誰かのために… Ⅰ
「ああ、食った、食った!ごちそうさま!!森園、美味しかったか?」
満足そうな顔で、古庄が佳音に問いかける。
「はい…。美味しかったです」
ご馳走になっておきながら、『美味しくない』とはもちろん言うはずもなかったが、真琴の料理は古庄が大口で食べるにはもったいないと思うくらい、繊細で優しい味がした。
「そうだろう?和食だろうがなんだろうが、俺の奥さんの作る料理が口に合わないヤツなんて、いないはずだからな!」
ここまで来ると開き直りとも言えるような、臆面もない古庄の真琴に対する賞賛に、佳音は閉口してしまう。
昨日のキスも然り、古庄は心の底から真琴に惚れていることを包み隠すことはなかった。
でも、それが古庄の真実だ。ありのままを全てさらけ出すことは、自分と自分たち夫婦について、佳音に理解をしてもらうために必要なことだと、古庄は考えていた。
片付けに入ると、率先して古庄が動き始める。
「森園。手伝ってくれ」
古庄からそう声をかけられて、再び佳音が立ち上がる。狭い台所に立つのは二人が限界で、真琴はいつものように居間で休ませられた。
「………あっ!!」
片付けがほぼ終わったころ、真琴が悲鳴のような声を上げる。
その真琴の声色に古庄は血相を変え、食器を拭いていた布きんを放り投げて、居間へと飛んで行った。
居間では真琴がお腹を抱えて、苦しそうに小さくなっている。
「どうした?!真琴!!……産まれそうなのか!?」
古庄が傍に膝をついて覗き込むと、真琴は苦しみながらも可笑しそうに吹き出した。
「まさか!まだ早いです。…胎動ですよ」
「……え?」
「お腹の赤ちゃんから、すごい勢いでお腹を内側から蹴られて…。一瞬息が出来なくなりました」
「胎動で、そんなに?!」
「まだ激しく動いてますよ」
真琴からそう言われて、真琴のお腹へとそっと手を当てた。手のひらに、グリングリンとお腹の中で活発に動く、我が子の息吹が伝わってくる。
「うわ、すごいな!…また蹴ったぞ!」
「産まれる前から、走り回ってますね」
古庄の驚きに、真琴も幸せそうに微笑む。
「こんなに元気だから、……男の子かな?」
「……当たり。男の子です」
「えっ!?ホントに!?もう判るのか?」
「はい。今日の検診で確かめてもらいました」
「………!」
古庄は感極まって言葉を失い、真琴の背後から両腕で包み込んで、両手で優しく真琴のお腹を何度も撫でさすった。
真琴も嬉しそうに微笑みながら自分のお腹を見下ろし、古庄の手の上に自分の手を重ねる。
新しく産まれてくる命を愛おしみ、幸せそうな二人の様を目の前で見て、佳音は胸がキュウっと絞られた。
特別でもない、日常的でささやかな出来事にでさえ喜びを感じている二人――。そんな二人を妬み、その幸せを壊そうとしていた自分が本当に悲しくなり、佳音は唇を震わせた。
佳音の視線に気が付いて、真琴が目を上げて顔を赤くした。古庄に恋をしている女の子の前で、こんな風にイチャつくなんて、まるで嫌がらせみたいだ。
「……和彦さん」
小さな声で古庄に声をかけると、古庄も居間の入口にたたずむ佳音に気が付く。けれども、包む腕をほどくことなく、佳音に微笑みかけた。
「森園も、こっちに来て、触ってみてごらん」
そう言われて、佳音は無言で目を丸くする。もちろん躊躇いはあったけれど、逆らうことなく、真琴の側まで来て膝をつき、恐る恐る手を差し出した。
丸みを帯びた真琴のお腹は思ったよりも硬く、その奥に息づく命の震動が、佳音の手のひらにも伝わってくる。お腹の中の赤ちゃんは、羊水の中で活発に動き回り、佳音が手を当てたちょうど内側からまた激しく蹴った。




