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個別指導 Ⅱ

 


 そして、次の日。

 自分のクラスの朝礼に行った古庄は、自分でも信じられない光景に出合う。


 教室の佳音の席に、紛れもなく彼女自身が座っていたのだ。


 昨日、あんなことがあった直後では、到底彼女は登校して来ないだろうと思っていたのだが…。

 目の前の現実に、古庄は事が少し好転し始めたように感じて、希望の光が射しこんできたような気がした。



 佳音は以前と同じように、教室の中で一人でいることが多かったが、休み時間ごとに職員室に姿を見せるようなこともなく一日が過ぎてゆく。



 ところが、昼休みに昼食をとっていた古庄のところへやって来た。

 久しぶりに見る佳音の姿に、真琴をはじめ他の教員たちも、声を潜めて思わず凝視してしまう。



「…昨日も言ってたように、放課後に勉強を見てください」



 佳音は古庄の傍らに立って、小さい声でそう依頼する。古庄は佳音の方に向き直って、笑顔を作って頷いた。



「わかった。放課後、仕事がひと段落したら教室に行くから、そこで自習をしながら待ってなさい。ただし、そう長い時間はできないぞ。1時間だけだ」


「…はい。わかりました」



 佳音は軽く一礼して、それだけで教室に戻って行った。


 以前の佳音なら、このまま古庄の側に居座り、離れることはなかった…。


 この佳音の変化に気が付いて、真琴は、古庄と佳音の間に何かあったのだと直感する。

 あの佳音の態度は、もう古庄のことは諦めた感じだったが、そうなるには佳音が古庄に「想いを打ち明ける」という前提が必要だ。


 きっと佳音の胸の内には、到底消すことなどできない、古庄への激しい想いの火が渦巻いていたに違いない。それを古庄は、どうやって消したのだろう。どうやって諦めさせたのだろう。


 真琴の知らないところで繰り広げられた、二人の間の恋の駆け引きを想像して、真琴の胸がキュウっと痛みを伴って絞られた。



 でも、このことは、真琴の方からあれこれ訊き出すことではない。時が来れば、きっと古庄の方から事の全てを話してくれる…。

 真琴はそう信じて、自分を落ち着かなくさせる心のざわめきを、意識の脇に追いやった。




 放課後、佳音との個別指導は淡々と行われ、あっという間に1時間という時は流れた。


 古庄が担当する地理だけでなく、英語や数学などの教師から特別に作ってもらった補習用のプリントを一緒にするというかたちで、学習は進められていく。



 古庄はあくまでも勉強を教えることに徹し、佳音も休んで遅れている分を取り戻そうとしているのか、とても真面目に取り組んだ。

 …と言うより、どちらの方も、あの日佳音の家であったことを話題に持ち出さないために、敢えて勉強に集中しようとした。



 真琴が、日課にしている放課後の教室の見回りで、二人がいる教室の横を通りかかる。

 その時、開け放たれているドアから、二人が一つの机を挟んで向かい合っている姿が、真琴の目に飛び込んできた。


 見てはいけないものを見てしまったような気がして、真琴の体は自ずとすくんでしまう。

 すると、古庄の方は人の気配に気がつき、それが真琴だと判ると、ニッコリと真琴にしか向けない笑顔を見せてくれた。


 真琴はその笑顔に応えたかったが…、少し口角を上げて笑い顔を作っただけで、そそくさと自分のクラスの教室へと向かった。



 誰もいなくなった教室内を整理しながら、真琴の頭の中には先ほどの二人の姿が占拠する。


 真琴を安心させようとしたあの古庄の曇りのない笑顔は、却って真琴の心に負担を強いた。


 古庄が一緒にいるのは〝生徒〟で、ただ単に個別指導をしているだけだ。何も心配することなどなく、古庄だってあんな笑顔を向けてくれているのに、真琴は先ほど目にした現実を素直に受け入れられなかった。



 ――…もう、森園さんとは関わらないで…!



 教師としてあるまじき感情が自分の中にあると知って、真琴は自分のことが疎ましくなった。


 佳音がやっと前を向いて一歩を踏み出せたというのに、それを素直に喜んでいない自分がいる…。

 そう思ってしまう原因は、言うまでもなく自分が古庄を恋い慕っているからだ。



 彼に恋をしている女性は、佳音でなくとも彼に近づいてほしくはない。


 古庄を恋い慕うが故のどす黒い感情が自分の中に沈殿して、真琴は息もできなくなりそうだった。



 以前は、古庄を思い浮かべるだけで心が澄んで、幸福に包まれていたのに……。

 古庄を恋い慕う心を、こんな卑しい感情と同居させてはいけない――。


 そう思って、真琴は自分の心と必死に闘い、自分の奥底にある気持ちに、ひたすら気づかないふりをし続けた。


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