抱いてほしい… Ⅱ
とにかく、佳音のことは、このままにしておくわけにはいかない。
古庄は終礼が終わると、一旦家に帰り、自転車から自動車に乗り替えて、佳音の家へと向かった。
日中は、佳音の母親がいないことは分っていたが、いても何の助けにはならない。却っていない方が、佳音の本当の気持ちを訊き出せ、じっくり話ができるだろうと考えた。
玄関の前に立ち、一呼吸おく。
思い切ってインターホンを押すが、中からは何の応答もない。
佳音は、またどこかをさまよい歩いているのだろうか…?
しかし、前にしばらく学校に来なかった時に対面した、荒れた風貌の佳音を思い出して、それはないだろうと推測する。
古庄は携帯電話を取り出して、土曜日の夜にかかってきた番号へと電話をしてみる。
すると、数コールもしないうちに呼び出し音が途絶え、
「はい……」
と、佳音のか細い声が聞こえてきた。
「森園か?今、お前の家の玄関口にまで来てるんだけど、家にいるんだろ?出てきてくれないか?」
古庄がそう話した後、佳音は何も応えず、代りに家の中に響く足音が聞こえ、パッと玄関のドアが開いた。
息を上げながらそこに立つ佳音は、古庄が想像していたよりも荒れておらず、ひとまず元気そうで安堵する。
相変わらず散らかったリビングに通される。
佳音の母親は佳音のことはもとより、家のこともどうでもいいようだ。かと言って、ずっと家にいる佳音も、家事をしているわけではないらしい。
佳音は、L字型に配されたソファーの上の、雑誌や新聞、洋服などをとりあえず除けて、古庄と自分が座る場所を確保した。
話をする態勢になって、まず何から切り出すべきか、古庄は考えた。土曜日の夜のことも訊かなければならなかったが、感情に走った話になる前に、現実的な話をしておく必要があると思って、口を開く。
「今のままの状態じゃ、いけないってことは…自分でも分かってるな…?」
古庄からそう投げかけられても、佳音は頷くこともなく、ただうつむいている。
「今まで、お前の気持ちが自然に前に向いてくれるように待っていたけど、もう、ただ待つわけにはいかなくなった。お前が、自然に一歩踏み出せないなら、何か働きかけて手助けをしたいと思っている。それでだ…」
黙って話を聞いている佳音に向かって、古庄は息をついて、明確な口調で続ける。
「現実的にいちばん問題なのは、出席日数のことだ。教科によっては、欠課時数がすでに規定数を超えているのもある。3年に上がりたいんなら、明日からでも毎日学校に来ないと…。保健室登校でもいいから、とにかく学校に来てほしい。勉強が遅れている分は、他教科だってできる範囲で俺が見てやるし…」
「毎日、朝起きて思うの。……学校行かなきゃ……って」
やっと佳音が口を開いてくれて、それが肯定的なものであることに、古庄はホッとして頷く。
「…うん」
「でも、先生の周りにはいつも誰かがいて…近寄れないし。学校にいて、あんなに大勢の人の中にいるのに寂しくて…、家で一人でいる方がずっといいって思うの…」
「…それで…?こうやって一人でいて、何をしている…?…寂しさはいっそう募るだろう?」
現実を衝かれて、佳音はグッと息を呑んだ。そして、うっすらと目に涙を浮かべ、古庄に答えた。
「……一人でいると、自分なんかこの世にいなくてもいいんじゃないかって思うの。弟の代わりに、私が死ねばよかったんだって……」
これは、佳音の中にずっと巣くって、彼女を病ませていた思考だった。
佳音のこの言葉は、古庄の胸に突き刺さった。このどうしようもなく可哀想な佳音を、どうにかして救ってあげたいと思う。
けれども、古庄はもう、佳音の望んでいる言葉だけを投げかけるのはやめようと、決意していた。たとえ佳音にとって辛いことでも、自分の中にある真実と誠意を表そうと思った。
「弟が死んで…人が死ぬことの意味を、お前は誰よりも知っているはずだ。それなのに、どうしてそんなことを言う?お前が死ねば、悲しむ人間はたくさんいる。そして、俺やお前の両親や、他の誰かの心にずっと消えない後悔を残すんだ」
古庄の言葉を聞きながら、佳音の目からは止めどもなく涙が溢れてくる。
自分の心と向き合うことは、佳音にとってとても辛く、ずっと逃げ続けていたことだった。
「死にたい…なんて、本心じゃないだろ?本当に死のうと思う人間は、寂しさだって感じない。寂しいって感じることは、誰かと一緒に楽しい時間を過ごしたいって…、生きて人生を充実させたいって思っている証拠だ」
自分でも気づいていなかったことを指摘されて、佳音は思わず両手で耳をふさぐ。
それは佳音にとって、一番聞きたくないことだった。
その辛いことから目を背けるために、佳音は古庄へ想いを持ち出して、それで覆い隠そうとし始める。




