手を不利に追い込む実力がなければ、癖の研究など何の役にも立たないのだ。
高梨は、成績を下降させてまで取り組んできた癖の研究が、ほとんど無意味だった事に気づいた。
だが、これだけ長い時間をかけて研究してきたのだから、M九段に例の癖を出させるような優勢な局面まで絶対に持ってゆかなければならないと決意したのだった。
近年にないほどの気合で、М九段との対局の当日を迎えた。
М九段との対局は、高梨は序盤から押され、途中では形勢不利を自覚した。自分とМ九段の実力差からすれば、当然であった。
このまま押し切られてしまえば、例の癖を出させることもできないと観念しかかっていた時、将棋の神のいたずらか、終盤に来てМ九段に凡ミスが出て、高梨に、逆転できるかもしれない勝負手が生じる局面となった。
М九段が長考し出した。高梨は、この局面でМ九段はすべてを読み切るだろう、そして、もしМ九段が自分の負けを悟ったならば、例の癖が出るだろうと期待した。
そして、四十分程度も考えただろうか、М九段はようやく次の一手を指した。
高梨は、次の一手を考えるふりをしながら、視線は、М九段が置いた腕時計に集中した。
ところが、十分待ってもМ九段は腕時計を見なかった。二十分待っても何も動きはなかった。そして、遂に三十分経っても、М九段は、腕時計で時刻を確認しなかった。
高梨は、М九段がこの局面を自分の負けとは思っていない事を悟り、勝負手を見送った。
しかし、勝負手を見送った高梨はその後М九段に一方的に攻められ、勝負所も訪れず投了に追い込まれた。
対局後の感想戦が始まり、問題の局面となった。
高梨は、これが最後と思いつつ、М九段に尋ねた。
「この局面での形勢判断は、どう思っていたのですか。」
М九段は答えた。
「その前にひどい手を指して、この局面では既に逆転されていると思ってました。この手を指されたら自分の負けです。」
高梨は驚いた。М九段が示した手は、高梨が考えていた勝負手だった。
高梨は茫然とした。
「自分が発見したと思った癖など、単なる思い過ごしだったのか。」
高梨は、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさした。
感想戦が終わり双方帰り支度をしている時、М九段が聞いてきた。
「ところで今何時ですか。」
高梨は、自分の腕時計を見て時刻を教えた。
するとМ九段がこう言った。
「電池が切れたみたいで、腕時計が止まっちゃてね。」
高梨は、腰が抜けそうになった。今日М九段が腕時計を確認しなかったのは、時計が途中で止まったからなのであった。
М九段が先に部屋を出ていき、高梨は一人で対局室に残った。
高梨は、今まで時間と労力をかけてきた癖の研究の事を考えた。
「自分の研究は正しかったし、実戦でもそれなりに生かすこともできた。」
しかし、相手の癖を見抜いて勝とうなどと言うのは、やはり邪道だと感じた。きちんと将棋の実力をつけて勝つのが本道なのだ。
そして、今日М九段の腕時計が電池切れになったのは、将棋の神様の仕業と思った。
「邪道でなく本道で努力せよ。」
将棋の神様がそう言っているような気がした。
高梨は、癖の研究はこれで終わりにすることにもう何の未練もなかった。
一方で、癖の研究に没頭していた頃が楽しかったように感じた。