抱いてほしい… Ⅰ
週明け、やはり想定していた通り、佳音は登校して来なかった。
朝礼の直後に、古庄は電話をしてみようかと思ったが、あの日駆けつけなかった後ろめたさもあり、忙しさに紛れて、結局電話はしなかった。
それに佳音に電話をしても、多分状況は好転しない。佳音に対すると、彼女を傷つけないように、期待をもたせるようなことしか言えなくなる。
こんな時、古庄の優しさがアダとなってしまっていた。
どう対応するべきか、あれからずっと考えているが、この問題を抜本的に解決できる方法が思い浮かぶことはなかった。
「古庄くん…。ちょっと…」
授業のない空き時間、肩を叩かれ振り向くと、そこには石井がいた。
土曜日の夜、詳しい説明はしないのに、石井は古庄の状況をすぐに察して、代わりに佳音の家に行くことを快く請けてくれた。
日曜日の朝になって、佳音が落ち着いたようなので帰った旨を、電話で伝えてもらっていたが、詳しいことは月曜日に学校で…ということになっていた。
石井は、佳音が1年生の時に彼女の担任をしていたし、学年部の〝教育相談〟の担当もしていたので、とっさに最適の人物を選んだと、古庄は我ながらに思っていたところだった。
ちょうど誰もいなかった給湯室のテーブルに着いて、石井と向かい合う。
「…森園さんは、すいぶん古庄くんに想いを寄せてるみたいね。もともと考え方なんかは大人びた子だなと思ってたけど、他の生徒みたいに、ただ『イケメンだから好き』っていうのとは違うみたい」
石井は、さすがに佳音の担任だったこともあり、今も古庄のクラスの英語を担当していたので、佳音の人となりもそれなりに解っているようだった。
古庄は「その通り」と言わんばかりに、眉を動かして石井に同意する。
「…でも、あなたの気を引きたいがために、行方不明になったり、『死んでしまいたい』なんて言ってみたり…やってることは子供じみてるけどね」
その困惑を表すように、古庄は大きな溜息を吐いて口を開いた。
「…どうすればいいと思う?このままだと進級も危ないだろう?何かしらの措置を取ってもらうにしても、君や授業担当の先生にも迷惑をかける…」
そう問われて、石井も腕を組んで考えた。
「…あの子があの子自身の心を、癒して、それから強くしてあげないと…」
「どうしたら、そうできる?無理やりにでも、スクールカウンセラーに会わせた方がいいのかな?」
「…ううん。あの子が自分で閉ざしてしまってる心の扉を開けてくれないことには、カウンセラーや私たちの言葉の真意はあの子には伝わらないわね……。ま、カウンセラーはその辺、扉を開けるのも上手なのかもしれないけど……」
と、石井はそこで言葉を切り、少し考え込んだ。
「今、あの子の頭の中に充満しているのは、あなたのことよ。あなたさえ手に入れば、すべてが解決して、自分は幸せになれると思い込んでる。あなたとのことがどうにかならない限り、前には進めないわね」
そう言われても、古庄が一番困っているのはそのことだった。
佳音の想いを退けるようなことを言ってしまって、彼女がもっと危うい方へ行ってしまうことが怖かった。
「…うん、どうにかしないといけないことは解ってるけど…。森園の想いに応えることもできないし…」
思い悩む古庄の顔を見て、その奥にある真琴の存在を、石井は読み取った。
佳音が生徒である…と言うこと以前に、あんなに純真な真琴と愛を交わしていれば、他の女性が古庄の心に入り込める余地などないだろう。
「もちろん、女子生徒に想いを寄せられて、いちいちそれに応えてたら、あなたの場合。何人もの生徒と付き合わなくちゃいけなくなるわ。その内『淫行教師』なんていうことになって、首が飛んじゃうわよ」
石井は冗談交じりにそう言って笑ったが、古庄は苦い表情を少し緩めただけだった。
「森園さんの想いに応えるだけが、解決方法じゃないと思う。本当に人を好きになることはどういうことか、教えてあげることだってできるでしょ。きっとあなたには、とても愛する人がいて、それがどういうことか知ってるでしょうから」
石井のその言葉を聞いて、古庄は目の前で水風船が弾けたように、目を丸くした。
意味深な視線をよこしながら、そう言って席を立つ石井は、まるで〝真実〟に関する何か…を知っているかのようだ。
「また、何か困ったことがあれば手を貸すし、相談に乗るから、何でも言ってね」
しかし石井は、その視線の意味を明らかにすることなく、古庄の肩をポンポンと叩くと、足早に自分の席へと戻って行った。




