悲しい出来事 Ⅰ
しかし、何事もなく平穏に過ぎてくれる週末ばかりではない。
「古庄先生。古庄先生は、どこにいる?」
緊迫した様相の学年主任に、真琴もただならぬものを感じてすぐに反応した。
「古庄先生は、もう終礼に行ったと思います」
「ああ、そうか」
と、学年主任は古庄を追いかけて教室へ赴こうとする。
「何かあったんですか?」
真琴はその学年主任を捕まえて、そう訊かずにはいられなかった。
「古庄先生のクラスの森園佳音だけど、彼女の弟さんが亡くなったらしい…」
「……えっ!?病気だったんですか?」
「いや、詳しいことは判らないけど、なんでも交通事故らしいんだよ…」
思いがけない悲しすぎる出来事に、真琴も一瞬言葉をなくす。それでも、ここは教師として動かねばならない時だと、気持ちを締め直した。
「それじゃ、私がこれから教室に行きますから、古庄先生にそのことを伝えます」
真琴はそう言うと、自分の終礼道具を携えて、急ぎ足で教室へと向かった。こんな時、担任としてどう対処しなければならないか考えながら…。
古庄のクラスの教室を覗くと、生徒達は配布物を配り、古庄は教壇でプリント類の整理をしていた。
「…古庄先生。ちょっと」
教室の戸口から真琴が声をかける。声の主が真琴だったことに、古庄の表情がパッと明るく反応した。
「ん?なに?」
これから聞かされる深刻な話にかかわらず、爽やかな笑顔を作りながら教室の外へと出てきた。戸口の反対側、廊下の窓の方へ誘われ、内緒話になる体勢なのにも、面白そうな表情を見せる。
「…先生のクラスの森園佳音さん。彼女の弟さんが亡くなりました」
「……なんだって!!?」
古庄の面白そうな表情は、一瞬で暗いものに塗り替えられた。
「交通事故だったらしいです。森園さんをすぐに帰宅させなければならないんですけど、突然のことだから彼女もきっとかなり動揺するでしょう。ご両親のもとに送って行ってあげた方がいいと思います」
神妙な顔で真琴の言葉にうなずき、古庄は相づちを打った。
「うん、そうするよ。あっ!でも、俺、自転車で通勤してるから、車が……」
「私のを使ってください」
真琴はジャケットのポケットから、車の鍵を取り出して古庄に渡した。
「終礼も私がやっておきますから、古庄先生はすぐにでも彼女と一緒に行ってあげてください」
「…わかった」
古庄はようやく配布物がひと段落した教室へと入っていき、森園佳音に声をかける。そして帰り支度をさせ、二人で教室を出て行った。
それを見はからって、真琴は古庄のクラスの教室に入って行き、自分のクラスより先にこちらの終礼を始める。
「あれ~?古庄先生は~?」
「今まで居たけど~?」
教室からそんな声が漏れてくるのを聞きながら、古庄は佳音の背中をそっと押して階段を下りた。
それから、古庄はなかなか戻ってこなかった。
管理棟の閉まってしまう7時半が近づいてきても戻ってこないので、真琴は古庄の携帯に電話をかけてみた。しかし、着信音は古庄の机から聞こえてくる。例によって、携帯を置きっぱなしのまま出かけたらしい。
仕方がないので、真琴は古庄の机の上にメモを残し、古庄の携帯を携えて、タクシーで帰途に就いた。
古庄が真琴のアパートにやってきたのは、すでに8時を回っていた。
ドアを開けて古庄が部屋の中に入ってきた瞬間、真琴はこの数時間古庄が背負わなければならなかった“重いもの”を察知した。
憔悴している表情は、普段学校で見るはつらつとした古庄からは想像もできないほどだった。