恋愛関係についての一考察
そもそも
恋愛関係が成立しているとは
どういう状態を言うのだろう
これを
「一人分しかない
特別かつ同種の愛情を
向ける相手が
お互い同士である状態」
だと
仮定してみる
「特別で一人分しかない」
ここで恋愛に近い友情と愛情とを区別する
「同種の愛情」
ここで他の家族と恋人(伴侶)とを区別する
まず
一方通行では成立しない
ここは重要なところだ
これが成立している場合
互いに満足できる量の
愛情表現を交わし合っている
ということがいえる
この量は
必ずしも同量である必要はない
どのレベルで満足するかは
個人差があるからだ
間違えてはいけないのは
この量は常に一定ではない
ということだろう
記念日や
長く放置した/された後
またはマイナスの言動の後
このような状況下では
質か量か
あるいはその両方を
上げる必要がある
この愛情表現は
一方通行ではいけない
渡し合えることが重要になる
さて
ここで
「マイナスの言動」について
考えてみる
世間一般では
恋愛関係にある二人が
相手への愛情を損なう原因の
最たるものは「浮気」と
なるだろう
しかし
よく考えたいものである
本当にそれは「浮気」であろうか?
特別な愛情を交わし合う相手がいるのに
あえてその愛情の一部(あるいは全部)を
他の人物に渡そうとする
それは「本気」が
その人物に移ったからではないのか
私なら
それが一番耐えがたい
行為云々ではない
たとえその人物に
指一本
触れていなかったとしても
「君より大切な人がいる」
そう伝わってくる感情
心が重ならないことが
何よりもつらいこと
もちろん
母の日に
私より母親を優先する
年に一回の大事な会議がある
私より仕事を優先する
これは良い
だけれども
同じカテゴリーの中では
一番でいることを求めたい
それは普通の感情だと思う
ここまでは
おそらく
齟齬は出ない
問題は
ある行動について
カテゴライズが異なっている場合だ
片方は
「それは愛情表現の一種である」
と言う
もう片方は
「それは違う」
と言う
この場合
この議論は
どちらかに結論を寄せることを
目標にすべきではないように感じられる
平行線のままであっても構わないのだ
ただ
互いに相手の考え方を
自らの中に入れておく必要はあるだろう
共感できずとも
知識としては
持っておくべきなのだ
どうあるべきかの判断は
その後にするのが好ましい
すぐに白黒つけたがるのは
悪しき慣習だ
……私も含めて
ところで「浮気」ではないが
好きな人以外とその行動を取るのは
つらい話だ
それくらいなら死にたいな
親より先には
死ねないが……
他には
どんなことがあるだろうか
何って
「マイナスの言動」
についてさ
趣味嗜好は
個々人の自由とは思うが
噛み合わないと
愛情が薄れることは
あるらしい
親の苦労する姿を見ているから
借金してまで
自分の愉しみを追い求める人間は
好きになれないな
私はギャンブルもタバコもやらない
一度だけ同僚と麻雀して
ものすごく懲りた
もう二度とやらないのだ
煙を吸い込むのに魅力なんて感じないし
お酒だけ
おつまみ目当てで
時々軽いのを一杯
いや、これは恋愛の話でもないか
そうだね
熱が冷めるという意味では
夢がなかったり
小さすぎたりするのは
少し冷めるかな
でもそれで嫌いになったりはしないよ
夢の大きさっていうのは
物差しじゃ測れないんだ
「隣のあの子に笑ってほしい」
そんなものでもさ
ああ大きいなって思う
「マイナスの言動」は
難しいね
建設は死闘
破壊は一瞬
挽回できれば
それに越したことはないけど
可能な限り全力で
マイナスを回避したいのが本音
だから
自分にとってのマイナスを語るのも
悪くはないけど
相手にとってのマイナスを
教えてもらうほうが
もっとずっと重要だよ
たくさん聞かせてほしいな
その時が来たら、ね
そうして
日常では
マイナスの回避より
プラスの蓄積を
心がけたいな
たくさんたくさん渡して
めいっぱい笑っていてほしいよ