I Am ?
「聞こえますか」
教授が心配そうに問いかけるのが聞こえる。
「うむ、ちゃんと聞こえている」
何か自分で喋っているのに、録音した音声を聞いているようだ。
「声の聞こえ方が、おかしいぞ」
「聴覚の構造が生身の頃とは全く違いますから」
教授は何かの端末を操作しながら、答えた。
「脳の情報伝達は正常に行われています、視覚の方はいかがでしょうか」
「問題ない」
「気分はいかがですか」
「なんとも言えない。何か自分が自分で無いようだ」
自分が誰なのか、これは疑いようがない。何が起きたのかは事前に打ち合わせをしてし、十分承知してるつもりだ。
今わしは、コンピーターで思考していと思うと、やはり不思議な気分だ。
わしは、50年間がむしゃらに働いて、財を築いた。
しかし、寄る年波はいくら財をなしても、止めようがない。
70歳を超えて、老化をはっきり意識し、来るべき死の足音を感じるようになって。なんとか回避する方法を考えた。
だが、酷使して来た体は、既に取り返しがきかない状態にまで弱っていた。
そんな時目にしたのが、教授の書いた論文だった。
人間の意識、脳の活動を全て電子データ化しコンピューターに移植する事は理論的に可能、と言う内容だった。
わしはすぐに教授のスポンサーになり、研究を進めさせた。それまでの数十倍の予算を得た教授の研究は一気に進み、5年ほどで実用化の目処がついた。
わし用に建造していたスーパーコンピューターも、同じ時期に完成した。
本当なら、人体実験を何度かしてからにしたかったが。わしの体は既に癌に冒されて、余命があまりなかった。
それに、人間の記憶を電子情報に置き換えると、途方も無い容量になるので。納める媒体が何人分も用意できない。当然思考を司るコンピューターも用意できない。
結局予備実験なしで今日、わしは人格をスーパーコンピューターに移した。
体の方はまだ完全には出来上がっていないし、そもそも既存の世界最高水準だったスーパーコンピューターも、脳のエミュレートをするには計算速度が遅く、こちらにも大金をかけて桁違いの能力のものを作ったので、小型化はまだまだ先。体は超高速通信で遠隔操作している、そのせいか生身の頃とは少しずつ感覚が違う。
それでも記憶の移植は完璧だ。忘れかけていたことも、鮮明に思い出せるようになった。若い頃の感覚とはこんな物だったのかとも思う。
これからは、体の方の制作に力を入れなければ。
「成功したと思われますか」
教授が問いかけて来た。
「大成功だ、何もかもクリアに感じる」
「安心しました、古い体はいかがいたしましょうか」
「処分は任せる……いや、それでもわしの体だ、余命を全うさせてやってくれ」
昔の体はチューブやコードが繋がって、台の上に横たわっている。
「承りました、それでは新しい身体の機能検査に移ります」
クルマ椅子に腰掛けたわしの新しい体を、助手が押して次の部屋へ移動した。
自分の声が聞こえる、それも離れた場所から。教授と話しているようだが、わしは何も喋っていない。わしは身体中コードやチューブが繋がって台の上で動けない。
呼吸補助装置のせいで、声も出せないし、バイオカプラが脳につながっているので、指一本動かすこともできない。
失敗だ、わしの意識は移っていないぞ。何も全く変わっていない。
一人取り残され、生命維持装置の音しか聞こえない。
最終確認が終わるまでは、生命維持装置は切られないだろう。
余命を全うさせてやってくれと聞こえたので、治療も続けられるのかもしれないが、このまま死を待つのか。
大成功と聞こえた、確かに記憶や思考は移植できたのかもしれない。それらの移植が上手くいけば、当然意識も移動すると思っていた。
だが、実際は意識はそのまま残っている。今教授と去って行ったのは、結局のところわしの精巧なコピーに過ぎない。
あのコピーにも意識はあるのだろうか、意識があるとしたらそれは一体誰だ。
わしは、死ぬまでわしだ。
移植できなかった以上、この体が死んだら消滅してしまうだろう。それでもわしのコピーは生き続けるのか。生き続けると言えるのか……
今の今まで、信じてはいなかったが、魂というものが本当にあるのかもしれない。
今こうやって考えているわしは、魂を移植する事ができなかったので、古い体に留まっているのではないのか。
科学が万能だなどとは思っていなかった、実際にまだまだ我々にはわからない事が山のようにある。それでも、このプランは完璧だと信じていた。
わしは無限に生まれ変われると信じたのだが……
脳につながっているバイオカプラを取り外さないと、体の自由はきかない。
この移植が成功か失敗かを判断するのは教授だが、彼はどう考えているのだろうか。打ち合わせでは、古い体、今のわしの確認もする事になっている。その時教授に失敗だったと伝える事ができるのか。
だが、考えようによっては、今考えているわしの方こそ、古い体に残った残滓なのかもしれない。
あの、コピーだと思っている方にもわしの意識があるのなら、当然そう思うだろう。本当はやはり大成功なのだろうか。
何れにしても、わしに残されている時間はさほど多くない。
今日までだと思って耐えてきた、がんの治療にも疲れた。
教授が成功だと思っているのなら、もうそれでもいいかもしれない。
わしの記憶や思考は残るのだから。