第30話 街に入って
規則正しく揺れる馬車の荷台。
御者台に座る男の背は見慣れたものだ。
気温も高くなりつつあり、陽は大きく昇っていた。
どうやらぼくは寝過ごしてしまったらしい。
「おぅ、起きたか。
ほれ、もうすぐ街に入るぞ。」
クリストフの繰る馬車は行列の合間をすり抜けていく。
喧々囂々とした周りの目など完全にスルーだ。
けれどその目も、馬車が止まれば途端に伏せられる。
馬車が止まったのは、中央門、貴族専用のものだったのだから。
お世辞にも上品とは言えない馬車に人相。
小汚い子供を連れた大男と来れば、良くて冒険者、はたまた難民と言ったところだろう。
それがまさかの貴族門。
その佇まいは異様の一言だ。
門扉が大きい音を立てて開いていく。
年に数回も開かれないこの門扉は、既にさび付いて動きを鈍くしていた。
平和の証とも言えるかもしれない。
けれどそれは決して正しい物では無いはずだ。
悠々と小汚い馬車が巨大な門扉を通過していく。
周りの視線はもう気にならない。
むしろ正面に居並ぶ兵士たちの方に目を奪われる。
簡素的とはいえ、それは儀仗兵に違いなかったのだから。
「…なにこれ?」
「ん? あぁ、どこの門から入ってもどうせ家にゃ連絡は行く。
だったらこっちの方が早くていいだろ。
ま、今日の鍛錬はあきらめろ。
寝坊したお前が悪い。」
「いや、そうじゃなくてさ。
あれだけ貴族の権力は使わないだのなんだの言ってたのにさ。
おまけにこの出迎えって…。」
「……ここまでしろとは言っちゃいねぇよ。
昨日のうちにちょいと話を付けただけなんだがな…。」
バツの悪そうに頭をかくクリストフは本気で困っているように見えた。
あっさりと城壁を越えられたのは良い。
あのすり抜けてきた行列に並び直すのは絶対に嫌だ。
素直に並んでいたらまた夕刻になる、と後で教えてもらったし。
気付けば儀仗兵たちの列を抜け、一際瀟洒な衣服をまとった妙齢の男が馬車の前に立っていた。
年齢はクリストフより若そうだ。
それでも苦労しているのだろう。
その顔には深いしわが刻まれていた。
「おかえりなさいませ、クリストフ様。
長らくのご不在、親方様も気を揉んでいらっしゃいましたよ。」
「バトラー、俺はここまでしろとは言っちゃいねぇ。
並ぶのが面倒だと言っただけだ。
だが采配には感謝するさ。」
「勿体ないお言葉です。」
深々と頭を下げる彼は、どうやらクリストフに仕える執事という事か。
よく考えれば空を飛べるクリストフのような魔術師には城壁なんて意味が無い。
軽く飛んで家に話を付け、また戻ってきたのだろう。
ぼくを含めた荷物を取りに…。
「だから昨日帰ってこなかったんだね。」
「いや、女買ってただけだ。
外より中の方が質が良い。
そのついでだ。」
ツンデレか!
いや、ただのひねくれものか。
まぁおかげで子供のくせに腰痛持ちになりそうな馬車の旅も終わりと思えば感謝するしかない。
お世辞にも馬車の旅は快適とは言い難い物があったわけだし。
「お話し中恐れ入ります、クリストフ様。
親方様がお待ちです。
長旅お疲れではありましょうが、急ぎ中央府へ。」
深く深くため息をつき、頭をかきながらクリストフが顔を上げる。
怒っている訳でもないが、その表情は明るくない。
心底嫌がっているように見える。
それはもうほとんど駄々をこねる子供みたいだ。
「バトラ―、まずはこいつらを解散させろ、大至急だ。
親父殿には使いを出せ。
近日中に顔を出すから黙って待ってろと言え。
一言一句たがえるな。」
「……クリストフ様…。」
「バトラー、いやアルフレッド。
お前との付き合いも長くなったな。
ガキの頃、お前が俺に付けられて何年だ?」
「既に数えてはおりませんが、我が半生の大半を。」
「そんなお前だから俺も言いたい事が言える。
判るよな?」
「……かしこまりました。」
深々と首を垂れる彼の姿は…完全にわがままな主人に振り回される執事だ。
きっちり3秒、頭を下げ切った彼が指を鳴らすと、儀仗兵はあっという間に走り去ってしまった。
街の入り口でこれだけ大業に騒いだせいでぼくらは完全に注目の的。
居心地は良くない。
「クリストフ様、また近日中にお会いできることを楽しみにしております。」
彼はそういうと、あっという間に馬に跨り駆けていった。
中央通りは街の外以上に人ごみの渦だ。
それを苦にもせず彼は消えてしまった。
とんでもない騎乗スキルだ…。
「クリストフ…、そんでこれからどうすんの?」
さっきの執事の話の流れだと、このまま親方様とやらの前に引き立たせられる予定だったはずだ。
さすがにそれはご免こうむりたい。
いくらなんでもいきなり4大貴族の前に連れ出されるのは冷や汗ものだ。
街に着いたばかりだし覚悟ってものがいる。
「そうさな、今日の所は三番街の別邸に行くか。
俺が使ってるとこだが、親父殿はいつも一番街の本邸だから万が一にも会う事はねぇだろ。
明日はお前の身支度と足りない物の買いだしか。
……親父殿の所には…まぁ明後日行きゃ良いだろ。」
クリストフの表情は、とてもとても珍しいほどに悲痛なものでしたとさ。




