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1.相撲国家日本の成立

  大正四十年、日本。首都を東京から改め「両国都」と定めて三十五年の月日が経とうとしていた。時は、大相撲だいすもう時代である。


 さかのぼること明治三十七年、日本と露西亜の間に発生した日露戦争に日本は敗北。日本海海戦は勝利したものの陸軍は奉天会戦にて大敗、そのまま兵数に優れた露西亜軍により海岸線まで追い込まれ日本陸軍はほぼ全滅の憂き目にあった。露西亜は余勢をかって日本本土への侵攻を試みるも露西亜海軍が壊滅しているため目的を果たせず、またアメリカ・イギリスが参戦をほのめかしたため露西亜は侵攻を断念。そのまま日本は露西亜有利の講和条約を結ぶことになった。これによって日本は中国大陸における利権をほぼ喪失。露西亜は満州を植民地化し、更なる南下を試みることになる。日本は戦争敗北による国力低下で露西亜を止める力を持たず、中国・朝鮮半島を露西亜の傀儡国家とすることを許してしまう。日本は同じく植民地を持たないアメリカと協調路線を取りながら海洋国家として国家再編を目指すことになった。


 また、迫りくる露西亜に対し本土防衛のため日本は「相撲兵」の育成を本格化することになる。 日露戦争末期、総崩れになる日本軍を最後まで支え続けたのは両国から派遣された関取部隊・通称「相撲兵」だった。モシン・ナガン の銃弾を素手で弾き飛ばし、騎兵突撃を体で防いでは馬を相手にがっぷり四つに組んで投げ飛ばす。肉の要塞として一騎当千の活躍を見せていたのだ。相撲兵があと100人いれば日露戦争は勝てたと言われるほどだ。ただ、相撲兵は元が相撲取りであり絶対数が少なく補充もきかない。そこで戦後、日本軍は人為的に相撲兵を作り出すための改造手術に着手することになった。人間の相撲化技術は当時既にある程度体系化されており、あとは人体実験と大量の兵士に施術するための予算だけがネックだった。しかしそこへ、やはりというべきか人権派議員から「ヒューマンライツを蹂躙している!」と予算成立に待ったがかかった。だが、やはりというべきか件の議員は露西亜のスパイだった。内閣にも相当数のスパイが潜んでいた。これを知った日露戦争帰りの相撲兵を中心とした将校が決起。国会議事堂を占拠し当時の内閣を一人残らず押しつぶし皇居も占領するとここに革命を宣言。新生相撲帝国日本の誕生である。 時を同じくして東京都が「両国都」に改名された。


 幸運なことに革命に伴う政治的空白はほぼ生じなかった。国家の英雄・相撲兵が国のために立ち上がったのだ。国民は熱狂し新しい政治形態は相撲兵の思うままとなった。この時に占領の中心人物だった七名は評議会議員、通称「オヤカタセブン」として現在も陰に陽に政財界に影響力を及ぼしている。


  ただ、新国家は問題が山積みだった。露西亜の脅威は未だ解決できず、アジアに味方のなる国家は一つもない。アメリカ頼みの貿易は関係が悪くなればそれだけで国家に致命的な影響があり、国内産業は脆弱で養蚕と軽工業しか輸出品がない。この状況を改善したのは、戦争だった。ヨーロッパで発生した二度の大戦が日本に強い追い風を吹かせることになる。重工業・軽工業の加工地として日本が注目され飛躍的に生産技術が発展し武器輸出国として日本は空前の好況に沸くことになったのだ。戦争に参戦しないことは賛否両論を呼んだが経済国家として成長した日本は日露戦争敗北以前を超える勢いを持ち始めていた。だが、光が強くなれば闇もまた深くなる。国家の腐敗、大きくなる貧富の差、混迷を極める国際情勢、そこへ差し込む一筋の相撲。それは希望か絶望か。この物語の結末はまだ誰も知らない…。

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