個別指導 Ⅰ
勤務時間は終わっていたから、佳音の家からそのまま自分のアパートに帰っても良かったのだが、古庄は敢えて学校へと戻った。
教員と生徒たちがひしめく、放課後の賑やかな職員室の中で、自分にとってたった一つの確かなものを見つけだす。
3人ほどの女子生徒たちに囲まれて、その生徒たちから代わる代わる、大きくなりつつあるお腹を撫でられている真琴――。
雑踏の中にたたずむ古庄に気が付いて、にっこりと笑いかけてくれる。
「古庄先生。女の子たちがお待ちかねですよ」
その瞬間、古庄は満開の桜の匂いと、安堵の海の中に包み込まれる。
真琴の声を聞いて、大きなストレスに疲労して張りつめていた心が、ホッと温かく緩んでいく。
「お前たち、賀川先生の仕事の邪魔をしてたんじゃないのか?」
和んだ心を映して、古庄が優しい声を発すると、女子生徒たちの表情にもいっせいに笑顔の花が咲いた。
「だって、先生がいなかったんだもん」
「先生、どこ行ってたの?」
「……ちょっと、森園の家に行ってたんだ」
生徒たちとの会話だったが、真琴の耳にも入っていることも承知で、事実のままを告げた。
真琴はチラリと一瞬視線をよこしたが、女子生徒たちから解放されたこともあって、自分の机へと向き直って仕事を再開させた。
生徒たちは、そんな二人の視線だけで交わされる複雑な感情のやり取りをよそに、古庄に話を続ける。
「そうなんだ。佳音ちゃん、元気だった?」
「ああ、元気そうだったよ。…明日は、学校に来ると思うよ」
「ええ?!ホントに来るかなぁ…?」
「まあ…、来たらいいんだけどな。…それより、何か俺に用があったんじゃないのか?」
「そうそう!先生に質問があったの!」
「お!質問か、珍しいな。今日の授業のところか?」
「違う違う。そんなことじゃなくて、先生のカラダのこと♪」
「……なっ?!なんだって…!?」
人が大勢いる職員室で、いきなりこんな際どいことを切り込まれて、古庄はドキマギして思わず真琴の顔色を、また窺ってしまう。
「あっ!先生、今、なんかヤラシイこと考えなかった?」
「そうじゃなくて、身長とか胸囲とか、足のサイズとか知りたいの」
「……何で…、そんなこと知りたいんだ?」
半ば胸をなで下ろしながら、逆に古庄は質問する。
しかし、そんなことはうやむやにされ、一問一答形式で古庄は答えさせられる。胸囲や股下など、本人でもはっきりしないところは、一人の生徒が持っていたメジャーで実測までされた。
女子生徒たちの目的は、本当にそれだけだったらしく、用が済むと一陣の風が去るようにいなくなってしまった。
「古庄先生の、よほどコアなファンクラブでもあるんじゃないんですか?」
面白そうに真琴がそう声をかけてきてくれたので、古庄も息を抜く。そして、真琴の耳元に小声で囁いた。
「……俺のカラダのことを知ってるのは、君だけで十分だよ」
予想通り、てきめんに真琴の顔に火が付く。
「職員室で、そんな話やめてください!!」
声を押し殺してそう言われ、真っ赤な顔で睨まれて、古庄も面白そうに顔をほころばせた。こんな素直な反応を見せてくれる真琴が、可愛くてしょうがない。
幸せそうに笑いながら、古庄は机の上の新聞を手にすると、席を立って帰るそぶりを見せた。
「もう、帰るんですか?」
気を取り直して、真琴が尋ねる。佳音の家から戻って来てから、古庄はまだ仕事という仕事はしていない。
「うん、部活に顔を出してから帰るよ」
――君の顔を見るために戻ってきただけだから…。
古庄は微笑んで真琴に答えながら、職員室を後にした。




