第29話 門前にして
この三日間、ぼくは日課をかかさなかった。
前世の体や脳みそと違って、今世はやたらと才能に溢れている。
少ない修練、授業でそれを身に着けてしまう。
なんだろうね、才能の差、自分の事なのに嫌になっちゃうよ。
日も昇り切らぬ早朝から森の木を叩きつける。
旅の引率者が起きる前に薪を集めて火を焚く。
朝飯の準備を済ませてから引率者を起こす。
マズメシはこりごりです、いや本当に。
今日の朝飯は村から持ってきた卵と燻製肉で十分でしょう。
これなら熱を通すだけでも十分美味しい。
何よりこの世界、香辛料の類がべらぼうにお高い。
塩は何とかなるが胡椒なんてもってのほかだ。
塩は生活必需品だ。
無ければ本気で死ぬ。
味が、じゃなくて身体的に。
日本に居る時は全く実感は無かったけどね。
とはいえこの大陸、塩に限っては驚くほど豊富だ。
海沿いの町や村は塩の出荷があるので潤っている。
その他の海産物だって魔術、氷結系統の物があれば新鮮なまま運搬が可能だ。
冒険者が基本的な初級魔術くらいは必須とするのも頷ける。
ごそごそと馬車の荷台から食材を取り出す。
使い込まれた鉄のフライパンを準備すればもうやる事は無い。
後はクリストフを起こすだけだが、ちょっとだけ気が引けた。
なんせこの男、ぼくが起きてくるまで一睡もせずに起きていたのだから。
昼間は御者台で手綱を繰り、夜は寝ずの番。
ぼくが日も昇る前から起きてくるのもしょうがないよね。
だってさ、ぼくが起きてくるまで意地でも寝ようとしないんだから。
少しでも寝る時間を確保してあげたいものだ。
しかしまぁ、さすがは生粋の冒険者ってとこか。
言葉使いは乱雑で若々しいが、実際の年齢はどうだろうか。
見た目は父より上に見える。
まぁ父の年齢だって聞いた事も無いんだけど。
身長は…2m以上はあるだろうか。
この世界での平均値は170㎝あるかどうか、くらいだ。
おまけに長い外套に隠されているが、筋骨隆々で無駄な肉は全くついていない。
肩より長い銀髪は妙に重く、硬く、完全にストレートだ。
対してぼくは…年齢もあるけど、その身長は100㎝も無い。
体重も20㎏あるかないか。
魔術の才能はほぼ皆無で剣を振る力も無い。
前世の記憶と今世の才能だけが頼りです。
ふぅ、と大きなため息を1つ。
これからどうなるのかねぇ。
一応先生、クリストフが後見人になってくれるので、生活に困る事は無いだろう。
仰ぎ見る空は透き通るように青く澄み渡っていた。
クリストフが起きてきたのは朝飯の準備が出来てから30分もしない頃だった。
それで充分だ、と言わんがばかリに大きく伸びをすると朝の挨拶もせずに朝食を作り始めた。
一通りの準備が出来ているのに気付くと、ぼくの頭を乱暴にわしゃわしゃとかき混ぜた。
今日の朝飯は失敗してくれない事を祈るばかりだ。
で、ここまでしてぼくはやっと気付いた。
この男、アレンジャータイプのマズメシマイスターじゃない。
天然の無頓着なんだ…。
焼き上がった卵には殻が混じり、燻製肉は固く焦げて文字通り歯が立たないのだから…。
アレンジャーは監視しながら文句を付ければいい。
味音痴なら容量を最初から指定してやればいい。
だが天然はダメだ、人の話を聞いているようで聞き流している。
うん、これは今更ながらに後悔した。
思えばクリストフは今まで料理なんてした事無いのだろう。
冒険中なら他の仲間に得意な奴が居ればいい。
街に帰れば外食で良い。
金なら腐るほど持っているはずだし。
必要な時に必要なものを食う。
食える時に食えるだけ食う。
なんて正しく素晴らしい冒険者スタイル。
食育とは真逆だぜ…。
3日目の夕刻、ぼくらは結局何事も無く街が見える丘までたどり着いた。
川を背に、半円放射線状に広がる巨大な街。
この大陸における4大都市の1つ、ロレーヌ。
クリストフが生まれ育ち、冒険者の聖地と呼ばれる街だ。
先の大戦ではエルフとの最前線の砦として成長し、現在では逆に最も交流の多い町。
川側に向かうほど上級貴族の館が多くなり、内陸側に向かうほどそのランクは下がっていく。
中央通りに近いほど賑やかで、力のある商人が軒を競い合い、喧騒が目立つ。
外に向かうほど小さい商店が多くなり、自然と静かになっていく。
街中には幾重にも壁があり、それがそのままに住民たちのランクを示している。
川から遠くなるほどに壁は大きくなり、その門扉も大きくなる。
川に近くなるほど権力者が多くなり、3枚目の壁の内側には貴族しか居ないそうだ。
現在は7枚目の壁が大外で、8枚目の壁が建造計画中だという。
そんな7枚目の城壁には7つの門がある。
ど真ん中に一番巨大な門、その左右に3つずつの検問所があった。
検問所は平民用、商人用、冒険者用に別れており、滅多に開かれない中央は貴族だけが通れるという。
戦時には軍隊も通れるように作られているので、中央の門はかなりの大きさがあった。
ロレーヌを見下ろせる小高い丘の上、そこからでも判るほどの長蛇の列。
街へと入る為の検問を待つ人の群れ。
今から並んだところで、いや、既に並んでいる人の群れすらどこまで閉門時間に間に合うのか。
それが問題だった。
「あぁ、こりゃ今日は無理だな。
明日の朝にでも出直すか。」
実際に諦めを悟った人たちが長蛇の列から離散しつつある。
それに群がるように行商人達が近寄っていく。
中にはやたら薄着で若い女性の姿もある。
街の外にも、夜の時間が訪れつつあった。
「んじゃ、メシでも買ってくるわ。
お前は薪でも集めててくれ。」
クリストフは後ろ手に振りながら足早に丘を下っていく。
マズメシから解放されたと取るか、今日も野宿と諦めるか。
とはいえ留守を任されたという事は、ここがキャンプ地になったって事だ。
せめてもう少し近づいても良いんじゃないかと思うんですけどねぇ。
空腹に耐えかねたぼくが、1人夕食を済ませた頃になってもクリストフは帰ってこなかった。
子供の足で何度も往復してかき集めた薪はとうに全て熾になっている。
これほど街に近ければモンスターの類も出ないだろうが、その分人災という危険もあるというのに…。
クリストフの心配は一切していない、むしろ危ないのは1人放置された子供のぼくだ。
あの男、十中八九女を買ったな。
なんだろうね、この確信じみた予想は。
やけに遠く小さく見えるオリオン座を枕に、ぼくは静かに荷台の中で横になった。
鞘から抜き放ったナタをそっと布団に忍ばせて…。




