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個別指導 Ⅲ

 


 個別指導を始めて3日目。

 佳音の学習も軌道に乗って来て、順調に進んでいた。きちんと朝から登校して来て、授業にも真面目に取り組み、それなりに付いていっているようだ。


 もともと、打てば響くように利発なところのあった佳音だ。この調子でもうしばらくすると、古庄が付いていなくても自分で学習を進められそうな手応えを感じていた。



「それじゃあ、また明日な」



 二人のほかに誰もいない教室に、古庄の声が響き渡る。その日の個別指導にも区切りをつけ、佳音が筆記具を収め始めた。



 古庄も椅子から立ち上がろうとしたその時、椅子の背もたれに置かれた古庄の手を、佳音が掴んだ。


 不意を衝かれて、古庄は無言で佳音を見つめ返す。



「…先生。あのね、お願いがあるの…」



 佳音がためらいがちにそう口を開くと、不吉な予感が古庄の中を駆け巡った。


 けれども、教師として、佳音のこの手を無下に振りほどくことはできない。心が病んでいる佳音の話は、きちんと聞いてあげなければならない…。



「…抱いてもらえるのがダメなら…。…キスして?」



 とっさに思い描いていた予想が遠からず的中して、古庄の心の中には失望感が充満した。


 佳音の心は前に進むどころか、まだ古庄に固執し、少しも変わっていない――。


 もう、佳音とはこんな話はしたくなかったが、古庄はその落胆を押し隠すように、目を閉じ深く息を吐いて、佳音に向き直る。



「……そういうことはできない。って、この前もはっきり言っただろう?」



 やはり変わることのない古庄の意志に、佳音は顔を悲しげに歪ませた。



「…先生に好きになってもらえないのは、…分ってる。だけど、自分の中の気持ちに整理がつかないの。…キスしてもらえたら、諦めきれると思うから…」


「キスだって、恋人同士がするものだ。それをしたから諦めるって、理屈に合わないだろう?」



 首を横に振って取り合ってくれない古庄に、佳音はいっそう力を込めてその手を握って懇願する。



「先生はそう思うかもしれないけど、そうしてくれたら、私ちゃんと諦める。もう、こんな風に先生を困らせたりしない」


「…お前はそれでいいかもしれないけど、俺はそうはいかない。好きじゃない相手とそういうことをすると、本当に好きな人とそれをする時、そこに自分の純粋な想いが込められなくなる」



 佳音が古庄の言葉の意味を考えて、理解していくにつれて、古庄の手を握っていた力が抜けて、目には涙が溢れた。


「…じゃあ?キスがダメなら、抱きしめてくれるだけでいい…」


「それもできない」


「どうして?前に、夜の街で私を助けてくれた時…、先生は私を抱きしめてくれたじゃない?」



 佳音はどうにかして、恋い慕う古庄の温もりを感じたかった。それは、ずっと寂しい思いを抱えてきた佳音の心が、切望しているものだった。


 しかし、古庄はまた首を横に振った。



「…あの時は確かにそうしたけど、今は…お前の中に俺への恋愛感情がある限り、そういうことはしない」



 最後に振り絞った勇気さえも、古庄のこの答えに打ち砕かれて、佳音は絶望する。

 だけど、自分でも持て余してしまうほどの古庄への想いは、溢れ出して暴れ始めた。



「じゃあ…。じゃあ?私の気持ちはどうしたらいいの?こんなにも先生のことが好きなのに!!」


「俺みたいな年増の男のことなんて、別のことに目が向けば、すぐにどうでもよくなるよ」



 開き直ったような古庄の言い方に、佳音はますます狂ったように声を荒げた。



「そんなに簡単なことじゃない!もう、どうにかなりそうなの!…先生が好き!先生が好き!!」



 泣きじゃくるか、ヒステリックに叫ぶか…。

 こんな風になってしまった佳音には、もうどんな言葉も通じない。


 この、うんざりするような堂々巡りから抜け出すためには、何か別の方法で佳音の想いを断ち切らなければ不可能なのだろう。



「…言いたいことはそれだけか?もう遅いから、早く帰りなさい」



 まるで取り合ってもらえず、冷たく突き放されて、佳音はもう何も言えなくなる。

 涙が溢れてくる目で見上げても、古庄は毅然として拒否をし、それに応えてはくれなかった。


 佳音は涙を飲み込み、唇を噛むと、踵を返して古庄に背を向ける。

 そのまま駆け出して、教室の後方のドアから飛び出して行った。




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